スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2018年12月


「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」への変更
 2018年12月8日、地上波の総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒 日本vs.ベルギー 知られざる物語」。放送当初から傑作の呼び声高く、同年12月30日、衛星波のBS1スペシャルで、放送時間を2倍に延長した「完全版」(ディレクターズカットとの説もあり)として放送されると触れ込みだった。

 しかし、サブタイトル(副題)等、なかなか決定が出ず、12月25日にようやく「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」とネット上で発表された。テレビの電子番組表(EPG)にその情報が反映されたのは、さらに1日経ってからである。
12月30日(日) 午後9時00分
BS1スペシャル「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」
7月、ロシア・ロストフアリーナで行われたサッカーW杯ベルギー戦。日本は2点を先制するが、終了間際の超高速カウンターでベスト8の夢を打ち砕かれた。選手や監督の証言から浮かび上がってきたのは、一瞬のうちに交錯した判断と世界最高峰の技術、巧妙なワナと意外な伏線。人生を賭けた男たちが全力を尽くし生まれた壮絶なドラマだった。NHKスペシャル「ロストフの14秒」に未編集素材を加えた完全版であの死闘を再現する。

【語り】松尾スズキ

NHK-BS1スペシャル「ロストフの死闘」トップ
【BS1スペシャル「ロストフの死闘」ウェブサイトより】
 サブタイトルは「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」に変更となった。番組のナレーション担当も「14秒」の山田孝之氏(俳優)から、「死闘」では松尾スズキ氏(俳優)に変わった。

 二番煎じな感じを逸(そ)らすためなのか? 「14秒」では、最後の失点ばかりに視聴者の注目がいくと制作側が判断して「死闘」と変えたのか? 「ロストフの14秒」というタイトルは、かつてのNHK特集のスポーツドキュメンタリーの傑作「江夏の21球」のオマージュだと言われたが、実は制作側にそのような意図はなく、あえて敬遠したのか?

 いずれにせよ、この辺の事情は外部の一介の視聴者にはよく分からない。

「ロストフの14秒」の過大視は日本サッカーのミスリードを招く???
 それにしても、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表を、決勝トーナメント1回戦のベルギーvs日本戦「ロストフの14秒」のみをクローズアップしてしまうのは、実は危ういのではないか。日本サッカーにミスリードを招くのではないかと、余計な心配をしてしまう。

 思い出してほしいのだが、2018年のサッカー日本代表は(柳澤健氏みたいだね)、4月、フランス国籍の外国人監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏が突然更迭されるという「事件」から始まった。ハリル氏更迭の裏には「陰謀」があったのではないか? その力学に担い手は、日本サッカー協会? 電通? アディダスジャパン? キリン? KDDI? 本田圭佑? 香川真司? ……??? サッカーファンはみんな疑心暗鬼になった。

 事の真偽はともかく、ともかくこの一件で熱心なサッカーファンほど白けてしまった。ロシアW杯でも、前回の2014年ブラジルW杯のように3戦全敗するだろう。日本代表は、どうせ惨敗して逃げ帰ってくるさ(本田圭佑は,また逃亡するさ)。1次リーグの対戦相手、コロンビアも、セネガルも、ポーランドも、みんな日本を圧倒する。敵国のエース、ハメス・ロドリゲスも、マネも、レバンドフスキも、みんな日本の守備陣をズタズタにするだろう。みんな、そう思っていた。

 ところが、日本代表は下馬評をくつがえし、初戦コロンビアに勝ち、次戦でセネガルと引き分け、第3戦ポーランドとは一か八かのギャンブルと驚くべき「ゲームズマンシップ」を発揮して、1次リーグを突破した。その延長線上に、あのベルギー戦「ロストフの14秒」が来るのである……。

 ……だとすれば、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の総括と検証の対象は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきだ。個人的には、ベルギー戦よりポーランド戦の方がずっと興奮した。あのポーランド戦の「談合試合」は、スポーツマンシップとゲームズマンシップがせめぎ合う非常に興味深い試合だった。NHKスペシャルは、この試合も採り上げるべきだった。

 この「談合試合」には、いろんな意見があっていい。しかし、日本代表はスポーツマンシップに悖(もと)ると一面的に避難している日本の有識者たちは、「ゲームズマンシップ」という概念を、そもそも知らずに論評しているのではないかと思う。

 また、日本はポーランドに勝ち切る力量がなかったと、自嘲気味に日本代表を非難している日本の有識者たちは、そもそもポーランドが既に2敗していて「せめてもの1勝」を確保するために、日本との談合に応じたことを忘れている。

 話を戻して、ベルギー戦は日本にとって「兵站線〔へいたんせん〕が伸びきった試合」であった(1936年ベルリン五輪の「日本vsイタリア」戦も同様の情況)。両国の位置づけも、車のレースにたとえれば、片やベルギーは本気で総合優勝を狙ってくるプロトタイプのワークスマシン、こなた日本は市販車改造クラスでエントリーするプライベーターくらいの違いがあった。

 つまり、「ロストフの死闘」とは言うが、1970年メキシコW杯の「イタリアvs西ドイツ」戦、1982年スペインW杯の「西ドイツvsフランス」戦、1986年メキシコW杯の「フランスvsブラジル」戦のような、ワールドクラス同士の「死闘」とはまた違うのである。

 やはり、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の検証は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきではなかったか。ベルギー戦のみの過大視は日本サッカーのミスリードを招きかねないのではないか。

 次回のW杯、カタール大会の本大会には出場すると仮定しても、日本代表は1次リーグを突破できる確度は、まだまだ低いからである。

「オシムの言葉」は正しくないと言ったら正しくない
 NHKスペシャル「ロストフの14秒」、BS1スペシャル「ロストフの死闘」では、いろんな人がコメントしていたが、最も印象強く、しかし違和感があったのはイビチャ・オシムさんのコメントだった。

 試合終了間際、ベルギーのカウンターアタックを受けた時、守りに入っていた日本代表の山口蛍選手がなぜファウル覚悟でタックルに行かなかったのか? ……という問題のシーンについてのオシムさんの発言である。

 以下、該当する発言を「ロストフの14秒」の字幕からテキストに起こす。
〔山口蛍は〕足元に飛び込んで ファウルするしかなかった
それはスポーツマンシップに反する行為で レッドカードになったと思うが
故意のファウルは日本人らしくない
確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い
多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう
望ましい結果〔勝利〕が得られなくても それが日本人なのだ

