スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2019年03月

日本は断じて野球の国である,サッカーの国ではない!?
 スポーツライター・玉木正之氏は、春陽堂書店のWEBサイトで「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、氏の根本教義とも言うべき究極のネタを書いている。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)



 要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた。しかし、サッカーは適していない。サッカー日本代表が弱い(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、そのせいだ……ということが主張したいのである。

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【玉木正之氏】

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心・配・御・無・用! 玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に批判できる。

玉木正之説の総括,批判,あるいは超克
 玉木正之氏の「日本で野球が人気なのはなぜ?」は、間違いだらけで、あまりにも内容が粗雑だったので、当ブログで反駁しようと思い立った。最初は小ネタのつもりだったが、その問題点を全て論(あげつら)っていったら、前回のエントリーまでで実に4回にも及んだ。その内容を復習してみる。
玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」の間違いの数々
  1. 明治初期、欧米からあらゆるスポーツ競技が日本に紹介されたが、日本人の間で瞬(またた)く間に圧倒的な人気を獲得したのが「野球」だった間違い玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」に反論する(1)2019年03月10日
  2. 日本人は数字や記録が好きで、打率・本塁打数・打点・勝利数・防御率など、多くの数字や記録が並ぶ「野球」が日本人には理解しやすかった間違い玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」に反論する(2)2019年03月14日
  3. 野球は「スポーツ」ではなく「ドラマ,演劇」として鑑賞することができ、「スポーツ」よりも「ドラマ」に感情移入しやすい日本人には野球が適していた間違い玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」に反論する(3)~虫明亜呂無を疑う_2019年03月19日
  4. 日本人は元来「チームプレー,団体戦」よりも「1対1の対決」を好む。サッカーの「11対11」またはラグビーの「15対15」の「チームプレー」よりも、投手vs打者の「1対1の対決」である野球の方に日本人の関心が集まった間違い玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」に反論する(4)2019年03月21日

玉木正之の「日本で野球が人気なのはなぜ?」画像
【玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」より】
 ……と、よくもまあ、短いたった1本のコラムで、こんなにデタラメが(4つも!?)続くものである。だからこそ「日本で野球が人気なのはなぜ?」は、玉木正之氏の「スポーツ学」(学?)の、あるいは「玉木正之真理教」の根本教義なのであるが。

 そして、だからこそ当ブログは、読者=サッカーファンや野球ファン、その他のスポーツファンを、その洗脳(マインドコントロール)から解かなけれなならない。

 どうしたって玉木正之説は間違っている。嘘である。デタラメである。

「日本人は=団体闘争が苦手」と説く河内一馬氏への疑問
 事あるごとに日本人は元来チームプレー・団体戦が苦手だと附会(ふかい)してきた玉木正之氏。これを批判してきて、あるサッカー人を連想してしまった。「日本人アスリートは〈団体闘争〉が苦手」が持論の、河内一馬氏である(下記ツイッターのリンク先を参照)。



 明言しておくと、2018年12月18日、日本のスポーツ居酒屋て開催された、宇都宮徹壱氏主催のトークライブで、河内一馬氏が展開したのは、サッカーの評論、スポーツの評論ではない。「日本人論・日本文化論」の亜種、森田浩之氏(スポーツメディア研究など)が指摘するところの「サッカー日本人論」または「スポーツ日本人論」である。

 河内一馬氏も、河内氏に共感している宇都宮徹壱氏も、あるいは玉木正之氏も「サッカー日本人論」または「スポーツ日本人論」という「魔窟」(まくつ)にドップリ浸かっている。しかし、平たく言うと「日本人論・日本文化論」または「サッカー日本人論・スポーツ日本人論」はデタラメの羅列である。

 河内一馬氏は「〈団体闘争〉でメダルがなかったリオ五輪」と言う。しかし、その4年前の2012年のロンドン五輪の時は、真壁昭夫氏(エコノミスト,法政大学大学院教授)が「日本人は(この場合は良い意味で)集団主義で,ロンドン五輪でも個人競技よりも団体競技で成果を出した」などと語っていた(下記リンク先参照)。
 なかんずくスポーツにおいて「日本人は○○○○」という議論は、かくもいい加減で、かくも恣意的で、かくもテキトーなのである。河内氏と真壁氏、どっちがどっちもいうよりも、どっちもどっちなのである。

 みんな、思いつきの立論でしかないことが問題なのだが、日本人論の通念・通説の鋭利な批判者である社会学者のコンビ、杉本良夫氏とロス・マオア氏は、著書『日本人論の方程式』の中で、この点を批判している。
 いずれにしても〔…〕その度合いが日本より高いか早いかという問題は、系統的に収集された実証的データを基にして解かれるべきであって、恣意的に選ばれた逸話や言語表現〔あるいは個人的な実感や体験〕の集積だけでは、結論にたっすることはむずかしい。

杉本良夫とロス・マオア『日本人論の方程式』185頁


 例えば、オリンピックにおける「日本人」の個人競技/団体競技の得意・不得意をテーマとする場合。個人競技や団体競技について明確な定義する。単純な獲得メダル数ではなく有意な数値に変換する。その数値を主要な五輪出場国と比較する。さらに、それを直近の5大会ぐらいは比較してみる。

 思いついた限りだが、このくらいはやって、綿密に検証してから、かつ本当にそれが本当ならば「日本人は〈団体闘争〉が苦手」と結論付けてほしい。河内氏は、これは「科学」ではありません、あくまで「芸術としてのサッカー論」ですなど、逃げてはいけない。

故平尾氏誠二氏と河内一馬氏による思想的リングワンダリング
 まず、確認しておきたいことは、河内一馬氏をトークイベントに招いた宇都宮徹壱氏は、どうやら「サッカー日本人論」に対するリテラシーが低いらしいということである。後藤健生氏、小田嶋隆氏、藤島大氏、森田浩之氏らが一定程度には備えているそのリテラシーが、宇都宮氏には欠落している……らしい。

 もっとも、宇都宮氏の師匠筋にあたる佐山一郎氏が、「サッカー日本人論」をチッソ水俣工場並みに垂れ流してきたデマゴーグだったから、まったく驚くに値しないことなのかもしれないが。そのことを念頭において、河内氏と宇都宮氏の対話を見ていく。
■すぐに怒る欧米人と感情表現が苦手な日本人
──〔…〕これまでにも「日本人はなぜサッカーに向いていないのか?」という議論になったときに、〔…〕やれ「日本人は農耕民族だから」といった抽象的な議論ばかりだったように思います。ところが河内〔一馬〕さんはサッカーに限定せず、まずスポーツをいくつか分類した上で「日本人はなぜ『団体闘争』が苦手なのか」という問題提起をしたところに新しさを感じます。それにしてもなぜ、こうした発想に至ったのでしょうか?〔聞き手:宇都宮徹壱〕

河内 もともと「日本人というのはどういう民族なんだろう」とか「どういう特徴があるんだろう」ということを勉強するのが好きだったんです。一方で「団体闘争」というのは、ものすごく文化的な依存度が強いと思っていて、国によってはものすごく特徴が出る。たとえばチームワークひとつをとっても、「競争型のチームワーク」と「闘争型のチームワーク」の2種類があると考えています。

──「競争型」はチームメイトに干渉しないチームワーク、「闘争型」は逆にぶつかり合うことをいとわないチームワーク、ということでしょうか?

河内 そのとおりです。前者の典型例がまさに日本人で、基本的に自分が納得しなくても前に進めることができるし、周囲が心地よくなるための努力さえできる。でもサッカーの場合、合わない部分があったら、ぶつかってでもそれを解決しないとチームとして機能しないですよね? そこは欧米人のほうが、はるかに得意だというのが僕の考えです。

──よくわかります(笑)。ただし「競争型のチームワーク」と「闘争型のチームワーク」というのは、決して優劣をつけられるものではないようにも思うのですが。

河内 もちろんです。どっちがいいとか悪いとかではなく、やっぱり日本人が築こうとするチームワークというのは「団体闘争」には合わないという話です。だったら「団体闘争」を前提としたチームワークを築いていくしかない。そもそもチームメイトと意見が対立するのは、日本人も欧米人も関係なく起こり得るものですが、ぶつかりながらすり合わせようとするのが欧米人で、不満を飲み込んで周囲に配慮するのが日本人。なぜそうなるのかというと、日本人は感情表現が苦手だからだと思っています。

 河内・宇都宮両氏は「決して優劣をつけられるものではない」と言っている。……のではあるが、しかし、このような比較文化論自体が「優等なる欧米人/劣等なる日本人」というイメージを前提にしている議論である。

