2015年~「ベースボール」のことを「野球」と呼んではいけない
 日本の公共放送「NHK」は、よく知られるように言葉の使い方に大変うるさい。例えば、4月末から5月初めの連休のことを「ゴールデンウィーク」とは決して呼ばない。一貫して「大型連休」と呼ぶ。しかし……。

 ……2015年、東京大学野球部の元エース、NHKの大越健介記者が松井秀喜選手(巨人-ヤンキース)を取材に米国まで飛んだ(下記ツイッターのリンク先参照)。



 そのドキュメンタリー番組「BS1スペシャル:大越健介 メジャーリーグをゆく~知られざるアメリカの素顔」では一貫して、彼(か)の球技のことを「野球」ではなく「ベースボール」と呼んでいた。これは一体、どういうことなのか。

カルチョとフットボール,野球とベースボール…
 例えば、イタリア語のサッカー言説においては、サッカーのことを英単語で「football」とも「soccer」とも呼ばずに、イタリア語の単語で「calcio」(カルチョ)と呼ぶ。イタリア側から見て、自国イタリアだろうが、イングランドだろうが、ドイツだろうが、ブラジルだろうが、フランスだろうが、日本だろうが……、あくまで「calcio」である。

 よほど文脈上の特殊な事情がない限り「カルチョ」を「フットボール」と呼んだりはしない。「野球」のことを、ある状況に関しては「ベースボール」と区別して呼ぶ。これは、本来、それほど違和感があることなのである。

 話の筋論としては、かの球技のことを、日本だろうが、米国だろうが、断固として「野球」と呼ぶべきではないか。「野球」という立派な日本語があるのに、何故わざわざ「ベースボール」と呼ばなければならないのか。

 日本語の野球言説においては、状況に応じて「野球」と「ベースボール」を使い分けなければいけない「作法」が確立されているからなのだ。

 だから、大越記者と松井選手は「野球」ではなく「ベースボール」と呼んだのである。

王貞治は「野球」だが,長嶋茂雄は「ベースボール」である…?
 この使い分けは、一義的には、日本のそれを「野球」と呼び、アメリカ合衆国(米国)のそれを「ベースボール」と呼ぶ。……が、むろん、そんな単純な話ではない。

 陰湿で抑圧的でチマチマとしていて勝利至上主義に凝り固まっていて余りにも日本的で何事においてもネガティブな意味を帯びるのが「野球」である。一方、明朗で解放的でダイナミックでスポーツ本来の楽しさに満ちており非日本的かつ脱日本的で何事においてもポジティブな意味を帯びるのが「ベースボール」である。

 その価値観は徹底して「野球<ベースボール」である。日本語の文脈においては、このような「作法」に従って、かの球技を語らなければならない。

 したがって、日本の野球人・野球関係者でも「ベースボール」の側にいる人と「認定」される場合もある。例えば……。
  • 王貞治は「野球」だが、長嶋茂雄は「ベースボール」である。
  • 川上哲治は「野球」だが、大下弘は「ベースボール」である。
  • 沢村栄治は「野球」だが、景浦将は「ベースボール」である。
  • 飛田穂洲(とびた・すいしゅう)は「野球」だが、正岡子規は「ベースボール」である。
  • 大和球士は「野球」だが、虫明亜呂無は「ベースボール」である。
  • 東京ドームは「野球」だが、マツダスタジアムは「ベースボール」である。
  • 西本聖はまったく「野球」だが、江川卓のある部分は「ベースボール」の部類に入る。
  • 清原和博はいかんせん「野球」だが、野茂英雄はやっぱり「ベースボール」である。
 ……そして、イチローや松井秀喜や大谷翔平は「ベースボール」である。

 このニュアンスの違いが分からない者は、野球ファンではない。もとい、ベースボールファンと呼ばなければならないのか? この際どっちでもいいのだが。

1965年~虫明亜呂無の場合
 かような「野球」と「ベースボール」を区別すること。その背景にある価値観は、それほど昔からのものではない。かなり最近になって「創られた」ものである。