元日本代表監督 イビチャ・オシム

イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から
【イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から】
 日本人はスポーツにおいてフェアプレー(スポーツマンシップ)重視で、「ゲームズマンシップ」が欠落しており、それで損をすることが多い。これは日本人の国民性である(だから,克服できない?)というのだ。

 しかし、2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」の岩清水梓(いわしみず・あずさ)選手のように、実に感慨深い「ゲームズマンシップ」(故意のファウル)を発揮して、日本を勝利に導いた例がある。

 こうした事例を検証することなく、オシムさんは「間違いなく多い」などと断言してしまうのだ。

 もっと深刻なのは、ツイッターなどを観察すると、オシムさんの発言を鵜呑みにしている日本人が多いことだ。これこそ「権威に従順な日本人の国民性」で、サッカーにふさわしくないメンタリティである。

 日本の将来が心配になる。

 日本人はコレコレといった国民性、日本人らしく、日本人らしさ……という決め付けが、かえって日本サッカーの可能性を狭めている(狭めてきた)のだ。

 オシムさんの発言を批判した人がはいないのかと思って探したら、少なくとも1人いた。サッカーファンのたまり場としても有名だった、ペルー料理店「ティアスサナ」の江頭満店長である。
オシム監督、それって日本人に対する観察が浅くないですか?




 流石である。いかに「オシムの言葉」でも「日本人」はもう少し、それを批評的に受容するべきではないのか。

 ティアスサナは、2018年いっぱいで閉店してしまう。実に残念なことである。

(了)



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「ロストフの14秒」と「江夏の21球」
 2018年12月8日にNHK総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒~日本vs.ベルギー 知られざる物語」は、スポーツドキュメンタリー番組の傑作として早くも評判が高い。年末12月30日には、BS1スペシャルとして放送時間拡大の完全版として放送されるという。一説に、そのタイトルは1983年に放送したNHK特集「スポーツドキュメント~江夏の21球」を意識した命名だと言われいている。

 NHK特集「江夏の21球」は、ドキュメンタリー番組の傑作としての評価が非常に高く、これまで何十回も再放送され、また市販のソフト化も何度もなされてきた。

NHK特集 江夏の21球 [DVD]
ドキュメンタリー
NHKエンタープライズ
2010-10-22


江夏の21球 [VHS]
江夏豊
ポニーキャニオン
1989-11-21


 何の因縁か、今年2018年もまた「江夏の21球」は、10月28日にNHK総合テレビ「あの日あのときあの番組~NHKアーカイブス」の枠で再放送された。しかも、あの江夏豊氏本人がゲストとしてNHKの番組に出演、コメントするという素晴らしい特典つき。これは絶対に視聴せねばならないとならぬと、録画予約をした。


 実際「江夏の21球」は何度見ても面白い。視聴した後、ツイッターで番組の反応を見てみた。すると、おそらく初回放送当時は知らない若い人だと思うが「こんな凄いスポーツドキュメンタリー番組は、NHKだから制作できるのであって、民間放送(民放,特に地上波)には出来ないのではないか」というツイートがあった。


 おっしゃる通り。「江夏の21球」」でも「ロストフの14秒」でも、(少なくとも昨今の)地上波民放テレビは、これだけの番組は作れなくなっている。それが証拠に……。

日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかった
 それが証拠に……。あなたは今年2018年のサッカーW杯ロシア大会の「総集編」を、テレビで御覧になりましたか? いや、そう言えば見ていないな、という人が多いはずだ。日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかったからである。





 サッカーファン・視聴者の中には、実際にNHKにW杯総集編の放送をしないのか問い合わせた人がいる。しかし、帰ってきた返事は「ワールドカップの総集編につきましては、総合的な判断から、今回放送する予定はございません」という冷淡なものだった。


 NHKは何をやっているのか! 否、そもそも今回のロシアW杯、大会総集編番組を割り当てられたのは、公共放送たるNHKではなく民放のTBSテレビだったのである(えっ!?)。NHKの言う「総合的な判断」とは、担当局がNHKではなかったからということである。

 通常、サッカーW杯やオリンピックといったスポーツのメガイベントは、NHKの民放が連合した「ジャパンコンソーシアム(Japan Consortium)」という体制でFIFA(国際サッカー連盟)やIOC(国際オリンピック委員会)などと放映権料等の交渉にあたる。そして、どの局がどの試合を担当し放送するかは、かなり早い時点で決まっている。いかなる理由かは不明だがロシアW杯総集編の担当局はTBSテレビに決められた。

 大会直前には発行させるテレビ情報誌の「W杯観戦ガイド」の類に掲載される番組表は、テレビ局側から内々に提示された放送予定を反映したものである。

 当ブログは、ロシアW杯のテレビ視聴と録画に関しては、テレビ雑誌『月刊ザテレビジョン』増刊の観戦ガイド「ロシアワールドカップ2018テレビ観戦パーフェクトBOOK」に掲載された「番組表」を参考にした。こういう時はインターネットではなく、パッケージ化された紙媒体の方がまだまだ役に立つ。値段が手ごろで、読み応えもありました(感謝)。

 このムックの付録の番組表には、ロシアW杯総集編番組はTBSテレビが放送すると書かれていた(下記,掲載写真参照)。

ザ・テレビジョン「ロシアW杯特集号」放送予定表
【『月刊ザテレビジョン』増刊W杯パーフェクト番組表(部分)】

 この時点で、実にイヤ~な予感がした。

 果せるかな、TBSテレビは本来放送するべき「ロシアW杯総集編」を放送しなかった。放送当日、W杯決勝翌日の2018年7月16日、公共の電波で全国に流されたのは「緊急放送!西野Jも生登場!日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」(以下,適宜「サッカー総選挙」と略す)なる、何ともふざけた番組であった(下記,掲載写真参照)。

TBSテレビ_ロシアW杯サイトより「サッカー総選挙」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」ロシアW杯公式サイトより】

TBS「日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」】

 これには視聴者のサッカーファンも口あんぐり、ドッチラケ。ワールドカップはどこへ行った? 4年に1度のサッカーの感動も台無しになる。いずれにせよ、場違いな感じは否めなかった。サッカーファン・視聴者が本当に見たかったのはこんな番組じゃない。