 そして、読んでいて思わずニヤけてしまったのが、河内氏より20年も前の1998年に、河内氏とそっくりなことを述べていたフットボール関係者がいたことである。元ラグビー日本代表(選手,監督)の故平尾氏誠二氏だ。彼と、彼のブレーンである勝田隆氏の対談本『楕円進化論』には、次のような対話がある。
ラグビーは狩猟文化
勝田 いつも思うのは、イギリス人〔欧米人〕と日本人の文化の違いについてなんだけれど……。

平尾 日本人は敵対してから前進するのが下手なんです。敵対してしまったら、別れるしかない。彼ら〔欧米人〕は敵対してから、ともに前進することが出来る。この国民性がまったく違うんです。

勝田 国民性の違いは民族性の違いとも言える。よく言われる狩猟民族と農耕民族の違いです。〔以下略〕

平尾誠二・勝田隆『楕円進化論』52~53頁


 そういえば、故平尾氏誠二氏は、野球やクリケットのような「バット・アンド・ボール・ゲーム」、テニスやバレーボールのような「ネットを挟んだ球技」、サッカーやラグビーあるいはバスケットボールのような「ゴールを争うフットボール系球技」の中で、日本人は「フットボール系球技」が一番苦手だと決め付けていた。

 要するに、河内一馬氏(と宇都宮徹壱氏)があの場で語っていたことは、別に新しくも何ともないのである。むしろ考えるべきは、故平尾氏と河内氏による思想的・言説的リングワンダリングとも呼ぶべき現象が、なぜ日本のスポーツ論壇で発生するかであろう。



 故平尾氏誠二氏は、偉大なラガーマンであるが、一方で、1995年ラグビーW杯大惨敗の、1999年ラグビーW杯惨敗の「A級戦犯」である。実践ではなく「日本人論」に逃げる彼の手法は、しかし、ラグビー日本代表で自ら指導的立場に立ち、海外の列強と対峙せざるを得なくなった時、間違った方向に作用したからである(以下の著作を参照されたい)。

ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


 河内一馬氏は、実践者たるべくサッカーコーチ留学をしているはずで、けして浅薄な評論家としての箔(はく)をつけるために、アルゼンチンに渡ったのではないはずだ。

河内一馬氏は「サッカー」に専念してほしい
 玉木正之氏は、早稲田と慶應義塾のサッカー部の名前を間違えたり、『日本書紀』皇極天皇紀の「打毱」の場面の登場人物やあらすじを間違えたり……と、プロのライター・評論家にしては信じられないような間違いを平気でしでかす。


 その玉木氏の「1対1の勝負説」を連想させる、河内一馬氏の「日本人アスリートは〈団体闘争〉が苦手」という持論も、あまり賢明ではない。


 玉木正之氏は、今後ともこういったバカ話を続けていくだろう。これは不治の病のようなもので仕方がない(日本のサッカーにとっては迷惑千万だが)。しかし、若くて将来がある河内一馬氏が今後ともこういう話にかまけていくことは、日本サッカーにとって多大な損失になってしまう。

 悪いことは言わないから、バカ話は老害の玉木正之氏に任せ、河内一馬氏は邪悪な道から足を洗って、「サッカー」に専念してほしいと思う。
 私たちは、社会間・文化間に全く相違がない、などというばかげた主張をしているのではない。「所変われば品かわる」のは当たり前のことだ。しかし、その点だけを拡大しておうむ返しのように述べているだけでは、ナショナル・ステレオタイプ〔民族性や文化など〕を不均等に増殖するという結果しか出て来ない。

 問題は、従来の日本人論が日本のユニークな特色だと主張していた現象の中には、実は欧米社会にもいくらでも観察できるものが少なくない点にある。その意味では、日本特殊独特説は、日本の異質性を不必要に誇張しているのではないか、というのが私たちの根本的な疑問である。

 この種の誇張に頭を占領されるとき、日本人の〔…〕コミュニケーションの道〔≒サッカー〕が断たれたりする。

⇒杉本良夫とロス・マオア『日本人論の方程式』288頁

 河内一馬氏は(宇都宮徹壱氏も?)「この種の誇張に頭を占領され」て、サッカーという世界的なコミュニケーションの道を自ら殺しているのである。

 当ブログも、社会間・文化間に全く相違がない……などというばかげた主張をしているのではない。また、日本人がサッカーに関してメタフィジカルな領域で、世界的に特別優れた能力を有していると主張しているのではない。

 ただ、サッカー、殊に日本のサッカーへの先入観を「初期化」して、その上で少しでも日本サッカーを高い段階へと上げるべく、考えていこうと提唱しているのである。

 河内一馬氏には、その辺りをじっくり考えなおしてほしいと願うのである。

(了)



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日本人と相性が良いのはサッカーではなく野球である!?
 スポーツライター・玉木正之氏は、春陽堂書店のWEBサイトで「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、実に香ばしいネタを書いている。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)


 要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた。しかし、サッカーは適していない。サッカー日本代表が弱い(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、そのせいだ……ということが言いたいのである。

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【玉木正之氏】

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心・配・御・無・用! 玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に反駁できる。

パクス・トクガワーナと玉木正之氏「1対1の勝負説」
 玉木正之氏の「日本で野球が人気なのはなぜ?」という問いには、常に摩訶不思議な「疑似回答」がついて回る。それは次のようなものだ。
 ではなぜ日本では、多くのスポーツ(ボールゲーム)のなかで、野球(ベースボール)だけが突出した人気を博したのか?

 その理由については、昔から多くの人々が多くの意見を述べている。投手と打者の対決〔1対1の勝負〕が相撲の立ち合いに似ていて、日本人に理解しやすかった……〔略〕。

 〔…〕日本という風土には、他国と較べて珍しい過去の歴史があった。

 世界的には、19世紀まで一般市民が兵士となる戦争が続いていた地域が多かったが、日本では1600年の関ヶ原の合戦でほとんど幕を閉じ、その後徳川幕府の平和な時代が250年以上続く。戦国時代の1543年、ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えて以来、わずか半世紀のうちに戦いは終結しているのだ。

 軍人だけでなく、一般の人々が武器を持って戦うためには、チームプレイの理解が必要となる。3組に分かれた鉄砲隊が順々に入れ替わって火縄銃を撃ったり〔織田信長vs武田勝頼の長篠の戦い,1000丁×3組=3000丁の鉄砲隊〕、左翼の鉄砲隊が射撃したあとに、右翼の騎馬隊、中央の歩兵隊が進軍する、といった具合に、鉄砲という武器は(狙撃兵という特殊な役割の兵士を除いて)、戦争に参加したあらゆる兵士に、必然的にチームプレイを要求することになる。

 鉄砲が出現する前の戦争は、基本的に、一人ひとりの力が中心となる。兵士は個人で手柄をあげようと先陣を切り、「やあやあ我こそは○○○、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」と大音声で名乗りをあげ、戦いに臨んだ。そして大将は、戦いに勝てば兵士(市民)に論功行賞を施したのである。

 戦争を早く終え、多くの人々が鉄砲での戦いの経験が未熟なまま平和な時代に突入した日本では、当然チームプレイに対する理解も進まなかった。「徳川の平和(パクス・トクガワナ)」の時代に語り継がれた戦いは、源義経や那須与一を中心とした一の谷、屋島、壇ノ浦の源平の戦いでの個人戦であり、上杉謙信・武田信玄の川中島の一騎打ち、あるいは宮本武蔵・佐々木小次郎の巌流島の戦いだった。

玉木正之の「日本で野球が人気なのはなぜ?」画像
【玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」より】

 そんな日本の社会に、勝敗を争うチーム(集団)の戦いであるスポーツ(ボールゲーム)が伝わってきたのだ。日本人が、サッカーやラグビーでなくベースボールに飛びつくのは当然だろう。

 集団のなかから一人の武士(打者)が「やあやあ我こそは……」と名乗り出て、マウンドに立った一人の武士(投手)と対決する。そして大将(監督)は論功行賞を施す。そうして日本人は明治時代にいち早く野球(ベースボール)を好きになり、他のスポーツもすべて野球を基準に考えるようになったのだった。

 サッカーやラグビーやバスケの団体競技はもちろん、陸上(駅伝)も水泳(リレー)も卓球などのような個人競技も、指導者(コーチ)が、ベースボールのように監督(マネジャー)と呼ばれるようになっている。また、柔道、卓球、テニス、フィギュアスケートなどの団体戦、つまり一人ひとりが力を発揮してチームで勝利を目指す競技の団体戦と、一人ひとりが異なる動きをして一つのチームとして機能するサッカーやラグビーのような団体競技の違いが、はっきりと理解されなくなったり……と、野球の普及は、無自覚的に、日本のスポーツ界全体に悪影響を及ぼした、ということもできる。

 日本人の多くがチームプレイというものを理解できるようになったのは、1993年のJリーグ発足以降ともいえそうだ。

 この説を、牛木素吉郎氏iの名付けで「1対1の勝負説」と呼ぶ。

 これもまた、虫明亜呂無の憶測仮説を、玉木正之氏が拡張・増幅させた「野球=ドラマ説」と同様(下記ツイッターのリンク先を参照)、玉木正之氏の実にざまざまな著作でお目にかかれる定番である。


 「1対1の勝負説」も、「野球=ドラマ説」も、「玉木正之スポーツ学」(学?)の根本をなすものだ。玉木氏の日本スポーツに関する考察は、すべてこれらの持説から出発する(後述)。それにしても、こんな奇々怪々な玉木氏の持説「1対1の勝負説」は、いったいどこから来たのだろうか?

