スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2019年08月

はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと1か月を切りました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時代がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時流に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

ラグビー宿沢ジャパン,スコットランドを破る!
 1989年5月28日、サッカー日本代表はジャカルタでインドネシア代表とイタリアW杯アジア1次予選の試合を行い、引き分けている。スコアは0対0。2019年の今、アウェーとはいえ、この相手にこんな試合をしたら大問題になる。監督解任論ぐらいは出るだろう。

 ただし、この試合、当時の日本ではサッカーファンを除いて、ほとんど無視された。

 同日、日本中の注目を集めた日本代表はラグビーフットボールの方だった。宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)監督、平尾誠二(ひらお・せいじ)主将率いるジャパン(ラグビー日本代表)が、東京・秩父宮ラグビー場でスコットランド代表を28対24で破ったのである(ただし正規のフル代表ではなかったらしいが)。

 (それでも)ラグビーの世界トップ8の一角に初めて勝利したのである。NHKも午後7時のニュースで特報した。ちょうど、2015年のラグビーW杯でジャパンが世界トップ3の南アフリカ代表スプリングボクス(こちらは正真正銘のフル代表)に勝った時のような、ちょうどあんな感じである。国民レベルでラグビーの話題で湧きかえった。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 サッカーファンは、国内人気ばかりでなく、日本代表の活躍・実績でもラグビーに差を付けられたのか……と、少なからず複雑な心境になった。

中尾亘孝、ラグビー論壇に登場す
 そんな世上に、宿沢ジャパンの衝撃的な登場に合わせるかのように、デビュー作『おいしいラグビーのいただきかた』をひっさげて、ラグビー論壇に颯爽と登場したのが、中尾亘孝(なかお・のぶたか)だった。
ラグビーシーズン到来!

関係者が蒼ざめる最初にして最後の本

オキテ破りのラグビー観戦術〔マニュアル〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』表紙の帯より


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11


 そのキャッチフレーズからして、なかなか挑発的であるが、同書の「まえがき」を読むと、同時代のラグビーファン・関係者の感慨と日本ラグビーの状況が読み取れる。
まえがき
 のっけからあとがきの話をするのも変なのですが、この本〔『おいしいラグビーのいただきかた』〕の出版が決まった時〔1988年頃か〕ぼく〔中尾亘孝〕の考えたあとがきというのが、「いつの日か日本代表がIB加盟国〔ラグビーの世界トップ8の代表チーム〕を倒す時、ぼくは同じ空間と時間を共有し歴史的瞬間に立ち会う感動を味わいたい」というようなものでした。

 ところが1989年5月28日、早くもその夢が実現してしまったのです。日本代表はスコットランド代表に勝ってしまったのです。ほんとに勝ってしまった。もちろんぼくはその日秩父宮ラグビー場にいました。歴史的瞬間、明らかに決定的と言える一瞬に立ち会えて、しかもその意義が認識できているという幸福、不覚にも涙を流しそうになりました。〔中略〕(太字は原文では傍点)

 さて。

 とどまるところをしらないラグビー・ブームです。まったく行く末が思いやられるほどです。〔以下略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』6~7頁


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】
 とにかく当時、サッカーはラグビーにいろいろ差を付けられちゃったわけである。

新鮮なラグビー評論と醜悪な反サッカー言説の混在
 ラグビージャーナリズムの世界はかなり保守的で、ラグビー界本体はさらに保守的で頑迷固陋なので、中尾亘孝のラグビー評論の登場は、新鮮かつ刺激的であった。本人もそのことを充分に意識している。
あとがき
 ここ十年、'80年代になってからスポーツ文化史に残るような新しい試み、著作が各分野で相次いで刊行されました。

 プロ野球では野村克也氏の解説を嚆矢に、草野進〔蓮實重彦〕、玉木正之、平出隆の諸氏のエッセイが光っています。プロレスでも村松友視氏のエッセイが火付け役となって、新しいジャーナリズムの動きを作り、プロレス自体の在り方までに影響を及ぼすに至っています。競馬はもともと多士済々な作家、ジャーナリストの……〔中略〕

 ラグビーにもそろそろこういった著作があってもいいじゃないかと思っていました。しかし、自分〔中尾亘孝〕でそれを書こうとは〔…〕夢にも思いませんでした。〔以下略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』230~231頁
 1980年代の玉木正之氏の野球評論が面白かったことは間違いない(しかし1990年代以降は完全に駄目になった)。草野進〔蓮實重彦〕は衒学趣味と俗物主義である。それよりはずっとましだが平出隆氏は少々キザったらしいロマン主義がある。

 一方で鼻につくのが、中尾亘孝の反サッカー主義的な言動である。

 例えば……。当時のラグビーは抑制的かつ禁欲的で得点しても選手は喜んだりしなかった。それを誇って、サッカーの得点後のゴールセレブレーション(ゴールパフォーマンス,得点の喜び)は醜悪であるとか(同書19頁)。

 あるいは……。サッカーのスライディングタックルは芝生を傷めるから、ラグビーはサッカーとピッチを共用する必要はないだとか(同書201頁)。

 これらはほんの一部であるが、中尾亘孝の反サッカー思想・反サッカー言説のニュアンスのイヤラシサは、間接的な紹介では伝えきれない。やはりその実物を読むに限る。物好きなサッカーファン、ラグビーファンは『おいしいラグビーのいただきかた』や『15人のハーフ・バックス』などを読んでみるとよい。

 中尾が「間違っていた」のは、ラグビーも1995年アマチュアリズム(国際ラグビー評議会のアマチュア規定)を止めたら、素直に「得点の喜び」を表すようになったことでも分かる(下記リンク先参照)。

 芝生を傷める云々の話ならば、ラグビーでスクラムを組んでいる時も同様である。お互い様である。明治時代から一度として競技人口でサッカーを上回ったことのないラグビーが、必要なスタジアムやピッチを確保するために戦略的パートナーシップを結べそうなサッカーを、わざわざ敵に回す言動をとる……というのが、この時代の世上であった。

 2019年ラグビーW杯日本大会で、巨大なサッカー専用スタジアム「埼玉スタジアム2002」を使用できなかったのは、ラグビーに貸すとスクラムで芝生を傷めるからだと言われた。そしてそれは、昔、ラグビー関係者にいろいろ嫌なことを言われたり、やられたりしたことへのサッカー側の意趣返しである……などという無責任な「噂」まで流れている。