 番組司会で、サッカーには相当の心得のあるタレント・加藤浩次氏(と俳優・竹内涼真氏)ですら、番組冒頭で語気を強めて不満と違和感を隠さなかった。
加藤浩次 ……ということで、ねえ、今日フランスが優勝決まったんですけれど、TBSはトリッキーな企画から始まりました。今日、僕、総集編全体みられると思っていたんですけど、こういったトリッキーな企画で、竹内君ビックリしているんだよねえ。

竹内涼真 ビックリしていますね。

加藤浩次 ねえ、ビックリなんだよ。こんな企画を最後にやるかっていうのは。私、今日聞いて本当にビックリしているんですよ! なぜなんだ!? ワールドカップの凄いプレーが見たかったんだ! ……っていうのがあるんですけど、TBS的にはこれで行こうということになっております。皆さんよろしくお願いします。〔以下略〕」

TBSテレビ「サッカー総選挙」録画より文字起こし
 この時、スタジオ内の出演者はゲラゲラ笑っていたが(これまたふざけた話だ)、これは加藤氏の本音であろう。

 いろいろ調べてみると、TBSテレビは深夜のレギュラー番組「スーパーサッカー」の中でアリバイ的に放送はしたらしい。ネット上にその痕跡が残っていた。
 当ブログは未見。しかし、あくまでレギュラー枠扱いであり、CMなどで放送時間が正味30分にも満たず、他の話題(フェルナンド・トーレス選手来日会見)も取り上げたらしく、本当にロシアW杯の総集編にふさわしいコンテンツだったのか、非常に疑わしい。しかも、深夜枠だから地方によっては放送されない地域があったかもしれない。

 日本のテレビ局は、民放地上波テレビは、なかんずく担当局のTBSテレビは、2018年サッカーW杯ロシア大会の総集編を「事実上」放送しなかったのである。

TBSテレビの「A級戦犯」プロデューサーたち
 当ブログはFIFAとジャパンコンソーシアムとの映像使用権などをめぐる取り決めだとか、NHKと各民放の関係だとかは掘り下げない。一介の視聴者には知りようがないことだし、これら問題はあくまでテレビ局をはじめとした送り手の都合であって、受け手である視聴者(=サッカーファン)には知ったことではないからだ。

 ロシアW杯は面白い大会だった。フランスが2度目の優勝。若きスター、Mbappeも輝いた。ブラジルもドイツも負けた。日本代表は、大会直前にハリルホジッチ監督を更迭して大騒ぎになったが、下馬評を覆して1次リーグを突破した。日本は大いに盛り上がった。テレビ中継は、日本代表だけでなく、他国同士の試合でも高い視聴率を獲得した。

 このロシアW杯の総集編ならば、1か月にわたった大会の面白さを凝縮した番組ならば、確実に視聴率が取れるコンテンツになる。それが、なぜ「サッカー総選挙」に差し替えられてしったのか? 「TBSはトリッキーな企画」でいい。「TBS的にはこれで行こう」と決めたのはいったい誰なのか?

 番組情報をみると、「サッカー総選挙」制作のチーフプロデューサー(CP)はTBSの横山英士氏、プロデューサー(P)は同じく御法川隼斗氏である(名前で察しの通り,この人はフリーアナウンサーみのもんた氏の令息.多分にコネ入社である)。

TBSテレビ「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより
【TBS「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより】

 第一義的に批判されるべきなのは、この人たちなのであろう。横山CPは同局の「炎の体育会TV」という番組を手がけている。これまたスポーツではあるがバラエティ色の強い番組だ。一方、「ロシアW杯総集編」はドキュメンタリー番組としての性格が強くなる。

 この横山CPや御法川Pといった人たちは「バラエティ」番組は作れても、真面目な「ドキュメンタリー」番組は作れなくなっている。昨今の民放地上波テレビに対する視聴者の「テレビ離れ」が進み、制作者たちの番組(コンテンツ)制作能力が著しく劣化している。だから「ロシアW杯総集編」ではなく「サッカー総選挙」になったのだ。

「サッカーW杯総集編」を作る能力を喪失した民放地上波テレビ
 現在5つある民放地上波テレビのキー局を再編成し「民放3 NHK1の4大ネットワーク」への大転換を提唱する、元テレビ東京常務・石光勝(いしみつ・まさる)氏の著作『テレビ局削減論』は、なかなか興味深い。これを元に昨今の「テレビ離れ」の原因を図式化すると、だいたい次の通りになる。
 インターネットやBS・CSなどの台頭などによって……、

 [1]CM広告費など収入が減る⇒[2]番組制作予算が減る⇒[3]安直な番組作りが増える⇒[4]良質の番組を作るスタッフが育たなくなる⇒[5]ますます番組がつまらなくなる⇒[6]視聴率が低下する⇒[7]ますます視聴率獲得に躍起になるが⇒[1]に戻る……という悪循環、負のスパイラル。

 こうして地上波テレビ、特に民放のコンテンツの質はますます落ちていく。

 かくして地上波テレビは、長丁場の放送時間を使って、タレントが空騒ぎする「ひな壇バラエティ」(まさに「サッカー総選挙」がそうしたノリだった)か、「喰ってばかり」の番組か、そうでなければ通販番組が大半を占めるようになる。

 他方、報道番組や硬派のドキュメンタリー番組はコストがかかる割には、視聴率が取れないとされ、特に後者は民放キー局では敬遠される。おまけに民放のテレビ制作者は、こんな難しいコンテンツには喰いつかないだろうと視聴者のことを馬鹿にしている。かつて民放の雄、報道のTBS、民放のNHKとまで言われたTBSテレビには、もはやドキュメンタリー番組を作る能力やノウハウが喪失している。

 さらに『テレビ局削減論』が指摘するところでは、「テレビ界には,柳の下に5匹の泥鰌〔どじょう〕がいる」(85頁)という。5匹とは民放キー局5局のこと。つまり、視聴率を取る番組を作る手っ取り早い方法は、他局でヒットした番組をまねることだ。

 そもそも「プロレス総選挙」とか「高校野球総選挙」とか、「○○○○総選挙」という人気投票番組はテレビ朝日の企画・番組だった。TBSテレビ「サッカー総選挙」は、テレビ朝日のパクリなのである。