「1対1の勝負説」の淵源
 「野球=ドラマ説」のルーツは、サッカーにまつわる随想録(?)、虫明亜呂無の「芝生の上のレモン」の記述であった。「1対1の勝負説」に関しては、出どころがハッキリしている。

 講談社の月刊誌『現代』1988年10月号掲載、玉木正之氏、ロバート・ホワイティング氏(在日アメリカ人ジャーナリスト)、中沢新一氏(宗教学者,人類学者)による座談会「SMかオカルトか侃侃諤諤〈ベースボール人類学〉」である。内容は日本の野球文化論もしくは野球を通じた日本文化論ともいうべき趣。
 中沢 〔…〕野球というのは〔…〕だから日本人の感性に合っているのかも知れない。

 玉木 ホワイティングさんには『菊とバット』という名著がありまして、今度は明治時代まできかのぼって〈日本人と野球〉を考察したパート・ツー〔『和をもって日本となす』〕を脱稿されたばかりなんです。

菊とバット〔完全版〕
ロバート ホワイティング
早川書房
2005-01-01


和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 中沢 ほう。日本人はなぜこんなに野球が好きになったとお考えですか?

 ホワイティング 一つには、宮本武蔵と佐々木小次郎というような〔1対1の〕対決の図式があることだと思います。第二点は日本人にとって初めての団体スポーツだった。その前は剣道とか……。

 玉木 一対一の個人競技ですよね。

 ホワイティング 本来は非常に集団主義に向いている国なのにね。それに、理屈ということでは、日本では野球の楽しみの半分は筋を読むことになっている。ボクシングなら試合が終わったら、すべてが終わるのに、野球は次の日の朝、新聞を読んでまた楽しむんです。

 中沢 なるほど。集団と個人ということでいえば、日本は世界的に見ても内乱〔内戦〕というか、シビル・ウォー〔‘civil war’=内戦〕が早く終わった国なんです。十六世紀にだいたい終わっちゃったから集団戦法というのが発達しきらなかった。集団戦という新しい戦争の思想が成熟しなかったわけです。そうしたときに、戦いということでは武蔵と小次郎という一種のフィクションが作り上げられた。

 玉木 それはおもしろい。戦いということを考えたときに、イビツだという気がしますね。たとえば川上哲治という男がいるでしょう〔注:悪意を感じる表現〕。彼はさかんに武蔵を語るわけです。武蔵ほど勝手な個人主義者はいないですよ。それなら川上さんも個人主義に徹するかというと、なぜか〈チームの和〉を強調する。おかしいのは、武蔵も晩年になって精神的なことをいってるんですね。心と心の対話だとか。そういう虚像を作るのは日本人は非常にうまい(笑)。

 中沢 集団と個人的なヒーローのバランスを、実際の戦いやスポーツの中でどう作るかということは大きなテーマだった。結局は、あまり個人が浮き立つようなヒー口ーはまずいわけですよ。

「現代」(講談社)1988年10月号2
【『現代』1988年10月号より】
 「1対1の勝負説」は、この時の中沢新一氏とロバート・ホワイティング氏の発言に、玉木正之氏がインスパイアされ、拡張・増幅したものなのである。

 それにしても、玉木正之氏の「それはおもしろい」という発言には引っかかる。つまり、玉木氏が日本のスポーツ史やスポーツ文化について考察する時、学問的実証・検証に堪(た)えうる理論ではなく、「おもしろい」話かどうかが基準なのである。

 虫明亜呂無の「野球=ドラマ説」しかり、中沢新一氏の「1対1の勝負説」しかり、大胆な憶測仮説としては「おもしろい」のかもしれない。中沢氏も、虫明亜呂無と同じく、実証主義的というよりは、感覚的な「知」の面白さに訴えかける人である。

 しかし、その「おもしろ」さから来るところとは、日本は、なかんずく日本のスポーツは「世界」と比べて、こんなにユニークで不思議で、なおかつ後進的な国なんですよ……という、玉木正之氏の決め付けなのである。

「明治10年のベースボール」とは?
 玉木正之が折に触れて繰り返し吹聴している「1対1の勝負説」であるが、ハッキリ言って間違っている。明治時代初期、日本に野球が伝わった当時のルールは、現在のそれとは大きく異なっていたからだ。したがって、投手と打者のやりとりを「1対1の対決」とは見なしがたいのである。

 2017年に日本の野球殿堂入りした人物に、鈴木美嶺(すずき・みれい)という野球記者がいる(玉木氏は当然知っているはずだ)。野球のルールに精通し、この方面で多大な業績を残した。
 鈴木美嶺は、野球専門誌『ベースボールマガジン』で「ルール千一夜」という野球ルールにまつわる連載コラムを執筆していた。その1980年3月号に「1877年のストライクとボール」という記事がある。その勘所を引用すると……。
 1877年〔明治10〕の〔野球〕ルール第5条第5項はこうなっている。

 ――打席についたバッツマン(打者)は〈ハイボール〉〈ローボール〉あるいは〈フェアボール〉のいずれかをコールしなければならない。審判員は投手に対して〈どの球〉を投げるか指示しなければならない。そのようなコールは第1球が投げられた後は変更できない――

鈴木美嶺「1877年のストライクとボール」より
 ……「高め」(ハイボール)、「低め」(ローボール)、あるいはその両方(フェアボール)、打者は自分の打ちやすいストライクゾーンを指定して投手に球を投げさせることができた。(下のイラスト参照)

「ベースボールマガジン」1980年3月号
【『ベースボールマガジン』1980年3月号より】

 つづいて現在のフォアボール=四球に相当するルールを紹介すると……。
 ――ホームベースの上に投げられなかったり、打者が要求した高さにこなかった投球は、すべてアンフェア・ボールとみなされる。この投球が3回行われたら審判員はボールを宣告し、スリー・ボールズになったときに、ストライカー(打者)は一塁が与えられる――

 この条文は……今日の〈四球〉にあたるものである。〈九球〉で一塁に歩くのだから一見、投手に有利なように思えるが、本当はその反対で打者にできるだけ打たせるように考えた末のルールなのである。

鈴木美嶺「1877年のストライクとボール」より
 ……さらに「投手に関するルールは,かなり厳しいものがあ」り(同記事)、投手の技量力量が打者を打ち取る余地という要素はほとんどなかった(例えば,投げ方は下手投げに限定されている)。投手は、打者が打ちやすいボールをひたすら投げ続けないといけなかった。

 これでは野球における投手と打者のやり取りを、「1対1の対決」であるとはとても言い難い。野球とは投手が球(ボール)を打者に打たせるスポーツだった。これが日本で野球が紹介された、日本に野球が普及した時代のルールなのである。

 故意か、はたまた無知によるものか(まさか!?)、玉木正之氏は現在の野球と当時の野球のルールの根本的な違いを無視している。

 玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違っているである。

正岡子規がプレーした野球のルールとは?
 NHKが2009~2011年にかけて放送したテレビドラマ『坂の上の雲』に、明治18年(1885)頃のこととして、物語の主人公の1人である正岡子規が、野球(当時の呼称はベースボールか)の試合をやるシーンがある。

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部 DVD BOX
本木雅弘
ポニーキャニオン
2010-03-15




 劇中、香川照之が演じる正岡子規はバットを持ち、バッターボックスに立って「ハイボールじゃ!」と叫ぶ。審判は投手に「ハイボール!」と宣告。投手は下手投げで子規に向かってボールを投げた。

 これこそ、鈴木美嶺が説明していた、打者はハイボールか、ローボールか、コースを指定でき、投手はボールを下から投げなければならない、野球ルールであるii。テレビドラマ『坂の上の雲』の正岡子規による野球シーンは、まさにそれを再現してみせたのである。

 ところで玉木正之氏は、2011年までNHKの番組審議委員を務めていた。なのに当ブログが知る限り(インターネットでしつこく検索をかけた限り)、テレビドラマ『坂の上の雲』での正岡子規の野球シーンに言及したところは見たことがない。ダンマリを決め込んでいる。

 玉木正之氏にとっては、この場面は都合が悪いからである。

 その一方で、玉木正之氏は同じNHKの歴史教養番組『その時歴史が動いた』(2000~2009年)での大化の改新の、例の「打毱」(打毬)のシーンには、あれは違う! 間違いだ! スティックを鞠を打つ球技だ! ……とイチャモン(言いがかり)を付けている。
12月16日(木)つづき
ホテルでNHK『その時歴史は〔ママ〕動いた 大化の改新』を見る。首謀者が中大兄と鎌足ではなく皇極女帝と軽王子が後ろで糸を…というのは面白かったけど、中大兄と鎌足が「蹴鞠」で密談という「俗説」をそのまま紹介したのは残念。蹴鞠は平安以降で、当時は「鞠打」(まりうち・ぎっちょう・くゆるまり)と呼ばれる球戯。2組に分かれたチームが互いに足や棒を使ってボールを運び、ゴールを目指し合ったもので、いわば日本フットボールの草分け。こういう球戯が古代日本にあったのに、それを蹴鞠と誤解してしまうから、日本のサッカーは「ゴールを狙う意志」が薄く、蹴鞠のようにパス回しだけに終わってしまうのでは?〔略…〕正月のNHK特番ドラマ『大化の改新』ではどうなんやろ?


タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2004年12月より
【玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2004年12月」】
 まったく、この辺はご都合主義としか言いようがない。

クリケットと野球
 玉木正之氏の「1対1の勝負説」には、もうひとつ致命的な欠陥がある。玉木正之「日本で野球が人気なのはなぜ?」をはじめとして、なぜ日本ではサッカーより野球の人気が出たのか……という議論には、なぜ野球とフットボール(サッカー,ラグビー)の外見的な特徴の違いを取り上げたものが多い。

 しかし、なぜ、「クリケット」ではなく野球だったのか……という考察と説明が、まったく欠落している。クリケットと野球は、1人の投手が投げたボールを、1人の打者がバットで打つ、同族の球技「バット・アンド・ボール・ゲーム」である(フットボール系の球技に対してこう呼ぶ)。

クリケット
【クリケット】

野球
【野球】

 クリケットも、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた。そして、投手vs打者による1対1の対決というゲームの性格は、19世紀の旧式ルールの野球(先述)よりもクリケットの方がより顕著である。玉木氏の持説「1対1の勝負説」に忠実ならば、野球よりもクリケットの人気が出ていなければおかしい。

 つまり、「1対1の勝負説」では、野球とクリケットとの比較を欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木氏はしていない。

 これらの疑問の数々に、玉木正之説は堪(こた)えられない。とどのつまり玉木氏の「1対1の勝負説」は間違っているのである。

 ついでながら、戦国時代の長篠の戦い(1575年=天正3)で、織田信長が「3組に分かれた鉄砲隊〔1000丁×3組=3000丁の鉄砲隊〕が順々に入れ替わって火縄銃を撃った」という俗説。最近の歴史研究では否定する人が多い。この辺は、鈴木眞哉氏の『鉄砲と日本人』などの著作を参考にしていただければと思う。

 玉木説は、思い込みと俗説によるいかがわしい産物である。

日本人はチームプレイ=団体闘争が苦手?
 玉木正之氏は、「1対1の勝負説」に代表されるように日本の「歴史的・文化的背景」が、日本においてサッカーやラグビーよりも野球の人気が突出した理由だとしている。同時に、玉木氏は、その「歴史的・文化的背景」による「野球の普及は、無自覚的に、日本のスポーツ界全体に悪影響を及ぼした」などと述べている。

 当ブログは、日本のスポーツ界に一切合切「歪み」がないと言いたいのではない。それはあるだろう。

 しかし、これまで論じてきたように、玉木正之氏の「1対1の勝負説」は徹頭徹尾間違っている。その間違った文化的本質主義から、日本のスポーツの「歪み」を批判しても、かえって「歪み」が増すだけだ。

 実際、玉木氏と元ラグビー日本代表・故平尾誠二氏との馴れ合い関係が、一度は日本ラグビーを奈落の底に叩き落したのである(下記ツイッターのリンク先を参照)。


 どうしたって玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違っているのである……。

 ……と、話はここで終わっていいのである。が、日本人は元来チームプレー・団体戦が苦手だと事あるごとに附会(ふかい)してきた玉木正之氏を見ていると、「日本人アスリートは〈団体闘争〉が苦手」と論じているサッカーの河内一馬氏を思い出してしまう。




 当ブログ「玉木正之氏〈日本で野球が人気なのはなぜ?〉に反論する」シリーズの総括と合わせて、河内氏と玉木氏の奇妙な共通項にも触れるために、もう1回だけ同じテーマで続けたいと思う。




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日本人に合っているのはサッカーではなく野球である!?
 スポーツライター・玉木正之氏のWEB連載「スポーツって、なんだ?」。その第15回で、玉木氏は「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、香ばしいネタをブッ込んできた。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)



 要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた。しかし、サッカーは適していない。サッカー日本代表が弱い(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、そのせいだ……ということが言いたいのである。

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【玉木正之氏】

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心・配・御・無・用! 玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に反駁できる。

玉木正之氏の持説「野球=ドラマ論」
 玉木正之氏の「日本で野球が人気なのはなぜ?」という問いには、常に奇妙な「疑似回答」がついて回る。それは次のようなものだ。
 ではなぜ日本では、多くのスポーツ(ボールゲーム)のなかで、野球(ベースボール)だけが突出した人気を博したのか?〔中略〕

 本連載〔玉木正之の「スポーツって、なんだ?」〕をお読みの読者は気づかれたかとも思うが、野球のように試合中の中断〔間=ま〕の多い球技は、その時間を利用して観客がさまざまな「ドラマ」を思い浮かべることができる。

 だから少々野球のルールがわからなくても、苦しんでいると思われる投手に「がんばれ!」と声援を送ったり、チャンスだと思える打者に「それいけ!」と励ましたりすることができる。

 つまりベースボール〔野球〕のような、アメリカ型のドラマ性の高い〔中断の多い=間の多い〕球技は、競技のルールや選手の技術、試合の戦略や戦術などを知らない人々〔日本人?〕にとっても、とっつきやすいスポーツと言えるのだ。〔以下略〕

 野球以外の他のスポーツ、例えば、サッカーやラグビーなどは純粋に「スポーツ」だが、中断(間=ま)の多い野球というスポーツは、その中に「ドラマ」を見出せる。

 玉木正之氏に言わせると、日本人はスポーツの本質を理解できない国民ないし民族らしい。日本人は「スポーツ」ではなく「ドラマ」を好む。だから、日本人の間では、サッカーやラグビーといった「スポーツ」よりも、「ドラマ」として楽しめる野球の人気が出た……という論法を、玉木氏は唱えている。

 これまた「玉木正之スポーツ学」(学?)の根本をなすもので、玉木氏の実にざまざまな著作でお目にかかれる。それにしても、こんな奇々怪々な持説「野球=ドラマ論」は、いったいどこから来たのだろうか?

「野球=ドラマ論」の淵源
 1999年刊、著者・玉木正之氏が「25年間のスポーツライター人生の総決算」「スポーツ後進国・日本への直言!」と銘打った『スポーツとは何か』という本には、アメリカ合衆国とヨーロッパのスポーツ文化を比較した、次のような(これも不思議な)「野球=ドラマ論」が載っている。
 〔野球に〕これほど「間」〔ま〕が多いのは、アメリカが〈演劇の文化的基盤がない国〉だったから、という指摘がある。開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった。演劇を楽しまなかった分、その役割を広場でプレイされるボールゲームに求めた。観客は、プレイがとぎれる「間」のうちに、プレイヤーが何を考えているのか、次は何をしようとしているのか、といったことを想像し、頭の中でドラマを楽しんだ。

 一方、ヨーロッパでは、シェークスピアやモリエール以来の演劇、モーツァルトやロッシーニ以来のオペラが、大衆に楽しまれていた。そこで、ドラマや演劇やオペラにまかせ、スポーツでは、「間」がなく、終始動きつづけるプレイが好まれるようになった。

玉木正之『スポーツとは何か』34頁

 引用文中の部分には後注があり、その出典は《玉木正之・編/虫明亜呂無『時さえ忘れて』(「芝生の上のレモン」ちくま文庫)》(同書195頁)とある。

 どうやら「野球=ドラマ説」の淵源は、虫明亜呂無(むしあけ・あろむ,1923~1991)らしいのである。

そもそも虫明亜呂無とは「誰」なのか?
 それでは、虫明亜呂無は「芝生の上のレモン」で何を語っているのだろうか?
 アメリカ〔合衆国〕ではサッカーも、ラグビーもさかんではない。