「ラグビー本流/サッカー傍流」論争を仕掛ける
 中尾亘孝の反サッカー主義の最たるものが、「サッカーから枝分かれしたラグビー」という世間一般のイメージを逆転させた、ラグビーこそが英国前近代のフットボールの正統なる継承者であり、サッカーはその矮小な傍流にすぎないとするフットボール正閏(せいじゅん)論「ラグビー本流/サッカー傍流」説である。

 中尾は、『おいしいラグビーのいただきかた』のまるまる一章を、この説の「論証」に費やしている。

 この件は、前回のエントリーで詳述したので、そちらを参照されたい。
前回のエントリー
▼ラグビー狂会=中尾亘孝の反サッカー言説~サッカーこそラグビーの傍流にすぎない!?(2019年08月20日)

 自称「日本ラグビー狂会」で反サッカー主義者の中尾亘孝(なかお・のぶたか)が主張する「ラグビーこそが,前近代英国フットボールの正統な後継者であり,サッカーはその矮小な傍流にすぎない」という仮説が、どこまで妥当なのか検証してみた。
 老舗和菓子の元祖・本家争いのような、唯一の正統なるフットボールとは何かを標榜する中尾亘孝の政治的アジテーションこそ意味がない。

中尾亘孝は村松友視氏のプロレス評論から何を学んだのか?
 先の引用文にあるように、中尾亘孝は、『私、プロレスの味方』などの村松友視氏のプロレス評論に影響を受けたという。

 村松氏は、自身をドン・キホーテのような存在と位置付け、プロレスをクローズアップさせ、その価値を言いつのったとしている(村松友視『アリと猪木のものがたり』より)。

アリと猪木のものがたり
村松 友視
河出書房新社
2017-11-20


 しかし、村松氏は、ボクシングや柔道といった他の格闘技、野球やサッカーといった他のスポーツを殊更に貶めたり、そのファンを不快がらせるようなことは書かない。

 一方、中尾亘孝は、他の球技なかんずくサッカーのような兄弟フットボール、あるいは同じラグビーであっても、関東学院大学や帝京大学のような新興大学といった「中尾亘孝自身の論理の外にある存在」を著しく不快がらせる、異様な言説を繰り返し発信してきた。

 この不徳さは、皮肉を込めて、ある種の「天才」と言ってもいい。

 中尾は、1990年代初め、本邦スポーツジャーナリズム界の一大権威、文春ナンバーのラグビーシーズン総括評論を書く機会をたびたび与えられていた。つまり、中尾もまたラグビージャーナリズムのオーソリティーでもあった。日本サッカー狂会の真似をして「日本ラグビー狂会」を名乗ったのもこの頃である。

 このことは、かえってラグビーの価値を大きく歪めることにもなった。

 ラグビーファンや関係者は、不遜で、サッカーをはじめとする他のスポーツ、あるいは同じラグビーでも新興勢力を見下している……。

 ……こんなイメージを人々に刷り込ませた中尾亘孝の罪は重い。

つづく



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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと1か月となりました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時代がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時流に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

ラグビー評論家・中尾亘孝(なかお・のぶたか)とは何者か?
 ラグビーフットボールに関心は薄くとも、サッカーファンがラグビー評論家・中尾亘孝の名前を憶(おぼ)えているとしたら、1998年フランスW杯の少し後、佐山一郎さんが『サッカーマガジン』誌の連載コラムの中で「ラグビーの後藤健生」だなどと評して、中尾が同年に出した著作『リヴェンジ』を推奨していたことではないだろうか(「兄弟フットボールライターからの助言」として,後に佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 この「ラグビーの後藤健生」を本気にして『リヴェンジ』を読んだら、著者・中尾の、サッカーに対する、なかんずく同年のフランスW杯で1次リーグ3戦3敗で終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンに対する悪口雑言罵詈讒謗があまりにも酷くて著しく不快となり、当ブログ(の中の人間)に問い合わせの電話をかけてきたサッカーファンが2人いる(いずれも界隈では相応のポジションにあるサッカーファンである)。

 事ほど左様、この人物こそは、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、サッカーに対して悪口雑言罵詈讒謗をさんざんぱらぱら放言してきたインチキラグビー評論家であり、札付きの反サッカー主義者なのである。

 それでは「中尾亘孝」とは何者なのか? 1950年、愛知県生まれ。ラグビー評論家。早稲田大学商学部中退(らしい)。ラグビーブームの時代の最後半、1989年に『おいしいラグビーのいただきかた』でデビュー。主な著作に『15人のハーフ・バックス』『リヴェンジ』『英国・フランス楕円球聖地紀行』ほか。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』(1989)表紙
 1990年ごろから、反サッカー主義者にもかかわらず、鈴木良韶(すずき・りょうしょう)和尚率いる日本最古のサッカーファン・サポーター集団「日本サッカー狂会」の許しもなく、勝手に「日本ラグビー狂会」を名乗り始める。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


 以後、この「狂会」を事実上「主宰」し、他の「会員」とともに、ラグビーファンから「狂会本」と言われるアンソロジーのラグビー本を、実に20冊以上刊行してきた。主な著作に『頭にやさしいラグビー』『ラグビー黒書』『ラグビー・サバイバー』『ラグビー構造改革』ほか。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 現在は、愛知県豊橋市の、東海道新幹線・東海道本線と蒲郡街道が立体交差する付近のアパート1階を「寓居」とし、ブログを中心に放言している。

中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」
【中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」】

 この辺りの情報は、中尾のブログ自身にそれとなく分かるように書いてある。ラグビーが好きな人は、直接、中尾にラグビー談義を聴きに行くのも一興であろう。

サッカーこそラグビーの矮小な傍流にすぎない?
 その中尾亘孝の反サッカー言説の代表例が、「サッカーから枝分かれしたラグビー」という世間一般のイメージを逆転させた、ラグビーこそが英国前近代のフットボールの正統なる継承者であり、サッカーはその矮小な傍流にすぎないとするフットボール正閏(せいじゅん)論「ラグビー本流/サッカー傍流」説である。

 1823年のある日、英国の名門パブリックスクール「ラグビー校」でのフットボール(サッカーと誤記されることが,間々ある)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスなる生徒が、プレーに熱中するあまりボールを抱えて走る(ランニングイン)という「反則」をしでかした……。

ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)
【ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)】

 ……しかし、ラグビー校ではその「反則」プレーの精神を尊重し、ゲームの骨子として受け入れ、新たな独自の球技「ラグビーフットボール」の誕生を促(うなが)した……。

 ……というのが、ラグビーの創世物語「エリス神話」である。

 対して、中尾亘孝のラグビー・サッカー正閏論では、英国のラグビー関係者の所説などを参照しつつ、「エリス神話」は事実ではなく、捏造・デッチ上げによる虚構、あるいは政治的プロバガンダ(英国エリート的なスポーツの価値観を護持するための?)にすぎないと断定した。そして、フットボールの正統をサッカーに簒奪(さんだつ)された……などと繰り返し扇動してきた。

 この当時(1989年~1990年代初め)は、ラグビーの人気や日本代表の活躍の度合い(ラグビー日本代表=宿沢ジャパン平尾組)がサッカーに優越していた時代であり、風潮に気圧されるというか、勢いに乗じた中尾亘孝の説ももっともらしく聞こえた。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26



日本ラグビー激闘史 2011年 3/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-02-23


 「ラグビー本流/サッカー傍流」説を読者(スポーツファン)に焚(た)き付けることで、サッカーに対して優位性を誇示しようとしてきたのである。

中尾亘孝説がラグビージャーナリズムに与えた影響
 中尾説の影響は、侮れない。2000年に出た永田洋光さんの『ラグビー従軍戦記』では、近代フットボール制定の経緯が、一般の常識とは正反対の視点、中尾のラグビー・サッカー正閏論に則って、いわばラグビー中心史観で描かれている(167~169頁)。

ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


 通説では、1863年、共通のフットボールルールを制定する会議で、ルールをサッカー式にするかラグビー式にするかで揉めた時、サッカー式に反対して退席していったのはラグビー側ということになっている。ところが『ラグビー従軍戦記』では、何とサッカー側が退席したことになっている(え!?)。

 しかも、新興の「サッカー」は、競技人口が劣勢であり、それを拡大する必要性に迫られて選手権大会=FA杯をスタートさせた……とか、選手のプロ化を容認した……とか。一方のラグビーは競技人口の大半を占める英国のエリート層が、厳格なアマチュアリズム規定を定め、選手権大会を否定するいわゆる対抗戦思想にこだわり……などと書かれてある。

 従来のフットボール史は、なるほどサッカー寄りだったかもしれないが、永田さんの叙述の方はラグビーに寄りすぎ……と言うよりは、完全に中尾亘孝説に「洗脳」されたものである。

 そういえば、ラグビー史研究家の秋山陽一さんにも、どことなくサッカーへの敵愾心を感じるところがある。秋山さんその「海軍兵学寮で行われたフットボールはサッカーではなくラグビーである」という問題提起もまた、中尾が仕掛けたラグビー・サッカー正閏論のバリエーションのようにも読める(秋山さん自身はそれを否定しているが)。

中尾亘孝の「ラグビー・サッカー正閏論」を疑う
 ラグビーが「サッカー」から分派したものではないこと、サッカー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものでないことは、多くのサッカー関係者も(例えば後藤健生さんも)認めている。

 しかし、中尾亘孝が主張しているのは、ラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、サッカーもアメフトもオーストラリア式もゲーリック式も、これすべてラグビーの傍流である……という極端なものだ。容易に納得はできない。

 しかも、中尾説にはひとつの疑問がある。

 例えば、ボールを前に投げてはいけないという「スローフォワード」という反則。ボールを手で叩いて前に進めてはならないという「ノックオン」という反則。これらはサッカーでいう「ハンドリング」の反則に相当する、その球技をその球技たらしめる重要なルールだ。

 ラグビーにとっては「オフサイドはなぜ反則か」よりも「ノックオンはなぜ反則か」や「スローフォワードはなぜ反則か」の方が重要な課題なのである。



 この2つの反則は、前近代の英国のフットボールに広範に存在したのだろうか? そこが証明されない限り、中尾説は妥当とはいえない。ところが、中尾の「ラグビー本流/サッカー傍流」説は「ノックオン」や「スローフォワード」がなぜ反則なのか……という疑問に対する解答=論証が弱い。

 もうひとつの疑問は、本当にラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、他のフットボールがその傍流にすぎないと言うならば、最初からラグビー関係者が、そう主張すればよいのである。

 なぜ「エリス神話」なるものが存在するのか? 中尾もあれこれ述べているが、この件に関しては歯切れがよいとは言えない。

自爆する「ラグビー本流/サッカー傍流」説
 2006年ドイツW杯を当て込んで刊行されたサッカーの蘊蓄(うんちく)本に、加納正洋(かのう・まさひろ)著『サッカーのこと知ってますか?』がある。著者・加納の正体は、まさに中尾亘孝のことで、だから、文面には中尾の反サッカー主義があちこちに滲(にじ)み出ていて、肝心の読者であるサッカーファンが読んでいてかえって不快な思いをするという、実に奇妙なサッカー本である。

 加納正洋=中尾亘孝は、『サッカーのこと知ってますか?』の中で、サッカーファンを挑発するかのように、フットボール正閏論「ラグビー本流/サッカー傍流」説で一席ぶっている(100~116頁)。

 しかし、一方で「19世紀初頭のラグビー・スクールのフットボールは、ランニングイン(ボールを持って相手ゴールに走ること)は許されていなかった」ことは認めている(103頁)。認めざるを得ない。……と言うか、それを「ラグビー」と呼ぶのである。

 『サッカーのこと知ってますか?』は、サッカー式ルールを定めたFA創設後も傘下のクラブを含めて各フットボールクラブは、独自のルールで試合をしていた……という(157~158頁)。しかし、それは全部が全部掛け値のない「ラグビー式」なのか? ノックオンとスローフォワードの反則はどうなっていたのか?

 また、英国前近代のフットボールには、例えばシェフィールド式やオーストラリア式のルールなど、「オフサイド」のないものも存在した(71頁)という。しかし、それではノックオンとスローフォワードを認めることになり、ランニングインを旨とするラグビーフットボールにはならないのではないか?