テレビ朝日系「高校野球総選挙」番組ホームページから
【テレビ朝日「高校野球総選挙」番組ウェブサイトから】

 ドキュメンタリー番組としての「ロシアW杯総集編」を作る能力もノウハウもない。企画はテレビ朝日のパクリ……。こうしてTBSテレビに割り当てられた貴重な放送枠は、「ロシアW杯総集編」から「サッカー総選挙」に差し替えられたのである。

 やる気も能力もないのであれば、TBSテレビはNHKに権利を譲渡するべきだった。あるいは、サッカー関連のドキュメンタリーでは実績のある番組制作会社「テレビマンユニオン」とタッグを組み(元々この会社はTBS出身者によって設立された)、これを委ねるという手段だってあった。

 放送局としての責務を放棄した番組を作り、流したTBSテレビには怒りを禁じえない。

「サッカー総選挙」の弊害~スターシステムの温床
 TBSテレビが「サッカー総選挙」を制作・放送したということは、日本のサッカー界とサッカーマスコミのある種の体質を表している。「サッカー総選挙」は、サッカーそれ自体よりも選手個人に焦点を当てる番組である。こうした体質は、例えばサッカー日本代表ならば、チームよりも特定の選手に焦点が当てられ、その知名度が優先される、日本サッカーに特異な現象「スターシステム」の温床になる。

 今年2018年4月、日本代表監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏(フランス国籍)が突然解任された。ロシアW杯本大会、日本の初戦まで2か月あまりしかない! 日本サッカー界は騒然となった。なぜ、ハリル氏は解任されたのか? 一説にハリル氏は香川真司や本田圭佑といった、日本サッカーの「スターシステム」に乗っかった選手を、ロシアW杯日本代表から外しかねなかったからだという。

 日本サッカーの「スターシステム」においては、W杯本大会で日本が勝つことよりも、否、日本が勝とうが負けようが、たくさんのスポンサーを抱えた「スターシステム」の選手が試合に出る方が重要なのである。そこで「スターシステム」の力学が働き、日本サッカー協会(JFA)田嶋幸三会長を動かし、ついにハリル氏は解任されたというのである。

 その力学の中心にいたのは、JFAやサッカー日本代表と深いかかわりがあり、これらを「牛耳る」大手広告代理店=電通であるとの、もっぱらの「噂」であった(電通陰謀論,電通はFIFAともつながりが深い)。これら一連の事の真偽については何とも言いかねるが、少なくとも日本サッカーに「スターシステム」という現象は存在する。

 例えば、日本代表の公式スポンサー兼サプライヤーの「アディダスジャパン」は、日本代表メンバーからエースナンバー「背番号10」の選手を、事実上指名している。このことは「スターシステム」の表れであり、広い意味でのスポンサーの圧力である。

 ここでひとつ冗談。もし、TBSテレビが真面目に「ロシアW杯総集編」を制作し放送してしまうと、日本代表のハリルホジッチ氏更迭にまつわるゴタゴタを、あらためて「国民」に思い出させてしまう。そこで「電通」は、国民がハリル氏更迭事件を忘れるように、TBSテレビに命じて「サッカー総選挙」という場違いな番組を作らせた……などというのは、むろん冗談である

ビジネスとしての「サッカー総選挙」の欠陥
 テレビ局は、国民の財産である「公共の電波」を預かる、きわめて公共性の高い企業であって、その免許数も限定されている。だから、他のメディアにない格段の「責務」が求められるわけで、TBSテレビが「ロシアW杯総集編」を制作・放送しないで「サッカー総選挙」などというフザケタ番組を流したことはケシカラン……というのは、きれいごとの建前論なのかもしれない。

 しかし、「サッカー総選挙」という番組はテレビ局のコンテンツビジネスとしても、非常によろしくないのである。

 これも石光勝氏の『テレビ局削減論』からの援用になるが、日本以外の諸外国、アメリカ合衆国や韓国などのテレビ界では、番組(コンテンツ)の2次利用・3次利用……が盛んで、それでより儲かる仕組みになっているのである。具体的には、テレビ放送後のネット配信、DVDの発売、コンテンツ市場に出品しての再放映権の売買などである。

 当然、そのビジネスモデルが成立するためには、番組(コンテンツ)が面白くなければならない。それこそNHK特集「江夏の21球」のように、あるいはこれもNHKだが、DVDとして発売された「伝説の名勝負 '85ラグビー日本選手権 新日鉄釜石vs.同志社大学」のようにである。

 ハッキリ言えば、「サッカー総選挙」などという番組は1回見れば充分。何度も見返す価値もない、刹那的な番組である。横山CPや御法川Pも、せっかくのチャンスを与えられたのだから後々まで残る、2次利用・3次利用が可能なコンテンツを作るべきだったのに、この人たちはその気も能力もなかったのである。

 2018年、ロシアW杯の総集編が日本のテレビにおいて「事実上」制作・放送されなかったことは、日本のサッカー文化において大きな損失である。ただ、それは日本のサッカー文化が一面的に劣っているというよりは、昨今の民放地上波テレビの駄目さ加減、そのトバッチリを受けたものだと言えよう。そう思えば、日本のサッカーファンも少しは心が楽になる。

 TBSテレビのスポーツ部門、なかんずく横山英士CPや御法川隼斗Pが因果応報を食らっても、サッカーファンからは同情されないだろう。

(了)



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NHKロシアW杯「日本戦」の謎のハーフタイムショー
 民放地上波テレビ(ジャパンコンソーシアムで割り当てられた担当局はTBSテレビ)が「2018年サッカー・ロシアW杯総集編を〈事実上〉放送しなかった」ということを論(あげつら)い、日本のサッカー文化はこんなに程度が低い……みたいな話をする予定だった。

 しかし、思い返すに公共放送たるNHKも、ロシアW杯でかなり奇妙なことをやっていたのである。

 1次リーグ第1戦「日本vsコロンビア」戦、1対1で迎えたハーフタイム。解説の岡田武史氏や、福西崇史氏、山本昌邦氏たちによるのディープなコメントを、後半キックオフまでガッツリ聞けると思いきや……。NHKホールで試合のパブリックビューイングをやっているのだという。その現場から中継が入った。さすがはNHK、デカい器を持っているところはやることが違う。もっとも、ロシアに行けない現場レポーターの前園真聖が貧相だったが。