 その昔、虫明亜呂無(むしあけ・あろむ:故人)という、エエカッコしいのスポーツライターの走りみたいな人がいた。彼が1965年に上梓した『スポーツへの誘惑』に所収された「芝生の上のレモン」という、小説とも、ノンフィクションとも、エッセイ(随想)とも分類できない「テクスト」があるが(後に『時さえ忘れて』に所収)、その中に米国のスポーツ事情に言及した箇所がある。
 アメリカ〔合衆国=米国〕ではサッカーも、ラグビーもさかんではない。

 さかんなのは、アメリカン・フットボール、野球、そしてゴルフ。

 いずれもゲームの合間合間に時間を必要とするスポーツである。合間はスポーツをスポーツとしてたのしませるよりも、むしろ、ドラマとしてたのしませる傾向に人を持ってゆく。〔中略〕

 野球やアメリカン・フットボールは芝居の伝統のない国〔米国〕*が作った。土や芝居のうえの、脚本も背景も、ストーリーも必要としない単純な芝居ではないだろうか。演劇の文化的基盤のない国〔米国〕、それがプロ野球を楽しむ。スポーツとしてではなく、ドラマとしての野球を。それも素人の三流芝居を。〔以下略〕

虫明亜呂無「芝生の上のレモン」@『時さえ忘れて』162~163頁


 この「テクスト」こそ、玉木正之氏が持説として何度となく援用している例の「野球=ドラマ論」の元ネタなのはともかく、21世紀の現在の感覚では「野球」を「ベースボール」に置換しないと、ニュアンス上、むしろ不自然に感じる。

1976年~池井優氏の場合
 次いで、10年ほど時代を下った1976年刊、池井優氏(いけい・まさる:慶應義塾大学教授,政治学者)の『白球太平洋を渡る』である。池井氏は野球評論家としても有名であり、知られた話だが、サッカーライター・後藤健生氏が大学・大学院時代に学恩のある方でもある。
 〔明治初期、〕野球がたんに少数のお雇い外国人教師の紹介に終わっていたら、ここまで発展したかどうか。〔日本人の〕平岡〔熈〕による再紹介と、将来日本のリーダーの地位を約束されている開成学校〔東京大学〕生徒と旧大名〔徳川達孝〕などの理解と関心、さらには体操伝習所〔筑波大学の前身のひとつ〕で学んだ教師の卵たちが全国各地の小、中学校に赴任したことも初期の野球の国内伝播に有力な役割を演じたのである。

池井優『白球太平洋を渡る』26頁


 池井氏は、明治5年(1872)頃から明治20年(1887)前後の日本の野球事情について書いている。もっとも「ベースボール」に日本語の「野球」という訳語が付けられるのは、ずっと後の明治27年(1894)のこと。米国人のお雇い外国人教師が日本人に紹介したのは、あくまで「ベースボール」である……。

 ……と、いう感じで、21世紀の現在の流儀から言えば、池井氏も「野球」ではなく「ベースボール」と表記しないと、なんとなく坐(すわ)りが悪い文章になってしまう。

 こうした感覚が変化し始めるのは、時代がさらに10年ほど下った1980年代半ば以降になってからのことだ。

1987年~日本人論としての野球本『菊とバット』の続編
 当ブログが確認したうち、「野球」と「ベースボール」の使い分けの最も古い例は、1987年初版、在日米国人ジャーナリスト ロバート・ホワイティング氏の著書『ニッポン野球は永久に不滅です』(筑摩書房)のリード文である。
 近くて遠い〈野球〉と〈ベースボール〉~かつてニッポン野球を賑わしたすごいガイジン〔ママ〕がいた。変なガイジン〔ママ〕もいた。彼らの活躍を語りながら、滞日20年のジャーナリストの眼を通して見る〈日米野球摩擦〉の現場。そして、愛と皮肉をこめておくる刺激的なニッポン人論**

