スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2017年10月

ドーハの悲劇の夜、10月28日に寄せて……。



日本のサッカー本には今まで「通史」が存在しなかった?
 どの分野に限らずひとりの著者が通史を書くのはなかなか大変なことだが、そういえば日本サッカーの通史と言える本が出ていない。後藤健生氏の仕事に『日本サッカー史 代表篇~日本代表の85年』(改訂版『日本サッカー史~日本代表の90年』)という大部の著作があるが、書名の通り「日本代表」の歴史が中心であって、日本サッカーのすべてにまでは手が回らないとは本人の弁であった。
 もちろん、代表チームは日本サッカーの中心的存在ではありますが、歴史というのはただそれだけではない。たとえば最初は師範学校でやっていたサッカーが、高等学校〔旧制?〕や大学に普及した。そうした組織的・システム的な変化が本当のサッカー史なわけですが、そこまで追いかけ始めると非常に話が広がってしまい、とてもこんな一冊には収まりきらない。それを全部書くのは難しいのと、それから書きやすいという理由で、代表チームの歴史ということでまとめることにしました。

後藤健生「『日本サッカー史』出版秘話」2007年6月28日




 そんなところに、佐山一郎氏(作家・編集者)が日本サッカー史の本を近々出すらしいという興味深いニュースが飛び込んできた。

佐山一郎著『日本サッカー辛航紀』の情報
 いつものようにインターネットで適当に検索をかけてネットサーフィン(死語か)をしていたら、宇都宮徹壱氏による佐山一郎氏のインタビューに行き当たった。主なテーマは、ひと頃サッカージャーナリズムを騒がせた「エアインタビュー」問題である。

 何気なく読んでいたら、インタビューの本題よりもっと楽しみな話が出てきたのだった。
宇都宮徹壱による佐山一郎インタビュー
【インタビューを受ける佐山一郎氏.宇都宮徹壱ウェブマガジンより】

――今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、佐山さんの近況と言いますか、現在執筆されている著書についてお話を伺いたいと思います。タイトルが『日本サッカー辛航紀』。辛い本なんですか(笑)?〔聞き手:宇都宮徹壱氏〕

佐山 ネタをバラすと、2つの書籍からアイデアをもらっています。ひとつは、〔2016年〕8月に亡くなられた柳瀬尚紀〔やなせ・なおき〕さんの『フィネガン辛航紀』(河出書房新社)。これは柳瀬さんが、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するのがいかに大変であったかというお話。辛いどころか、歯ごたえありすぎのご本。もうひとつが、ロナルド・ドーアの『幻滅』(藤原書店)。ドーアさんはイギリス人の社会学者で、90(歳)超えしています。日本を研究してきた「親日派」社会学者が、くまなく見てきた戦後日本70年がテーマの本で、いろんな時代の転換期をとらえながらも、最後に行き着いたのは「幻滅」の境地だったという。でも2冊ともユーモアを失ってはいませんし、そこがとても良いところ。


――つまり『フィネガン辛航紀』からタイトルを借りながら、ドーアの『幻滅』のように佐山さんの実体験を重ねつつ、日本サッカーの来し方を振り返るという作品になるんでしょうか?

佐山 そうなんですけど、予備考察としての蹴鞠の話から1964年東京五輪までの道のりも少しは押さえなければいけないですからね。1936年ベルリン五輪で日本がスウェーデンに勝った話ばかりでしょ。その次の試合でイタリアに0-8という大差で敗れてしまったことも、それ以上に重要なんじゃないでしょうかね。

――それ、私も感じていました! そうした前史というか、佐山さんが生まれる前の日本サッカー史を掘り起こした上で、ご自身のサッカー体験をプレーバックしていくと。やはり起点は、64年の東京五輪なんですね?

佐山 そうですね。だいたい10年ずつくらいで章を立てていて、ようやく70年代の終わりくらいまで来ました。〔以下略〕

 当エントリー発表時点では、まだ『日本サッカー辛航紀』の書誌情報は確認できていない。刊行されるとしたら、ロシアW杯本大会(2018年6月開幕)の前だろうか? 久々に買ってでも読みたいサッカー本だ。楽しみだ。

米・味噌を食べているニッポン人はサッカーが強くなれない!?
 もっとも、「楽しみ」だと言ったのは良い意味悪い意味……の2つがある。当ブログは、スポーツライター玉木正之氏のことを「日本人はサッカーが苦手な民族であるという、デタラメな印象を日本の人々に刷り込もうとしている」として、しつこくしつこく批判してきた。

 しかし、そういった「日本人はサッカーが苦手な民族である」という印象論を、Jリーグ以前から
しつこくしつこくサッカーファンに刷り込んできたのは、中条一雄氏から、後藤健生氏から、近江達(おうみ・すすむ)氏から……実は、当のサッカー・サッカージャーナリズムの側の人間だったのである。その中の代表的人物に佐山一郎氏がいたのだ。

 例えば、佐山氏は、1992年11月に出た雑誌『ブルータス』(マガジンハウス)のラグビー・サッカー特集
(1992年12月15月号)で、いかに「日本人がサッカーが苦手な民族である」かを説くために、「米飯と味噌汁を食べているから日本人はサッカーが強くなれない」(大意)と書いている。
ブルータス19921215表紙
【『ブルータス』1992年12月15日号表紙】

 かなりトンデモない話だが、要するに、よくある「サッカー日本人論」(森田浩之氏の命名)の、さらに自虐的な表出である。この話を、当ブログ(の中の人間)が三浦小太郎氏(保守系の評論家.初代サポティスタ・浜村真也を発掘したグループの中にいた)にしたら、三浦氏は「えーーーーーーーーーーっ!?」と、ひっくり返らんばかりに驚いた後、「それってレイシズムではないのか?」と鋭い評価を下していた。

 本当にその通りなのである。日本人の日本サッカー観にはレイシズム(人種主義,人種差別)を孕(はら)んでいる。そのことに日本サッカー界の内側は気付いていないのだ。

 該当する『ブルータス』誌の佐山氏のエッセイと、それをめぐる当ブログ(の中の人間)と三浦小太郎氏とのやり取りは、いずれあらためて取り上げてみたい。

佐山一郎氏の「予備考察としての蹴鞠」とは?
 かような佐山氏が書く「日本サッカー通史」であるから、どんな内容になるのか。良い意味でも悪い意味でも興味津々なのである。例えば、宇都宮徹壱氏とのインタビュー記事にある「予備考察としての蹴鞠の話」とは何だろうか?