 すると、ロックバンドのSuchmos(サチモス)が登場し、2018年NHKサッカーテーマ「VOLT-AGE」(ボルテージ)なる曲をステージで歌うところを、長々と放送したのであった。

 これには、視聴者のサッカーファンも口あんぐり、ドッチラケ。サッカーはどこへ行った? 4年に1度のW杯のヒリヒリするような緊張感が台無しになる、全く不要な演出だった。アメリカンフットボールのハーフタイムショーでも意識したのか。いずれにせよ、場違いな感じは否めなかった。

スポーツ中継にタイアップ曲を使うことの問題
 日本のポピュラー音楽、歌謡曲、Jポップの歴史は、蓄音機の時代から、映画やテレビドラマ、企業や商品、CMと結びつき、これを宣伝するタイアップソングの歴史であった……とは、速水建朗氏の『タイアップの歌謡史』が指摘するところである。

 一方、もともとテレビのスポーツ中継に関しては、NHK・民放キー局それぞれが行進曲調の「スポーツ中継番組用のテーマ曲」というのが定まっていた。野球でもサッカーでも(大相撲以外は)ほとんどの競技でその曲を用いていた。
NHK,日本テレビ,TBS各局のスポーツテーマ曲

【NHK:スポーツショー行進曲(作曲:古関裕而)】


【日本テレビ:スポーツ行進曲(作曲:黛敏郎)】


【TBS:コバルトの空(作曲:レイモンド服部)】
 しかし、タイアップの波が1980年代にもなるとスポーツ中継番組にも押し寄せた。いちばん決定的だったのは、1988年のソウル五輪のテレビ中継でNHKがタイアップ曲を使用したことだろうか。そして、各局とも右に倣えでオリンピック、ワールドカップ、その他、各種スポーツイベントのテレビ中継の度に有象無象のタイアップ曲で溢れるようになったのである。

 こうしたタイアップ曲が放送で流れると、各局は傘下に音楽出版社を抱えていて、その楽曲を流せば流すほど、音楽出版社に金が入ってくる。ロシアW杯のNHKの場合、傘下の出版社=日本放送出版協会(NHK出版)あたりがSuchmos「VOLT-AGE」の原盤権を持っていて、これを流すたびにNHK出版(たぶん)にカネが入ってくるのである。

 こうしたことは音楽著作者間の公正な競争を阻害するとして、例えばアメリカ合衆国などでは禁じられている。なかんずく公共放送たるNHKは、放送法で「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。法に抵触しかねない。

 事実、2004年のアテネ五輪でNHKのアナウンサーが、自局のタイアップ曲の題名に結び付けた実況をして、ジャーナリストの津田大介氏らにステルスマーケティング(ステマ)の可能性を指摘されている(『タイアップの歌謡史』より)。

 日本vsコロンビア戦「謎のハーフタイムショー」は、サッカーファンには不要であるばかりでなく、違法性のある、公共放送の「自社製品の宣伝」でもあったわけだ。

「スポーツ」の雰囲気をブチ壊しにするタイアップ曲
 かように問題のあるスポーツ中継のタイアップ曲であるが、一番の問題は「スポーツ」の雰囲気をブチ壊しにしてしまうことだ。

 スポーツ中継のタイアップ曲で、本当に成功したと言えるのはフジテレビ系「F1グランプリ中継」の「TRUTH」(演奏:T-SQUARE)ぐらいしか思い浮かばない

【フジテレビ:F1グランプリ中継「TRUTH」(演奏:T-SQUARE)】

 Suchmosの「VOLT-AGE」でも言われたことだが、そもそもワールドカップやサッカー番組で使われる「タイアップ曲」というのが、イメージに合わない。場違いな代物が多い。最悪だったのは、2014年NHKの椎名林檎「NIPPON」。全く感心しないどころか寒心に堪えない。

 この曲は「右傾化した愛国主義」「軍国主義」「戦前回帰」などと批判された。ウィキペディアの記述を信じれば(2018年12月19日閲覧)、基本的に「サッカー日本代表……およびサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)を応援する曲を作って欲しい」とNHKが依頼したという。これがよくない。ナショナリズムが消化不良の日本で、これでは歪な作品しか生まれない。

椎名林檎「NIPPON」ジャケット写真
【椎名林檎「NIPPON」ジャケット写真】

 制作をオファーするテレビ局も、海外のクラブチームやナショナルチームでも応用が利くような普遍性を持った楽曲作りを……と依頼するべきだった。制作をオファーされる側も、他から言われなくともそう心がけるべきだ。その方がいい楽曲になる……はず。

 現にJリーグでも、FC東京サポーターのサポーターソング通称「ユルネバ」、モンテディオ山形サポーターの同じく通称「ブルイズ」は英国の曲である。この点で日本のサッカー文化はこの点でまだまだ「発展途上」なのかもしれない。

 日本のアーティスト(ミュージシャン)にそんな力量があるかどうか、門外漢には分からないが、とにかく椎名林檎「NIPPON」も、ついでにRADWIMPS「HINOMARU」(フジテレビのW杯タイアップ曲のカップリング)も、単に楽曲として出来がよくないだけである。

(了)



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『日本サッカー辛航紀』から抜け落ちた明治日本のサッカー事情
 サッカー論壇からの引退を宣言している佐山一郎氏が、その有終と位置付けた著作『日本サッカー辛航紀~愛と憎しみの100年史』(以下,適宜『辛航紀』とも略す)は、日本サッカー史を謳(うた)いながら、日本サッカー界は歴史を大事にしていないと批判しながら、しかし、明治時代、草創期の日本のサッカー事情について全く触れていない不思議な1冊である。

 よく読めば、佐山氏もサブタイトルで逃げは打ってはいる。その副題「愛と憎しみの100年史」。今年2018年から起算すれば、1921年(大正10年)の第1回天皇杯開催&日本サッカー協会創設で、約100年前である。明治維新は150年前(1968年=明治元年)だから、明治時代の日本のサッカー事情にまで責めを負う立場にはない……???