ロバート・ホワイティング『ニッポン野球は永遠に不滅です』リード文より


ニッポン野球は永久に不滅です (ちくま文庫)
ロバート ホワイティング
筑摩書房
1987-12


 ここで初めて「野球」≠「ベースボール」という概念が表出された。おそらくこのリード文自体は著者本人ではなく、版元・筑摩書房の編集サイドが書いたものではあろうが。

 それはともかく、ロバート・ホワイティング氏と言えば、何といっても、米国人の眼から見た日本野球、あるいは日本のプロ野球に在籍した米国人選手の眼から見た日本野球への違和感(日米の隔たり=文化摩擦)、さらには野球を通した日米比較文化論(日本社会・日本文化のユニークさ)を論じた「古典的名著」とされている『菊とバット』の著者として、むしろ有名である。

菊とバット〔完全版〕
ロバート ホワイティング
早川書房
2005-01-01


菊とバット―プロ野球にみるニッポンスタイル
ロバート・ホワイティング
サイマル出版会
1977-11


菊とバット―プロ野球にみるニッポンスタイル (1977年)
ロバート・ホワイティング
サイマル出版会
1977


 もちろん、『菊とバット』の書名は、日本人論・日本文化論の古典的名著とされているルース・ベネディクトの『菊と刀』のもじりである。

菊と刀 (講談社学術文庫)
ルース・ベネディクト
講談社
2005-05-11


菊と刀 (光文社古典新訳文庫)
ベネディクト
光文社
2013-12-20


菊と刀 (平凡社ライブラリー)
ルース ベネディクト
平凡社
2013-08-09


菊と刀―日本文化の型 (現代教養文庫 A 501)
ルース・ベネディクト
社会思想社
1967-03


The Chrysanthemum and the Sword 菊と刀 ラダーシリーズ
ルース・ベネディクト
IBCパブリッシング
2013-09-06


 すなわち、『菊とバット』は単なる野球ジャーナリズムの名著としてではなく、日本人論・日本文化論の佳作として扱われ、読まれている。これは世間一般の基準では、きわめて高い評価であり、だから『菊とバット』は時代を超えて読み継がれている。この本は、『菊と刀』や『タテ社会の人間関係』『「甘え」の構造』『日本人とユダヤ人』などといった、日本人論・日本文化論のロングセラーと同列に扱われているのである。

 ホワイティング氏の『ニッポン野球は永久に不滅です』は、『菊とバット』の続編とという位置付けで刊行されたのであった。

1990年代~「日米経済摩擦」のアナロジーとしての「日米野球摩擦」
 ところで、前掲『ニッポン野球は永久に不滅です』のリード文には「日米野球摩擦」とあった。1980年代後半の日本は、依然として経済成長を続けていたが、米国との間には、日本の一方的な貿易黒字、米国の一方的な貿易赤字という「貿易不均衡」が問題とされていた。いわゆる「日米経済摩擦」(日米貿易摩擦)である。

 その不均衡は日本の経済・産業構造の「異質さ」「アンフェアさ」「狡(ずる)さ」「閉鎖性」等々に由来しているといった説が唱えられた。さらに、それらの特徴は、日本の特異な文化・歴史・伝統等々に根差したものだと信じられた。いわゆる「日本異質論」である。「日米経済摩擦」は「日米文化摩擦」として捉えられた。

 その上で、米国では公然とした「ジャパンバッシング」(日本叩き)が行われた。
 「日本叩き」と呼ばれたこの攻撃では、日本人は、「異質だ」と言われ、「アンフェアだ」と言われ、「狡い」と言われた。アメリカ〔合衆国=米国〕の政治家も、ビジネスマンも、ジャーナリストも、そうした言葉で、こぞって日本を非難した。

 アメリカ〔米国〕では、社交的な集まりで、特定の民族の悪口を言ったりすれば、眉をひそめられるのがオチである。ところが、この時期〔日米経済摩擦の時代〕、「相手が日本ならば、何をどう悪く言ってもかまわない」という風潮になっていた。アメリカのあるジャーナリストの言葉を借りれば、「日本は遠慮なく憎める相手になった」のである。

 ホワイティング氏のリポートは、単なる日本野球論を超えた「日米野球摩擦」の本であり、それは日本人論・日本文化論をさらに進めた「日米文化摩擦」の本とされた。さらには野球というスポーツを通して描いた、スポーツという大衆文化を通して描いた、分かりやすい「日本異質論」の著作として読者に受容されるようになる。

