玉木正之氏の起用は企業の信頼性を損ねる?
スポーツライター玉木正之氏のスポーツコラムやスポーツ評論を読んでいると、嘘やデタラメ、事実誤認が多くて本当にウンザリさせられる。なぜなら、玉木正之氏は、自身が執筆、主張する事柄について、よりどころとなる原典で確かめないでモノを書く人だからである。それどころか、「ネットで検索」すらしない、ウィキペディアすら引かない人なのである。嘘やデタラメが多いのは、そのためだ。ところが、玉木氏はスポーツライター業界の大物であるから、彼の文章を掲載する媒体では、編集や校正・校閲といったものが機能しない。したがって、嘘やデタラメがそのまま公に発表される。
この原稿は、我が国のIT企業のトップランナーのひとつFORUM8が発行する機関紙(で季刊誌)の『UP&COMING No.117』2017年春号に書いたものです。スポーツの根本的なテーマを書かせていただける機会があるのは、とっても嬉しいことで、その機会を与えてくださったFORUM8さんに感謝しつつ“蔵出し”します。……と、いう触れ込みで玉木氏の公式サイト「カメラータ・ディ・タマキ」に転載されたコラムが「ちょっと教えたいお話・スポーツ編(2)スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」である。やっぱり、これも酷い。
【「FORUM8」の公式サイトより】
FORUM8という会社は「我が国〔日本〕のIT企業のトップランナーのひとつ」だそうである。それだけの企業の機関紙や広報誌に、嘘やデタラメ、事実誤認だらけの文章、あるいは「ネットで検索」すれば、すぐに分かるような話を掲載するのは、かえって企業としての信頼性を損ねるのではないだろうか?
- 参照:玉木正之「スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」(FORUM8の公式サイト掲載版よりPDFファイル)
何を今さらな「ちょっと教えたいお話」
常日頃は誰も意識しないことだが、スポーツには不思議なことが山ほど存在する。たとえばサッカー。そもそもサッカーとはどういう意味か?フットボールならFoot(足)ball(球)で何となくわかる。が、サッカーは意味不明。〔中略〕この程度のことは、サッカーの観戦入門書の類には必ず出てくる話である。それどころかネット検索やウィキペディアにも出てくる話だ。この程度のことで「ちょっと教えたいお話・スポーツ編」などとは、何を今さらの感がある。
〔近代に入って〕……オックスフォードやケンブリッジの大学やパブリック・スクール……ルールの統一と制定が進み、足だけを使うフットボールを行う連中がフットボール・アソシエーション(協会)を設立。そこで行われた手を使わないフットボールがアソシエーション・フットボール(Association Football)と呼ばれるようになり、それが、Assoc Football(アソック・フットボール)→Asoccer(アソッカー)→Soccer(サッカー)と略されたのだ。
中世フットボール=膀胱ボール説
〔中世のフランスや英国におけるフットボール〕はクリスマスや復活祭などの宗教的記念日に、村中をあげて「丸いモノ」〔=ボールのこと〕を奪い合った遊びで、聖職者も貴族も騎士も農民も、身分を超えて千人以上の村人が2組に分かれ、村はずれにある教会や大木など、ゴール(目的地)と決めた場所へ運ぶのを競った。これも、何を今さらの話である。伸縮性の高い「ゴム」が存在しなかった前近代のフットボールでは、代わりに豚や牛の「膀胱」をふくらませてボールとして使っていた……と、いう話もよく聞く話だ。一般に名著と言われる中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』はそうした著作の代表例である。
そのとき用いられた「丸いモノ」〔ボール〕は、豚や牛の膀胱〔ぼうこう〕を膨らませて作られた。遊びの最中にそれが破れると、すぐさま豚や牛を殺して膀胱を取り出し、中を洗って穴を紐で縛り、群衆の中に投げ入れたというから、かなり血の気の多い遊びで、実際大勢の負傷者や死者まで出たという。
特に、中村敏雄は同著の中で「殺した牛や豚の血まみれの膀胱をボールにしたように、フットボール(サッカーやラグビーなど)は狩猟民族=欧米人の荒々しいスポーツである。対照的に日本人は温厚な農耕民族である。したがって日本人は荒々しい狩猟民族=欧米人のスポーツであるフットボールの神髄を根本的に理解することができない」(大意)などと述べている。
これもよく聞く話で、日本あるいは日本人の歴史・文化・精神・伝統……etc.は、サッカーフットボールの本質とは相容れないとする、自虐的な「サッカー日本人論」と呼ばれる言説の、ひとつの表出である。
膀胱ボールは使い物にならない?