 佐山氏は、語彙と言い回しがかなり個性的であるから、これは単なる「前史としての蹴鞠」程度の話かもしれない。否、むしろ積極的に「蹴鞠なるものに日本人の神髄を宿すものとして、かつ近代サッカーの本質とは異なるもの」として描くのではないだろうか。

 何より、佐山一郎氏はさんざんそのようなことを書き連ねてきたからだ。そして、すでに玉木正之氏がそのようなことをくり返し書いてきたからだ。

 あるいは、『日本書紀』皇極天皇紀で中大兄皇子と中臣鎌足が面識を得た場として、蹴鞠と思しき古代球技が出てくることは、当然、佐山氏は扱うだろう。これが、実は皇極紀の記述が曖昧なことから、蹴鞠ではないホッケー風の球技ではないか……との異論があることも、当然、佐山氏は知っているだろう。

 この部分は、どのように処理されるのだろうか? まさか、ホッケー風球技説を根拠も薄弱なままに強硬に主張し、だから「日本人はサッカーが苦手な民族である」という話にもっていきたがる玉木正之氏の受け売りにならないだろうか?(そうなりかねないのである.佐山氏なら)

自虐的日本サッカー史観に陥らないだろうか?
 もうひとつ、明治時代の話である。今さら説明の必要はないが、明治時代、日本ではサッカーは野球に人気や普及で出し抜かれた。これも「日本人はサッカーが苦手な民族である」から……という話に、佐山氏は持っていくかもしれない(今までさんざんそういう話を書いてきたから)。

 これも宇都宮氏のインタビューに出てきた、イタリアに大敗した件も含めて1936年ベルリン五輪のサッカー日本代表を再評価する試みもそうだが、結局は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という話に、佐山氏は持っていかないだろうか(今までさんざんそういう話を書いてきたからだ)。

 当ブログが、佐山一郎氏の近刊が悪い意味でも楽しみだと書いたのは、以上のようなを確認したいからでもある。引用したインタビュー記事を読んでいると、佐山氏の自分史に重ねて日本のサッカー史を語るスタイルらしいから、そんな「自虐的日本サッカー史観」に陥(おちい)るかもしれない。

 まあ、そうなったらなったで当ブログではネタにするから、今から『日本サッカー辛航紀』の刊行が、皮肉ではなく、本当に待ち遠しいのである。

(この項,了)


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日本サッカーにとって何かと因縁のある10月26日に寄せて……。



そもそも「大化の改新と蹴鞠」問題とは何か?
 サッカー日本代表は、2018年に開かれるFIFAワールドカップ・ロシア本大会への出場を決めた。しかし世界の壁は厚い。日本代表はこれまでW杯で何度となく世界と戦い、しかし、勝てなかった。日本と世界との差は、果てしなく遠い。

 ああ、なぜ日本のサッカーは世界で勝てないのだろうか? 否、そもそも、なぜ日本は「サッカーの国」ではないのだろうか? なぜ日本ではサッカーより野球の人気があるのだろうか? 古来、日本には「蹴鞠」(けまり)の伝統があるというのに。はるか昔の飛鳥時代、「大化の改新」(645年)を主導した2人、中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったのは蹴鞠の会だというではないか?
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【小泉勝爾『中大兄皇子と中臣鎌足』神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより】

 しかし、実は、この逸話の記述がある『日本書紀』(720年成立)皇極天皇紀にはハッキリと「蹴鞠」とは書いていないのである。皇極紀に記載があるのは「打毱」という、謎の文字列だ。
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 この古代球技については、従来通り「蹴鞠」であるという説と、後代に打毬(だきゅう)とも毬杖(ぎっちょう)とも呼ばれたスティック(杖または棒)を用いたホッケー風の球技であるという説、2つの説がある。
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【打毱(正倉院宝物)小学館版『日本書紀』より】

 現在、出回っている主な『日本書紀』のテキストでは、どうなっているか? 岩波文庫版(歴史学者・坂本太郎校注)では「打毱〔まりく〕ゆる」と訓読して蹴鞠だとし、小学館版(国文学者・西宮一民校注)では「打毱」を「ちょうきゅう」と音読みしホッケー風球技だとしている。学術の世界でも解釈が分かれている。
日本書紀〈4〉 (岩波文庫)
坂本 太郎
岩波書店
1995-02-16


 いずれにせよ、この問題については、どちらが正しいのかハッキリと断定できる証拠がない。

玉木正之氏はなぜ蹴鞠説を否定するのか?
 こうした中にあって、有名なスポーツライター……にして、立教や筑波などいくつもの大学・大学院で「スポーツ学」を講じている「学者」でもある玉木正之氏は、一貫して蹴鞠説を否定し、ホッケー風球技説を全面的に正しいものと繰り返し主張してきた。
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【玉木正之氏】

 なぜなら、玉木正之氏は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という強い思想の持ち主だからである。そのためには、大化の改新のきっかけが「蹴鞠」であっては困る。あくまでスティックを使ったホッケー風の球技でなければならない。

