後藤健生さんの新説への評価と疑問
 2020年の東京オリンピックを1年後にひかえ、雑誌『東京人』は2019年8月号で「近代スポーツことはじめ」という特集を組んだ。

 この企画で、サッカージャーナリストの後藤健生さんが「発展の陰に、〈この人〉あり」「さきがけは、〈学校〉から」という、明治時代初期~中期の日本のスポーツ事情を紹介した記事が2本掲載されている(うち「さきがけは…」の方は東洋経済オンラインに転載されている,下記リンク先参照)。
  • 後藤健生「明治時代にスポーツを広めた〈欧米人〉の功績~外国人に大勝したのは東大前身の一高だった」2019/07/03
 これらの記事では、東京高等師範学校の中村覚之助のことを再評価したり、なかなか重要なことが指摘されてある。しかし、一方で首を傾げたくなるような記述もある。それは前回のエントリーで書いた(下記リンク先参照)。
前回のエントリーから
明治初期のスポーツに関する後藤健生説を検証する~『東京人』2009年8月号より(1/2)

 英国人より米国人の「お雇い外国人」教師の数が多かったから、日本ではサッカーより野球の人気が先行した…という後藤健生説は、どこまで妥当なのか?
 疑問を感じるのは、実はこの件ばかりではないのである。

なぜ,日本人は欧米人のスポーツに飛び入り参加できなかったのか?
 例えば、後藤健生さんはこんなことを述べている。
 ヨーロッパや南米諸国では、英国人たちがスポーツに興じていると、現地の市民が飛び入りで参加したり、自分たちで参加したり、自分たちでクラブを作ってスポーツを始めたりしたものだ。〔幕末・明治の日本でも外国人居留地で行われた欧米人のスポーツを見物する日本人はいたが〕日本人と欧米人では、歩き方や走り方すら違ったのだから、〔日本人が欧米人と〕一緒にスポーツを楽しむことは難しかったのだろう。

後藤健生「さきがけは、〈学校〉から」@『東京人』2019年8月号


 この仮説はどこまで妥当なのだろうか? 推量形で「…だろう」と結んでいるのだから、確証には乏しいのだろう(←あ,これも推量形だ)。

 例えば、横浜カントリー&アスレチッククラブという、1968年(明治元)創設の在日外国人のためのスポーツクラブがある。略称「YC&AC」、かつての通称を「横浜外人クラブ」という。このクラブは、自尊心が高くかつ日本人に対して排他的なところがある。最近は日本人でも会員になれるらしいが、しかし、それでもハードルは高い。

 YC&ACは以前から7人制ラグビーの大会を主催しているが、最近まで「犬と黄色人は立ち入り禁止」という差別的な看板があった、大会の観客は「使用人」扱いで一般来場者は裏口・勝手口から入るようになっていた……などという話が伝わっている。インチキラグビー評論家の中尾亘孝(なかお・のぶたか)が、自身のブログで書いている。
〈第52回YC&ACセヴンズ〉
ヨコハマ・カントリー&アスレティック・クラブは、
つい最近まで「横浜外人クラブ」と呼ばれていた、
非常にプライドの高い英国系スポーツ・クラブ。

ここ数年、「犬と黄色人立ち入り禁止」なんて、
看板こそありませんが、大会の観客は使用人扱い
一般来場者は裏口・勝手口から入るようになっていた。

で、我輩〔中尾〕は、大家さん〔誰?〕のお下がりであるニコンを手に、
証拠写真を撮ろうと思っていたわけですが、
なんと今年は普通に入れます!

中尾亘孝「セヴンズ中退の言い訳」2010年04月05日
http://blog.livedoor.jp/nob_nakao/archives/51419984.html


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝とそのプロフィール】
 この話の信憑性については何とも言いかねるが、しかし、「日本人と欧米人の身体の動きの違い」以前に、「人種」的な問題として日本人は欧米人のスポーツに参加することができなかったのではないか。

 外国人居留地でも、同じアジアの中国、ベトナム、インドネシアなどの事情はどうだったのか。欧米人が楽しんでいるスポーツに現地のアジア人が「飛び入り参加」できたのか、できなかったのか。仮に後者なのだとしたら、それは「アジア人と欧米人の身体の動きの違い」の問題で参加できなかったのか。「人種」的な問題として参加できなかったのか。

 これらの点からも、この問題を検討・検証するべきではなかっただろうか。

日本人の「官費留学生」はスポーツをする余裕がなかったのか?
 あるいは、後藤健生さんは……後に文豪として有名になる森鴎外や夏目漱石といった「官費留学生」は学問に追われていてスポーツをやる余裕はなかったが、平岡熈(野球)が田中銀之助(ラグビー)といった「自費(私費)留学生」はスポーツに親しむ余裕があった……と「発展の陰に、〈この人〉あり」で書いている。

 しかし、幕末期に徳川幕府の命で、維新期に明治政府の命で、二度にわたって英国に留学した数学者の菊池大麓は、留学先のケンブリッジ大学でラグビーに親しんだと伝えられている。
  • 国立国会図書館「菊池大麓│近代日本人の肖像」
 他にも、明治初年、開拓使仮学校で米国人教師をウィリアム・ベーツとともに学生たちに対して野球の指導に当たった日本人、得能通要、大山助市、服部敬次郎の3人は、開拓使から米国に留学し、帰国した学生である(大島正建『クラーク先生とその弟子』、池井優『白球太平洋を渡る』参照)。


 この人たちの留学は公的な性格のものである。つまり、官費留学だからスポーツができなかった、自費留学だからスポーツができた……という説も、一概には決め付けられず、再検証・再検討の余地があるのではないか。

2021年=JFA日本サッカー協会創設100周年のために…
 とかく日本のスポーツ評論は、日本のスポーツ史に関して何か特殊な事情があったはずだと、性急に解答を求める傾向がある。しかし、そうした安易な「答え探し」などやめて、個々の事柄に関して緻密な検証を積み重ねていくことの方が大切ではないだろうか。

 例えば、日本に野球を定着させた平岡熈はどういう条件(契約?)で工部省鉄道局の土地を利用することができたのか? 日本サッカーの発展の基を築いた中村覚之助はどうやってボールやスパイクシューズを調達したのか?

 どこかで誰かが研究しているのかもしれない。こうした話は日本のスポーツ史を理解するために非常に重要だと思うのだが、しかし、なかなか一般のスポーツファンには伝わっこない。

 そのためか、巷間にはさまざま怪しい俗説が流通している(玉木正之氏とかw)。*
  • 玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
 再来年2021年の日本サッカー協会創設100周年を控え、後藤健生さんには、むしろ、そうした通念を打破する仕事をしてほしいのである。

(この項,了)





* 玉木正之氏の持説に関して、当ブログは以下のような批判をしている。
  • 大化の改新と蹴鞠(40)~玉木正之説の総括,批判,あるいは超克(2017年10月26日)

  • 玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」に反論する(終)~河内一馬氏を憂う(2019年03月24日)