ここからは、当ブログが紹介するスポーツの「ちょっと教えたいお話」になる。フットボール・アナリストという肩書の「加納正洋」という人物が著した『サッカーのこと知ってますか?』という本に、膀胱を素材にしたボールの常識を覆す話が登場する。どんな本にも出てくる「膀胱ボール説」だが、これは机上の空論である。なぜなら……。
- 実物の膀胱ボールは、紙風船とビーチボールを足して二分したような華奢(きゃしゃ)なもので、大人が蹴れば一発で破れる。とてもフットボールの実用に耐えるものではない。
- フットボール用のボールは丈夫な動物の皮をアウター(外皮)として使い、インナー(内皮)には、よく洗い乾燥させた豚や牛の膀胱を使った(血まみれではない)。
- 中世英国では、人々の間で荒々しいフットボールが行われていた。しかし、そこに血まみれの膀胱ボールが使われていたというイメージは正確ではない。
【加納正洋こと中尾亘孝】
中尾は、非常に悪質な反サッカー主義者、かつ英国でも廃れたラグビー原理主義思想の持ち主、さらに贔屓の引き倒し的な早稲田大学ラグビー部のファンであり、ラグビーファンからもかなり評判の悪い人物でもある。それでも、こういう話を紹介してくれるのは面白い。「ちょっと教えたいお話」というならば、玉木正之氏も、これくらい驚きに満ちた事を書いてほしいものである。
慶應と早稲田を混同している玉木正之氏
明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。これも、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような事実誤認の文章である。まず、慶應義塾大学のラグビー部とサッカー部の正式名称を紹介する(創立順の紹介)。
- ラグビー:慶應義塾體育會蹴球部(創立1899=明治32年)
- サッカー:慶應義塾体育会ソッカー部(創立1921=大正10年)
「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。
- ラグビー:早稲田大学ラグビー蹴球部(創立1918=大正7年)
- サッカー:早稲田大学ア式蹴球部(創立1924=大正13年)
慶應義塾大学がラグビーを「いち早く取り入れた」、日本ラグビーのルーツであるのは確かである。ラグビー部を「蹴球部」と呼ぶことについても、そうした伝統が表れているようだ。一方、日本のサッカーの直接のルーツは、慶應ではなく筑波大学(当時の東京高等師範学校、のちに東京文理大学、東京教育大学を経て、筑波大学)である。ちなみに、筑波大学のサッカー部も、「蹴球部(筑波大学蹴球部)」(創立1896=明治29年)である。
この程度のことも、ネットで検索すればすぐにわかることである。
『日本書紀』の誤読を鵜呑みにしている玉木正之氏
古代メソポタミアから西洋に広がった「太陽の奪い合い」〔ここではフットボールのこと〕は東洋へも広がり、中国を経て日本の飛鳥時代には「擲毬〔くゆるまり〕」と呼ばれ、中臣鎌足と中大兄皇子が「擲毬」の最中に蘇我入鹿の暗殺(乙巳の変=大化の改新)の密談を交わしたことが『日本書紀』にも書かれている。これも間違い。『日本書紀』の記述では、中大兄と鎌足は「打毱」の会で面識を得ただけである。蘇我入鹿の暗殺の密談を交わしたのではない(しかし、玉木氏が採用している「擲毬」とは何であろうか? 『日本書紀』にあるのは「打毱」という表記である)。
玉木正之氏がなぜこんな間違いをおかすのかというと……。スポーツ人類学者の稲垣正浩氏が『スポーツを読む』で『日本書紀』の問題の箇所をを誤読していたものを、玉木正之氏がそのまま鵜呑みにしていたからである。
玉木正之氏は原典に当たって内容を確認することを怠る。そのため、玉木氏のスポーツ評論やスポーツコラムの信頼性は著しく低い。
玉木正之氏の文章を読んでもスポーツを理解できない
つまりサッカーというスポーツを語れば、世界史や日本史を語ることにもつながり、そのような「知的作業(知育)」を含むスポーツは「体育(身体を鍛える教育)」だけで語られるべきではないのだ。お説ごもっとも。しかし、このコラムを読む限り、玉木正之氏の文章を読んでもスポーツにかかわる豊かな「知」が身につくか、はなはだ怪しい。
むしろ、玉木正之氏のデタラメを見抜くリテラシーを身につけることこそ、スポーツの「知」を獲得することになるだろう。
(つづく)