デタラメだらけの玉木正之氏の指を1本1本折っていく
 『日本経済新聞』夕刊2014年10月に掲載された「スポーツと文学(1)」という、玉木正之氏のコラムがあり、インターネットでもいくつか転載されている。
 いずれもサブタイトルにある通り、「日本人はサッカーが苦手な民族である」という玉木スポーツ史観の主調音に読者を誘導しようという内容なのだが、これが全編にわたってデタラメだらけで酷すぎるので(しかも使いまわしのネタが多い)、逐一取り上げて批判することにした。
上杉隆(左)と玉木正之
【ニューズオプエド主宰の上杉隆氏(左)と常連執筆者の玉木正之氏】

 なお、引用するテクストは『ニューズオプエド』版による。

玉木正之氏の「鈍感力」
2015年03月02日
スポーツ教養講座/スポーツと文学(1) 古典に描かれた競技は個人種目中心!?

 この原稿は、日本経済新聞夕刊に〔2014年〕10月2日~30日まで毎週木曜5回にわたって連載した『スポーツと文学』の第1回です。小生のHP〔カメラータ・ディ・タマキ〕でも公開しましたが、さたに〔ママ〕少々手を加え、本欄〔『ニューズオプエド』のスポーツ欄〕でも「スポーツ教養講座」として、順次新たに発表することにしました。

 スポーツの奥深さに接していただくため〔…〕、お楽しみください。

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 欧米から我が国へ「スポーツ」が伝播(でんぱ)したのは文明開化の明治十年〔1877〕前後だった。が、それ以前の日本にも「身体文化」は存在した。

 『日本書紀』の垂仁(すいにん)記には、当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の格闘が記され、それは相撲や柔道の原型とされている。
■ 古事ではなく日本書だから「垂仁」ではなく「垂仁」である。「さらに…」を「さたに…」とか、玉木氏はずいぶんそそっかしい人である。「少々手を加え」たとは言うが、おそらく編集や校正を通さない生原稿を、そのまま「蔵出し」してきたのだろう。
 皇極(こうぎょく)記には、中大兄皇子と中臣鎌子〔鎌足〕が「打毱(ちょうきゅう)」に興じながら蘇我入鹿を討つべく(いわゆる大化の改新の計画を)密談する描写がある。打毬は、後の蹴鞠(けまり)とは別の球戯。「今日のポロまたはホッケー風の競技」(小学館版『日本書紀』註釈)とされ〔打毱だったり、打毬だったり、打鞠だったり、玉木氏の用字が一定しないことを、読者はいちいち気にしてはいけない〕、高松塚古墳の壁画に描かれた男女の持つ細長い棒も打毬(ホッケー)のスティックと考えられる。
■ これも「皇極」ではなく「皇極」である。

■ 中大兄皇子と中臣鎌足が「打毱」に興じながらクーデター(大化の改新)の計画を練ったと、玉木氏は書いているが、これも間違い。『日本書紀』の記述では、「打毱」の会は2人の出会いのキッカケになっただけで、蘇我氏打倒のクーデターを企てるのは、その後のことである……。

 ……と、いうか、玉木正之氏は本当に『日本書紀』を読んでいるのだろうか?
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■ 「打毱」を「ちょうきゅう」と読み、いわゆる蹴鞠ではなく、スティックを使ったホッケー風の球技と解釈しているのが小学館版の『日本書紀』なのは、玉木正之氏にしては珍しく(失礼)正しい(国文学者の西宮一民氏による考証,註釈)。
正倉院宝物より
【打毱(正倉院宝物)小学館版『日本書紀』より】

 もっとも、小学館版にこうした解釈が載っていますよ……と、玉木氏に教えてあげたのは、実は、当ブログ(の中の人間)なのである(下記のリンク先参照)。
 玉木氏は、それ以前から該当の古代日本の球技を蹴鞠ではなく、ホッケーに似た球技であると主張してはいた。だが、信じられないことに、本人は何を根拠にそう述べていたのかを全く覚えていなかったのである。

■ 「打毱」をスティックを使ったホッケー風競技と解釈する仮説の根拠として、現在に伝わる平安朝の個人技を中心とした蹴鞠が、大化の改新(645年)よりさらに時代が下って日本に伝わったという説がある。
 玉木正之氏が「高松塚古墳の壁画に描かれた男女の持つ細長い棒も打毬(ホッケー)のスティックと考えられる」という話を持ち出したのは、このことを意識したものかもしれない(もっとも蹴鞠はボール以外は基本的に道具は不要なのだが)。

 玉木氏は、事実云々、学問的にどれが正しい云々ではなく、何が何でも問題の球技がホッケー風の球技でなければいけないのだ。しかし……。

■ ……一般に流通している『日本書紀』のテクストには玉木氏が依る小学館版だけでなく、岩波文庫版もある。こちらでは「打毱」を従来の通説通り蹴鞠と解釈している(歴史学者の坂本太郎氏による考証,註釈)。玉木氏は、なぜこちらを紹介しないのだろうか?
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【小泉勝爾『中大兄皇子と中臣鎌足』神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより】