 さかんなのは、アメリカン・フットボール、野球、そしてゴルフ。

 いずれもゲームの合間合間に時間を必要とするスポーツである。合間はスポーツをスポーツとしてたのしませるよりも、むしろ、ドラマとしてたのしませる傾向に人を持ってゆく。合間の、間のとりかたに、選手はいろんなことを考える。彼の日常の倫理がすべて投入される。間をいれることで、ゲームはクライマックスにちかづいていく。観客はそれをたのしむ。実際、無造作にポン、ポン、ポンと投手が投げて、打者がバッティング・マシンのように、そのボールを打ちかえしていたのでは、およそ、つまらない野球になってしまうであろう。

 反面、間の取りかたに、不必要な思いいれが入ってくる余地をのこしている。プロのように、見せることが第一条件のスポーツでは、その傾向が特に強調される。スポーツとしての要素よりも、芝居としての要素がどうしても強く要望されるわけである。

 野球やアメリカン・フットボールは芝居の伝統のない国〔アメリカ合衆国〕が作った。土や芝居のうえの、脚本も背景も、ストーリーも必要としない単純な芝居ではないだろうか。演劇の文化的基盤のない国〔アメリカ合衆国〕、それがプロ野球を楽しむ。スポーツとしてではなく、ドラマとしての野球を。それも素人の三流芝居を。

 日本のプロ野球も、この傾向を追っている。〔以下略〕

虫明亜呂無「芝生の上のレモン」@『時さえ忘れて』162~163頁

 「開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった」といった細かい事情や、シェークスピアだのモーツァルトだのといった具体名は、玉木正之氏による話の増幅のようである。それでは、虫明亜呂無とは何者なのか?
虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)
 1923年(大正12)、東京生まれ。文芸批評、映画、スポーツ評論、エッセイなど幅広く活動。小説『シャガールの馬』で1979(昭和54年)の直木賞候補。情感のある独得の文体で知られる。著書に『スポーツ人間学』『私の競馬教室』『スポーツへの誘惑』『クラナッハの絵』『ロマンチック街道』『時さえ忘れて』など。また記録映画『札幌オリンピック』のシナリオも担当した。1991(平成3年)、死去。

虫明亜呂無(肖像)
【虫明亜呂無】
 さまざまな分野で健筆をふるってきた人であるが、特に、いわゆる「スポーツライター」の走りであるということ、「情感のある独得の文体」だったことを、まずは押さえておきたい。

 1983年に病に倒れた後、ずっと闘病生活にあったので、実際に活動していた時期はずっと短い。虫明亜呂無は、同時代には非常に著名であるが、世代によっては馴染みの薄い人物かもしれない。

 玉木正之氏は虫明亜呂無に深く私淑している。亡くなった1991年に、彼のスポーツライティングを蒐集した『虫明亜呂無の本』全3巻を編集、筑摩書房からで刊行している。


 21世紀の今日、私たちが、虫明亜呂無のスポーツライティングを、まとまった形で比較的簡単に読めるのは、玉木正之氏の功績である。公平を期すために、この点はアピールしておきたい。

 スポーツライターとしての玉木正之氏の思想・人格は、虫明亜呂無や蓮實重彦(草野進名義を含む)、あるいは鈴木武樹といった人たちの影響を受けて形成されている。

虫明亜呂無&玉木正之説(野球=ドラマ説)への素朴な疑問
 それにしても、「野球=ドラマ説」とは、ずいぶんと安易な論理の飛躍としか思えない。虫明亜呂無と玉木正之氏の所説には、素朴な疑問がいくらでも出てくる。

[競技の分かりやすさ] 玉木正之氏は「ベースボール〔野球〕のような、アメリカ型のドラマ性の高い〔中断の多い=間の多い〕球技は、競技のルールや選手の技術、試合の戦略や戦術などを知らない人々〔日本人?〕にとっても、とっつきやすいスポーツと言える」などと断定する。が……。

 ……しかし、実際には、野球よりサッカー(フットボール系の球技)の方が、細かいルールや試合の戦術など分からなくても楽しめる競技ではないか。

 お気に入りのチームが、敵陣のゴールに迫れば脈拍が上がり、ゴールすれば歓喜する。自陣のゴール近くまで攻め込まれれば悲鳴を上げ、ゴールされれば落胆する。その簡潔な面白さを、ふだんはJリーグにも欧州サッカーにも関心のない日本国民も、2018年のロシアW杯で存分に味わったはずだ。

 一方、野球は、投手が投げる球を打者が売ったら、「なぜ」打者側から見て右に走らなければならないのか? 打者が球を遠くに飛ばしても、一度は地面につかないと「なぜ」駄目なのか? ……等々、野球はそこから覚えなければならない。

 野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた……という前提で逆算して論じるから、どこかで話が破綻する。むろん、日本人の「歴史的・文化的背景」に適していたから、日本で野球の人気がサッカーやラグビーより人気が出たというのは、間違いである。

 当ブログは、野球とサッカーの「面白さ」の優劣を論じているのではない。そんなものは存在しない。野球にせよ、サッカーにせよ、それぞれの競技の面白さは、それぞれ固有のものである。だから、両者を比べることはできない。

[演劇文化とクリケット] 欧州にはシェークスピアを筆頭に演劇の文化が確立しているから、野球(やアメフト)のような中断=「間」(ま)の多いスポーツは人気が出ない。一方、米国は「演劇の文化的基盤がない国」なので、野球(やアメフト)のような中断=「間」の多いスポーツに人気が出る……というのが「野球=ドラマ説」である。

 しかし、その偉大な劇作家シェークスピアの国=英国で(さらに英連邦諸国で)、「クリケット」という、野球と同類である「バット・アンド・ボール・ゲーム」(フットボール系の球技などに対して,このように呼称する)の人気があるのは、なぜだろうか? クリケットはフットボール(サッカー,ラグビー)と並ぶ、英国の「国技」である。

クリケット
【クリケット】

野球
【野球】

 こうした事実の見落としだけでも「野球=ドラマ説」は、たやすく壊れてしまう。この手の事実誤認が多い玉木正之氏はともかく(笑)、虫明亜呂無がこんな簡単なことを忘却するのは、相当な失策ではないだろうか。

 たいていの「日本で野球が人気なのはなぜ?」という問いの疑似回答は、「だから,サッカーではなく野球だったのだ」という理屈が圧倒的に多い。しかし、なぜ「クリケットではなく,野球だったのか」という説明が足りない。明治初期、クリケットも西洋から日本に紹介されているのであり、「野球=ドラマ説」は論理的欠陥を抱えている。

 ついでながら、ブロードウェーの舞台演劇(ミュージカルなど)、ハリウッドの映画やテレビドラマなど、世界的なコンテンツ産業を抱えるアメリカ合衆国が、「演劇の文化的基盤がない国」だとは、素人にはとても思えないのだが。

虫明亜呂無説は学問的検証に堪えられるのか?
 「野球やアメリカン・フットボールは芝居の伝統のない国〔アメリカ合衆国〕が作った。土や芝居のうえの、脚本も背景も、ストーリーも必要としない単純な芝居ではないだろうか」……と、虫明亜呂無は事も無げに述べるが、その根拠はいったい何だろうか?

 だいたい、特定の国に「演劇の伝統,文化的基盤」があるだの、ないだの、どうやって証明(統計? 数値化?)するのか? そんなものがあったとして(あるのか?)、その国のスポーツ文化とどう関係があるのか? そんなことが本当に証明できるのだろうか?

 虫明亜呂無をして「情感のある独得の文体」と解説した。俗っぽく言えば、虫明亜呂無は他のスポーツライター、スポーツ評論家と比べても非常に「文学的」である。その「文学性」、背後にある思考・思想は「学問的」な吟味とは、相性がよくない。

 井上章一氏(評論家.文化史,建築史,意匠論)は、著書『阪神タイガースの正体』で、虫明亜呂無が少年時代に観戦した、戦前の日本プロ野球(職業野球)の回顧録(?)を引用しつつ、次のような感想を書いている。
 「球場には頽廃〔たいはい〕と淪落〔りんらく〕の風情がたちこめていた。だから、僕〔虫明亜呂無〕は職業野球にひかれた……子供心に、職業野球が好きなようでは、自分はいつか世の中から遠ざけられ、拒まれていくだろうと思った」

〔虫明亜呂無「忘れじの〈巨-神戦〉名場面あれこれ」@『現代』1974年8月号〕


 一種の反俗的な陋巷〔ろうこう〕趣味というべきか。世の中から逸脱したデカダンスな芳香にひきよせられる。それで自分も堕落していくだろうという予想に、ナルシズムを抱いている。〔虫明亜呂無は〕ずいぶんませた少年ではあった。

