スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2017年09月

杉山茂樹氏の問題提起
 壊れた時計でも1日2回は正確な時を刻む……。

 ……などという言い方は明らかに失礼だが、金子達仁氏と並ぶ電波ライター(死語か?)の2トップ(これも死語か?)ともいうべき杉山茂樹氏のメールマガジンである。が、これから紹介するコラムに関しては、そんなにおかしいことは言っていないと思う。
2017年09月19日発行

杉山茂樹のたかがサッカー、されどサッカー。

(348)ブラジルやフランスと親善試合を戦うよりも大事なこと

 10月と11月。日本代表は立て続けに親善試合を行う。10月がハイチとニュージーランド。11月はフランスとブラジルになりそうだとか。
ハリルジャパン2017年11月欧州遠征
 ハリルジャパンがこれまで戦った親善試合の数はわずかに8。過去に比べて異常なほど少ない。ジーコジャパン時代は年平均9試合。岡田ジャパン、ザックジャパン時代はともに約7試合。それがハリルジャパンは2年半で8試合だ。年平均3試合に満たない。それにこれから戦う5試合を追加しても、少ないという事実に変わりはない。

 アウェー戦に至っては、現状1試合。テヘランで行われたイラン戦(2015年10月)のみだ。2試合目となる11月のフランス戦で打ち止めになる可能性が高い。これはハリルホジッチの問題ではなく協会の問題だ。マッチメーク能力に問題ありと言いたくなる。

 とはいえ、対ブラジル、対フランスと聞けば、そうした批判は生まれにくい。報道も、腕試しには願ってもない機会、これ以上は望めない相手と、両国との対戦を大歓迎する声が大勢を占めている。だが、それは本当に喜ぶべき話しだろうか。

 ブラジル、フランスは、W杯本大会で第1シードに属する優勝候補だ。グループリーグを戦う4チームの中では最強の相手。一方の日本は4チームの中では3番目、いや今回は4番目だろう。

 日本が番狂わせを狙う対象は、現実的に考えて2番目のチームだ。ブラジル、フランスは、彼らに本番で1度勝とうと思えば、最低でも10試合は費やさなければならない相手だ。

 日本のライバルは3番手。番狂わせを狙う相手は2番手。前回ブラジルW杯に置き換えれば、コートジボワールでありギリシャだ。

 このクラスの相手を向こうに回し、どんな戦いができるか。その手応えが欲しい。W杯アジア予選で戦った相手は、言ってみれば4番手以下だ。5番手か6番手。10月に対戦するハイチ、ニュージーランドもそこに属する。敗戦は許されない格下だ。ところが、翌11月になると、今度はいきなり1番手と対戦する。2番、3番とはいったい、いつ戦うのか。番狂わせのシナリオは見えていない。

 チュニジア、ウズベキスタン、イラク、イラン、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、オマーン、シリア。これは、ハリルジャパンがこれまで戦った8試合の内訳だが、本番までに戦いたいのは、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チュニジアだ。それらとのアウェー戦の方が、フランス戦、ブラジル戦より現実的だ。

 ブラジル戦、フランス戦はいわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合だ。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。同等あるいは日本より少し強いチームには、そうした選手は多くいない。それでは前景気は煽れない。視聴率……〔続きは有料〕
 サッカー日本代表、現在の「ハリルホジッチ・ジャパン」にいちばん達成してほしいことは、2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会で好成績を上げることである。さしあたっては、4ヶ国総当たりで行われるグループリーグ(1次リーグ)の突破だ。

 そのための蓋然性(可能性ではなく)を少しでも高めるためには、現時点でどうするべきなのか? W杯本大会でグループリーグ第1シードになるワールドクラスのサッカー超大国との対戦よりも、2番手・3番手の国々との試合経験を積んで手応えをつかんだ方がいいのではないか……という問題提起には、なかなか抵抗できない。

 杉山茂樹氏の面白いところは、「日本」と「世界」の二分法ではなく、「世界」の中での「日本」の位置について重層的多面的にアタリを付けて、最終的な成果を上げるためにどうするかを説いているところである。
 たとえ、それがこの人特有の日本サッカーに対する軽侮の念が混じっているとしても……である。杉山茂樹氏とか後藤健生氏とかを除いて、フランスからブラジルからギリシャからコートジボワールから、十把ひとからげにして「世界の壁」などと称しているのが日本人の大方のサッカー観である。まったく戦略性が欠落している。