 そのロジックは以下のようなものである。

 玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカー(またはフットボール)の人類史的なルーツと考えている。チーム(団体または集団)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。

 一方、現代の日本に伝わっている「蹴鞠」は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である。日本人にとって蹴鞠はサッカーのルーツには当たらない。

 ホッケー風のスティックを使った団体球技は、やがて歴史の中で日本では廃れ、一方の蹴鞠は日本の伝統として近現代まで伝わった。日本人にとってボールスポーツ(球技)とは個人プレーに面白さを見出すものだからである。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人はチームとしての動きが重要なサッカー(フットボール)よりも、投手や打者の個人としてのプレーが重要視される野球が好きなのである。だから日本はサッカーの国ではなく、野球の国になったのである。

 このことは現代日本のサッカー事情にも影響を与えている。蹴鞠と同じく、ボールリフティングの妙技をひとりで演じる競技「フリースタイルフットボール」では、日本人の世界チャンピオンが生まれている徳田耕太郎選手:Red Bull Street Style World Finals 2012 Italy 優勝)。



 しかし、チーム(団体または集団)でプレーする11人制のサッカーでは、日本代表(男子)は世界の一流国と伍(ご)して戦うことができない。また、国際サッカー連盟(FIFA)のランキングでは、日本は世界40位台をうろうろしている。

玉木正之説における知の欺瞞(ぎまん)
 何ともトリッキーな話だが、しかし、この玉木正之氏はデタラメなのである。

 そもそも学界でも確たる定説がないこの問題で、どうして玉木氏は蹴鞠ではなくホッケー風球技であると一方的に断言できるのだろうか? まさか、玉木氏自身が日本の古代史や古代スポーツを研究したはずはない。つまり、誰かの研究や所説に従っているはずである。その根拠はいったい何なのだろうか? 当ブログ(の中の人間)は、この件について玉木氏に質問のメールを出したことがある。

 返事は来た。ところが、この時の回答は呆れるばかりの酷いものだった。以下のリンクは、玉木氏と当ブログ(の中の人間)との意見のやり取りである。
 玉木正之氏との議論の問題点をまとめると……。

[1]
 そもそも玉木正之氏は、誰のどんな研究・所説や著作をもとに「大化の改新のきっかけは蹴鞠ではなくホッケー風球技だった説」を支持するようになったのかをまったく覚えておらず(!)、当ブログの質問の趣旨にまったく答えられていない。参考にしたはずの資料も破棄してしまった(!)らしい。

[2]
 なんと玉木氏は、蹴鞠説を採用した岩波文庫版でも、ホッケー風球技説を採用した小学館版でも、『日本書紀』皇極天皇紀の該当部分(中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場面)をまともに読んだことがなかった(!)ようである。玉木氏は議論するにあたって、最小限押さえておくべきところを押さえていない。

[3]
 さらに驚くべきことに玉木氏は、橋本治氏の作品『双調平家物語〈2〉飛鳥の巻(承前)』を示して、この小説の描写の方が(歴史書である『日本書紀』よりも)史実に近い(!)と主張した。

[4]
 玉木氏は、それでも自分が絶対的に正しいと持論持説を繰り返した。

 加えるに、橋本治氏の『双調平家物語』について。この作品は、歴史そのものではなく、あくまで歴史を題材にした想像力豊かな物語を味わうフィクションであること。中大兄と鎌足の出会いの設定・描写も『日本書紀』とはまったく違うこと。

 また橋本氏は、この作品の参考文献に歴史学者・遠山美都男氏の『大化の改新~六四五年六月の宮廷革命』をあげているが、遠山氏の著作では、特に蹴鞠説を否定しているわけではないこと。等々の理由で、玉木氏が持説の補強に使うには、はなはだ相応しくない。

 ……これだけ知的誠実さを欠いた玉木氏の言い分は、説得力があるとはとても言えない。アカデミズムとしてもジャーナリズムとしても論外だろう。議論の体をなしていない。

 つまり、この玉木正之説はデタラメなのである。

フリースタイルとFIFAランキング
 推察するに、大化の改新のきっかけ、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場となった古代日本の球技は通説通り蹴鞠ではなく、実はホッケー風の球技だったのではないか……という説を、玉木氏はどこかで読みかじったのだろう。

 この説は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という思想の持ち主である玉木正之氏にとって都合のいい話であった。だから、根拠となる事実(史実)や論証、誰の研究・著作かなど、まったくお構いなしに飛びついた(フィクションである橋本治氏の小説『双調平家物語』も,歴史的に正しい描写だと信じ込む)。そして、ホッケー風競技説を吹聴・喧伝し、玉木氏独自のスポーツ史観を次々と展開していった。

 曰く。だから、日本ではサッカーより野球の人気が高いのである。曰く。だから、蹴鞠の伝統を受け継ぐフリースタイルフットボールでは日本人の世界チャンピオン(徳田耕太郎選手)が出た。曰く。しかし、11人制サッカーの日本代表(男子)は世界に勝てない。FIFAランキングでは40位台をうろうろしている。

 しかし、日本に伝わる伝統的な蹴鞠と現代のフリースタイルフットボールとは似て非なるものである。烏帽子に鞠水干(まりすいかん)といった衣装で、右足でしか鞠を蹴られない、厳密に様式化された「蹴鞠」と、左右両足でのキックにヘッディング、バク転や逆立ちといった「フリースタイルフットボール」とでは、身体の動きや技術、演技は大きく異なるのである。

 そもそも、フリースタイルフットボールの「世界チャンピオン」である日本人・徳田耕太郎選手は、もともと11人制サッカーの選手であった。頭部のケガで11人制を続けることを断念したのであり、玉木氏正之が言うように、日本人はチームプレーを苦手とするから個人でプレーするフリースタイルの選手になったではない。この点もつじつまが合わない。