 中尾亘孝は、実は「ラグビーフットボール」のことをキチンと定義できていないのである。サッカーでなく、何らかの形で「手」を使っているフットボールがあったら、みんなラグビーの仲間に入れている感がある(ひょっとしたら、それは意図的なものかもしれない)。

 サッカーは「ラグビーとは違うフットボールだという差異を強調するあまり、手の使用禁止、厳格なオフサイド・ルールなど……が出すぎた感があった」(102頁)などと中尾(加納)は言う。

 それならば「ラグビーは、ノックオンとスローフォワードを反則とし、サッカーよりもさらに厳格なオフサイドルールを採用することで、〈ランニングインのフットボール〉として他のフットボールにはない独自性を強調している」のである。

 それで、ノックオンやスローフォワードは、いつ、どのように反則として成立したのか? 例によって中尾亘孝(加納正洋)は説明不足である。

再評価される「エリス神話」の史実性
 「エリス神話」についても、ラグビー評論界の良心、小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)さんが、独自の取材調査で、19世紀前半、ラグビー校でラグビー式のフットボールを行った最初の世代で唯一名前が判明している生徒がウィリアム・ウェッブ・エリスであるとしている(小林深緑郎『世界ラグビー基礎知識』)。つまり「エリス神話」にも一定の史実性があることを認めているのである。

世界ラグビー基礎知識
小林 深緑郎
ベースボールマガジン社
2003-10


 要するに、「サッカーからラグビーが派生した」という世間一般の認識は間違いだが、「ラグビーだけが英国前近代フットボールの正当な継承者」であるという中尾説も正しくない。「エリス神話」より、むしろ「ラグビー本流/サッカー傍流」説の方こそ、ラグビー派の反サッカー主義者(中尾亘孝)による政治的プロパガンダなのである。

 サッカーも、ラグビーも、いくつもあるフットボールのローカルルールのひとつに過ぎなかった。

 老舗和菓子の元祖・本家争いのような、唯一の正統なるフットボールとは何かを標榜する中尾亘孝のアジテーションこそ意味がない。

つづく




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ジリ貧が続くNHK大河ドラマ「いだてん」
 2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)」(毎週日曜日20:00~20:45,脚本・宮藤官九郎)の視聴率の低迷ぶりが、いよいよトンデモないことになっている。

▼NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)』

 当ブログが「〈いだてん〉視聴率惨敗! このままいくと歴代最低視聴率大河ドラマになるッ!」と煽ったのは、今年の2月初頭。その直前の放送回、1月最終週の第4回の関東・首都圏の視聴率は、それでも2ケタの11.6%はあった(下記リンク先参照.これはこれでNHKの看板番組=大河ドラマとしては,あってはならない酷い数字なのだが)。

▼NHK大河ドラマ「いだてん」に漂う玉木正之的スポーツ観と,その克服(2019年02月03日)

 それが2月に入って、視聴率が1ケタに下がる。こんなに早い時期の1ケタ転落も、NHK大河ドラマとしては壊滅的な出来事で人々を驚かせた。さらにその後もジリジリと下がって、8月11日放送分では、関東・首都圏の視聴率がついに5.9%(関西地区では5.2%)まで下がった。

 しかも、「いだてん」の前枠の動物番組「ダーウィンが来た!」(19:30~20:00)と、「いだてん」終了直後に放送される「NHKニュース」(20:45~21:00)の視聴率が良好なのに対して、「いだてん」だけが目に見えて視聴率が低いのである。

▼「いだてん」最低視聴率でクドカンも大ピンチ 大河で脚本家が降板したのは1回だけ(2019年5月12日)

 これは、もう、明らかに視聴者が「いだてん」を避けていることがハッキリと分かる。

 このまま視聴率が下がり続けると、民放(民間放送)では「打ち切り」が検討されるという。けれども、視聴者からの受信料で成り立つNHK(公共放送)では、そのような事態はなさそうである。

「日本人とオリンピック」のはずが落語家の人生を見せられる
 「いだてん」の視聴率が悪いのは、ひとえに「つまらない=面白くない」ことに尽きる。その理由は、これまでさんざん論じられてきたので、多くはここで繰り返さない。が……。


 ……視聴者は、初め、この大河ドラマは「日本人と近代スポーツの歴史,日本人とオリンピックの歴史」を描くものだと思っていた。そのナレーションを、ビートたけしが演じるところの往年の落語の名人・古今亭志ん生(5代目)が担うのだと思っていた……。

 ……ところが、「いだてん」の物語は、日本の近代スポーツ史と全く接点のない落語家・古今亭志ん生(5代目)の、まるで自堕落な人生の描写に大きく時間を割(さ)き、この2つが並行して描かれていた。

古今亭志ん生(5代目)
【古今亭志ん生(5代目)】

 ほとんどの視聴者は、これには完全に面食らった。そして「いだてん」の視聴から脱落していった。

 このドラマの脚本担当・宮藤官九郎(クドカン)の本当の狙いは、「日本人と近代スポーツの歴史,日本人とオリンピックの歴史」の大河ドラマに事寄せて、志ん生(5代目)の一代記を描くことにあったとまで邪推されるほどである。

 誰も、少なくともこの大河ドラマで志ん生(5代目)の人生を視たいとは思わない。それは別の枠のドラマで描けばいいし、その方がもっと良いテレビドラマができるはずだ。

 それならば。クドカン宮藤官九郎が、視聴者を置いてきぼりにしてまで執拗に拘(こだわ)っている、この「落語」の視点から「いだてん」の「つまらなさ」の理由(わけ)について斬り込んでいけるのではないか……と、ふと思い当たることがあった。

本多勝一の「落語論」から
 今回、参照するのは、落語評論家の評論文ではなく、ジャーナリストで元「朝日新聞」記者・本多勝一氏の著作『日本語の作文技術』である。この本に「自分が笑ってはいけない」という小見出しの箇所がある。

 「いだてん」は、なぜ面白くないのだろうか……。
自分が笑ってはいけない
 ……なぜおもしろくないのだろうか。この説明は落語を例にとるとわかりやすいと思う。

 中学生のころ私〔本多勝一〕はラジオで落語ばかり聞いていて、よく「また落語!」と父に怒鳴られたけれど、いくら叱られてもあれは魅力的な世界だった。ずっとのちに都会へ出て実演を見たとき驚いたのは、落語家たちの実力の差だ。ラジオでもちろんそれは感じたけれど、実演で何人もが次々と競演すると、もうそれはまさに月とスッポン、雲と泥にみえる。私が見た中では、やはり桂文楽〔8代目〕がとびぬけてうまかった。全く同じ出し物を演じながら、何がこのように大きな差をつけるのだろうか。もちろん一言でいえばそれは演技力にちがいないが、具体的にはどういうことなのか。