 『ニッポン野球は永久に不滅です』のさらなる続編が、1990年刊行の『和をもって日本となす』(原題:You Gotta Have Wa)***である。

 この本こそ「日米経済摩擦」のアナロジーとしての「日米野球摩擦」が意識されてして書かれた、強い政治性を帯びた日本野球論である。あの当時の風潮に乗じたからこそ、『和をもって日本となす』は日米両国でベストセラーになった。

和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 そして「日米経済摩擦」における、ジャパンバッシング(日本叩き)を、側面から補強・正当化するリポートとなっていく。

 『和をもって日本となす』のなかで、日米間の文化的亀裂を強調する効果的な「記号」と用いられたのが「野球」≠「ベースボール」だった。
野球はベースボールではない
「和をもって日本となす」表紙・帯
【『和をもって日本となす』装丁(帯)の惹句より】
 とにかく日本は、何でもかんでも、米国から見て「異質」で「アンフェア」で「狡」くて「閉鎖的」な国だということが刷り込まれていったのである。

1991年~『ベースボールと野球道』という決定打
 『和をもって日本となす』の日本語訳者(邦訳者)は、スポーツライターの玉木正之氏である。否、玉木氏は単なる邦訳者ではない。ロバート・ホワイティング氏の重要なインフォーマント(情報提供者)であり、特に日米野球の各々の相違点、その「解釈」は、ほとんど玉木正之氏の考えに依っている。

tamaki_masayuki1
【玉木正之氏】

 『和をもって日本となす』の邦訳版は、インフォーマントにして翻訳者である玉木氏の文体も含めて、むしろ「日本語版」と呼ぶべきである。そして『和をもって日本となす』日本語版の共同著作者と呼ぶべきなのが、ホワイティング氏と玉木氏のコンビである。

 ホワイティング氏が「日米経済摩擦」当時の政治的意図を含みながら『和をもって日本となす』を書いたのに対し、玉木氏の場合は「日本〈野球〉の好ましからざる(と思しき)ところ」を乗り越えんがために、「アメリカ〈ベースボール〉の好ましい(と思しき)ところ」をもってこれを批判する……ことを趣旨としている。

 その玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏がタッグを組んで上梓した日米野球比較文化論が、1991年5月刊、講談社現代新書『ベースボールと野球道~日米間の誤解を示す400の事実』である。書名からして意図するところは明らかだろう。徹頭徹尾、「野球≠ベースボール」「野球<ベースボール」という価値観に基づいて日米両国の野球事情が論じられている。……というか、日本の野球が軽侮されている。

 さらに、書名の「野球」の後に、茶道や弓道などとも通じる「」(どう)という言葉を付け足すことで、日本野球の好ましからざる部分とされる「過度の精神性」を強調している(確認していないが「野球」は,玉木正之氏の造語かもしれない)。
似て非なるもの……ベースボール野球。公園の芝生の上で楽しまれたベースボールが日本では人格練磨の苦行。深い溝に隔てられた日米の野球文化事情を微に入り細を穿〔うが〕って徹底比較。

玉木正之&ロバート・ホワイティング『ベースボールと野球道』のリード文より


 この本も「日米経済摩擦」や「日本異質論」の時流に乗って、増刷を重ねてベストセラーになった。特異なニッポンというイメージがさらに強調された。以降、日本語の野球言説においては、文脈によって、「野球」とは異なるニュアンスを孕(はら)んだ「ベースボール」という概念を使わなければならなくなる。

 前述のNHKの大越健介記者と松井秀喜選手の番組も、こうした歴史的経緯がなかったら、わざわざ「野球」のことを「ベースボール」などと呼ぶことはなかったのである。

レトリックの副作用と後遺症
 「野球」と「ベースボール」は違う。……なるほど、レトリックとしては面白い。しかし、レトリックに、それ以上の「真実」があると日米両国の人々に受容されたのは、大いなる悲劇であった。 