日本サッカー史の「予備考察」に明治時代が入らないのはおかしい!?
 ……否、それは違う。なるほど『辛航紀』は、著者たる佐山一郎氏の見聞きした同時代=1964年東京オリンピック以後のサッカー史を中心に書かれてある。だが、佐山氏はその「第一章」をまるまる前史「予備考察」として、1964年以前のサッカーを、それこそ近代以前の「蹴鞠」(けまり)に至るまで採り上げて論じているからである。

サッカーボールで「蹴鞠はじめ」@下鴨神社
【サッカーボールで「蹴鞠はじめ」@下鴨神社】

 その「蹴鞠」研究の第一人者・渡辺融(わたなべ・とおる)東京大学名誉教授。だが、しかし、実は渡辺名誉教授には東大野球部の監督歴があった……。
 ……学問領域でサッカー関係者は何をしていたのかと人材難に憂いを抱いた。

 蹴鞠に限った話ではない。近代以降の日本サッカー史を掘り下げる人もごくわずかしかいなかった。一九六四(昭和三九)年の東京オリンピックや一九九三年(平成四)年のJリーグ開幕を起点にすることで葬り去られてしまう事実が多すぎる。

佐山一郎『日本サッカー辛航紀』16~17頁
 ……などと言いつつ、佐山氏の話は明治時代をワープし、いきなり1921年(大正10年)の大日本蹴球協會(日本サッカー協会=JFAの前身)創設と、ア式蹴球全國優勝大會(天皇杯の前身)の開始へと飛ぶ。佐山氏こそ何をしているのかと、読者の方が憂いを抱く。

 そして、『辛航紀』第一章のトピックとしては、イングランドのFA(フットボール協会)から寄贈され、しかし、第二次世界大戦の時に軍部に没収されたままJFAに戻ってこない「FA銀杯」の話。蹴球、サッカー、フットボールといった「アソシエーション・フットボール」の日本における呼称の変遷やら、用法の違いやらといった話。虫明亜呂無がしたためた、戦前戦後の日本サッカーの状況を描いたというエッセイの引用(今ひとつ明晰じゃないんだが)といった話……。

 ……等々、どうでもいいとまでは言わないが、瑣末といえば瑣末な話が延々と展開されている。

 とにかく、「予備考察」というからには明治時代の日本のサッカー事情……、なかんずく草創期における海外から日本への伝来、普及、野球やラグビーなど他競技との関係等々について全く触れないというのは、やっぱりおかしいんじゃないですかね?

 それこそが、日本サッカーの原点だからである。日本のサッカーの文化や歴史などの総体を理解するためには、原点である「明治」を知らなければならないからである。書名が『日本サッカー辛航紀』であるならば、なおさら、その「辛」い「航」海の「出港」が明治時代であったからである。

 この意味で『辛航紀』は片手落ちであり、読者は不満なのである。

ここでも佐山一郎氏の人種主義の影が…
 少し脱線するが、『辛航紀』第一章の終わりでは、ドイツ人のサッカーコーチで「日本サッカーの父」と呼ばれたデットマール・クラマーを、幕末・明治(ん?)の御雇い外国人のベルツ(医師,ドイツ人)や、ナウマン(地質学者,ドイツ人)になぞらえている。

 それはいいとして(否,ならば何で明治時代に言及しないのか,ますます謎だが)、佐山氏のベルツの紹介が「蒙古斑の命名者でもある,医師のエルヴィン・フォン・ベルツ」となっている。この辺の「蒙古斑の命名者」という例の出し方が、人種主義=レイシズムと言ってもいい佐山氏の「日本人」への偏見の「まなざし」を連想してしまう。

 何度も書いてきたが、佐山一郎氏は日本人は農耕民族だから、日本人は米や味噌を食べるからサッカーが弱い……式の、人種主義=レイシズム的で偏見に満ちた日本人観・日本人のサッカー観を繰り返し公表してきたからだ。

 ちなみに、コトバンクの「ベルツ」の項目には「蒙古斑の命名者」という説明はない(参照:コトバンク「ベルツ(英語表記)Balz,Erwin von」)。また、ウィキペディア日本語版の記述をそのまま信じれば(2018年12月16日閲覧)、ベルツは、佐山氏よりもずっとバランスの取れた「日本人観」の持ち主に思える。

日本サッカーにまつわる佐山一郎氏の「根源的疑念」
 話を戻して、佐山一郎氏が『日本サッカー辛航紀』の中で、明治時代の日本サッカー事情に触れたくなかった理由も分からぬでもない。ここでは、1991年刊行『サッカーハンドブック'91-'92』所収の佐山一郎氏のエッセイ「サッカーの見方が変わってきた」を読んでいく。

 前にも書いたがタイトルにある「見方」は、村松友視氏のプロレス本『私、プロレスの味方です』の「味方」のもじりである。しかし、佐山氏は村松氏から何も学んでいないこと、「サッカーの味方」とは程遠いことは、以前書いた(下記リンク先参照)。
 弱い弱いと言われながらも、1995年10月、サッカー日本代表(森孝慈監督)はメキシコW杯アジア最終予選まで進出した。その日本vs韓国戦、日本は負けたものの、普段のサッカーの試合では観客もまばらな国立競技場が、約6万人の大観衆で埋まった。会場は熱気に包まれた。

 条件がガッチリ噛み合えばではあるが、それなりに日本でもサッカーの訴求力があるのではないかという立場を佐山氏は一切合切とらない。なぜなら……。
 ……ここで言いたいのは、W杯初出場の夢破れた直後の日本リーグ〔旧JSL〕の試合に足を運んだ観客数の極端な少なさ。本当に、ひ、ふ、み、よぉ、と数えられるほどの少なさでした。あれじゃあ、わざわざ国立霞ヶ丘競技場〔旧国立競技場〕を使う必要もないうえに……〔中略〕

 ……つまり、もしかすると、心底からサッカーを見ることが好きな日本人は意外に少ないのではないかという根源的な疑念を持ち始めるに十分なシーンが、あの日の閑散とした国立競技場にはあった。