 サッカー日本代表(男子)は、世界の一流国と伍して戦うことができない。その実力はFIFAランキング(世界ランキング)40位台に過ぎない……という玉木正之氏の言い分も、ためにする議論の難癖である。

 だいたい、世界の一流国と伍して戦える国のことを一流国と呼ぶのである。世界中のほとんどのサッカー国は「世界の一流国と伍して戦え」ない、二流、三流、四流……の国である。

 2017年9月時点での日本のFIFAランキングはちょうど40位だ。世界40位台の国々を見ていくと、41位ルーマニア、43位スコットランド、44位ナイジェリア、45位カメルーン、46位ボリビア、47位ギリシャ、50位オーストラリア……。代表チームの実績としては、みな、ひとかどのサッカー国である。

 そして、Jリーグ以前(~1993年)のサッカー日本代表をあえて世界ランキングに換算すると、どうひいき目に見てもFIFA加盟200有余国の中で100位以上にはならない。それどころか120位以下かもしれない(参照:「1989年のサッカー日本代表~当時の世界ランキングを類推する?」)。むしろ、日本のサッカーは、そんな状態から世界40位台までに這い上がってきたのだ……という見方ができる。

 野球やラグビーなどと違うのは、サッカーは全世界的・全地球的な広がりと人気を持ったスポーツだということである。世界のサッカーはブラジルやドイツといった「一流国」や準一流国だけで成り立っているのではない。FIFAランキング30位台、40位台、50位台の国々がサッカーの世界性とその豊かさを支えている。そして日本のサッカーもまた、サッカーの世界性の一端を担っている。

 玉木正之氏が言うほど、日本サッカーって駄目なものだろうか?

そもそも「1対1の勝負説」とは何か?
 元来、日本人はサッカーが苦手な民族である。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人はチームとしての動きが重要なサッカー(フットボール)よりも、投手や打者の個人としてのプレーが重要視される野球が好きなのである。だから日本はサッカーの国ではなく、野球の国になったのである。

 こうした玉木正之スポーツ史観を支える二本柱のもう一方が「1対1の勝負説」である。

 そのロジックは以下のようなものである。

 どうして日本人は、サッカーではなく野球に熱狂したのだろうか。この問いについて、最も面白く、かつ的確な指摘をしてくれたのは中沢新一氏(宗教学者・人類学者)の説である。

 それは「日本では、市民戦争が早く終結したから」というものだ。

 日本では、1600年の関ヶ原の戦いで、軍人以外の一般庶民が武器をとって戦う内戦(市民戦争,civil war)の時代が終結した。それは、日本に鉄砲が伝来(1542~43年?)して約半世紀後のことであり、その鉄砲が武器として用いられた長篠の戦い(1575年)からわずか25年後のことだった。

 鉄砲が戦争の主力武器となると、それまでの槍や刀を用いた戦争とは戦い方がまったく異なってくる。ひとりひとりの人間が白兵戦で切り合う個人戦から、団体戦(集団戦法,あるいはチームプレー)にだ。ところが、日本の一般庶民は、団体戦の歴史をほとんど経験しないまま、団体戦という新しい戦争の思想が成熟しないまま、江戸時代250有余年の平和な世の中に入った。日本は世界史的に見てきわめて特異な国である。

 そのため日本人は、戦いといえば源平合戦以来の「やあやあ我こそは……」と大音声を張りあげて闘う一騎打ちの意識が抜けきらなかった。そして、戦国時代の川中島の戦いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちや、江戸時代初期の巌流島の決闘における宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い(個人戦=1対1の戦い)などを英雄譚として語り継いできた。

 そんなところへ、日本は文明開化の明治時代(1968年~)を迎え、さまざまなスポーツが一気に海外から伝えられた。

 「1対1の戦い」に美学を見出してきた日本人にとっては、サッカーやラグビーのように、役割の異なるプレーヤーが、別々の動きをするなかで、ひとつのチームとして機能するようなチームプレー(団体戦)のスポーツよりも、野球のように、チームのなかからひとりひとりの代表者(投手と打者)が「やあやあ我こそは……」と登場して戦う個人戦(1対1の戦い)のスポーツの方が理解しやすかったに違いない。

 だから、日本人はサッカーよりも熱狂したのである。日本人が野球を好み、サッカーが苦手なのは、歴史的・文化的・伝統的必然なのである。

 このことは現代日本のサッカー事情にも影響を与えている。個人でボールリフティングの妙技を演じる競技「フリースタイルフットボール」では、日本人の世界チャンピオンが生まれている(徳田耕太郎選手)。

 しかし、チーム(団体または集団)でプレーする11人制のサッカーでは、日本代表(男子)は世界の一流国と伍して戦うことができない。国際サッカー連盟(FIFA)のランキングでは、日本は世界40位台をうろうろしている。

 日本人はサッカーが苦手な民族なのである。

独断と歪曲の玉木正之説を撃つ
 何とももっともらしい話だが、しかし、この「1対1の勝負説」(命名は牛木素吉郎氏)はデタラメなのである。

 その理由を列挙すると……。

[一]
 明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは、現在のそれと大きく異なっていた。打者は「高め」(ハイボール)、「低め」(ローボール)、あるいはその両方(フェアボール)と、自分の打ちやすいストライクゾーンを指定して投手に球を投げさせることができた(下のイラスト参照)。
「ベースボールマガジン」1980年3月号
【『ベースボールマガジン』1980年3月号より】

 また、投手に関するルールは、かなり厳しいものがあり、たとえば投げ方は下手投げに限定されているなど、投手の技量・力量で打者を打ち取る余地はほとんどなかった。さらに、現在の野球のようにボール4つ=四球(フォアボール)ではなく、ボール9つ=九球で打者は一塁に進塁することになっていた。