 今ふり返って、思いっきり単純化していうと、「日米経済摩擦」における米国の対日批判は不当な難癖・言い掛かりであった。米国による「日本異質論」は根拠が薄弱な、ステレオタイプの民族的偏見であった。「創られた誤解」によって、米国が強硬なジャパンバッシング(日本叩き)を続けた結果、日本のビジネスや産業・経済が深刻はダメージを負った。その後遺症は、21世紀の今なお続いている。
 あえて辛辣なことを言えば、ロバート・ホワイティング氏の『和をもって日本となす』や『菊とバット』『ニッポン野球は永久に不滅です』などといった一連の著作は、ジャパンバッシング(日本叩き)の片棒を担(かつ)いだと言える。

 玉木正之氏についても同様である。

 日本人論・日本文化論の通説批判の先駆である、杉本良夫氏とロス・マオア氏は次のように述べている。
 ……このような西洋中心的な構図は、日本を欧米社会と比べて「遅れている」と考えて、劣等感を持っていた日本の知識人の思考の型とも、ひびき合う面を持っていた。ただ、こうした見方には、ひとつの大きな落とし穴があった。それは、西洋社会と呼ばれるものが、現実の実態よりは理想像であることが多かった点である。このような欧米社会に関する現実と理想の混乱は、長く日本人論をも混乱におとしいれてきた。

杉本良夫&ロス・マオア『日本人論の方程式』135頁


 玉木氏は、日本の野球界を米国の野球界、否、ベースボール界と比べて「遅れている」と考え、これを批判するため「野球」と「ベースボール」は大きく違うのだという主張を繰り返してきた。しかし、その「ベースボール」とは現実の実態よりは理想像にすぎないことが多かったのである。

 『ベースボールと野球道』に関していえば、米国大リーグを理想化するあまり、さまざまな事実の誤認や視点の偏りなどが、岡邦行氏(リンク切れ)や梅田香子氏(『イチロー・ルール』参照)らによって指摘されている。

 こういった誤りは、当然、最終的に日本のスポーツ界の現場に悪影響を与える。

 実際、玉木正之氏が歪んだ日本スポーツ界のアンチテーゼと恃(たの)んだ、ラグビーの故平尾誠二(ひらお・せいじ)は、そのアンチテーゼ的な性格ゆえに、1995年ラグビーW杯における日本代表の歴史的大惨敗に加担してしまったことがある。しかも、玉木氏はその悪夢に何の痛痒も感じない「スポーツライター」になっていた(詳細は下記リンク先参照)。
 この件で玉木氏は、スポーツライターの同業者から恨みを買っている。「歪んだ日本スポーツ界へのアンチテーゼは,実は(もっと)歪んでいた」(藤島大)という皮肉に結果を生んでしまったのだ。

 「野球」≠「ベースボール」というレトリックには、思わぬ深淵な思想的背景と、思わぬ有害な副作用が潜んでいる。野球ファンのみならず、サッカーファン、ラグビーファン……スポーツファンは、そうした危うさを見抜く洞察力を持ちたいものである。

(了)




【註】
* 余談ながら、ブロードウェーの舞台演劇(ミュージカルなど)、ハリウッドの映画やテレビドラマ、ディズニーのアニメーションなど、世界的なコンテンツ産業を抱える米国が、「演劇の文化的基盤がない国」だとは、素人にはとても思えないのだが。

** 「外人」(ガイジン)という言葉は、まさにロバート・ホワイティング氏や玉木正之氏の著作などによって、差別的なニュアンスをもった言葉とされ、1990年前後から「外国人」という言葉に置き換えられるようになった。しかし、1980年代までは容認されていた。

*** 書名『和をもって日本となす』(原題:You Gotta Have Wa)は、『日本書紀』に登場する、聖徳太子(厩戸皇子)制定の「憲法十七条」第一条の条文「以和爲貴」(和をもって尊しとなす:わをもってたっとしとなす)に由来する。古来、日本人精神の根本をなすものとされているが、社会学者・伊藤公雄氏の「〈和の精神〉の発明~聖徳太子像の変貌」(『日本文化の社会学』所収)によると、かつての国定教科書に聖徳太子と憲法十七条の話が初めて登場するのは、第二次大戦に入ってからだという。

 つまり「和をもって尊しとなす」を日本人の国民性の基本となす見方もまた「創られた伝統」なのである。