 皇極紀にある「打毱」がどんな球技であるかは学問的に未決着の問題である。したがって、(広義の)日本文学で読む日本のスポーツの歴史を紹介するというのであれば、両論を併記するべきである。
日本書紀〈4〉 (岩波文庫)
坂本 太郎
岩波書店
1995-02-16


 それをしないのは、玉木正之氏が自身にとって都合のいい日本スポーツ史観を読者=スポーツファンに対して吹聴し、印象操作をしたいがためである。

小説の記述の方が歴史書よりも学問的に正しい!?
 日本の「国」の歴史を漢・隋・唐や聖徳太子から書き起こし、平氏滅亡までを描いた橋本治の大河小説『双調平家物語』には、この打毬の様子が想像力豊かに描かれている。



■ 例えば、司馬遼太郎の『国盗り物語』や『竜馬がゆく』といった作品を持ち出して、学問的に織田信長という人物とはこういう人でした。学問的に坂本龍馬とはこういう人でした……などということはできない。これらは歴史小説であって歴史資料(史料)ではないからである。学問的ではないからだ。

 学問的である、ということは事実をより正確にとらえることができるということである。これこそ常識だと思うのだが、玉木正之氏は違うようである。

 現代(20世紀)になって書かれた小説を、1400年前の歴史の出来事の学問的な根拠とすることはできない。橋本治氏の『双調平家物語』は、玉木氏が言う通り、あくまで「想像力豊かに描かれ」た小説でありフィクションである。学問的著作ではないのだ。

 ところが玉木氏は、『双調平家物語』をもって「小説家の書いた小説ではありますが、この描写が史実に近い」とまで述べている。こうした感覚は理解しがたい(下記リンク先参照)。
■ 橋本治『双調平家物語2 飛鳥の巻(承前)』では、打毱の会における2人の出会いは、逸(そ)れてきたボールを鎌足が中大兄に投げ返した描写になっている。対して、『日本書紀』では、ボール(毱=まり)と一緒に脱げた中大兄の靴を鎌足が拾ってうやうやしく返したことになっている。

 つまり、橋本作品は歴史書(『日本書紀』)の記述からも飛躍した、あくまでフィクションなのである。

 玉木氏が自身の歴史観に橋本作品を補強に用いることは、かえって橋本治氏を貶めることにもなるのではないか。

蹴鞠=サッカー論の間違い
 本家の『平家物語』では、南都の僧が打毬から発展した「毬打(ぎっちょう)の玉を平相国(へいしょうごく)の頭と名づけて「打て」「踏め」などと弄〔もてあそ〕び、それに激怒した清盛が東大寺焼き討ちを命じたという記述がある。

 この毬打というチームプレー的な競技に対して、平安貴族の間で流行したのが個人プレー中心の蹴鞠だった。その情景は、『源氏物語』若菜の条にも、生き生きと描かれている。
 唐突にこの辺から、ホッケー風の球技から平安時代の蹴鞠の話になる。じっくり読んで論理的にたどっていこうとすると、なぜここで話をシフトチェンジするのかよくわからない。玉木正之氏が必要な説明を省略しているからで、そこは当ブログが補足する。

 玉木氏はゴールを狙うチーム対戦型の球技をサッカーの元祖だと考えている。ボールに触れるのは手でも足でも手に持った杖(スティック)でも構わない。一方、蹴鞠は個人技中心の球技だと玉木氏は思っている。打毱や毬杖の系統は日本の歴史の中で廃れ、翻って個人技の(サッカー的ではない)蹴鞠の系統が日本スポーツの伝統となった……。

 ……このことは、現代の日本スポーツにも大きな影響を与えているのだと玉木正之は常々主張している。この歴史観を念頭において、以下をしっかりと読んでいただきたい。
 澁澤龍彦『唐草物語』のなかの一編『空飛ぶ大納言』には「ひとたび蹴りはじめると、妖魔にでも取り憑かれたかのごとく病みつきになって」しまう蹴鞠の魔力が、御堂関白道長から数えて五代目の後裔・大納言成通(なりみち)卿の妙技を通して描かれている。〔中略〕

 そんな蹴鞠の名人が、一千日間、一日も欠かさず鞠を蹴ってやろうと願を立て、満願となった日に、夢のなかで三人の童子と出逢う。彼らは鞠の精で、「飛翔願望」のシンボルである鞠とともに空を飛びたいと切望する成通に、実際に軽々と空を飛んでいた子供の頃の姿を見せる……。