 どういうことか? 投手は、打者が打ちやすいボールをひたすら投げ続けなければならない……それが当時の野球というゲームの本質であったからだ。当時のこうしたルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いのである。

 日本で野球が本格的に普及し始めた明治10~20年(1877~87)ごろの著名な野球人に、文学者の正岡子規(1867~1902)がいる。彼はそういう旧式のルールのもとで野球を始めたのである。
野球人・正岡子規
【野球のユニフォームを着た正岡子規】

 19世紀の旧式ルールで子規が野球をプレーするシーンは、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」(2009~11年放送)で表現されている。
NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部 DVD BOX
本木雅弘
ポニーキャニオン
2010-03-15

 玉木氏は、正岡子規が野球について詠んだ短歌・俳句を紹介しては、ひたすらそれを称揚する。しかし、NHKの「坂の上の雲」を含めて、正岡子規がどんなルールで野球をやっていたかについては黙して語らない。それに言及することは「1対1の勝負説」の展開にとって都合が悪いからではないかと、当ブログ(の中の人間)は邪推している。

[二]
 玉木正之氏の「1対1の勝負説」は典型的な例で、なぜ日本ではサッカーより野球の人気が出たのか……という議論にありがちなのだが、野球とサッカー(フットボール)の外見的な特徴の違いを取り上げたものが多い。

 フットボール系の球技に対し、投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技(「バット‐アンド‐ボール・ゲーム」と言う)に「クリケット」がある。
クリケット
【クリケット】

 クリケットも、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた。そして、投手対打者による1対1の対決というゲームの性格は、19世紀の旧式ルールの野球よりもクリケットの方がより顕著である。

 「1対1の勝負説」では、野球とクリケットとの比較を欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はしていない。

[三]
 あるスポーツ種目が紹介され、定着し、普及し、拡散するということは、実はかなり手間のかかることである。一過性の紹介で定着・普及・拡散するということはまずない。具体的には、そのスポーツを行うための道具、土地、ルールや技術・戦術などの情報をそろえた上で、普及指導に熱心な個人または組織がなければならない。

 この仮説を立てたのは、学者で、日本ではいちど途絶えたクリケットの再普及を実践した山田誠氏(元神戸市外国語大学外国語学部教授,日本クリケット協会会長)である。
 実践経験者であるがゆえ、玉木正之氏らのように観念的な議論とは違った説得力がある。

 なぜ、日本ではサッカーより野球の人気があるのか(あったのか)を、「なぜ」の視点から考えてみると、玉木正之氏の「1対1の勝負説」のように、その国の歴史・文化・伝統……みたいな話、すなわち文化論・日本人論ばかりになってしまう。しかし、山田誠説をもとに野球やサッカーが「いかに」普及の道をたどったか……という視点でを考えると、別の答えが見えてくる。

 通説では、ベースボールやフットボールも明治初年に日本に伝来したことになっている。ただしこれは、日本に赴任したお雇い外国人が片手間にやって見せて、現地の日本人にやらせてみせた一過性の紹介に過ぎなかった。

 山田誠説にのっとった形で、野球とサッカーが「いかに」伝来・紹介されたのかを見ていく。すると、本格的な普及が始まった年が、サッカーより野球の方が20年近く古いことが分かる。

 片や、野球は1878年(明治11)、平岡煕(ひらおか・ひろし)主宰の新橋アスレチック倶楽部から始まった。こなた、サッカーは1896年(明治29)の東京高等師範学校(現在の筑波大学)のフートボール部(蹴球部)が設立されて以降に普及が図られた。

 これならば両者に普及や人気に差がついて当然。日本でサッカーより野球の人気が先んじたのは、単なる歴史の偶然である。例えば、史実ではアメリカに留学して日本に野球を持ち帰った平岡煕が英国に留学していたら、フットボール(サッカー)を日本に持ち帰っていたかもしれないのだ。

 加えるに、玉木正之氏の「1対1の勝負説」は、「大化の改新のきっかけは蹴鞠ではなくホッケー風球技だった説」と違って出どころがハッキリしている。講談社の月刊誌『現代』1988年10月号に掲載された、玉木氏、ロバート・ホワイティング氏、中沢新一氏3人による座談会「SMかオカルトか侃侃諤諤〈ベースボール人類学〉」である。
「現代」(講談社)1988年10月号2
【『現代』1988年10月号より】

 中沢氏は、学者としては毀誉褒貶の激しい人であり、堅実な実証というよりは1980年代の「ファッショナブルな知」の担い手として知られる人である。中沢氏の「1対1の勝負説」のヒントになった発言を読み返してみても、厳密な学問的裏付けがない。

 玉木正之氏もまた、事実や実証を軽んじる人である。玉木氏は、中沢発言の学問的正しさよりも、その「面白さ」に惹かれ、「日本人はサッカーが苦手な民族である」という彼の歴史観に適合したからこそ、これを採用し、吹聴・喧伝したにすぎない。

 ……つまり、この「1対1の勝負説」はデタラメなのである。

玉木正之的スポーツ史観の超克
 玉木正之氏は、いくつかの大学・大学院でスポーツ学を講じる「学者」でもある。しかし、当のアカデミズムからは全く相手にされていないらしい。

 しかし、玉木氏は知名度の高いスポーツライターであり、スポーツ界への影響力も強い。彼が問題提起したことで顕在化・常識化したスポーツ界の話題も多い。「野球」と「ベースボール」という表記を使い分けて、同じ球技にもかかわらず違ったニュアンスを出すことを日本語に定着させたり。10月の祝日「体育の日」を「スポーツの日」に改称させようと、政治的に働きかけたり……。

