長友佑都 日本に帰国し欧州人との「姿勢」の違いに驚き
  • 日本に帰国した長友佑都が日本人の姿勢についてツイートした
  • 猫背で、表情暗い人かなり多いなぁ。みんな疲れてるんかな」と投稿
  • 「これでは身体能力高い人なかなか出てこないな」と指摘した
長友選手ツイッターで「炎上」
 新年早々、サッカー日本代表・長友佑都選手がツイッターで「炎上」してしまった。
 ……と、これだけだと、何の問題もなかったと思うのだが、続けての……。
 ……このツイートで「炎上」してしまったのである。

 単純化すると、日本人はみんな猫背で姿勢が悪い⇒日本人から身体能力の高い人(アスリート)が出てこない(つまり,欧米人やアフリカ系黒人よりも身体能力が劣っている⇒要するに日本のサッカーは強くなれない?)というのである。

 ネット界隈では、長友発言に関してツイッターなどで賛否両論が飛び交った。
 ……といった否定・反感のツイート。一方、肯定・共感のツイート……
 長友発言は……もっともらしく聞こえる。だから、共感する人がいる。一方で反感する人がいる。しかし、反感する人はその感情をうまく表現できていない気がする。

 長友選手の指摘は「図星」で「ほんとのこと」なのか? 彼のような発言を批判するのは日本人の「だめなところ」なのか? それとも、発言のどこかがおかしいだとしたら、それはいったい何なのか?

「猫背」と「すり足」
 日本のサッカーが弱いのは、日本人の身体能力が(欧米人やアフリカ系黒人よりも)大きく劣っているからである。日本人の身体能力の劣等性は、日本人固有の生活様式に由来している。つまり、それは宿命的なものであり、日本のサッカーは今後とも強くなれることはない……。

 ……という言説は、長友「猫背」ツイート以前から存在した。いわば日本のサッカー論壇の「伝統芸」である。

 よく見られるものに「日本人すり足民族論」とでも呼ぶべきものがある。これはいろんな人(故近江達=おうみ・すすむ=佐山一郎ほか)が論じているが、代表的なものとして細川周平(現代思想系?の音楽学者)の著作『サッカー狂い』から紹介する。

 どうも、この本は一部で「カリスマ・サッカー本」扱いされているらしいのだが(当ブログは特別そうとは思わない)、だからこそ「日本人すり足民族論」みたいな(与太)話を展開されるのは始末に負えない。とにかく、それは以下のようなメタファーで語られる。
  1. 狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人〕にとって、足はふんばるためにあるのではなく、獲物〔ゴール〕を求め、森の茂み〔ピッチ〕をかき分けて進むための移動の装置であった。
  2. 田の中を重心を落として、一歩一歩ずぶりずぶり進んでいく作業を特徴とする農耕民族〔日本人〕に特有のすり足、ふんばり、しゃがみこみは飢えた狩人〔サッカー選手〕にとって致命的だ。それは狩猟〔ゴールを奪うこと=サッカー〕を中止したか、獲物を見失った時〔シュートに失敗した時〕の敗北の動作であるからだ。
  3. 例えば日本〔農耕民族〕の芸能〔能楽や歌舞伎など〕や伝統的なスポーツ〔相撲や柔道,剣道など〕に見られる足技=フットワーク=(見得,四肢の類)が、民俗学者〔誰?〕が説くように、母なる大地との交接……に関わっているならば、狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人=サッカー選手〕の足は、逆に自らを消し、獲物〔ゴール〕のリズムを察知し〔「ゴールの匂い」という暗喩がある〕、たえず場から場へと移動する。
  4. 狩人〔サッカー選手〕はかかとを地面につけてのんびりと歩いていていいのだろうか。いうまでもなく彼〔狩人=サッカー選手〕はかかとを常に緊張させているのだ。
  5. つまりいつでも、とっさに横切る獲物、獣〔ゴール〕に備えて地を蹴る姿勢を〔狩人=サッカー選手=欧米人やアフリカ系黒人〕は忘れたことがない。
細川周平『サッカー狂い』28~29頁
 農耕民族の日本人には、かかとをこすりつけて移動するすり足という身体動作が染み付いている⇒サッカーは常にかかとを上げ、緊張し、移動し、獲物(ゴール)を狙う狩猟民族(欧米人やアフリカ系黒人)のスポーツである⇒つまり農耕民族の日本人にはサッカーに必要な身体能力が身につかない⇒要するに日本のサッカーは今後とも強くなれることはない……という話である。