シギーこと故金野滋氏の功罪
 例えば、昔のラグビー日本代表(ジャパン)のことを思い出す。諸般の事情からラグビーは1987年まで世界選手権(ワールドカップ)が行われなかった。それ以前、1970年代~80年代半ばまで、ジャパンはイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドあるいはフランス……といったワールドクラスのラグビー一流国とばかり国際試合を行っていた。
 ラグビー弱小国の日本がどうしてこんな国々と、次々と試合ができたのか? ……とか、サッカー以上に国際ラグビー界は格式にうるさくて実は日本が対戦した一流国のチームは正規のナショナルチームではなく正規の国際試合でもなかった……とか。こういう話に首を突っ込んでいると話が前に進まなくなるので割愛する。
金野滋氏
【金野滋氏が死去:日本ラグビーの地位向上 国際派 84歳】

 一方、アジア選手権というのもあるにはあったが、80年代の韓国をのぞいて日本の難敵は存在せず、ジャパンの独走状態が続いた。当時、世界ラグビーの2番手・3番手の国々となると、アルゼンチン、イタリア、ルーマニア、旧ソ連(現在のロシア、ジョージアなど)、カナダ、アメリカ合衆国、トンガ、フィジー、サモア(西サモア)あたりが思い浮かぶ。だが、
戦前からのよしみがあるカナダ以外の国とは積極的に交流を行わなかった。

 そして、一流国との対戦では、時々善戦、多くは大敗惨敗を繰り返し、日本ラグビーにとってジャパンにとって実になる経験となったかというと何とも微妙である。

華やかな国際交流がアダとなる…第1回ラグビーW杯のジャパン
 これが1987年第1回ラグビーW杯(ニュージーランドとオーストラリアの共催)でアダとなる。この辺の事情と批判は、日本ラグビーフットボール協会の公式サイトで、ラグビージャーナリストの永田洋光氏が書いているので、そこから抜粋する。
2015/08/04(火)

過去のワールドカップ ‐ 第1回大会 キッカー不在など、課題をさらした日本代表

宮地克実監督・林敏之主将の体制で大会に臨んだ日本代表は、予選でアメリカ〔合衆国〕、イングランド、オーストラリアの順に対戦。大会前には「アメリカには勝って当然」とか「イングランドには相性がいい」といった発言がメディアに躍った。

しかし、初戦のアメリカ戦ではトライ数が3―3と同数ながらトライ後のゴールキックがことごとく不成功。PGも、7本中成功したのは2本のみで18―21と競り負けた。プレースキックの拙さ、安易なディフェンスミスからの失点など、W杯という真剣勝負の恐ろしさを体感したのが、このアメリカ戦だった。
アメリカ合衆国戦
【記念すべき第1回W杯の初戦、日本は米国に惜敗した】

続くイングランド戦では……イングランドの猛攻に為す術もなく8トライを奪われて7―60と完敗。出発前の壮行試合で東京社会人を相手に力づくのトライを積み重ねたチームは、本気のイングランドの力業には為す術もなかった。

〔最終戦の対オーストラリア戦では〕日本は終始前に出るタックルと果敢なボール展開でオーストラリアを苦しめたが、それでも力の差は埋められず、終了間際に2トライを奪われて、23―42で試合を終えた。

それまで“親善試合”でしか世界各国と交流してこなかった日本にとって、世界の本当の強さ、パワーを体感して、厳しい教訓を得られたのが第1回W杯の収穫だった。

Text by Hiromitsu Nagata〔永田洋光〕
 ジャパンが「身の丈」に合った相手との対戦を重ねていれば、競(せ)った場面での正確なプレースキッカーの存在の重要性などを身に染みて経験できたはずである。第1回ラグビーW杯初戦、対アメリカ合衆国戦で負けることはなかったかもしれない。

 そして、同格の国々に勝った上で、いざワールドクラスの一流国に挑戦する……日本ラグビーはそういった過程を踏むことがなかった。

 サッカー日本代表も、ラグビーのそうした失敗の轍(わだち)を踏まなければいいのだが、と思う。

やっぱり,あの大手広告代理店…ですか???
 ところで、今回、2017年11月の日本vsフランス戦、日本vsブラジル戦をマッチメイクしたのは「誰」なのだろう。

 この2試合は「いわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。前景気……視聴率……」と杉山茂樹氏は論評している。

 こうした見た目の華やかさに走るとなると、またぞろ電通のような大手広告代理店の介在とか、サッカー日本代表のスポンサー企業の意向とか、あらぬ邪推が聞こえてきそうだ。

(了)