 玉木正之氏は「大化の改新のきっかけは蹴鞠ではなかった説」や「1対1の勝負説」という持説を吹聴して、日本人はサッカーが苦手な民族であるという思想を啓蒙しようとしている。だからJリーグはプロ野球の人気に勝てない、だからサッカー日本代表はワールドカップで勝てない……という印象を、人々に刷り込もうとしているのだ。

 つまり、このまま玉木氏の持論が「天下の公論」になってしまうかもしれないのである。

 その内容が妥当なものならば、受け入れるしかない。ところが、これまで論じてきた通り、玉木正之説は徹底的に間違っているのである。これは日本のサッカーにとって明らかに不利益なものだ。日本のサッカー関係者は、玉木正之氏のデタラメ説を徹底的に批判して、これを超克しなければならない。

(了)



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「体育の日」から「スポーツの日」への改称案
 国民の祝日「体育の日」の名称を「スポーツの日」へと改めようという政治的な動きが出てきている。
体育の日 名称「スポーツの日」に 改正法案を今秋提出へ

毎日新聞2017年4月27日

 10月の祝日「体育の日」を「スポーツの日」に改める改正案が早ければ、今秋の臨時国会にも提出される見通しとなった。27日の超党派のスポーツ議員連盟の総会で報告された。「体育の日」は1964年東京五輪を記念し、開会式の行われた10月10日に制定(現在は第2月曜日)されたが、2020年東京五輪・パラリンピックを見据えて、再び衣替えすることになる。
スポーツ議員連盟_麻生太郎
 祝日法では体育の日の趣旨を「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」としているが、「スポーツを楽しみ、互いを尊重し、健康で活力ある社会を願う」とスポーツの意義を明確に打ち出す文言に変更する案も紹介された。

 11年にスポーツ基本法が制定され、15年にはスポーツ庁が創設されるなど、スポーツは学校体育の枠を超えて広がっている。日本体育協会は日本スポーツ協会、国民体育大会は国民スポーツ大会への変更も検討されている。【田原和宏】
 この「スポーツの日」改称運動を広く啓蒙し、政治的にも深く関わってきたのがスポーツライター玉木正之氏である。ネット検索をかけると、玉木氏がこの問題に並々ならぬ情熱を注いできたのかがよく分かる。
 なぜ「体育の日」から「スポーツの日」へ変えなければいけないのか? そもそもスポーツとは明朗で解放的なものである。しかし、体育とは……過度の精神主義や上下関係、体罰、いわゆる勝利至上主義など、スポーツを陰湿に閉鎖的にかつ日本的に歪曲したものだからである。体育とはスポーツの「誤訳」だからである。
 スポーツとはラテン語のデポラターレ(日常的な労働を離れた非日常的な遊びの時空間)という言葉から生まれた。従って音楽や絵画といった芸術文化も広義のスポーツの一種であり、「冗談・気晴らし・娯楽」といった意味もある。

 一方「体育」は英語に訳すと「フィジカル・エデュケーション(身体教育)」で、スポーツとは意味が異なる。

 古代ギリシャや近代イギリスで生まれ発展したスポーツは、民主主義社会の誕生と密接な関係があり、フットボールの歴史はヨーロッパの歴史、野球の歴史はアメリカの文化史にもつながる。つまりスポーツには「知育」の面もあり、「徳育(道徳教育=スポーツマンシップ)」も含むのだ。そんな大きな価値を持つスポーツを、「体育」とのみ訳すのは、明らかに誤訳と言える。

 が、昭和36年にスポーツ振興法ができたとき、体育がスポーツの訳語とされ、昭和39年東京オリンピックの開会式の日(10月10日)を記念して「スポーツに親しみ健康な心身を培う日」と定められた国民の祝日も、英語では「Health Sports Day(健康とスポーツの日)」と称しながら、「体育の日」と呼ばれるようになった。

 そのため今でも「スポーツ=体育」と誤解している人も多いようで、本来は好きで自発的に行われるべきスポーツが、我が国〔日本〕では命令されて強制的に行わされ、時には体罰まで伴う身体訓練と曲解される事態まで生じてしまった。

 ……と、いったことを、玉木氏は繰り返し主張してきたのであった。

それはごもっともだけどオレの考えは違った。
 上記の小見出しは、2008年北京オリンピックの時の本田圭佑の有名なセリフである(その意味元ネタ.余談だが本田のこの態度に日本サッカーはどれだけ酷い目にあわされてきたことか)。玉木氏の一連の啓蒙に関して、どう思うか? ……と、問われれば、本田圭佑のこの発言の引用する。

 玉木正之氏の言い分? それはごもっともだけどオレの考えは違った。

 松井良明氏(英国スポーツ史研究)の『近代スポーツの誕生』や『ボクシングはなぜ合法化されたのか』といった、プロの学者の書いた著作を読むと、玉木氏のスポーツ史観が少し、いや、かなり疑わしく見えてくるからである。


 松井氏の専門は、英国の近世から近代初期のスポーツ史である。スポーツの語源はラテン語で「気晴らし」の意味……と、ここまでは松井氏と玉木氏は同じ。しかし、この時代の英国の「気晴らし=スポーツ」には残酷さや流血、暴力をもてあそぶ性質が強かったのだという。

 例えば、賞金を賭(か)けて素手で殴り合い死亡事故が多発したボクシング、どちらかの選手の頭が流血するまで決着がつかなかった棒試合(木の棒を使った剣術の一種)。闘鶏や闘犬、雄牛vs犬、熊vs犬といった動物同士の殺し合い、あるいは牛追い(闘牛の一種)のような人間と動物が対決するアニマルスポーツ。中でも無慈悲なのは、くくり付けた鶏(ニワトリ)に人間が木の棒を投げて殺す「鶏当て」……。