 もちろん、こういう文章を、社会史的な資料〔史料〕としてあつかうことには、問題があろう。頽廃の美を初期プロ野球に仮託して語りたい。そんな作文上の要請で、プロ〔野球〕の一面が誇張されている。また、早熟な少年〔虫明亜呂無〕の幻想が投影された部分も、ないとは言えないからである。

井上章一『阪神タイガースの正体』206頁

阪神タイガースの正体
井上 章一
太田出版
2001-03


阪神タイガースの正体 (朝日文庫)
井上章一
朝日新聞出版
2017-02-06


 井上氏は、虫明のスタンスに留保をつけているが、そのことを傍証する「実例」がある。

 近年、1936年(昭和11)のプロ野球日本一決定戦「巨人vs阪神」の試合の映像が発見され、幻の大投手・沢村栄治が投げる動画が見つかった! ……と、大変な話題になった。この試合の映像を見ると、小さい野球場(今は亡い洲崎球場)だが、観客はかなり入っているし、試合後(興奮のあまり?)観客が座布団を投げるシーンまである。

【洲崎球場 昭和11年12月11日「東京ジャイアンツvs大阪タイガースの優勝決定戦」繁岡ケンイチ】
 これを見る限り、当時のプロ野球が、一面的に「球場には頽廃〔たいはい〕と淪落〔りんらく〕の風情がたちこめていた」とも言い難い。つまり、虫明亜呂無の回顧談は、一種の「文学」であり、創作であって、「こういう文章を、社会史的な資料〔史料〕としてあつかうことには、問題があ」るのではないだろうか。

玉木正之氏の源流=虫明亜呂無こそ批判するべし
 虫明亜呂無を批判する人は、なかなかいない。粋人(すいじん)なのは確かだから、下手に批判すると、虫明を批判した側が「無粋」呼ばわりされかねないからである。玉木正之氏を揶揄(やゆ)したことがある藤島大氏も、その源流に位置する虫明亜呂無に関しては称揚している。

 しかし、虫明亜呂無と玉木正之氏は「師弟」関係にある。エピゴーネンは「師匠筋」の良いところを鵜呑(うの)みにし、悪いこところを拡大するのが常であるから、玉木正之氏の持説を批判しようと思ったら、虫明亜呂無を分析・批判しなければならない。

 虫明亜呂無は「情感のある独得の文体」がやはり問題であって、「文学的」な、余りにも「文学的」な文体や思想は、これをもってスポーツ社会学・スポーツ人類学などの「学説」とするには、少なからず危険である。

 同様、虫明亜呂無が唱え、玉木正之氏が継承・拡大した「野球=ドラマ説」は、あくまで両者の「文学的」感性から生じた説であり、これまた非常に危うい説である。「野球=ドラマ説」に基づいた「だから日本人はサッカーより野球が好き」という思想も間違っている。

 要するに、玉木正之説は間違っている。




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サッカーは日本人の「歴史的・文化的背景」に適していない!?
 明治11年(1878)創業の名門出版社・春陽堂書店の連載、玉木正之氏の「スポーツって、なんだ?」。その第15回で、玉木氏は「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、強烈にして香ばしいネタをブッ込んできた……。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)



 ……要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた。しかし、サッカーは適していない。サッカー日本代表が「世界」に勝てない(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、そのせいだ……ということが言いたいのである。

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【玉木正之氏】

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心配ご無用。玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に反駁できる。

日本人は数字や記録が好き,だから野球が好き!?
 「日本で野球が人気なのはなぜ?」という問いは、いわば「玉木正之真理教」の「根本教義」というべきものだ……。
 ではなぜ日本では、多くのスポーツ(ボールゲーム)のなかで、野球(ベースボール)だけが突出した人気を博したのか?

 その理由については、昔から多くの人々が多くの意見を述べている。〔…〕日本人は数字が好きで、打率、本塁打数、打点、勝利数、敗戦数、防御率……など、多くの数字が並ぶ球技が理解しやすかったから……。

 ……だからこそ当ブログは、読者=スポーツファン・サッカーファン・野球ファンを、その洗脳(マインドコントロール)から解かなけれなならない。

日本人だけが野球の数字や記録を好む訳ではない
 なるほど、野球は数字と記録のスポーツである。しかし、これは、何も日本の野球だけの現象ではない。野球の母国であるところのアメリカ合衆国でもそうである。
 コーヒー、トースト、ボックス・スコア。

 アメリカ人の朝は、簡素な食事と、昨夜のベースボール〔野球〕の結果を、数字と名前だけで再現したボックス・スコアで幕を開ける。〔略〕アメリカ人にとっては、そのはその中身を吟味することが重要な儀式の一つなのだ。

 ボックス・スコアはベースボール〔野球〕のDNAである。〔略〕たとえ百年前のゲームであっても、数字と名前さえ読み込めれば、たやすくそのときのゲームを思い描くことができる。

生島淳「G/A法ビデオ分析のススメ」@『ラグビー黒書』104頁

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


 さて、例えば……。「目の前のプレーそのものよりも,記録に残された,あるいは書き残されたものがもつ,もうひとつの野球の魅力」に深くこだわり、山口高志やサチェル・ペイジといった野球選手たちを洞察した野球エッセイが、芥川賞作家・吉目木晴彦氏の『魔球の伝説』である。

魔球の伝説 (講談社文庫)
吉目木 晴彦
講談社
1994-02


 あるいは……。米国野球界には「アメリカ大リーグから,なぜ〈四割打者〉は絶滅したのか?」という難問がある。これを進化論の理論とのアナロジーで大胆に論じた、アメリカ人の熱烈な野球ファンにして、生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドの『フルハウス 生命の全容』の仮説。

 これは、1世紀以上にわたる大リーグの試合の記録の詳細な蓄積があったからこそ、立論できたのだ。

 このような著作は、野球というスポーツだから可能なのである。おそらくサッカーから出ないのではないか……?

玉木正之氏,サイモン・クーパーに喝破される!?
 本当に、記録や数字、統計(スタッツ)にこだわったサッカーの楽しみ方は、ありえないのだろうか? そんなことが全くないことを、英国人のサッカージャーナリスト、サイモン・クーパーがあっさり書いている。
 サッカーへの愛情は数字への愛情とけっこうからみ合っている。試合結果があり、歴史に残る日付がある。日曜日のパブの椅子に腰かけて新聞にある順位表を「読む」時間には、格別な喜びがある。

サイモン・クーパー『「ジャパン」はなぜ負けるのか』13頁

 最近は「新聞」が「スマホ」のインターネット情報やSNSに置き換えられつつあるのかもしれないが、基本は変わらない。

後藤健生氏も,林信次氏も…
 サッカーに関するさまざまな歴史や記録などを扱っている国際組織として国際サッカー歴史記録学会または国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)という組織がある。つまり「サッカーへの愛情」と「数字への愛情」の「からみ合」いは、世界的なものだ。日本人のサッカージャーナリストでは、後藤健生氏がIFFHSの会員である。

 後藤氏は、1980年代後半から1990年代初めにかけて『サッカースタッツ』という小冊子を毎月発行していた。あの時代に、アジア・オセアニア中心(!)の、何ともマニアックなサッカーの試合の結果と統計(記録)が、1枚の写真も、1点のイラストレーションも掲載されず、ただ、ひたすら並ぶ。

 何も分からない人には、ただの数字と記録の羅列にしか見えない。しかし、読む人が読むと、非常に面白い。想像力がかき立てられ、サッカー観がより豊かになるのである。

 ちなみに先の引用文で生島淳氏が紹介している。「G/A法」とは、ラグビー王国ニュージーランドで、代表チームなどが選手選考に用いる、ラグビーフットボールの試合・プレーの数値化・分析の方法である。米国のみならず、英国系フットボールにも、数字や記録による「楽しみ方」は存在する。 

 あるいは……。モータースポーツジャーナリストの林信次氏氏が、1981年に『F1 GRAND PRIX 1950-1980』(副題:ワールド・ドライバーズ・チャンピオンシップ全342戦完全記録)を上梓した。自費出版であったという。

林信次『F1 GRAND PRIX 1950-1980』表紙
【林信次『F1 GRAND PRIX 1950-1980』表紙】

 この本は、古書市場にもなかなか出回っていないが、いろいろ凄い伝説がある。長らくモータースポーツの有力スポンサーだった、マールボロ(煙草)が編集したF1グランプリの記録本よりも、さらに精確で詳しい……とか。

 この本もまた、F1グランプリのレースの結果と統計(記録)が、1枚の写真も、1点のイラストレーションも掲載されず、ただ、ひたすら並ぶ。

 何も分からない人には、ただの数字と記録の羅列にしか見えない。しかし、『モデルカーズ』誌の元編集長・平野克己(ひらの・かつみ)氏のような、読む人が読むと、非常に面白い。