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顔のない大相撲本場所ポスター
 大相撲本場所の宣伝用ポスターは、力士の顔がはっきり写っていないものが多い。
平成24年(2012)9月場所
【平成24年(2012)9月場所】

平成25年(2013)1月場所
【平成25年(2013)1月場所】

平成25年(2013)5月場所
【平成25年(2013)5月場所】

 江戸時代の錦絵(浮世絵)を使ったポスターもある。
花頂山
【本場所ではないがパリ公演のポスターより。雷電(顔)vs.花頂山】

 なぜならば……。ポスターに顔が写った力士が休場したりすると、何かと都合が悪くなるからだという説がある。

 そのルーツは、昭和46年(1971)年11月場所のポスターの写真に起用されながら、その直前、同年10月11日に虫垂炎(盲腸炎)をこじらせて急逝してしまった第51代横綱玉の海正洋だという。「11月場所のポスターは玉の海の土俵入りだったがピントが玉の海ではなく太刀持の二子岳に合っていた」という怪談じみた話まで伝わっている。

中畑清、謎の表紙写真
 文藝春秋のスポーツ雑誌『ナンバー』の1986年9月20日156号は「特集 中畑清」であった。
ナンバー1986年9月20日156号表紙
【『ナンバー』1986年9月20日156号「特集 中畑清」】

 日本プロ野球随一の人気球団だった読売ジャイアンツ(巨人軍)、さらにその人気選手、中畑清。そのカバー(表紙)写真は巨人軍のユニフォーム姿ではなく、なぜか上半身裸でバットを構えた姿(上の写真参照)。ユニフォーム姿でないこと理由として、中畑は巨人軍のトレード要因になっているのではないかとの憶測を呼んだ。当時、彼は球団内で何かと微妙な立場にあったからだ。

 球団の公式カレンダーで、シーズン開幕の4月より前の1~3月の写真に写っている選手が、実はトレード要因なのではないかと邪推されることと同じである。あの時代、巨人軍からトレード=事実上の放出になることは野球選手としてのキャリアを大きく損ねることでもあった。

 幸いにして、中畑清は現役選手としてのキャリアを巨人軍で全うすることができた。くだんのカバー写真に関する深読みは、あるいは下種の勘繰りだったのかもしれない。

 ……と、事ほど左様にプロのスポーツ選手にまつわる広告や本・雑誌のビジュアルは、微妙で難しく、想像あるいは妄想をかきたてるのである。

本田圭佑出場はスポンサーの圧力?
 2017年8月31日、FIFAワールドカップ・ロシア大会アジア最終予選日本vsオーストラリア戦で、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の采配がズバリ当たった日本が2対0でオーストラリアに快勝。W杯本大会出場を確定した。

 アジア最終予選初戦で敗れると、予選を突破できない……とか(日本はUAEに逆転負けしていた)。2006年ドイツW杯以来、日本はオーストラリアに勝っていない……とか。嫌なジンクスばかり事前に聞かされてきたので、これだけの快勝には感激とともに、ある種の意外さをもって人々に受け止められた。

 もうひとつ意外だったのは、この試合に「サッカー日本代表の絶対的なエース」だったはずの本田圭佑をハリルホジッチ監督が出場させなかったことである。

 本田は、2010年南アフリカW杯で活躍するなど、日本サッカーの功労者である。しかし、最近は、選手としての力量が著しく劣化しているだとか、自己中心的で傍若無人の振る舞いが過ぎてチームに悪い影響を与えるだとか……etc. サッカーファンの間からは、もう日本代表から引退するべきだという意見も出てきていた。
本田圭佑を外すべき理由

 ところが本田圭佑は、ロシアW杯に出る気満々である。選手として劣化すればするほど、彼は日本代表の座に固執する。しかも、本田は日本代表チームの中である種の「権力」を握っており、監督や日本サッカー協会も、彼をメンバーから外すことができないのだという「噂」がある。その権力の源泉は、日本代表のスポンサー企業、あるいは電通のような大手広告代理店だと言われている。

 日本サッカー協会には、協会幹部の一部には日本代表のスポンサー企業の意向を忖度(そんたく)する傾向がある、という。日本サッカーのおける本田圭佑の知名度は絶大で、スポンサーが集まりやすい。逆に本田を外すとスポンサーは逃げていく。どんなに本田のパフォーマンスが低下させようと、監督は自(おの)ずと彼を「スポンサー枠」として日本代表のメンバーに選考し、国際試合に起用せざるを得なくなる……。
 ……だから、ハリルホジッチ監督が、W杯本大会出場がかかった肝心の対オーストラリア戦で本田圭佑を途中交代でも出場させなかったことは、意外なこととされた。その大胆な用兵に多くの人が驚き、評価されるとともに、さらなる憶測の呼び水となったのである。