 この幻想譚は、現代日本のサッカー事情につながる。世界の一流国に伍する闘いをなかなかできない日本サッカーだが、フリースタイル・フットボール(一人で行うリフティング競技)では、成通卿の末裔とも言うべき日本の若者〔徳田耕太郎選手〕が、見事に世界一となった(2012年)。
■ 玉木正之氏の文化本質主義的な性格がよく表現された一文である。……が、古代日本の蹴鞠と現代のサッカー,あるいはフリースタイルフットボールとの間に直接のつながりはない。例えば、烏帽子に鞠水干(まりすいかん)といった衣装の蹴鞠には、ヘディングやバク転、逆立ちなどといった現代のフリースタイルフットボールの身体の動きや技術,演技はないのだ。

 加えて、徳田選手はケガを理由に11人制サッカーからフリースタイルに転じた人で、11人制を敬遠してフリースタイルを始めた人ではない。だから、徳田耕太郎選手を蹴鞠の名人といわれた平安貴族の末裔と位置付け、持説を補強するためダシにする玉木正之氏は間違っている。

■ 「世界の一流国に伍する闘いをなかなかできない日本サッカー」と玉木氏は知った風に言うが、「世界の一流国に伍する闘い」できる国のことを、サッカーの「世界の一流国」というのである。そんな国は「世界」でほんのわずかだ。

 世界のスポーツといわれるサッカーの文化は、一流国や準一流国だけでなく、日本を含めた世界のサッカー二流国,三流国がその奥行きを作っている。今の日本サッカーは「世界の一流国」と手合わせする機会はある。親善試合ではサッカーの超大国アルゼンチンに勝つことだって、ある。Jリーグ以前の日本のサッカーもそうだったのだが、世界のサッカー国には「一流国」と対戦する機会すらかなえられない国の方が多いのだ。

玉木正之氏が固執する持論
 明治初期、陸上、水泳、テニス、野球、サッカー、ラグビー、ゴルフ……等々、あらゆるスポーツが伝来したなかで、瞬く間に抜群の人気を得たのは野球だった(その様子は正岡子規が多くの歌に詠み、夏目漱石が『吾輩は猫である』のなかで、やや否定的に活写している)。

 種子島に鉄砲が伝来して以来、わずか半世紀後に戦国時代(市民戦争)を終えた日本では、「ヤアヤア我こそは……」と名乗りをあげて闘うイメージがいつまでも強く残り、投打の対決という個人プレー中心の野球が最も理解しやすかったのだろう。

 Jリーグ発足以来サッカー人気が急上昇したとはいえ、チームプレーの毬打が消え、個人プレーの蹴鞠を伝統文化として残した日本人は、今も個人プレーに魅力を感じ、力を発揮するのかもしれない。(玉木正之)
■ この「種子島に鉄砲……」云々も、きちんと説明しないと真面目な読者には分かりにくいと思う。これも玉木氏の長年の持論「1対1の勝負説」である。

 要するに、日本の歴史では、欧米のように銃(鉄砲)を使った集団戦法が成熟することなく、平和な時代(江戸時代)を200年以上過ごしてしまった。そのために、日本人は「ヤアヤア我こそは……」と名乗りをあげて戦う、従来の1対1の勝負に美学を感じてきた「伝統」がある。

 明治になって、さまざまなスポーツが欧米から日本に紹介されたが、日本人はチーム(集団)で戦うサッカーやラグビーよりも、野球のおける投手vs打者の対決に1対1の勝負に美学を見出した。

 加えて、日本人には、蹴鞠という集団(チーム)プレーよりも個人プレーに魅力を感じ力を発揮できる「伝統」がある。この2つの「伝統」が相まって、日本はサッカーでもラグビーでもなく野球の国となった。

 日本でJリーグの人気がプロ野球を追い抜けないのも、日本のサッカーが世界の一流国に伍していけないのも、すべてはそうした日本人の「伝統」に由来するものだ。日本人は本質的にサッカーが苦手な民族だ……というものである。

「1対1の勝負説」の間違い
■ しかし、玉木氏が何べん繰り返そうとも、この持論は間違いなのである。

【1】
 明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。

【2】
 投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。

【3】
 そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、サッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。

 ……以上の理由から、「1対1の勝負説」は正しくないのである。

日本のスポーツファンを馬鹿にした人選
■ それにしても、ここまでデタラメな話がよく『日本経済新聞』に掲載され、リテラシーを旨とするジャーナリスト上杉隆氏のウェブサイトに転載されたものだと思う。

 こういう人(玉木正之氏)が、いくつかの大学で大学教授をやっていて、学生や院生たちにスポーツ史やスポーツ文化について(独りよがりで誤った知識を)教えている。その中には筑波大学や立教大学といった著名な大学もある。日本のスポーツ学のレベルは低い。

 何より、玉木氏の起用,重用は日本のスポーツジャーナリズムやスポーツファン,サッカーファンのレベルを下げているとしか思えない。

(つづく)