 ……一連の「スポーツ」は「ブラッディ・スポーツ」(bloody sport:流血のスポーツ)と呼ばれ、「今日からすればいずれも〈残酷〉で〈血なまぐさい娯楽〉であった」(『近代スポーツの誕生』29頁)。そして、これがかつての英国におけるスポーツ=「日常的な労働を離れた非日常的な遊びの時空間」の実態だったのだ。

 先の引用文にもあるように、昨今の玉木氏の持論は「そもそもスポーツは民主主義社会から生まれ、民主主義社会だからこそ栄える.民主主義の価値観とは非暴力である.すなわちスポーツとは本来的に非暴力的なものである」というもの。そして、その視点から、「体罰」に代表される日本スポーツ界の悪弊を批判しようとするものだ(『スポーツ 体育 東京オリンピック』ほか)

 むろん、当時の英国におけるスポーツの暴力と、日本で習慣化し悪弊となっているスポーツの暴力(体罰)を一直線につなげるのは危険であろう。それでも、前近代の英国にきわめて暴力的であるが、それを良しとする「豊かなスポーツ文化」が存在したことは、考えさせられる史実である。

 それはごもっともだけどオレの考えは違った……のもう一例。スポーツ文化の発展は民主主義社会の確立と深く関係していると玉木氏が主張するが、本当だろうか?

 近代スポーツ確立の証しと言える、サッカー(FA:1963年)やラグビーなど(RFU:1971年)といった、英国(イングランド)の各種スポーツ競技団体が結成は19世紀中後期(1850年代以降)。この時期は、労働者階級による普通選挙権要求・獲得運動(民主化運動)である「チャーチスト運動」が挫折した後なのである。

 つまり、玉木氏の考えは正しくないのではないか。

 スポーツの本質を民主主義と非暴力ととらえ、これと相反するものとして「体育」と記号化し、日本のスポーツ界の在り様を批判する……このやり方は、やはり玉木氏一流の論理の飛躍と単純化、ご都合主義の方法に過ぎないのではないか。「体罰」などの問題を批判するならば、もっと腰をすえた研究や分析が必要なのではないだろうか。

「歪んだ日本スポーツ」のアンチテーゼも歪んでいる
 歪みにアンチテーゼを唱えても、しょせん歪んでいる。残念ながら前世紀〔20世紀〕の日本国におけるスポーツは、その枠にとどまった。

 「歪んだ〔日本〕スポーツ界へのアンチ」。残念だけれど、それも、また歪んでいる。

 新しい世紀〔21世紀〕を担うアスリートは、どうか歪んだ輪廻〔りんね〕から脱出していただきたい。しつこいけれど、おかしな出発点から反対を唱えても、おかしなことになるのだ。

藤島大「浅薄な環境に溺れぬ、真に知的なアスリートを。」(PDFファイル
『ナンバー』2001年1月11日第514号
 玉木正之氏のくだんの主張に共感が持てないもうひとつの理由は、「歪んだ日本スポーツのアンチテーゼ」として玉木氏が期待をかけたスポーツ関係者が、その期待通りの内実を日本のスポーツ界にもたらしたのかどうか、いろいろ怪しいからである。

[長嶋茂雄]言うまでもなく、野球界の枠を超えた戦後日本最大のスーパースター。その大胆でダイナミックなパフォーマンスは多くの人を魅了した。また、川上哲治や王貞治といった刻苦勉励・艱難辛苦をイメージさせる野球人、あるいは勝利至上主義で面白くないといわれた1980~90年代当時に主流であった「管理野球」のアンチテーゼとして、明朗で解放的な長嶋のイメージが持ち出された。

 玉木正之氏も、さまざまな手段で長嶋茂雄を称揚してきた。
定本・長嶋茂雄 (文春文庫)
玉木 正之
文藝春秋
1993-03-01


 しかし、プロ野球チームの監督としてはどうだったか? ダイナミックで面白い野球を標榜していた割には、読売ジャイアンツ(巨人)の監督時代(第2次:1993~2001年)の成果は、実際にはフリーエージェントなどによる選手の大型補強に頼って勝ったものである。それでもなかなか優勝できない長嶋巨人では、監督の長嶋には責任を負わせられないので、代わりにコーチ陣が詰め腹を切らされた。

 長嶋茂雄の再登場は、日本におけるプロ野球人気の低迷・凋落にかえって掉(さお)さすことになった。

[平尾誠二]
常々、スポーツは遊びだ、ラグビーを楽しむ……と、公言していた元日本代表ラガーマン。そして、同志社大学では大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7連覇を達成する。玉木正之氏にとっては自身の思想や価値観を体現してくれる存在が平尾誠二であった。そして、同じ京都人同士ということもあり、取材する側・される側の枠を超えた親しい関係を築き、賛美した。

 しかし、1995年、ラグビーW杯南アフリカ大会に際して、戦術的完成度は低く、かつ風紀の紊乱(びんらん)の極にあったラグビー日本代表に選手兼「事実上の監督」として戻ってきた平尾誠二は、チームを粛正することなく、無軌道な他の選手たちといっしょに練習も中途半端に遊び呆けた。そのために同大会での大惨敗を招いてしまう(対ニュージーランド戦の145失点など.この辺の事情は『ラグビー黒書』などに詳しい)。
ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12

 この後、20年後の2015年ラグビーW杯で日本代表が南アフリカ代表にジャイアントキリングするまで、日本ラグビーの権威は失墜したままであった。結局、平尾が言った「ラグビーを楽しむ」とは、日本で見栄を張るだけで、海外の強豪に立ち向かう気がなかったのか……などと批判された。

[ジーコ]この人は日本代表監督としての能力が疑問視されていた。が、その一方、従来のサッカー日本代表が戦術や型・組織を重んじていたのに対し、ジーコは「自由なサッカー」「個の力を重んじるサッカー」を掲げた。だから、「ジーコ・ジャパン」(2002~06)は選手たちに細かい戦術の落とし込みなどしない。それはブラジルのサッカースタイルに由来する元ブラジル代表のスター=ジーコの「思想」なのだ……と、称揚する評価も強かった。

