1997年11月16日は、サッカー・フランスW杯アジア最終予選第3代表決定戦(於ラルキンスタジアム,ジョホールバル,マレーシア)、日本代表がワールドカップ本大会初出場を決めた、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」の試合からちょうど20年となる記念すべき日である(岡野雅行のゴールデンゴールによる試合終了は日本時間では日付をまたいで17日)。
ジョホールバルの歓喜_岡野雅行のゴールデンゴール
 この試合の録画映像(VHS)を見直して気が付いたことを書き留めてみた。

何と!NHKの解説が松木安太郎だった
 試合の中継を担当したのは、地上波はフジテレビ、衛星波がNHK(BS1)であった。あらためて見直してみて意外だったのは、NHKの解説が松木安太郎氏だったことである。

 松木安太郎氏といえば、民放地上波のサッカー中継(日本代表の国際試合)のメイン解説の常連で、その賑々しくて大仰な実況にふさわしい熱血漢的な解説、応援団長的なキャラクターというイメージがある。これはかなり「公的」なもので、松木氏は厚生労働省のキャンペーンポスターにも「ニッポンの中小企業応援団長」として起用されている。
松木安太郎_厚生労働省ポスター
 ところが、NHKでこの試合のコメンテーターを務めた松木安太郎氏は、時折「熱血漢」的な発言はするものの(「ケガなんか関係ないですよ!」みたいな)、終始冷静な口調に徹して解説していた。これがまず意外だった。

 松木氏は、実は民放地上波のサッカー中継の趣向に合わせてキャラクターを作っているという噂があるが、ジョホールバルの試合の中継を見ているかぎり本当かもしれない。

「君が代」を歌わないのは中田英寿だけではなかった
 「ジョホールバルの歓喜」の事実上のマン・オブ・ザ・マッチは、中田英寿で異論がないところだ。中田といえば、この時のW杯予選、試合前の対戦する両国国歌演奏の際に「君が代」を歌わない・歌っていないことが話題もしくは問題になっていた。ジョホールバルの試合でもそうである。このことで少し後、1998年1月にひと悶着起こす。
中田英寿19971117君が代1
 しかし、事の本質は「君が代」を歌わない・歌っていないことではない。知らない日本人が多いようだが、そもそも代表選手が試合前のセレモニーで国歌を歌わなければならないという「縛り」は、サッカーの国際試合には存在しない。こういうご時勢で差しさわりがあるから名前は出さないが、あの試合、あのW杯予選の各試合で「君が代」を歌っていない日本代表選手は他にもいる。
中田英寿「朝日新聞」1998年1月4日
【『朝日新聞』1998年1月4日付より】

 では、なぜ、中田英寿が「君が代」の絡みでそんなにマスコミの耳目を引いたのかというと……、この件は長くなるから、エントリーを改めて解説したいと思う。

ジョホールバルの旭日旗
 ラルキンスタジアムのバックスタンドに手描きの旭日旗の横断幕が掲げられているのを見つけた。ジョホールバルは、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)の折、山下奉文(やました・ともゆき)将軍指揮下の日本軍がシンガポールを攻略するために上陸した、サッカーのみならず日本にとって因縁のある場所だった。
ジョホールバルの旭日旗(決定版)
 スポーツの場における「旭日旗掲示反対運動」をしている清義明(せい・よしあき)氏と木村元彦(きむら・ゆきひこ)氏は、何と思うだろうか? 別に是が非でも旭日旗を掲げさせろという立場ではないのだが、是が非でも旭日旗を封じ込めたい清・木村両氏のやり口は、かえってバックラッシュを生み、新たな憎悪を生むだけではないかと懸念する。

NHK版とフジテレビ版の異同
 いささか感情移入の強いフジテレビ・長坂哲夫アナウンサーの実況と比べると、NHKの山本浩アナウンサーの実況はいたって冷静、対照的である。NHKのスポーツ中継は試合会場の音声を低く抑えて放送する傾向もあって、はじめはNHKは日本のスタジオからモニターを見ながら実況しているのかと思った。