 実際のところ、日本サッカー協会なり、スポンサー企業なりの広告ビジュアルでは、サッカー日本代表の面々はどのように扱われているのか。大雑把に観察してみた。

ファミリーマート
 例えば、コンビニエンスストア「ファミリーマート」のサッカー日本代表応援サイトには、日本代表選手12人(11人ではなく)の中心に金髪の本田圭佑がいる。
ファミリーマート_サッカー日本代表
【ファミリーマートのサッカー日本代表応援サイトより】

 ちなみに前列の中心は、左から香川真司、本田圭佑、長友佑都という一般にも知名度の高い3選手である。劇映画やテレビドラマのスタッフロールで言えば、左から2番手、1番手、3番手の順か。この辺はいかにもスター中心主義で、この3人が日本代表で出場してくれないとスポンサー側としては困るという潜在意識も感じないわけではない。

日本サッカー協会&キリンチャレンジカップ
 キリンとサッカー日本代表(日本サッカー協会)の付き合いは長い。だから、キリンは他の公式スポンサーとは違って、最上位の「オフィシャルパートナー」という位置づけである。日本代表がホームで行う国際親善試合のことを、キリンの冠イベントとして「キリンチャレンジカップ」と呼ぶ。
JFA公式キリン杯広告
【日本サッカー協会キリンチャレンジカップのサイトより】

 画像右上、日本代表選手11人の誰よりも大きく金髪の本田圭佑が、左手を前に伸ばした本田の下に他の10人の選手が配置されている。まるで「絶対的エース」である本田の指揮の下で他の10人の選手も動いているようだ(ヨハン・クライフじゃあるまいし)。

 デザイナーが誰なのかは分からないけれども、この画像はきわめて示唆的だ。それも、日本サッカー協会の公式サイトである。これじゃ、よほどの怪我でもしない限り本田圭佑は日本代表に選考されるだろう……という冷笑的な声も聞こえてくる。

みずほ銀行
 一方で、みずほ銀行のCMから本田圭佑が消えている! つい本田もスポンサーに見限られたか!? こんな噂を聞いたので、大手都市銀行「みずほ銀行」のサッカー日本代表サイトをのぞいてみた。
みずほ銀行_サッカー日本代表
【みずほFGのサイトから】

 確かに本田圭佑の姿はいない。香川真司の姿もない。本田の金髪姿がないとかえって印象的だ。……しかし、右下に「(c)JFA/キリンカップサッカー2016 対ボスニアヘルツェゴビナ代表戦出場時間上位11名(2016.6.3)」とクレジットがついている。

 日付が「6.3」になっているのは間違いで、ユーチューブに掲載されたCMでは「6.7」に修正されている。

 この試合、本田圭佑はけがで欠場していた。みずほ銀行は、この試合でCMを制作することにしたわけだから、広告ビジュアルには本田はいない。

 どの試合の、どんな選手が(例えば出場時間上位11名)広告に登場したのか……という注釈を入れたみずほ銀行の姿勢には感心する。勝手な邪推だが、スポンサー企業が特定の選手の国際試合出場をゴリ押ししているという噂が立つのは、その企業にとってもあまりいい印象がしないだろう。

キリンと再び日本サッカー協会
 同じことは、キリンにも言える。「KIRINサッカー応援の歴史」というページには、円陣を組む日本代表選手の写真のクレジットとして「2015年11月17日〔略〕対カンボジア戦 出場メンバー(c)JFA」というクレジットがついている。
KIRINサッカー応援の歴史
 日本のサッカーが健全な発展をするためには、今後、こうした配慮がますます重要になるのではないか?(追記:上の写真も選手の顔が映っていない)

 大雑把に見てみると、一番ワキが甘いのは、本田圭佑ををビジュアルで一番目立つように扱い、しかも他の選手が本田の指揮下にあるかのようにデザインした、公益財団法人日本サッカー協会のキリンチャレンジカップの広告ではないかと思う。

(了)


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玉木正之氏の起用は企業の信頼性を損ねる?
 スポーツライター玉木正之氏のスポーツコラムやスポーツ評論を読んでいると、嘘やデタラメ、事実誤認が多くて本当にウンザリさせられる。