 落語の場合、それは「おかしい」場面、つまり聴き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずるということだ。観客が笑いころげるような舞台では、落語家は表情のどんな微細な部分においても、絶対に笑ってはならない。眼〔まな〕じりひとつ、口もとひとつの動きにも「笑い」に通じるものがあってはならない。逆に全表情をクソまじめに、それも「まじめ」を感じさせないほど自然なまじめさで、つまり「まじめに,まじめを」演じなければならない。この一点を比較するだけでも、落語家の実力の差ははっきりわかる。名人は毛ほどの笑いをも見せないのに対し、二流の落語家はどこかに笑いが残っている。チャプリンはおかしな表情をクソまじめにやるからこそおかしい。落語家自身の演技に笑いがはいる度合いと反比例して観客は笑わなくなっていく。

 全く同じことが文章についてもいえるのだ。おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかに面白く思っているかを知っておもしろがるのではない。美しい風景を描いて、読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら「美しい」と感嘆しても何もならない。美しい風景自体は決して「美しい」と叫んではいないのだ。その風景を筆者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するものでなければならない。〔以下略〕

本多勝一『日本語の作文技術』第8章「無神経な文章」より


【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)
本多勝一
朝日新聞出版
2015-12-07


 本多氏は、古今亭志ん生(5代目)よりも桂文楽(8代目)がお好みだったようだ。それはともかくとして、「いだてん」のつまらなさは、この引用文を少し改変しただけで、ほとんど説明できてしまうのだ。

二流の落語家=クドカン宮藤官九郎
 脚本のクドカン宮藤官九郎は、「笑い」や「ペーソス」、言い換えれば「おかしさ」をも込めて、大河ドラマ=歴史を「面白く」描きたい。

 その是非は別としても、これが大河ドラマの場合、それは「おかしい」場面、つまり視聴者が「笑い」や「ペーソス」を感じ入る場面であればあるほど、脚本家や演出家は「笑わず」真剣に、まじめに描かなければならない。

 他人(ひと)を「笑わせてやろう」というに時こそ、「笑わせてやろう」という素振りは見せてはいけない。

 優れた作り手は毛ほどの「笑い」をも見せないのに対し、二流の作り手はどこかに「笑い」が残っている。

 「面白い」と視聴者が思うのは、描かれている「ドラマの内容自体が面白い」ときであって、「脚本(宮藤官九郎)や演出がいかに面白く思っているか」を知って面白がるのではない。

 「脚本(宮藤官九郎)や演出がいかに面白く思っているか」の表れが、例えばドラマの演出に見られる小細工の数々だ。けれども、脚本や演出に「笑い」が入っている。「笑わせてやろう」という素振りが見えてしまっているので「面白くない」。とどのつまり「いだてん」は「面白くない」。

 脚本や演出に「笑い」が入る度合いと反比例して、視聴者は「笑わなく」なっていく。すなわち、視聴者の多くは「いだてん」の視聴から脱落していく。

「あまちゃん」は大ヒット作ではない!?
 いわば「自分から笑いだしている」二流の落語家が、「いだてん」脚本のクドカン宮藤官九郎である。落語に憧憬(どうけい)しながら、しかし、落語への真の敬意が欠落しているのが、「いだてん」脚本のクドカン宮藤官九郎なのである。

 「いだてん」のテーマは、大河ドラマよりも、むしろ朝ドラ(朝の「連続テレビ小説」毎週月~土8:00~8:15)の方がよかったのではないか……との声もある。だが、クドカンのあの「自分から笑いだしている」作風では、やはりダメである。

 同じクドカン脚本の朝ドラ「あまちゃん」はヒットしたではないか……という人がいる。しかし、すでに繰り返し指摘されていることだが、「あまちゃん」の視聴率は他の朝ドラと比べても相対的に低い。新しい視聴者を開拓したというけれども、既存の視聴者に視聴から逃げた層がかなりいるので、トータルの視聴率は高くないのである。

 それでも、この世界の片隅には、「自分から笑いだしている」二流の落語をさも面白いものであるかのように有難がる、声のデカい、スノッブな「層」が一定程度存在する。「あまちゃん」が、いかにも歴史的に傑出した朝ドラであるかのように煽ったのは、この人たちである。

 例えば、それは「ギョーカイ」といわれる世界の住人に多い。インターネットのポータルサイトを覗(のぞ)くと、これほどの低視聴率にもかかわらず「いだてん」の礼賛記事が未だに多い。そうした記事をこの人たちが書いているからである。

 この人たちには「バカな人にはとうめいで見えない布」が見える。

▼アンデルセン「はだかの王さま」青空文庫

 むろん、実際にはそんな「布」など実在しない。「あまちゃん」の正しい総括ができなかった、そんな「はだかの王さま」たち(クドカンやNHKの制作陣)が勘違いしたまま作ってしまったのが、大爆死の大河ドラマ「いだてん」なのである。

落語界こそ宮藤官九郎と「いだてん」を批判するべき
 「いだてん」が古今亭志ん生(5代目)に異常にフィーチャーすることで、かえってイメージが悪くなったのは、実は落語(落語界)の方である。

 「いだてん」の視聴を避けた視聴者は、落語に悪い印象を抱いてしまったいる。これが、まずひとつ。

 もうひとつは、「いだてん」が、ある意味で壮大な「落語」なのだとしても(クドカンは,さまざまに張り巡らした「伏線」を最後に「回収」して,壮大な「オチ」を付けるつもりなのだとも……)、前述のとおり、あれは「二流の落語」にすぎない。

 宮藤官九郎と「いだてん」は、落語の面汚しなのだ。

 落語界の住人こそ、宮藤官九郎と「いだてん」を批判するべきである。

 それとも、落語界もまた、クドカン的なるものを有難がるスノビズムに頭をやられているのか、はたまた「いだてん」を放送する公共放送=NHKに対する忖度があって、これを批判できないでいるのだろうか。

(了)



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「明治」をスルーした日本サッカー史?
 2021年は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)の創立100周年である。JFAは「正史」として大型本の『JFA 100年史』(仮称)を公刊するはずだ(JFAは創立50周年の時も,75周年の時も「正史」を刊行している)。