 しかし、試合後にラルキンスタジアムの放送ブースから、山本アナウンサーと解説の松木氏の姿が映って、何だ、現地から実況していたのかと、これまた意外に思ったくらいである。2人とも半袖のワイシャツだったが、ネクタイをしていた。クールビズ以前の話。

 この試合のテレビ中継には、名場面・名セリフがたくさんあるが、NHKとフジテレビの違いで放送されていないものもある。例えば、延長前半のキックオフ直前に日本代表の出場選手、控え選手、監督・コーチ、さらには女性の栄養士(浦上千晶氏)まで、スタッフ全員が加わった大きな円陣を組んでサイキングアップアップを図ったシーン。
ジョホールバルの円陣
【最後に円陣に加わるのが浦上千晶栄養士】

 この場面は、NHKには映っているがフジテレビでは放送されていない(CMが入ったためと思われる)。……と、いうことは、圧倒的に多い地上波(フジテレビ)の視聴者はこの円陣を直接見ていない。多くの日本人は後に放送されたり出版されたりした、ニュース番組の映像や雑誌か何かの写真で知ったのだ。
このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。
 延長戦前半キックオフの直前、NHK・山本浩アナウンサーの名セリフである。これも多数派のフジテレビ版の視聴者は直接には知らない。画面はちょうどセンターマークに置かれたボールをアップで映したところで、セリフと画面がピッタリと合った名場面でもあった。録画で見ていても、気障(きざ)なセリフだとは思いながら、まあ、しびれる。

地上波中継に空白地帯があった
 日本代表のフランスW杯本大会出場決定直後、日本列島は狂騒状態になった。NHKの中継では、静岡、青森、横浜、大阪、名古屋、広島……と、歓喜に沸く日本各地の様子を伝えている。キックオフから試合終了まで日付をまたいでいることから、盆と正月が一緒に来た「ゆく年くる年」といった趣であった。

 その中に、パブリックビューイングをやっていたNHK青森放送局からの放送があった。当地のアナウンサーの言葉から「青森のサポーターも熱く燃えています! 青森県内では、今日のこの試合の模様、通常の地上波の放送がありませんでしたので、NHKの衛星第一テレビでの視聴ということになりました……」。

 そうなのである。民放地上波で放送する場合、関東・関西・中京圏と違い(あるいはNHKと違い)、東京に5局あるキーステーションに対し、県によっては民放が3つ、あるいは2つしかないというところがある。つまり、この試合は地方によってはフジテレビ系のネット局が存在しない地上波放送の空白地帯が生じていたのだ。

 この試合のフジテレビの平均視聴率は47.9%だったというが、あくまで関東圏の視聴率である。日本の総人口が仮に1億人として、国民のうちおよそ4800万人が視たという喩(たと)えは正確な表現とは言えない。

 詳しく調べたわけではないが、サッカー日本代表の試合を民放の地上波に独占中継をさせると、今でも空白県ができるのだろうか? もっとも、一部で唱えられているように、東京に5つあるテレビ民間放送のキーステーションを3つくらいに再編・統合すれば、こうした問題もなくなるのかもしれないが。

 今の地上波テレビ、なかんずく民放の番組はつまんないからね。

中田英寿神話の虚実
 スポーツマンシップではなく「ゲームズマンシップ」にあふれ、日本サポーターを大いに苛立たせたイランのGKアベドザデはプロレスの悪役レスラーになっても成功しそうだ。

 そのアベドザデに「フライングヘッドバッド」を食らわして、自分も脳震盪になった日本のFW城彰二。その城の側頭部に両手をかけて中田英寿が何事かを語り掛けるシーン。
中田英寿が城彰二に何事かを語りかけるシーン
 これもジョホールバルの名場面で「中田英寿神話」の形成にもひと役買っている。一説に、岡田武史監督以下、日本代表のメンバーの誰もが城彰二の異変に気が付かない中、中田英寿だけは(この文言を何度も聞かされ読まされてきた)城の脳震盪に気が付いたのだという……というあたりが、いかにも「中田英寿神話」である。所詮、神話は神話に過ぎないのだが。