 むろん、玉木正之氏も、その文脈でジーコを肯定していたひとりである。
「型」のないジーコ・ジャパンは大丈夫?
【「〈型〉のないジーコ・ジャパンは大丈夫?」より】

 果たしてジーコ・ジャパンは肝心の2006年ドイツW杯で惨敗する。だが、ジーコは免罪された。なぜなら、ジーコは「自由なサッカー」「個を重んじるサッカー」を目指していたからであり、その理想に応(こた)えられない日本人選手の「自由」や「個」の能力が劣っていることの方が悪いのだから……である。
 しかし、意外かもしれないが、ジーコ本人は、自らが率いた日本代表について、自らの言葉で語るとき「自由なサッカー」「個の力を重んじるサッカー」云々の話はしない。こういう場合のジーコの言い分は「(クラブチームと違って)代表チームの監督は時間がとれないからチームが熟成しなかった」という、きわめて単純なものである。この言い回しは、例えば著者がジーコ本人名義になっている『監督ジーコ 日本代表を語る』に登場する。
監督ジーコ 日本代表を語る
ジーコ
ベースボールマガジン社
2006-02

 ジーコのこの考えは、2017年8月、2週にわたってテレビ東京系のサッカー番組「FOOT×BRAIN」出演したジーコのインタビューであらためて確認できた。ジーコ本人と、ジーコ支持派の考えの間にはかなりのギャップがあるのだ。
ジーコ@FOOT×BRAIN
【FOOT×BRAIN「独占!神様ジーコ登場!今聞きたいこと…」より】

 要するに、ジーコは「自由なサッカー」「個の力を重んじるサッカー」を志向していたというのは、日本のサッカー関係者・スポーツ関係者のミスリードなのである。なぜなら、こうした語られ方が「歪んだ日本スポーツのアンチテーゼ」という図式にはピッタリくるからである。当然、その中には玉木正之氏がいた。

 しかし、ジーコの本質は「無思想」である。それをさも「思想」があるかのようにミスリードされたがゆえ、2006年ドイツW杯では非常に悔いの残る負け方をした。にもかかわらず、責任者であるはずのジーコは批判を免れた。ドイツW杯当時の日本代表は年齢的にもピークに達する選手が多かったのに、絶好の機会をふいになってしまった。

 つまり、野球(長嶋茂雄)といい、ラグビー(平尾誠二)といい、サッカー(ジーコ)といい、玉木正之氏の肩入れした対象はことごとく失敗している。単純な勝ち負けの問題ではなく、これらの人々が日本のスポーツ文化を豊かにしたとは、とても言えない。

 藤島大氏が喝破したがことく、玉木氏の言動に代表されるような「〈歪んだ日本スポーツのアンチテーゼ〉もまた歪んでいる」のである。

玉木正之氏の政治的・社会的影響力を侮(あなど)るなかれ
 思想的にも、知識的にも、論理的にも、玉木正之氏は破綻している。筑波大学や立教大学などで客員教授や非常勤講師をつとめて、大学生・大学院生に「スポーツ学」を教えているが、アカデミズムの世界では、玉木氏は相手にされていないという。

 しかし、実際の玉木正之氏の政治的・社会的影響力はあなどってはならない。

 スポーツライターとしての社会的影響力について。例えば、スポーツ関連で何か事件や話題が起こったりすると、新聞やテレビ、ラジオといったマスコミが真っ先にコメントを取りに行くのは、玉木正之氏である。サッカーに関してもしかり。けして、大住良之氏や後藤健生氏ではないのだ。

 あるいは、「野球」とは別に、意図的に「ベースボール」という言葉を用いて、「野球」とは違ったニュアンスを出す用法を流行らせ、日本語に定着させたのは玉木正之氏である。これは、ちょうど「体育」と「スポーツ」の対比させる議論と相似形のものだ。
和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01

 政治的な影響力としても、日本サッカー協会の元会長にしてJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏とも親しい。あるいはスポーツジャーナリズムを代表して国会(衆議院)の文教委員会(スポーツ関連の政策を扱う)の参考人として呼ばれただの……。

 玉木正之氏についてはこうした効能書きに事欠かない。「体育の日」を「スポーツの日」に改称させる動きは、玉木氏のこうした影響力と啓蒙に負うところも大きい。

 一方で玉井正之氏は、例えば「慶應義塾大学ではサッカー部のことを〈ア式蹴球部〉と呼ぶ」(←えっーーー!?)という間違いを間違いと気付かす平気で書いて、恬(てん)として恥じないところがある。玉木氏の発言や文章を載せるメディアは「編集」や「校正・校閲」が機能しないのでデタラメが垂れ流されてしまう。

 本当に恐ろしいのはここのところで、事実(史実)に基づかない、玉木氏自身の思想にとって都合のいい持論が啓蒙され(垂れ流され)、それが「天下の公論」として定着してしまいかねないことである。

 昨今、玉木正之氏が熱心に「啓蒙」しているものに以下の2点がある。
 いずれも、だから日本はサッカーの国ではなく野球の国になった。だから日本人はサッカーが苦手な民族なのである。だからJリーグはプロ野球の人気に勝てない、サッカー日本代表はワールドカップで勝てない……という印象を、日本人に刷り込もうとしたものだ。

 ところが、この2つの玉木正之説は完璧に間違っている(上記箇条書きのリンク先参照)。そして、玉木説は日本のサッカーにとって明らかに不利益なものだ。日本のサッカー関係者は、玉木正之氏のデタラメ説を徹底的に批判して、これを葬り去らなければならない。

(つづく)


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