財団法人日本サッカー協会 75年史―ありがとう。そして未来へ
財団法人日本サッカー協会75年史編集委員会
日本サッカー協会
1996-10-01



 しかし、いかに本が売れない時代とはいえ、有為な書き手による、手ごろな一冊のサイズにまとまった日本サッカー通史を、サッカーファンやスポーツファンに送り出す企てはないのだろうか。

 相撲(「大相撲」に限定されない格闘技としての相撲)や、マラソン・駅伝などには優れた通史は存在するのだから、サッカーでもそういった、いい意味での「外史・稗史・野史」を当然読みたいのである。

相撲の歴史 (講談社学術文庫)
新田 一郎
講談社
2010-07-12


相撲の歴史
新田 一郎
山川出版社
1994-07-01


マラソンと日本人 (朝日選書)
武田 薫
朝日新聞出版
2014-08-08


 果たして、その先駆けなのか、佐山一郎さんによる『日本サッカー辛航紀』が上梓された。

 もっとも、この著作は「私小説」的な性格が色濃いうえに、日本サッカー史を謳(うた)いながら、日本サッカー界は歴史を大事にしていないと批判しながら、そして蹴鞠も話題まで採り上げながら、しかし、肝心要の明治時代、草創期の日本のサッカー事情について全く触れていないという、実に不思議な一冊である。

 やっぱり、明治時代、海外から日本へのサッカーの伝来、普及、野球やラグビーなど他競技との関係等々について全く言及しないというのは、違うのではないか。

 それこそが、日本サッカーの原点だからである。日本のサッカーの文化や歴史などの総体を理解するためには、原点である「明治」を知らなければならない。書名が『日本サッカー辛航紀』であるならば、なおさら、その「辛」い「航」海の船出が明治時代だったからである。

明治最初のフットボールはサッカーか? ラグビーか?
 意地の悪いことを言うと、『日本サッカー辛航紀』はこの重苦しいテーマから逃げたのではないかと邪推する。野球に普及や人気でサッカーが先んじられたこともある。もうひとつは、そもそも日本で最初に行われたフットボールが、サッカーなのか、ラグビーなのか、最近になって論争になっているためでもある。迂闊(うかつ)なことが書けないのだ。

 今でも、JFAの公式サイトの「沿革・歴史」、1873年(明治6)の項には「イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA・L・ダグラス少佐(中佐とも)と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)」とある。これが従来の定説というか、通説であった。

▼日本サッカー協会(JFA)沿革・歴史

 後藤健生さんも『日本サッカー史 代表編』では、特に吟味することもなく、この通説を掲載した。


秋山陽一
【秋山陽一氏】

 秋山さんの主張をまとめたのが、日本ラグビー狂会編『ラグビー・サバイバー』所収の「フットボールの憂鬱」という論考である。

ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


 後藤さんは、ある程度、秋山さんの批判を受け入れている。当時の海軍兵学寮の様子を調べていくうちに、なるほど、これが完全なるサッカーだったとは言い難い。もっとも、それがラグビーだったと証明することもできないのだが……。

 後藤さんの後の著作『サッカー歴史物語』では、持論が修正されてある。

 イングランドでFAルール(サッカー)が普及するのは、実は「The FA」が創設された1963年よりも少し後のことだ。また、イングランドのラグビー協会(RFU)の創設も1871年である。あの当時は、サッカーとラグビーはそれほど隔たりのある球技ではなかった。

 当ブログから加えるに、当時は、サッカー、ラグビー以外のルールのフットボールもいくつか混在していた。フットボールが両者どちらかに収斂(しゅうれん)していくのも、後々のことである。

 明治初期の海軍兵学寮では、キッチリしたルールではなく、フットボールの真似事のような遊びを英国海軍将兵と日本人学生らはやっていたのではないか。

 後藤さんといっしょに「日本サッカー史研究会」を主宰している牛木素吉郎さんも、この立場を支持している。

 牛木さんは、明治初期に日本で行われたフットボールを「サッカー」でも「ラグビー」でもなく、「フットボール」と表記しようと提案している。FAルールで行われたことが確実なものだけを「サッカー」と呼び、RFUルールで行われたことが確実なものだけを「ラグビー」と呼ぶ。

▼牛木素吉郎「明冶初期のフットボール@日本サッカー史研究会」(2007年2月19日)

 そうすることによって、無意味な論争を避けることができる。

後藤・牛木説をあくまで突っぱねる秋山陽一氏
 しかし、秋山陽一さんは、この後藤・牛木説にもあくまで異を唱える立場をとる。

 秋山さん曰く……。後藤健生氏は『サッカー歴史物語』で、当時のルールについて、相変わらず「サッカーともラグビーとも特定しがたく」という見解を披歴しているが、根拠を示していない(これは指摘どおりかもしれない)。一方、イギリスの研究者(誰?)は海軍兵学寮のフットボールについてラグビーとしている。

A_Footbll_Match_in_Japan
【A Football Match in Japan(19世紀)】

 イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こさない(本当か?)。論拠となる資料はある(それが知りたい)。

 後藤健生氏と牛木素吉郎氏の説を支持するサッカーファンが理解できない。

 ……。何というか。秋山さんのスタンスからは、サッカーファンに対して「マウントを取りに行く」感じをヒシヒシと感じる。さすがに最近はそんな人も少なくなったが、どうして日本のラグビー関係者はサッカーを目の敵にするのだろうか。

 いちど「日本サッカー史研究会」の会合で後藤さんと秋山さんの「直接対決」があったというが、秋山さんの態度がかなり挑発的だった、との噂もある。

 秋山さんがいう「イギリスの研究者」が誰かは分からないが、2019年6月に英国の歴史学者、ラグビー史研究家のトニー・コリンズ(Tony Collins)による『ラグビーの世界史~楕円球をめぐる二百年』が上梓された。

 現時点で未読だが、この著作では海軍兵学寮の「フットボール」を「ラグビー」としているかもしれない。確認できれば当ブログで紹介するかもしれない。

工部大学校の「フットボール」は「サッカー」
 もうひとつ、秋山氏が批判・指摘しているのは、明治初期の海軍兵学寮とはほぼ同時期に「フットボール」が行われていた工部省工学寮(工部大学校)は、昭和初期に刊行された当時の学生の回顧談にハッキリと「アソシエーション式」(サッカー)であることだ。

