「応援団」は悪なのか?
 日本の野球関係者で、近視眼的なアメリカ大リーグ(MLB)信奉者が日本野球(プロ野球のNPBほか)を非難する時の定番ネタのひとつが「応援団」の存在である。この手の人たちは、日本野球の「応援団」を蛇蝎(だかつ)のように嫌っている。

 代表的な論者としては、あの玉木正之氏や、その劣化デフォルメであるあの広尾晃氏らがいる。

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【玉木正之氏】

 例えば、玉木正之氏が自身のウェブサイト「カメラータ・ディ・タマキ」で、日本の野球界・スポーツ界の「応援団」の存在を遠回しに揶揄した、怪しい話がある。
 あるいは玉木氏の劣化デフォルメである広尾晃氏は、NPBの「応援団」、特に千葉ロッテマリーンズの「応援団」を揶揄・嘲笑している(下記ツイッターのリンク先参照)。


 これらの意見は、日本の文化は「世界」の中で極めて特異なものであり、延(ひ)いては日本のスポーツ文化も「世界」の中で極めて特異なものであり、当然、それは否定されるべきものであるという考えの基づいている。

「応援団」は世界中にある?
 ところが、日本に特異とみられた現象が、実際には「世界」を見渡すと、いくらでも類似の例が発見できるということが多々ある。あるいは、その淵源は海外にあったという例が、いくらでも見られる。

 日本の野球の「応援団」も同様である。欧州・南米など、サッカーの「サポーター」は、ディスプレーを強く意識したパフォーマンス、また組織だった観戦・応援、チーム(クラブ)へロイヤルティーの誇示という性格で、日本野球の「応援団」と大差はない。

 昔の英国のサッカー界(さらにラグビー界)でも、観客の観戦態度も感情を抑制することを良しとしていた(ここまでは米国の大リーグ野球と同様)。しかし、それも変容し、現在の「サポーター」が形成された。……と、デズモンド・モリスの『サッカー人間学』には書かれている。

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 この浩瀚なサッカー本は、「応援団」(サポーター)の存在の他にも、「ガッツポーズ」の習慣しかり、優勝時の「胴上げ」の習慣しかり、玉木正之氏がやっていた短絡的な日米野球比較文化論の話の腰を折るようなことがさまざま書かれてある……。

 ……だから、玉木正之氏はデスモンド・モリスや『サッカー人間学』を嫌っているのだ。

 『菊とバット』などの著作で知られるロバート・ホワイティング氏に対する鋭利な批判者に、米国イェール大学教授のウィリアム(ビル)・ケリー氏(文化人類学,日本学)がいる。

 ケリー氏は、日本野球の応援団のルーツは米国の大学フットボールにあったという、興味深い説を紹介している。
 日本での野球の応援は、二〇世紀初頭の早慶両大学〔早稲田大学と慶應義塾大学〕の米国遠征時、大学フットボールから習得したパターンや手法を土産〔みやげ〕として持ち込んだものが最初である。応援団は独自の集まり、校風を表すものとしてその後、他の大学にも広まった。

ビル・ケリー「愛すべき阪神タイガース応援団」@『プロ野球観戦学』24頁

プロ野球観戦学
時事通信社
1999-07


 つまり、日本野球の「応援団」が外来文化である近現代のスポーツ以前の文化や歴史、伝統に根ざしたものではないのである。

 日本野球にはアメリカ大リーグにはない習慣がさまざま存在する。だからといって、それ自体を頭ごなしの否定の対象とするのは正しくない。

 特に玉木正之氏は、(先のリンク先にもあるように)資料(史料)にも、先行研究にも当たらず、テキトーな所説を展開するから、注意が必要である。

 ビル・ケリー氏のような、フラットな関係性をもった日米野球比較論を、もっと読みたい。

 ……のだけれども、それでは日本の読者受けしない。だから、その分、玉木正之氏(や広尾晃氏)のような人物によって、日本野球の「応援団」は悪し様に言われ続けるのである。

(了)