佐山一郎「サッカーの見方が変わってきた」

 佐山氏の「根源的な疑念」とは、要するに「日本人サッカー不向き論」なのだが、さらにその深層に迫ると、やっぱり佐山氏は「日本人論」または「サッカー日本人論」が暴露されてくる。証拠はいくらでもある。同じく「サッカーの見方が変わってきた」から。
 摺〔す〕り足の文化鎖国の長かった日本ではスポーツ観戦もどこか〈間〔ま〕〉を楽しむ花見酒風。つかこうへい氏〔劇作家,演出家,小説家〕が現役時代の釜本選手の凄さを確かめに初めてサッカーを見にいった際、よそ見した瞬間にゴール成って立腹したと以前面白く書いていたけれど、動作がとぎれない90分間を集中して視つづける習慣……〔日本的〕物見遊山とは正反対の伸〔の〕るか反〔そ〕るかの狩人の眼の獲得こそがサッカー観戦の醍醐味なんですけどね。これはフィールド上のプレーヤーにおいても全く同じことが言えるでしょう。

佐山一郎「サッカーの見方が変わってきた」
 さまざまな「日本人論・日本文化論」のターム(術語)を並べて(その詳しい解説と批判は最後にまとめてやります)、佐山氏は次のようにスマシ込む。
 何より皮肉なことに、サッカーそれ自体の魅力について語ろうとすればするほどサッカーの官能から遠ざかっていくことだってあると思うんです。

佐山一郎「サッカーの見方が変わってきた」
 かように自虐的な日本サッカー観の持ち主である佐山一郎氏である。とことん「日本人」と「サッカー」との相性を低く見積る佐山一郎氏である。それが証拠(?)に、日本ではフットボール(サッカー,ラグビー)よりも、野球=ベースボールの方が人気が先に人気が出てしまったのである。このことは佐山氏をさらに陰気にさせる。

 だから、そんな重苦しいテーマから佐山氏は「思想逃亡」してしまったのではないだろうか。

 何を勝手な一人合点を! ……と批判する人がいるかもしれないが、根拠のない「勝手な一人合点」は、むしろ佐山一郎氏の得意技である。

明治最初のフットボールはサッカー? ラグビー?
 例えば……。明治時代、特に初期の日本のフットボールをめぐる歴史の研究・解釈は、かなり複雑な様相を呈するようになっている。簡単に言うと、日本で最初に行われた「フットボール」が、サッカーなのか、ラグビーなのか、いまひとつ判然としなくなっており、甲論乙駁の状態になっているのだ。

1874年「横浜で行われたフットボール」
【1874年「横浜で行われたフットボール」ラグビー?】

 その詳細は割愛するが、議論の一部を紹介する(下記リンク先参照)。
 
  • 秋山陽一「フットボールの憂鬱」(『ラグビー・サバイバー』所収)
ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11

 
 
 
 このテーマに興味がある人はどんどん深入りして、新しい成果を見せて(読ませて)ほしいところだ。

天に向かって唾(つば)を吐く佐山一郎氏の批判
 あるいは……。明治初年(1873~74年頃)、御雇い外国人によって伝えられ、海軍兵学寮や工部大学校で行われた「フットボール」の系統は早々と途絶えた。

 この辺は野球も事情は同じで、現代日本野球の直接の起源は、御雇い外国人による紹介ではなく、アメリカ留学から帰国した鉄道技師・平岡煕(ひらおか・ひろし)と、彼が主宰した「新橋アスレチック倶楽部」による熱心な普及・指導に由来する(下記リンク先参照)。
 どんなスポーツでも、その国で人気スポーツとして定着するためには、場所の確保や道具の調達、熱心な指導活動などの諸条件がそろうことが不可欠だからだ。日本において、歴史的に普及や人気の点でサッカーが野球に差を付けられたのは、その程度の違いである。日本人の国民性や文化などといった問題ではない(佐山一郎氏や玉木正之氏には受け入れ難い視点かもしれないが)。

 日本のサッカーも、おそらくは旧制東京高等師範学校(現在の筑波大学)で地道に行われていたものが、中村覚之助らの努力で、時間をかけて徐々に拡張していったものだと想像する。

 『日本サッカー辛航紀』では、こういったさまざまな要点を整理して示して「あとは後学にゆだねる」というスタンスでもよかったのではないか。どうして、佐山一郎氏が明治時代から「逃亡」したのか。やはり解せないのである。

 これまで日本のサッカージャーナリズムが歴史を軽んじてきたことを「知的怠慢」と難じた佐山氏であるが(『辛航紀』35頁)、それは天に向かって唾(つば)を吐くというものだろう。

(了)



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NHKスペシャル
「ロストフの14秒~日本vs.ベルギー 知られざる物語」
今年、あなたの心に最も残ったスポーツの場面は何だろうか。おそらく、多くの人がこのシーンを挙げるのではないだろうか。ワールドカップ決勝トーナメント1回戦、ロシア・ロストフアリーナで行われた、「日本VSベルギー」。後半アディショナルタイムに生まれた14秒のプレー。日本のベスト8進出の夢を打ち砕くとともに、大会ベストゴールのひとつとして世界から絶賛された、ベルギーの超高速カウンターである。

私たちは、日本、ベルギー双方の選手、かつての日本代表監督など、20人以上のキーマンを世界各地に訪ね、この14秒のプレーがどう生まれたのか、答えを探した。浮かび上がってきたのは、一瞬のうちに交錯した判断と世界最高峰の技術、そしてこの瞬間に至るまでの巧妙な罠と意外な伏線…。この一戦に人生を賭けた男たちが、全力を尽くしたからこそ生まれた14秒のドラマだった。

2018年、私たちの記憶に鮮烈に残る、あの瞬間の知られざる物語である。

NHKスペシャル~ロストフの14秒


ロストフの14秒,「オシムの言葉」への強い違和感と異論
 NHKスペシャル「ロストフの14秒」には、リトバルスキーや、ザッケローニなど、いろんな人がコメントしていたが、最も印象強く、しかし違和感があったのはイビチャ・オシムさんのコメントだった。試合終了間際、ベルギーのカウンターアタックを受けた時、守りに入っていた日本代表の山口蛍選手がなぜファウル覚悟でタックルに行かなかったのか? ……という問題のシーンについてのオシムさんの発言である。

 以下、該当する発言を番組の字幕からテキストに起こす。
〔山口蛍は〕足元に飛び込んで ファウルするしかなかった
それはスポーツマンシップに反する行為で レッドカードになったと思うが
故意のファウルは日本人らしくない
確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い
多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう
望ましい結果が得られなくても それが日本人なのだ