 これについては、サッカー史研究ブログの「蹴球本日誌」が詳しい。『旧工部大学校史料』(1931年)、『旧工部大学校史料・同附録』(1978年復刻)を参照しながら、次のように説明する。
 古川阪次郎〔OB〕「工部大学に於ける運動其他」には、

 〈…それから上の組の頭が玉木弁太郎君及田辺朔郎君であったと記憶して居るが、玉木君は丈が高い(後には肥ったが)ので、フットボールの時分には、いつでも玉木君がゲートキーパーであった。〉(p.137)

 とあり、GKを置いた「サッカー」だったことがわかります。弱冠20代で琵琶湖疎水を完成させるという偉業をなしとげた田辺朔郎もサッカーをしていたようです。

 門野重九郎〔OB〕「工部大学に於けるスポーツ」には、

 〈四、フートボール

 此のゲームは溜池運動場にて盛なりしが今日のアッソシエーション〔FAルール=サッカー〕の前身とも云ふべく其のルールも至って簡単にして今日の如く前営〔FW〕、中堅〔HBまたはMF〕、後営〔BKまたはDF〕などと確然と定まった陣営も無く唯早く球をゴールに蹴込むに勉めたるものなり。〉(p.142)

 とあり、「サッカー」だったことを〈証言〉しています。

蹴球本日誌「『旧工部大学校史料』におけるサッカー」July 09, 2005


▼旧工部大学校史料~国立国会図書館デジタルコレクション

▼旧工部大学校史料・同附録(青史社)1978|書誌詳細|国立国会図書館
 後藤健生さんは、なぜか工部大学校の「フットボール」にしても、サッカーなのかラグビーなのか曖昧にしている。海軍兵学寮と違って、こちらは「サッカー」であることがほぼ確定しているのだから、堂々とサッカーと書いてもいいのではないかと思う。

 後藤さんは、わざと曖昧にしているのだろうか。

海軍兵学寮=ラグビー説の矛盾
 ブログ「蹴球本日誌」は、サッカーかラグビーかという論争に、別の立場から「参戦」している。「蹴球本日誌」は、秋山陽一さんと同じ史料、沢鑑之丞著『海軍兵学寮』(1942年)などを参照しながら、しかし、海軍兵学寮のフットボールは「サッカー」であるという立場をとる。

 該当するエントリー「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」(2005年7月18日)では、秋山さんの史料の見落としや持説の矛盾点を突いている(引用文は,読みやすいように適宜編集してある)。
 秋山陽一氏の著作「フットボールの憂鬱」@『ラグビー・サバイバー』p.212に〈澤鑑之丞の別の著書「海軍兵学寮」でも、午後に毎日砲術訓練が取り入れられた当初、生徒たちは身体が大いに疲労を感じたが、後には次第に活気を増し愉快に外業を学ぶようになったと述べている。〉とあり、澤(沢)の『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)を読んだことが記されています。

 この本(『海軍兵学寮』)の明治7年〔1874〕の部分に〈また、「フットボール」(蹴球)もイギリス教師より教を受けて、寮内馬場に於て、甲乙両部にわかれ仕合を致しました。〉という一行があり(p.248-250のうちのどこか)、1874年当時の在籍者が〈フットボール(蹴球)〉をしていたとの「証言」があるのですが、不思議なことに(笑)秋山氏はこの部分に言及していません。

 また秋山氏は、「フットボールの憂鬱」で〈日本では、明治から大正時代にかけてア式とラ式といういい方で2つのフットボールを区別してきたが、昭和に入ると、ア式は蹴球を名乗り、一方は単にラグビーとなった。〉(『ラグビー・サバイバー』206頁)とも述べています。1942(昭和17)年に出版された『海軍兵学寮』に〈「フットボール」(蹴球)〉と記されていて、〈「フットボール」(ラグビー)〉でないのは、秋山氏の説に従えば、海軍兵学寮はサッカーをしていたことになってしまいます。これは秋山氏のオウン・ゴール……(笑)。

蹴球本日誌「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」July 18, 2005


▼海軍兵学寮(興亜日本社):1942|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
 読んでいて、当ブログも笑ってしまった。

 秋山さんの「フットボールの憂鬱」は、私も読んだが、何というか、あれを確実にラグビーであるとするには、今ひとつ決定打に書くのではないかという気はした。

もっと活発な議論の応酬を!
 話を戻すと、秋山陽一さんは「イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こしません.論拠となる資料はあります」と唱える。

 一方、後藤健生さんは「YC&AC〔横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ,外国人居留地のクラブ,かつての通称「横浜外人クラブ」〕で、アソシエーション式(つまりサッカー)にするか、ラグビー式にするかという議論が行われたのは1880年代になってからのことだ」と唱える(『サッカー歴史物語』143頁)。

 これは重要な指摘だ。何がしかの根拠=資料(史料)がなければならない。

 ここでも、後藤さんと秋山さんの意見の相違は争点になる。野次馬としては、このサッカーvsラグビー論争で、もっと活発な議論の応酬を見たい。そうすることが、むしろお互いをよく知ることになり、お互いのためになる……のではないか。邪馬台国論争や、法隆寺再建論争みたいに、もっと派手にやってほしいのである。

 そのためには後藤健生さんvs秋山陽一さんのセカンドレグを、ぜひとも実現させるべきであろう。

(了)



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内野席のネットの有無~日・米間の野球の違い
 日本の野球ジャーナリズムでは、発祥国たるアメリカ合衆国(米国)の野球、なかんずく大リーグ(メジャーリーグ,MLB)の流儀と何か異なっていると、それがスポーツとして、スポーツ文化として、犯罪的に間違っていることとして否定的な評価が下される。

 例えば、日本の野球場(球場)に設けられた内野スタンド(席)の観客防護用の「ネット」(網)での有無である。国の如何を問わず、公認野球規則上、本塁(ホームベース)の裏には「バックネット」(バックストップ)を設置が義務付けられている。しかし、一塁ベースまたは三塁ベースに近い内野席にはネットの設置は義務付けられていない。

 よく知られるように、米国の野球場の内野席には総じてネットがない。またファウルゾーンが狭い(下の写真参照)。

オラクルパーク野球場(アメリカ,サンフランシスコ)
【アメリカのオラクルパーク野球場(サンフランシスコ)】

 これは、観客の臨場感をより優先しているためと言われる。

 大リーグは長年、球場の内野席に防護ネットを設置しないことを〈伝統〉としてきた。選手と観客の間に境目(ネット)を設けないことは、ファンサービス精神の表れであるとされていた。