 さらに「日本人=農耕民族=すり足民族論」の淵源をたどっていくと、故武智鉄二(たけち・てつじ:演出家,映画監督ほか)の日本文化論『伝統と断絶』にたどり着く。読書人にはかなり知られた言説でもある。先に名前を出した近江達氏は、武智鉄二を参考にして「日本人すり足民族論」を書いている。
伝統と断絶 (1969年)
武智 鉄二
風濤社
1969

 長友選手の「猫背ツイート」とその顛末を読んで、連想したのが「日本人すり足民族論」だった。「すり足」という「劣等なる日本人の身体能力」論になじんできた日本のサッカー界には、「猫背」という「劣等なる日本人の身体文化」論に反応する下地があったのだ。

澤穂希が放った「日本人すり足民族論」へのカウンター
 一読してもっともらしい「日本人すり足民族論」は、よくよく考えてみると、おかしな点がたくさんある。

 例えば『サッカー狂い』の著者・細川周平は「サッカー=狩猟」というメタファーに関して、デズモンド・モリス(動物学者)の傑作『サッカー人間学』から多くの着想を得たと書いている(70頁)。だが、モリスは日本人を「農耕民族」と決めつけ、サッカーの世界から排除する文脈で『サッカー人間学』を書いたわけではない。むしろ、Jリーグ以前に書かれたにサッカー本にしては、日本のサッカーを不思議なくらいに好意的に取り上げている。
サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02

 しかし、もっとも手っ取り早い有効なカウンターは、2011年サッカー女子W杯決勝における、女子日本代表(なでしこジャパン)のキャプテン・澤穂希(さわ・ほまれ)選手による「事実上の決勝ゴール」だろう。


 農耕民族であるはずのニッポン人、すり足であるはずのニッポン人=澤穂希が、コーナーキックから飛んできたボールに、右足のかかとを振り上げアウトサイドでボレーシュートをゴールに叩き込んだのである。

 あのシュート⇒ゴールは、女子日本代表を世界一にするとともに「日本人すり足民族論」をも蹴っ飛ばしたのである。

長友ツイートがあぶりだした日本人の通念
 あらためて長友選手の「猫背」ツイートについて。この話には飛躍がありすぎる。個人的で見聞や体験を不当に押し広げて「奇妙な結論」へと一般化をしてしまう「オーバーゼネラリゼーション」(overgeneralization;過度の一般化)が過ぎるのである。

 イタリアから帰ってきた長友選手の眼には「日本人はみんな猫背」に見えたらしい。そんな皮相な観察から、考え方の順序や段階をふまずに、だから「日本人の身体能力は伸びない」という結論へと極端な一般化をしてしまった。

 ほんとうに日本人は「みんな」猫背なのか(何か調査や統計でもあるのだろうか)。そもそも猫背とは何か(きちんと定義づけられているのか)。それがいわゆる身体能力とはどう関係があるのか(そもそも身体能力と何か)。それがサッカー選手としての能力、日本サッカーの強さ弱さとどう関わってくるのか……。

 むろん、1回140字しか書けないツイッターでこんな議論などできないし、日本の多くの人はオーバーゼネラリゼーションに対するリテラシーを意識しない人が多い。だから「日本人は(欧米人やアフリカ系黒人よりも)身体能力で劣っている」という通念を誰もが信じ切っている。

 長友選手の無邪気なツイートは、その通念に火をつけ、あぶりだしてしまった。それが今回の炎上騒ぎの深層といえるかもしれない……。
長友佑都ステマ
 ……と、こんなことを考えていたら、これは長友選手が関連する姿勢矯正器具商品のステマ(ステルスマーケティング)だという話が出てきた。

 そうなると、今回の事件はまた違った形で見えてくる。

つづく