 なぜなら、玉木正之氏は、自身が執筆、主張する事柄について、よりどころとなる原典で確かめないでモノを書く人だからである。それどころか、「ネットで検索」すらしない、ウィキペディアすら引かない人なのである。嘘やデタラメが多いのは、そのためだ。ところが、玉木氏はスポーツライター業界の大物であるから、彼の文章を掲載する媒体では、編集や校正・校閲といったものが機能しない。したがって、嘘やデタラメがそのまま公に発表される。
この原稿は、我が国のIT企業のトップランナーのひとつFORUM8が発行する機関紙(で季刊誌)の『UP&COMING No.117』2017年春号に書いたものです。スポーツの根本的なテーマを書かせていただける機会があるのは、とっても嬉しいことで、その機会を与えてくださったFORUM8さんに感謝しつつ“蔵出し”します。
 ……と、いう触れ込みで玉木氏の公式サイト「カメラータ・ディ・タマキ」に転載されたコラムが「ちょっと教えたいお話・スポーツ編(2)スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」である。やっぱり、これも酷い。
ちょっと教えたいお話(2)スポーツ
【「FORUM8」の公式サイトより】

 FORUM8という会社は「我が国〔日本〕のIT企業のトップランナーのひとつ」だそうである。それだけの企業の機関紙や広報誌に、嘘やデタラメ、事実誤認だらけの文章、あるいは「ネットで検索」すれば、すぐに分かるような話を掲載するのは、かえって企業としての信頼性を損ねるのではないだろうか?
何を今さらな「ちょっと教えたいお話」
常日頃は誰も意識しないことだが、スポーツには不思議なことが山ほど存在する。たとえばサッカー。そもそもサッカーとはどういう意味か?フットボールならFoot(足)ball(球)で何となくわかる。が、サッカーは意味不明。〔中略〕

〔近代に入って〕……オックスフォードやケンブリッジの大学やパブリック・スクール……ルールの統一と制定が進み、足だけを使うフットボールを行う連中がフットボール・アソシエーション(協会)を設立。そこで行われた手を使わないフットボールがアソシエーション・フットボール(Association Football)と呼ばれるようになり、それが、Assoc Football(アソック・フットボール)→Asoccer(アソッカー)→Soccer(サッカー)と略されたのだ。
 この程度のことは、サッカーの観戦入門書の類には必ず出てくる話である。それどころかネット検索やウィキペディアにも出てくる話だ。この程度のことで「ちょっと教えたいお話・スポーツ編」などとは、何を今さらの感がある。

中世フットボール=膀胱ボール説
〔中世のフランスや英国におけるフットボール〕はクリスマスや復活祭などの宗教的記念日に、村中をあげて「丸いモノ」〔=ボールのこと〕を奪い合った遊びで、聖職者も貴族も騎士も農民も、身分を超えて千人以上の村人が2組に分かれ、村はずれにある教会や大木など、ゴール(目的地)と決めた場所へ運ぶのを競った。

そのとき用いられた「丸いモノ」〔ボール〕は、豚や牛の膀胱〔ぼうこう〕を膨らませて作られた。遊びの最中にそれが破れると、すぐさま豚や牛を殺して膀胱を取り出し、中を洗って穴を紐で縛り、群衆の中に投げ入れたというから、かなり血の気の多い遊びで、実際大勢の負傷者や死者まで出たという。
 これも、何を今さらの話である。伸縮性の高い「ゴム」が存在しなかった前近代のフットボールでは、代わりに豚や牛の「膀胱」をふくらませてボールとして使っていた……と、いう話もよく聞く話だ。一般に名著と言われる中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』はそうした著作の代表例である。


 特に、中村敏雄は同著の中で「殺した牛や豚の血まみれの膀胱をボールにしたように、フットボール(サッカーやラグビーなど)は狩猟民族=欧米人の荒々しいスポーツである。対照的に日本人は温厚な農耕民族である。したがって日本人は荒々しい狩猟民族=欧米人のスポーツであるフットボールの神髄を根本的に理解することができない」(大意)などと述べている。

 これもよく聞く話で、日本あるいは日本人の歴史・文化・精神・伝統……etc.は、サッカーフットボールの本質とは相容れないとする、自虐的な「サッカー日本人論」と呼ばれる言説の、ひとつの表出である。

膀胱ボールは使い物にならない?
 ここからは、当ブログが紹介するスポーツの「ちょっと教えたいお話」になる。フットボール・アナリストという肩書の「加納正洋」という人物が著した『サッカーのこと知ってますか?』という本に、膀胱を素材にしたボールの常識を覆す話が登場する。

