日本人の国民性に敬遠されるサッカー?
 日本人は一騎打ち、すなわち1対1の対決を好む。ゆえに投手と打者のプレーに1対1の対決を見出せるスポーツ「野球」を深く愛するようになった。翻って、日本人は集団的な戦い(団体戦,チームプレー)が苦手である。したがって、日本人は本質的にチームプレーのスポーツである「サッカー」が苦手である。

 これらは日本人の歴史や文化に裏付けられたものだ。

 日本でサッカーが根付かなかったのも、サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも、すべて、そうした日本人の国民性に由来するのである……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」をさらし上げ、筆誅を加える(「筆誅を下す」は誤用でした)シリーズ。今回は、2003年,国士舘大学体育スポーツ科学学会刊『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』である。

大学のスポーツ文化講座で教えられるトンデモ説
 『スポーツ解体新書』または『日本人とスポーツ』はNHK教育テレビ(Eテレ)の講座番組の内容をまとめた本だが、『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』は2002年に行なわれた国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科での集中講義の内容に加筆して刊行された本である。

 恐ろしい話である。玉木氏は「1対1の勝負説」みたいなガセネタ(ガセネタである)を公共放送の教養番組や大学教育の場で吹聴、もとい啓蒙しているのである。
 ……日本では野球の人気がぐんと高まります。

 明治時代に野球が広まったのには、いろいろな理由が考えられます。ひとつは、日本では市民戦争が早く終わったという考え方です。市民戦争(内戦)は、世界では大体19世紀から20世紀に行われていますが、日本では1600年の関ケ原の戦いで市民戦争が終わって、そこから270年間の徳川の平和な時代に入っています。関ケ原の戦いの前、1549年に種子島に鉄砲が入ってきて、戦い方がガラリと変わります。要するに、個人戦から団体戦に変わるわけです。鉄砲が入ってきて、約半世紀の間に、同じ民族同士が戦う市民戦争があっという間に終わったのです。そして、徳川の平和な時代に語り継がれたのは、川中島の一騎打ちとか、義経の源平の戦いです。

 一騎打ちが美化されて語られているところに、サッカー、ラグビー、野球など、いろいろなスポーツが入ってきました。入ってきました。そのプレイを見てみると、野球が一番わかりやすかったのです。というのは、1対1の戦いだからです。1対1の戦いで勝負をして、1人の活躍がチームのためになるのは、武士の「御恩と奉公」の世界とまったく同じです。他にもいろな理由が考えられますが、それで野球の人気が出た、という考え方が最も適切だと思います。

『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』2003年,44~45頁
 「最も適切」などとは大風呂敷を広げたものである。ただし「最も適切」なのは誰にとって、だろうか? 日本のスポーツそのものにとってではなく、あくまで玉木氏自身にとってではないかと思うのだが。

スポーツライターとして致命的な無知
 しかし、玉木正之氏のこの持論は、何万遍と力説しようが誤りなのである。
  1.  明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。
  2.  投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。
  3.  そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、数え方にもよるがサッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。
 ……以上、主に3点の理由から間違っているのである。

 玉木氏がこれらの史実を知らないのだとしても(まさか!?)、知らないふりをしているのだとしても酷い話だ。スポーツライターとしては致命的な無知ではないだろうか。

玉木正之センセイはアカハラなんかしない
 それにしても……。玉木正之氏が客員教授や非常勤講師をしている大学や大学院、その中には今回のテーマ『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』を出した国士舘大学、さらには立教大学や筑波大学といった有名大学もある。玉木氏の下で学ぶ大学生・大学院生たちは、玉木氏が教えていることに疑問を抱かないのだろうか?

 例えば、明治の昔と現代とでは野球の根幹にかかわるルールがまったく違うなどといったことは、学研の学習マンガ『一発貫太くんの野球のひみつ』や、テレビアニメ『まんがはじめて物語』の日本の野球の始まりの回にも登場する、割と知られた話である。当時の、正岡子規の時代の野球のルールはどんなものだったのか。調べないのだろうか?

【神田順治や鈴木美嶺といった著名な野球人たちが監修している】

 あるいは、大化の改新ときっかけとなった古代日本の球技スポーツ。一般には「蹴鞠」だと思われているが、なぜ玉木氏は「蹴鞠」ではなく、もう一方の説である「スティックでボールを打つ球技」を一方的に確信的に主張するのか。考えないのだろうか?

 誰か玉木氏にこの件で質問(ツッコミ)をする学生はいないのだろうか? いないとしたら残念なことである。センセイの言ったことを鵜呑みにするだけ、権威に疑いを持たず、自分の頭で考えない、調べない大学生・大学院生たち……。日本の将来が心配だ。

 スポーツライター玉木正之氏は、唯々諾々と上に従う、自分の頭で考えないアスリートを量産する日本のスポーツ界の悪弊をかねてより批判していた。だから、こんなツッコミをしたところで単位をくれないとか、そんなことはしないはずだ。

 いわんや、アカハラ(アカデミックハラスメント)なんて、絶対にしないはずだ。アイドルはトイレに行かない、アメリカ大リーグは送りバントをしない……というのは、実は幻想であった。

 しかし、玉木正之センセイはアカハラなんか絶対にしない。当ブログが保証する。

(つづく)