はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと1か月となりました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時代がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時流に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

ラグビー評論家・中尾亘孝(なかお・のぶたか)とは何者か?
 ラグビーフットボールに関心は薄くとも、サッカーファンがラグビー評論家・中尾亘孝の名前を憶(おぼ)えているとしたら、1998年フランスW杯の少し後、佐山一郎さんが『サッカーマガジン』誌の連載コラムの中で「ラグビーの後藤健生」だなどと評して、中尾が同年に出した著作『リヴェンジ』を推奨していたことではないだろうか(「兄弟フットボールライターからの助言」として,後に佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 この「ラグビーの後藤健生」を本気にして『リヴェンジ』を読んだら、著者・中尾の、サッカーに対する、なかんずく同年のフランスW杯で1次リーグ3戦3敗で終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンに対する悪口雑言罵詈讒謗があまりにも酷くて著しく不快となり、当ブログ(の中の人間)に問い合わせの電話をかけてきたサッカーファンが2人いる(いずれも界隈では相応のポジションにあるサッカーファンである)。

 事ほど左様、この人物こそは、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、サッカーに対して悪口雑言罵詈讒謗をさんざんぱらぱら放言してきたインチキラグビー評論家であり、札付きの反サッカー主義者なのである。

 それでは「中尾亘孝」とは何者なのか? 1950年、愛知県生まれ。ラグビー評論家。早稲田大学商学部中退(らしい)。ラグビーブームの時代の最後半、1989年に『おいしいラグビーのいただきかた』でデビュー。主な著作に『15人のハーフ・バックス』『リヴェンジ』『英国・フランス楕円球聖地紀行』ほか。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』(1989)表紙
 1990年ごろから、反サッカー主義者にもかかわらず、鈴木良韶(すずき・りょうしょう)和尚率いる日本最古のサッカーファン・サポーター集団「日本サッカー狂会」の許しもなく、勝手に「日本ラグビー狂会」を名乗り始める。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


 以後、この「狂会」を事実上「主宰」し、他の「会員」とともに、ラグビーファンから「狂会本」と言われるアンソロジーのラグビー本を、実に20冊以上刊行してきた。主な著作に『頭にやさしいラグビー』『ラグビー黒書』『ラグビー・サバイバー』『ラグビー構造改革』ほか。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 現在は、愛知県豊橋市の、東海道新幹線・東海道本線と蒲郡街道が立体交差する付近のアパート1階を「寓居」とし、ブログを中心に放言している。

中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」
【中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」】

 この辺りの情報は、中尾のブログ自身にそれとなく分かるように書いてある。ラグビーが好きな人は、直接、中尾にラグビー談義を聴きに行くのも一興であろう。

サッカーこそラグビーの矮小な傍流にすぎない?
 その中尾亘孝の反サッカー言説の代表例が、「サッカーから枝分かれしたラグビー」という世間一般のイメージを逆転させた、ラグビーこそが英国前近代のフットボールの正統なる継承者であり、サッカーはその矮小な傍流にすぎないとするフットボール正閏(せいじゅん)論「ラグビー本流/サッカー傍流」説である。

 1823年のある日、英国の名門パブリックスクール「ラグビー校」でのフットボール(サッカーと誤記されることが,間々ある)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスなる生徒が、プレーに熱中するあまりボールを抱えて走る(ランニングイン)という「反則」をしでかした……。

ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)
【ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)】

 ……しかし、ラグビー校ではその「反則」プレーの精神を尊重し、ゲームの骨子として受け入れ、新たな独自の球技「ラグビーフットボール」の誕生を促(うなが)した……。

 ……というのが、ラグビーの創世物語「エリス神話」である。

 対して、中尾亘孝のラグビー・サッカー正閏論では、英国のラグビー関係者の所説などを参照しつつ、「エリス神話」は事実ではなく、捏造・デッチ上げによる虚構、あるいは政治的プロバガンダ(英国エリート的なスポーツの価値観を護持するための?)にすぎないと断定した。そして、フットボールの正統をサッカーに簒奪(さんだつ)された……などと繰り返し扇動してきた。