 どんな本にも出てくる「膀胱ボール説」だが、これは机上の空論である。なぜなら……。
  • 実物の膀胱ボールは、紙風船とビーチボールを足して二分したような華奢(きゃしゃ)なもので、大人が蹴れば一発で破れる。とてもフットボールの実用に耐えるものではない。
  • フットボール用のボールは丈夫な動物の皮をアウター(外皮)として使い、インナー(内皮)には、よく洗い乾燥させた豚や牛の膀胱を使った(血まみれではない)。
  • 中世英国では、人々の間で荒々しいフットボールが行われていた。しかし、そこに血まみれの膀胱ボールが使われていたというイメージは正確ではない。
 ちなみに、加納正洋の正体は、ラグビー評論家の中尾亘孝(なかお・のぶたか)だと言われている。加納と中尾は、ピコ太郎と古坂大魔王くらいには別人である。
中尾亘孝
【加納正洋こと中尾亘孝】

 中尾は、非常に悪質な反サッカー主義者、かつ英国でも廃れたラグビー原理主義思想の持ち主、さらに贔屓の引き倒し的な早稲田大学ラグビー部のファンであり、ラグビーファンからもかなり評判の悪い人物でもある。それでも、こういう話を紹介してくれるのは面白い。「ちょっと教えたいお話」というならば、玉木正之氏も、これくらい驚きに満ちた事を書いてほしいものである。

慶應と早稲田を混同している玉木正之氏
明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。
 これも、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような事実誤認の文章である。まず、慶應義塾大学のラグビー部とサッカー部の正式名称を紹介する(創立順の紹介)。
 つまり、玉木正之氏の説明はいずれも間違いである。かの学校法人では、ラグビー部を「蹴球部」サッカー部を「ソッカー部」と呼ぶ。soccerのカタカナ表記が定着していなかったこともあって「ソッカー」である。

 「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。
 玉木正之氏は、慶應と早稲田を混同したまま読者に誤った知識を伝えているのである。

 慶應義塾大学がラグビーを「いち早く取り入れた」、日本ラグビーのルーツであるのは確かである。ラグビー部を「蹴球部」と呼ぶことについても、そうした伝統が表れているようだ。一方、日本のサッカーの直接のルーツは、慶應ではなく筑波大学(当時の東京高等師範学校、のちに東京文理大学、東京教育大学を経て、筑波大学)である。ちなみに、筑波大学のサッカー部も、「蹴球部(筑波大学蹴球部)」(創立1896=明治29年)である。

 この程度のことも、ネットで検索すればすぐにわかることである。

『日本書紀』の誤読を鵜呑みにしている玉木正之氏
古代メソポタミアから西洋に広がった「太陽の奪い合い」〔ここではフットボールのこと〕は東洋へも広がり、中国を経て日本の飛鳥時代には「擲毬〔くゆるまり〕」と呼ばれ、中臣鎌足と中大兄皇子が「擲毬」の最中に蘇我入鹿の暗殺(乙巳の変=大化の改新)の密談を交わしたことが『日本書紀』にも書かれている。
 これも間違い。『日本書紀』の記述では、中大兄と鎌足は「打毱」の会で面識を得ただけである。蘇我入鹿の暗殺の密談を交わしたのではない(しかし、玉木氏が採用している「擲毬」とは何であろうか? 『日本書紀』にあるのは「打毱」という表記である)。

 玉木正之氏がなぜこんな間違いをおかすのかというと……。スポーツ人類学者の稲垣正浩氏が『スポーツを読む』で『日本書紀』の問題の箇所をを誤読していたものを、玉木正之氏がそのまま鵜呑みにしていたからである。

 玉木正之氏は原典に当たって内容を確認することを怠る。そのため、玉木氏のスポーツ評論やスポーツコラムの信頼性は著しく低い。

玉木正之氏の文章を読んでもスポーツを理解できない
つまりサッカーというスポーツを語れば、世界史や日本史を語ることにもつながり、そのような「知的作業(知育)」を含むスポーツは「体育(身体を鍛える教育)」だけで語られるべきではないのだ。
 お説ごもっとも。しかし、このコラムを読む限り、玉木正之氏の文章を読んでもスポーツにかかわる豊かな「知」が身につくか、はなはだ怪しい。

 むしろ、玉木正之氏のデタラメを見抜くリテラシーを身につけることこそ、スポーツの「知」を獲得することになるだろう。

(つづく)


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