平野克己(初代『モデルカーズ』誌編集長)
【平野克己氏】

 想像力がかき立てられ、モータースポーツ観がより豊かになるのである。

スポーツとは数字である,記録であるが…
 いわゆる近代スポーツは、数字や記録とは切っても切り離せない。これは、野球であろうが、サッカーであろうが、変わらない。

 また、「日本人」だけが、スポーツで殊更(ことさら)に数字や記録を偏愛するわけではない。

 すなわち、ここでも玉木正之説は、嘘である。間違いである。デタラメである。




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玉木正之真理教の根本教義「日本で野球が人気なのはなぜ?」
 明治11年(1878)創業の名門出版社・春陽堂書店が、玉木正之氏を起用した「スポーツって、なんだ?」という連載をやっている。しかし、各回のコンテンツそのものは、これまでサンザンパラパラやってきた話なので、長年の玉木正之ウォッチャーには、新鮮味や面白味に欠ける。ハッキリ言って物足りない。

玉木正之「スポーツってなんだ?_#3」春陽堂書店
【玉木正之の「スポーツって、なんだ?」より】

 ところが、ここへ来て、玉木氏は「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、強烈にして香ばしいネタをブッ込んできた……。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)



 ……これなどは「玉木正之スポーツジャーナリズム」の、別名「玉木正之真理教」の「根本教義」というべきものだ。だからこそ当ブログは、読者=スポーツファンを、その洗脳(マインドコントロール)から解かなけれなならない。

結論ありきの玉木正之説の致命的欠陥
 詳しくはリンク先をじっくり読んでいただくとして、要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に合っていた。しかし、サッカーは合っていない。サッカー日本代表が「世界」に勝てない(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、全部そのせいだ……ということが言いたいのである。

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心配ご無用。玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に反駁できる。
欧米から日本にスポーツが伝播したのは明治時代初期。文明開化の明治4~10年〔1871~77〕頃に、西洋のさまざまなスポーツが伝わってきたといわれている。

 1883(明治16)年には、東京大学の「お雇い教師」だったF・W・ストレンジが『アウトドア・ゲームズ』という小冊子を出版し、さまざまなスポーツが紹介された。〔…〕サッカーも、ラグビーも、ホッケーも、ベースボール〔野球〕も、クリケットも、それらの球技の祖先とされるラウンダーズと呼ばれる球戯〔球技〕も、ゴルフも、テニスも、バドミントンも……と、多くのスポーツが知られるようになっていった。

 ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩〔なだ〕れ込んできたが、庶民のあいだで瞬く間に圧倒的な人気を獲得したのが、ベースボール〔野球〕だ。

 まず、明治初期に「ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩れ込んできた」という前提が間違い。その上で「歴史的・文化的背景」から、日本の「庶民のあいだで瞬く間に圧倒的な人気を獲得したのが、ベースボール〔野球〕だ」ったという結論も間違い。

 明治5年頃(1872)、現在の東京大学に当たる学校で米国人教師ホーレス・ウィルソンが生徒に野球を伝えた。また、明治6年頃(1873)、海軍兵学校の前身・海軍兵学寮で英国海軍のアーチボルド・L・ダグラス少佐(中佐とも)と将兵が生徒にサッカーを伝えた。1~2年の誤差は措(お)くとしても、日本で人気が出たのはサッカーではなく野球の方だった……。

 ……と、玉木正之氏は言いたいのであるが、これも間違い。なぜなら、各競技または各球技で「日本への紹介のされ方」には時間差や温度差があるからだ。

 お雇い外国人教師によるスポーツの紹介は、一過性のものでしかない。例えば、お雇い外国人教師たちに任期が来て、母国へ帰ってしまったら、どうするのだろうか?

 お雇い外国人教師個人が持参した球技スポーツの道具=ボール(やバット)だけで、普及させるだけの数は足りたのだろうか? そのボール(やバット)などが破れたり(折れたり)したら、どうするのだろうか? 英国や米国から、金と時間をかけてでも取り寄せたのだろうか? あるいは日本で代用品が作られたのだろうか?

 仮に、日本人をモノの見方・考え方を未来永劫にわたって拘束する「本質」的な「歴史的・文化的背景」があったとして(そんなものなど存在しないのだが)、それが野球というスポーツの「本質」に合致するとしても(そんなことなどあり得ないが)、お雇い外国人教師が早々と帰国したり、道具が調達できなければ、何にもならない。

池井優氏の著作から読む明治初期ニッポン野球事情。
 野球評論家でも有名な政治学者・池井優氏(いけい・まさる,慶應義塾大学教授,外交史ほか)の『白球太平洋を渡る』には、東大のウィルソンとほぼ同時期に、開拓使仮学校(北海道大学の前身)に野球を伝えたベーツという米国人教師の事情を紹介している。
 明治6年(1873)頃、まだ東京にあった開拓使仮学校に、アルバート・G・ベーツという米国人の英語教師がやってきた。彼は、1本のバットと3個のボールも持参してきた。生徒たちを2チームに分け、野球の試合をさせたが、選手の生徒たちは、ルールや技術の要点をなかなか理解できず、ベーツは苦心した。

 幸いにも、米国に留学していた開拓使仮学校の生徒3人が帰国して、彼らの指導によって野球の試合も少しは様になるようになった。そのうち、ボール2個が破損してしまった。代用品のボールは日本の靴工場で、バットは棒屋で作らせたが、出来ばえは不完全だった。だから、実際に野球の試合をするには苦心した。

 やがてベーツが注文した野球道具が届き、生徒たちの士気も上がった。しかし、ベーツは来日2年足らずで急死してしまい。生徒たちの野球熱も消えてしまった。

池井優『白球太平洋を渡る』5~8頁より大意

 野球が日本人の「歴史的・文化的背景」に適しているのなら、日本人の生徒たちは、すぐにでも野球に飛びつきそうであるが、決してそうではなかったのである。ブラジルにおいてすら、サッカーが初めて紹介された時は「木の杭の間(ゴール)に球を蹴り込んで何が面白いのか?」という反応があったくらいなのである。

スポーツが定着するセオリーとは?
 野球にしろ、サッカーにしろ、ラグビーにしろ、特にボールを使って多人数で行う球技スポーツは、試合のルール、選手の技術、チームの戦術、それ以外の不文律……等々、覚えなければ分からないことが沢山ある。それは、単なる〈情報の伝達〉ではなく、むしろ膨大な〈知識体系の啓蒙〉といえる。それには時間も手間隙もかかる。だから……。

 ……まず「道具」が必要である。それから「場所」が必要である。それらを確保したうえで、そのスポーツの普及に熱心な熱心な「個人または集団」によって、繰り返し〈知識体系の啓蒙〉が行われる必要がある。そして、そのスポーツの持つ固有の「面白さ」が一個人・一集団を超えて共有され、拡大される必要がある……。

 ……以上のように、日本クリケット協会会長で神戸市外国語大学教授の山田誠氏(スポーツ学ほか)は、仮説を立てている。
 紀要論文ではあるがi、このセオリーは、山田氏が「現代日本においてクリケットを普及させようとする実践課程から導き出」したものだから、玉木正之氏のような思弁的な俗説よりもずっと説得力がある。

 しこうして、日本における野球普及・啓蒙のセンターとなった「個人または集団」はどこの誰に相当するかというと、明治10年代(1877~1887頃)に活動していた、平岡熈(ひらおか・ひろし)と新橋倶楽部アスレチックスiiに思い当たるのである。

平岡熈と新橋倶楽部アスレチックスの業績を再評価する
 再び、池井優氏の『白球太平洋を渡る』からである。明治4年(1871)、16歳の平岡熈は米国に留学する。在米中、平岡は、鉄道技術者として勉学に励んだ。同時に野球にも傾倒して、米国の野球を吸収するとともに、米国人の野球選手で、スポーツ用品メーカー「スポルディング社」を創設するアルバート・G・スポルディングとも面識を得た。

 明治10年(1877)、平岡熈は、米国留学から日本に帰ってきた。彼は、東京の練兵場などで、ホーレス・ウィルソンから野球を教えられた「東京大学」の生徒たちと野球に興じる。ちなみにウィルソンは明治10年に帰米している。いわば、平岡はウィルソンから日本における野球普及のバトンを受け継いだ形になる。

 翌年、平岡は鉄道技術者として工部省に出仕した。平岡はそこで野球チーム「新橋倶楽部アスレチックス」を結成する。そろいのユニフォームを仕立て、新橋鉄道局構内に「保健場」という専用の野球場も作った。道具やルールブックなどの情報は、米国から「スポルディング社」のA・G・スポルディングが、無償で提供してくれた。