 この当時(1989年~1990年代初め)は、ラグビーの人気や日本代表の活躍の度合い(ラグビー日本代表=宿沢ジャパン平尾組)がサッカーに優越していた時代であり、風潮に気圧されるというか、勢いに乗じた中尾亘孝の説ももっともらしく聞こえた。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26



日本ラグビー激闘史 2011年 3/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-02-23


 「ラグビー本流/サッカー傍流」説を読者(スポーツファン)に焚(た)き付けることで、サッカーに対して優位性を誇示しようとしてきたのである。

中尾亘孝説がラグビージャーナリズムに与えた影響
 中尾説の影響は、侮れない。2000年に出た永田洋光さんの『ラグビー従軍戦記』では、近代フットボール制定の経緯が、一般の常識とは正反対の視点、中尾のラグビー・サッカー正閏論に則って、いわばラグビー中心史観で描かれている(167~169頁)。

ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


 通説では、1863年、共通のフットボールルールを制定する会議で、ルールをサッカー式にするかラグビー式にするかで揉めた時、サッカー式に反対して退席していったのはラグビー側ということになっている。ところが『ラグビー従軍戦記』では、何とサッカー側が退席したことになっている(え!?)。

 しかも、新興の「サッカー」は、競技人口が劣勢であり、それを拡大する必要性に迫られて選手権大会=FA杯をスタートさせた……とか、選手のプロ化を容認した……とか。一方のラグビーは競技人口の大半を占める英国のエリート層が、厳格なアマチュアリズム規定を定め、選手権大会を否定するいわゆる対抗戦思想にこだわり……などと書かれてある。

 従来のフットボール史は、なるほどサッカー寄りだったかもしれないが、永田さんの叙述の方はラグビーに寄りすぎ……と言うよりは、完全に中尾亘孝説に「洗脳」されたものである。

 そういえば、ラグビー史研究家の秋山陽一さんにも、どことなくサッカーへの敵愾心を感じるところがある。秋山さんその「海軍兵学寮で行われたフットボールはサッカーではなくラグビーである」という問題提起もまた、中尾が仕掛けたラグビー・サッカー正閏論のバリエーションのようにも読める(秋山さん自身はそれを否定しているが)。

中尾亘孝の「ラグビー・サッカー正閏論」を疑う
 ラグビーが「サッカー」から分派したものではないこと、サッカー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものでないことは、多くのサッカー関係者も(例えば後藤健生さんも)認めている。

 しかし、中尾亘孝が主張しているのは、ラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、サッカーもアメフトもオーストラリア式もゲーリック式も、これすべてラグビーの傍流である……という極端なものだ。容易に納得はできない。

 しかも、中尾説にはひとつの疑問がある。

 例えば、ボールを前に投げてはいけないという「スローフォワード」という反則。ボールを手で叩いて前に進めてはならないという「ノックオン」という反則。これらはサッカーでいう「ハンドリング」の反則に相当する、その球技をその球技たらしめる重要なルールだ。

 ラグビーにとっては「オフサイドはなぜ反則か」よりも「ノックオンはなぜ反則か」や「スローフォワードはなぜ反則か」の方が重要な課題なのである。



 この2つの反則は、前近代の英国のフットボールに広範に存在したのだろうか? そこが証明されない限り、中尾説は妥当とはいえない。ところが、中尾の「ラグビー本流/サッカー傍流」説は「ノックオン」や「スローフォワード」がなぜ反則なのか……という疑問に対する解答=論証が弱い。

 もうひとつの疑問は、本当にラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、他のフットボールがその傍流にすぎないと言うならば、最初からラグビー関係者が、そう主張すればよいのである。