元日本代表監督 イビチャ・オシム

イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から
【イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から】
 このオシム発言には、例えば武藤文雄氏のように異論を唱える人もいる。


 ちなみに、武藤文雄氏は同年配以上の尊敬するサッカー人に対して、特別に「爺さん」という敬称を付ける。だから「オシム爺さん」とか「マテウス爺さん」とは言う。しかし、以上の理由によって「本田圭佑爺さん」とは言わない。

オシムさんの言う「日本人」に女子は入っていないのか?
 閑話休題。当ブログの異論は別の角度からである。オシムさんの「フェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い 多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう」という指摘は、どれだけ妥当なのか? 実はオシムさんの指摘こそ間違いではないのか。

 この手の「日本人は国民性からして,スポーツ(なかんずくサッカーにおける)マリーシア(ずる賢さ)が足りない」式の話、換言すると「日本人は国民性からして,スポーツマンシップは尊重するが(なかんずくサッカーにおいて)ゲームズマンシップの意識は低い」式の話は、さんざんパラパラ聞かされ、または読まされてきた。そして、その種の発言者がオシムさんだろうが、誰だろうが、みんなうんざりさせられる。

 オシムさんの指摘が正しくない例を「日本人」なら知っている。


 サッカーファンやサッカー関係者なら皆が覚えている。2011年女子W杯決勝「日本vsアメリカ合衆国」戦で、延長後半終了間際、日本女子代表(なでしこジャパン)の岩清水梓(いわしみず・あずさ)選手が、実に「ゲームズマンシップ」あふれるプロフェッショナルファウルで一発レッドカードを食らいながらも、日本は試合をPK戦まで引きずり込み、結果、日本はW杯で優勝したことを。

 オシムさんの基準で言う「日本人」の中に、女子または女性は、なでしこジャパンは、なかんずく岩清水選手は、含まれるのか含まれないのか?

 オシムさんが「ロストフの14秒」で語っていたことは、サッカーそれ自体の議論ではなく、まさしく「日本人論」または「サッカー日本人論」に他ならない。「オシムの言葉」も、最初は「ウサギは肉離れを起こさない」的なウィットが多かったものが、だんだん通俗的な「日本人論」で日本人向けに説教を垂れるような話にシフトしている。

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
イビチャ・オシム
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-04-10


 その方が商品としては売れるのだろうが、むしろ新鮮味に乏しくなっている。有り体に言えば「オシムの言葉」はつまらなくなっている。

 「日本人論」通念・通説の鋭利な批判で知られるオーストラリア在住の社会学者・杉本良夫教授は「〈日本人論〉の立論において観察対象となるのは,もっぱら男性(男性社会)であって,女性は無視される」と指摘している(次の著作参照)。



 同様に「サッカー日本人論」の世界では、今回のオシムさんの発言がそうであるように、女子サッカーの存在はほとんど無視される。

ラグビー竹山選手の「疑惑のトライ」あるいはゲームズマンシップ
 ラグビーファンならば、全国大学ラグビーフットボール選手権9連覇(2018年12月現在)の帝京大学ラグビー部・竹山晃暉(たけやま・こうき)選手の「あのプレー」を覚えているだろう。

 帝京大ラグビー部8連覇目にあたる大学選手権決勝「帝京大学vs東海大学」戦。試合後半の勘所で、竹山選手は勝負を決定づけるトライを決めた……??? ところが、報道写真を見ると、東海大の選手が先にボールを確保してインゴールに抑えた(=ノートライ)かのように見える。

ラグビー竹山晃暉選手「疑惑のトライ」産経新聞
【竹山選手「疑惑のトライ」産経新聞・電子版2017年1月9日付より】

 それにもかかわらず、この試合でビデオ判定(ラグビーではTMO=テレビジョン・マッチ・オフィシャル)が採用されていないのを幸いに(?)、竹山選手は派手なガッツポーズを作って喜んでみせて、最終的に彼の「トライ」は認められたのであった。

ラグビー竹山晃暉選手「疑惑のガッツポーズ」産経新聞
【竹山選手「ガッツポーズ」産経新聞・電子版2017年1月9日付より】

 一連のプレーは「疑惑のトライ」とも呼ばれた。

 オシムさんの基準で言う「日本人」の中に、竹山晃暉選手は含まれるのか含まれないのか?

オシムさんの「日本人観」はステレオタイプ
 竹山選手の振る舞いは「スポーツマンシップに反する行為」だったかもしれないし、場合によっては反則を取られたかもしれない。そういう批判はあっていい。しかし、竹山選手は「日本人らしくない」などと非難するのは適切ではない。

 当ブログは竹山選手を責める気はまったくない。むしろ「日本人」でも、こんなに「ゲームズマンシップ」または「マリーシア」あふれるアスリートがいることに、不思議な感慨を覚えたのであった。

 オシムさんの「確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い 〔しかし〕望ましい結果が得られなくても それが日本人なのだ」という日本人観は、邪気は無くともステレオタイプの偏見といえる。


 要するに、ドイツのサッカーといえば「驚異的な勝負強さと精神力の〈ゲルマン魂〉」、サブサハラ系アフリカ諸国のサッカーといえば「黒人選手の驚異の〈身体能力〉」等々と同じものである。これらの常套句にはある種の偏見が潜んでいる……などと批判される。

 最近はこうした発言には慎重になるのが「世界」の潮流ではなかったか。

 NHKスペシャル「ロストフの14秒」は大変好評だという(当ブログは,ロシアW杯全体の「総集編」や,世紀の談合にして大博打「日本vsポーランド」戦の検証番組も見たい.むろん肯定的な意味で)。ただ、オシムさんの解説は番組のクオリティをほんの少し下げている。

権威に従順な日本人の国民性?
 もっと気になるのが、オシムさんの発言を鵜呑みにしている「日本人」が多いことだ。






 話が矛盾するが、これこそ「権威に従順な日本人の国民性」で、サッカーにふさわしくないメンタリティである。いかに「オシムの言葉」でも「日本人」はもう少し、それを批評的に受容するべきであろう。

 日本人はコレコレといった国民性……という決め付けが、かえって日本サッカーの可能性を狭めている(狭めてきた)からだ。


(了)



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