 明治15年(1882)には、新橋倶楽部と駒場農学校(東大農学部の前身)との間で、日本人のチーム同士による初の野球の対外試合が行われた。
 テニスやゴルフは上流階級の一部の人にしか広がらず、サッカーやラグビーは一部の大学や高等学校の学生にしか広がらなかった。一方でベースボール〔野球〕は、明治20~30年代には、北は北海道から南は九州・沖縄まで、さまざまなチームが誕生している。

 ……第一高等学校(現在の東京大学教養学部)、青山学院、明治学院、慶應義塾、早稲田大学、東京高等商業大学〔東京高等商業学校の誤りか?〕(現在の一橋大学)、駒場農学校(現在の東京大学農学部)、工部大学〔工部大学校の誤りか?〕(現在の東京大学工学部)など……

 玉木氏はくだんのコラムでこのように記しているが、これらの学校の野球部創設は、たいてい平岡と新橋倶楽部の活動期間中に当たる。また、正岡子規が、東大予備門(後の第一高等学校)で選手として野球に興じていたのもこの時期である。

野球人・正岡子規
【野球のユニフォームを着用した正岡子規】

 つまり、平岡熈と彼が率いる「新橋倶楽部アスレチックス」は、山田誠氏の仮説でいう、道具や場所の確保、普及・啓蒙のセンターとしての役割りを充分に果たしていたのである。当時、これだけの条件をそろえていたスポーツは野球だけであり、以上が、明治の日本で他のスポーツを圧倒して野球の人気が先行した事情である。

 先に、各競技または各球技で「日本への紹介のされ方」には時間差や温度差がある……と書いたのは、こうした意味においてある。玉木正之氏の文章からは、どうしたわけか、ホーレス・ウィルソンや平岡熈といった名前が出てこない。

 いずれにせよ、日本が野球の国になったのは、玉木氏が論じるように、日本人の「歴史的・文化的背景」の問題ではない。

日本サッカーの直接の起源は東京高師=筑波大学
 先述のように、サッカーも、明治初期にお雇い外国人教師によって伝えられた(ラグビー史研究家・秋山陽一氏が唱えるように,一部ラグビー説もあり)。だが、この系統のサッカーは後が続かず途絶えている。

 現在に伝わる日本サッカー直接の起源、そしてサッカー普及・啓蒙のセンターとなったのは、それより少し遅れて始まった旧制東京高等師範学校(東京高師,現在の筑波大学)の蹴球部である。

 サッカージャーナリスト・後藤健生氏の『サッカー歴史物語』では、そうした認識のもとに、草創期日本サッカーの概史を書いている(余談だが,先の池井優氏に師事して,慶應義塾大学・大学院で政治学を学んだのが後藤健生氏である)。

 この本などを参考に略述すると……。明治18年(1885)、体操伝習所(後に東京高師に吸収される)教授の坪井玄道(つぼい・げんどう)が、『戸外遊戯法』を著(あらわ)し、各種スポーツ競技のひとつとして「フートボール」(この場合はサッカー)を紹介する。

 ただし、日本サッカー協会公式サイトの「歴史・沿革」には、明治11年(1878)に、すでに体操伝習所にサッカーが紹介されていたという情報があり、このあたりハッキリしない。

 明治29年(1896)、東京高師に「フートボール部」結成(後に「蹴球部」と改称)。明治35年(1902年)、坪井玄道が洋行から持ち帰った本を、東京高師の学生・中村覚之助が邦訳し、翌年『アッソシエーション・フットボール』として刊行する。

 明治40年(1907年)には、東京高師と青山師範学校(東京学芸大学の前身)との間で、日本人のチーム同士による初のサッカーの対外試合が行われた。

 ……以上のような感じになる。野球とサッカー、各々の普及・啓蒙のセンターとなった、新橋倶楽部アスレチックスの結成と、東京高師蹴球部の結成で18年の開きがある。また、日本人のチーム同士による初の対外試合の開催では25年の差がある。

 あらためて、各競技または各球技で「日本への紹介のされ方」には時間差や温度差がある……と書いたのは、こうした意味においてある。全国規模で普及していくだけの条件を備えていたのは、野球だけであり、サッカーその他の競技よりも好条件であった。以上が、明治の日本で野球の人気が先行した事情である。

 これは、きわめて偶然的な歴史の展開である。例えば、平岡熈が英国に留学して、現地でサッカーを吸収し、日本に持ち帰ってきたら……。新橋倶楽部は野球ではなくサッカーのクラブとして活動していたかもしれない。すなわち、日本はサッカーの国になっていたはずである。

 いずれにせよ、日本が野球の国になったのは、玉木正之氏が論じるように、日本人の「歴史的・文化的背景」の問題ではない。

日本ラグビーの発展は「グラウンド」の確保から?
 細かい諸説を抜きにすると、日本でラグビーフットボールを始めたのは、明治32年(1999)年の慶應義塾から……ということで定説となっている。

 日本のラグビーの歴史は、野球や、サッカーと比べても、少し後から始まった。玉木正之氏が言うように、明治初期に「ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩れ込んできた」という捉(とら)え方は、やはり間違い。そして、各競技または各球技で「日本への紹介のされ方」には時間差や温度差があるのである。

 日本においてラグビー普及・啓蒙のセンターの役割りを果たしたのも慶應義塾である。その中心にいたのは、慶應義塾教師の英国人エドワード・B・クラークと、銀行家の日本人・田中銀之助である。
 意外なことにE・B・クラークは、横浜の外国人居留地ではあるが、日本生まれの日本育ちだった。日本で慶應義塾その他の高等教育機関で教鞭をとったが、いわゆる「お雇い外国人教師」ではなかったのである。また、田中銀之助は、てっきり慶應OBかと思っていたら、出身校は学習院だった。

 E・B・クラークと田中銀之助の両者が留学先の英国ケンブリッジ大学で出会い(再会との説あり)、現地でいそしんだラグビーを、クラークの勤務先である日本の慶應義塾に伝えたのである。

 秋山陽一氏のラグビー史研究サイト「日本フットボール考古学会」内の「ラグビー史年表」は、今度は慶應義塾の塾生が、関西の第三高等学校(戦後,新制京都大学に吸収される)や、同志社にラグビーを教えたことなどを伝えている。
 また、同「ラグビー史年表」には、「慶應でラグビーが始まったのは1899年(明治32)だが,試合の出来るような体制になるのは,仙台ヶ原にグラウンドを移す翌年の1900年からのこと」ともあるのも興味深い。

 つまり、この点も、クリケット協会の山田誠氏の仮説にある通り、そのスポーツの普及には、啓蒙に熱心な「個人または集団」だけでなく、「場所」の確保も重要な要素になるという話を思い出すのである。

 明治44年(1911年)には、慶應義塾と第三高等学校との間で、日本人のチーム同士による初のラグビーの対外試合が行われた。ちなみに野球より29年遅れ、サッカーよりは4年遅れである。

 それでも、昭和戦前(あるいは戦後のある時期まで)、日本ではラグビーの人気がサッカーに優越していた時代があった。サッカーファンであり、サッカーの著作も多数ある佐山一郎氏は、その理由を「ラグビーには,サッカーにはない相撲のぶちかましの要素がある」ためだと自虐まじりに解釈している(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)。


 しかし、E・B・クラークと田中銀之助が、ラグビー用のグラウンド確保に難渋していたら、慶應義塾のラグビーの発展がなかったかもしれない。延(ひ)いては、日本におけるラグビーの発展が遅れていたかもしれない。

 つまり、日本のスポーツ史上、人気で「ラグビー>サッカー」の時代があったのは、佐山一郎氏が論じるように「ラグビーには,サッカーにはない相撲のぶちかましの要素がある」ためではない。いわんや、日本が野球の国になったのは、玉木正之氏が論じるように、日本人の「歴史的・文化的背景」の問題ではない。

日本における球技スポーツ定着の条件とは?
 野球、サッカー、ラグビーと、それぞれの黎明(れいめい)期を大づかみで振り返ってみた。どの競技も、いわゆる「お雇い外国人教師」の紹介だけで日本に定着したわけではない。これを受け入れようとする、日本人の側の意志的な働きかけがあって、そのスポーツは定着するようになる。

 野球でいえば、平岡熈や正岡子規。サッカーでいえば、坪井玄道や中村覚之助。ラグビーでいえば、田中銀之助や、日本生まれ日本育ちという意味で英国人のE・B・クラークといった人たち。あるいは新橋倶楽部アスレチックス(野球)、東京高師蹴球部(サッカー)、慶應義塾蹴球部(ラグビー)といった結社である。

 これに比べると、玉木正之氏の「日本で野球が人気なのはなぜ?」には、こういった固有名詞がサッパリ出てこない。本当に人間不在(爆)の歴史なのである。

 いずれにせよ、日本が野球の国になったのは、玉木正之氏が論じるような、日本人の「歴史的・文化的背景」などという得体のしれない物の怪(もののけ)の仕業ではない。




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