 なぜ「エリス神話」なるものが存在するのか? 中尾もあれこれ述べているが、この件に関しては歯切れがよいとは言えない。

自爆する「ラグビー本流/サッカー傍流」説
 2006年ドイツW杯を当て込んで刊行されたサッカーの蘊蓄(うんちく)本に、加納正洋(かのう・まさひろ)著『サッカーのこと知ってますか?』がある。著者・加納の正体は、まさに中尾亘孝のことで、だから、文面には中尾の反サッカー主義があちこちに滲(にじ)み出ていて、肝心の読者であるサッカーファンが読んでいてかえって不快な思いをするという、実に奇妙なサッカー本である。

 加納正洋=中尾亘孝は、『サッカーのこと知ってますか?』の中で、サッカーファンを挑発するかのように、フットボール正閏論「ラグビー本流/サッカー傍流」説で一席ぶっている(100~116頁)。

 しかし、一方で「19世紀初頭のラグビー・スクールのフットボールは、ランニングイン(ボールを持って相手ゴールに走ること)は許されていなかった」ことは認めている(103頁)。認めざるを得ない。……と言うか、それを「ラグビー」と呼ぶのである。

 『サッカーのこと知ってますか?』は、サッカー式ルールを定めたFA創設後も傘下のクラブを含めて各フットボールクラブは、独自のルールで試合をしていた……という(157~158頁)。しかし、それは全部が全部掛け値のない「ラグビー式」なのか? ノックオンとスローフォワードの反則はどうなっていたのか?

 また、英国前近代のフットボールには、例えばシェフィールド式やオーストラリア式のルールなど、「オフサイド」のないものも存在した(71頁)という。しかし、それではノックオンとスローフォワードを認めることになり、ランニングインを旨とするラグビーフットボールにはならないのではないか?

 中尾亘孝は、実は「ラグビーフットボール」のことをキチンと定義できていないのである。サッカーでなく、何らかの形で「手」を使っているフットボールがあったら、みんなラグビーの仲間に入れている感がある(ひょっとしたら、それは意図的なものかもしれない)。

 サッカーは「ラグビーとは違うフットボールだという差異を強調するあまり、手の使用禁止、厳格なオフサイド・ルールなど……が出すぎた感があった」(102頁)などと中尾(加納)は言う。

 それならば「ラグビーは、ノックオンとスローフォワードを反則とし、サッカーよりもさらに厳格なオフサイドルールを採用することで、〈ランニングインのフットボール〉として他のフットボールにはない独自性を強調している」のである。

 それで、ノックオンやスローフォワードは、いつ、どのように反則として成立したのか? 例によって中尾亘孝(加納正洋)は説明不足である。

再評価される「エリス神話」の史実性
 「エリス神話」についても、ラグビー評論界の良心、小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)さんが、独自の取材調査で、19世紀前半、ラグビー校でラグビー式のフットボールを行った最初の世代で唯一名前が判明している生徒がウィリアム・ウェッブ・エリスであるとしている(小林深緑郎『世界ラグビー基礎知識』)。つまり「エリス神話」にも一定の史実性があることを認めているのである。

世界ラグビー基礎知識
小林 深緑郎
ベースボールマガジン社
2003-10


 要するに、「サッカーからラグビーが派生した」という世間一般の認識は間違いだが、「ラグビーだけが英国前近代フットボールの正当な継承者」であるという中尾説も正しくない。「エリス神話」より、むしろ「ラグビー本流/サッカー傍流」説の方こそ、ラグビー派の反サッカー主義者(中尾亘孝)による政治的プロパガンダなのである。

 サッカーも、ラグビーも、いくつもあるフットボールのローカルルールのひとつに過ぎなかった。

 老舗和菓子の元祖・本家争いのような、唯一の正統なるフットボールとは何かを標榜する中尾亘孝のアジテーションこそ意味がない。

つづく





▼中村智彦「なぜ老舗同士がトラブル?~京菓子〈八ツ橋〉騒動」(2018/6/6)

 実は、歴史の長い食品に関しては、その元祖がはっきりしないケースが大半だ。地元全体が、「これが発祥の歴史だ」とまとまっていても、歴史的につじつまが合わなかったり、はっきりと「後世のねつ造」であると判っているものも多い。どちらかと言うと、「言った者勝ち」的な要素が多いのも確かだ。