 一方、日本の野球場の内野席にはたいていネットが設けてある。また米国と比べてファウルゾーンが広めに設定されてある(下の写真参照)。

明治神宮野球場(日本,東京)
【日本の明治神宮野球場(東京)】

 これは、内野席に飛んでくるファウルボールの打球や折れたバットの破片などから、観客を守ることを優先しているためと言われている。

内野席のネットが大嫌いな玉木正之氏の言い分
 この、日本の野球場における内野席のネット設置の慣習を、アメリカ野球、大リーグの流儀を唯一絶対の判断基準として繰り返し断罪してきたのが、スポーツライターの玉木正之氏である。その玉木氏の批判の中から、最も本音に近く、かつ先鋭的と思われる1990年刊の新潮文庫『プロ野球大事典』から引用する。
ネット【net】
  1.  かつては、ファウル・ボールから観客を守るためのものだったが、現在では、観客から選手を守るために目的が変わった邪魔者
  2.  アメリカ大リーグのように、これをなくすれば、日本の観客も、もっとプレイに注目し、野球を楽しむようになるに違いない。それは危険だ……などというひとは、遊びにはつねに危険が付き物であるということが理解できないひとか、あるいは保安係の人件費をケチっている経営者である。ケガをしたらどうするんだ……などと心配する人は球場に来なければいい。そんなことでは観客に対して責任が持てない……と経営者がいうなら、ファウル・ボールに対して責任を負いませんと切符に書いておくだけで充分だ。バックネット以外にネットのない球場で、グラヴを持って野球を見に行きたいと切望しているのは筆者〔玉木正之氏〕だけか。
  3.  ネット(金網)は絶対に取り外せないというなら、引き分けなど廃止して金網デスマッチにしてほしい。
  4.  所沢西武球場をつくるとき、西武グループの総帥〔そうすい〕といわれる堤義明は、「バックネットがあるとゲームが見にくいから,なくせないものか」といったという。こういう堤オーナーの考え方は、常識破りのユニークな発想と称賛されているが、じっさいにバックネットを強化ガラスや強化プラスチックにした球場は存在した(サンフランシスコのシールズ・スタジアムやシンシナティのクロスレー・フィールド.しかし,汚れが目立って,いまは採用されていないらしい)。誰の考えることもそう大差はなく、「すごい発想だ!」などと誉めそやすひとの勉強不足(またはゴマスリ)である場合がほとんどなのだ。
玉木正之『プロ野球大事典』(新潮文庫)435~436頁



 野球と違って、世界各国の「お国柄」の違いには寛容なサッカーの在り方が、日本の人々に知れわたる前の1990年ごろのことであるから、玉木正之氏は、アメリカ大リーグを出汁(だし)にして、思う存分、日本の野球を罵倒している。

 例えば、内野席のネットを「観客から選手を守るために目的が変わった邪魔者」とか、「アメリカ大リーグのように,これをなくすれば,日本の観客も,もっとプレイに注目し,野球を楽しむようになるに違いない」とか論じるあたりは、日本野球の風潮で、もうひとつ玉木氏が大嫌いな存在である「応援団」に対する、玉木氏の当てこすりである。

▼アメリカ民謡『テキサス・ファイト』に日本の「応援団」文化の原点を感じた(2019年08月04日)

▼日本野球の「応援団」のルーツはアメリカの大学フットボールにあった!?(2019年05月02日)

 アメリカ大リーグが大好きな人たちは、大リーグの観客は、試合も見ずに歌い踊っているだけ(?)の日本野球の「応援団」などとは違って、試合に集中しており、またグラブを持参しているので、「危険」は少ない……と主張していたと言われている。

 また「遊びにはつねに危険が付き物である」というくだりは、ファクトやエビデンスよりもロマンチシズムを重んじる、玉木氏のスポーツライターとしての過剰なまでの思い入れを表している。

「ケガが怖いならメジャーの野球場には来るな」とは言えない時代
 ところが、ここ最近になって、大リーグの試合でもファウルボールの痛烈な打球が観客に当たり、重傷を負った。しかも、被害者の中には小さな子供がいた……という痛ましい事故が頻発している。

▼菊地慶剛「MLB球場にも防護ネットは必要なのか?」(2017/9/21)

 「ケガをしたらどうするんだ……などと心配する人は球場に来なければいい」……、いやいや玉木センセイ。もうそんな悠長なことを言っていられる時代ではないのですよ。

 野球という競技全体でパワーとスピードが向上していて、観客席に飛んでいくファウルの打球とて例外ではない。昔と違って危険度も高くなっている。その分、内野席の観客も自身の感覚だけで身を守ることが難しくなっている。

 それから、米国においても野球人気が下がっていると言われる。大リーグも、もはや〈伝統〉に拘泥している場合ではない。

 過(あやま)ちては改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ……。

〈伝統〉ゆえのためらい~メジャー各球場の内野席ネットの設置
 ……2019年に入って、大リーグの球場の内野席にも観客防御用のネットを設置する例が出てきた。

▼ホワイトソックスの本拠地が内野席全体に防御ネットを設置 メジャーでは初めて[2019年7月23日]

ホワイトソックス本拠内野全席にネット設置 観客安全のため[2019年7月24日]

 報道では、大リーグ各球団は内野席にネットを設置する方向に動きつつあり、「MLB側は面目なし!?」とまである。

▼MLB側は面目なし!? 各球場が次々と防護ネットを張る[2019年7月28日]

 むろん、この件に関して日本が正しかった、米国が間違っていた……という強弁したいわけではない。しかし、アメリカ大リーグは常に正しく、大リーグは常に正しいのだから決して間違っていない……という風潮は、再考するべきではないかという意味である。

 一方、コミッショナーを筆頭とする大リーグ当局は、全球場の内野席にネットを設けることには消極的なようだ。

 この辺りは、理屈では悪いと分かっていても、なかなか変えられない。本の高校野球に似て〈伝統〉の持つ縛る力、悪い側面を感じる。

 大切なのは、観客の安全と健康である。内野席に安全用のネットを付けたくらいで、野球自体がつまらなくなることはないはずだが。

(了)



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