 こちらの場面はフジテレビにあって、NHKにはないものである。
試合後は興奮したり泣きながらインタビューに応じる選手が多い中で、中田〔英寿〕は落ち着いてインタビューに応じ、「代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにか盛り上げてください」とコメントした。

ジョホールバルの歓喜@ウィキペディア20171106
【ウィキペディア「ジョホールバルの歓喜」より(2017年11月13日閲覧)】
 ウィキペディア日本語版にこんなことが書いてあるが、大嘘である。

 NHKの中継に試合後にインタビューに登場した選手は、順に岡野雅行、井原正巳、相馬直樹、山口素弘……。みな冷静、意外なほどサバサバしていてである。中田英寿はNHKのインタビューには登場しない。

 「まあ……、代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにかしてください」という中田のコメントは、NHKでは年末の再放送で流れた。もっとも、その後のサッカー人生を見ても、中田本人は「Jリーグ(日本のサッカー)もよろしく」という人間では全然なかったのだが。

 これまた、数ある「中田英寿神話」のひとつだろう。しかし、《「〈沢村賞は米大リーグのサイ・ヤング賞を真似して作られた〉という嘘」をスポーツライター玉木正之氏が吹聴しているという嘘》を平気で掲載している件といい、今回の中田英寿のコメントの件といい、どうしてウィキペディアの執筆者たちは事実を確認しないで書くのだろうか?

本当にひとりになりたかったのは誰?
 試合終了直後、中田英寿だけは喜びの表情を見せなかった……とか。ビクトリーランの列に中田英寿だけは加わらなかった……とか。試合後の記念の集合写真撮影の際にひとりだけ後ろでクーリングダウンしていた……とか。これらの逸話も、この試合から伝えられる「中田英寿神話」である。

 こうやって「意識高い系」(という言葉は当時存在しなかったが)を演出することによって、中田英寿は神話的に称揚されることになる。日本のジャーナリズムもサッカーファンも、それでかえって中田を甘やかすことになり、結局、中田は国際クラスのサッカー選手としては伸び悩み、尻すぼみで終わってしまった。

 しかし、フジテレビのカメラは、試合終了直後、名波浩と喜んでみせる中田英寿の姿をハッキリと映し出している。
試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)
【試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)】

 さらに、NHK実況担当の山本浩アナウンサーは「ひとりになりたかった名良橋の姿もピッチの上に見られます」と語っている。本当に集団から離れてひとりになりたかったのは名良橋晃の方だったようだ。

 テレビは、虚心に見れば、思い込みとは違う「真実」が見られるメディアである。

(この項,了)


【追記】国際映像と日本の独自映像
 さらにあらためて、この試合のNHK版の録画を見直してみた。1997年当時はあまり気にならなかったことだが、おそらくは国際映像と思しき試合の映像の間にNHKの独自映像がバンバン入る。被写体は主に日本のベンチ、なかんずく岡田武史監督である。イランのベンチの様子などはほとんど映らない。
ベンチから戦況を見つめる岡田武史監督
 一喜一憂する岡田監督の様子や、延長戦直前に選手起用や戦術について考えに考え抜く岡田監督の様子などが映し出されてそれはそれで興味深いものがあった。一方、国際映像ではどうなっていたのだろう? 

 日本がワールドカップ本大会に出られなかったときは、NHK(20世紀のW杯の各国の放映権はもっぱら公共放送優先であった)は、国際映像をほぼそのまま放映していた。だが、日本がアジアの代表としてW杯本大会の常連となると、日本代表の試合では、この手の「独自映像」を多用するようになる。

 こういう「悪癖」は、この時すでに確立されていたのかもしれない。国際映像とは、言わば国際的な評価である。反面、日本のテレビ局の独自映像は、それを日本でのみ通用する価値観に変換してしまう。すべてが「日本目線」なのであって、「視点の第3者性,国際性」が損なわれてしまう。

 こうした習慣が、2006年ドイツW杯での中田英寿の醜悪な引退パフォーマンスにつながっていった……かもしれない。





 中田英寿の「神話的な称揚」については以下の著作の第9章に詳しい。



最後に……
 日本でNHKのスタジオ解説をしていた加藤好男氏の頭髪の生え際が少々怪しい。