スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2017年08月

高校野球報道における公立校・進学校びいきの風潮
 何だかんだ言って、今年の「夏の甲子園」(全国高等学校野球選手権大会)も話題に事欠かなかった。例えば、公立校の甲子園(本大会)進出はますます減少、今回はとうとう10校を切ったそうである(全49校中8校)。
 その反動で、ここ数年、高校野球報道でやたら公立公立と騒がれるようになっている。特に公立校の普通科で、それも有数の進学校だったりするとマスコミを中心に大変な話題になる。今大会でいえば、滋賀県代表、滋賀県立彦根東高等学校。あるいは福岡県代表、福岡県立東筑高等学校。いずれも、マスコミの扱いは破格であった。そうした学校の、私立の野球強豪校とは一線を画した「高校野球観」も目立って採り上げられた。
 その一方、(よくない言い方だが)いわゆる底辺校の監督が「文武両道あり得ない」という趣旨の発言をしてネットで炎上。初戦の対戦相手、香川県立三本松高等学校も公立の進学校で、しかも負けてしまったため、バツの悪い事になってしまった。
 それにしても、これだけ「格差」のあるチーム同士が「甲子園」という同じ舞台に登場し、場合によっては相見(あいま)みえるスポーツイベントというのも、なかなか興味深い。あるいは海外のサッカーとも通じるところがあるのではないかとも連想した。

英国サッカーのプロ化、高校野球の「プロ化」
 イングランド・サッカー、FAカップの初期の(19世紀の)優勝チームを見てみると、オックスフォード大学、オールドイートニアンズ(超名門パブリックスクール「イートン校」OBクラブ)、ロイヤルエンジニアズ(王立工兵連隊)といったエリート的なアマチュアのクラブが名を連ねている。だが、次第にそれらはプロフェッショナルの選手とクラブに取って代わられる。
ロイヤルエンジニアズFC
【ロイヤルエンジニアズFC(19世紀)とチームカラー】

 一方、大正時代の高校野球(当時の学制では中等学校だが)の優勝校・上位進出校を見ていると、当時は、秋田中、市岡中、愛知一中、神戸一中、和歌山中……といった、その府県のトップクラスの公立校か、慶應義塾、関西学院、早稲田実業、甲陽学院……といった、私学の名門である。
高校野球歴代優勝校
【大正時代の高校野球の歴代優勝校】

 現代の甲子園でも、こんな学校が進出すればマスコミも嬉しがるだろう。もっとも、明治・大正の当時はスポーツをやること自体が「ぜいたく品」であった。進学率が現代より極端に低い時代、スポーツは一部の上級学校の進学者のみの特権だったのである。時代が下って、そこに○○商業といった実業学校(生徒=選手をより集めやすい)が割って入り、そしてより大衆的(?)な私学が台頭、さらにスポーツの大衆化が進んで現在への私立野球強豪校の席捲へとつづく。

 松谷創一郎氏は、昨今のそうした私立野球強豪校の席捲を、高校野球を「『教育の一環』をタテマエとする“プロ部活”」だと非難じみて論じている。しかし、スポーツにおいては「プロ化」自体は、むしろごく自然な流れである(高校生年代のスポーツでそれがいいのか等々の問題は別として)。
 仮に歪んだ仕組みにあっても、そこに呼吸する者の価値は皆無ではありえない。新聞社の宣伝、学校経営の道具、高校野球の実相だろう。もとより支持したくはない。それでも、甲子園に語られるべき一投一打は存在する。

藤島大『知と熱』あとがき より



 松谷氏の発言は、英国サッカーにおいて、古典的でエリート的なアマチュア主義者がプロフェッショナルを非難している様子と似ていなくもない。しかし、英国(その他の国々)のサッカー同様、高校野球はスポーツが少数のエリートの独占物だった昔にはもう戻れない。英国サッカーと高校野球の歴史は、ある意味で似ている。

日本は歴然とした階級社会である
 欧米サッカーの熱狂、そこには欧米の階級社会が深く関わっているといわれる。例えば、英国スコットランドのレンジャーズ対セルチックのダービーマッチ、南米アルゼンチンのリバープレート対ボカジュニアーズのダービーマッチは、上流・中産階級vs労働者階級の階級対立を孕(はら)んでいる。だから、あれだけ多くの人々が熱狂するのだ。
オールドファームダービー
【レンジャーズ対セルチックのダービーマッチから】

 翻って、日本は階級社会ではない。日本は世界でもまれにみる平等社会、無階級社会、一億総中流社会である。つまり日本には階級対立が存在しない。したがって階級対立のエネルギーがスポーツに反映されることはない。日本のスポーツ文化は欧米と比べて、きわめて微温的なものである……などと、論じられてきた。

 実は、日本もずっと以前から相当な階級社会である。ロビン・ギルという日本在住のアメリカ人の著述家・翻訳家がいて、いろいろと本を出していた(アメリカに帰ってしまったらしい)。彼の著作『日本人論探検』**に、日本平等社会説、日本無階級社会説、一億総中流社会説に対する反論として、次のような話が出てくる。
日本人論探険―ユニークさ病の研究
ロビン・ギル
阪急コミュニケーションズ
1985-12

 1960年、萬成博とジェームズ・アベグレンによる日米比較調査によれば、アメリカ合衆国の政府高官やビジネスエリートの息子たちが占めている高い地位は、同年輩の全人口のに占めている彼らの割合に比べて、7~8倍も上回る出世率となっている。日本の場合、同様のアドバンテージは、アメリカよりさらに上、何と25倍になっている。

 日本における各界リーダーの3人に2人は社会の上層8分の1の家の出身である。日本は人的流動性の高い社会だとはとても言えない。この傾向は1970年、1980年の調査結果でもほぼ同じだった。

 1983年、カリフォルニア州立大学のトーマス・ローレンは1年強にわたって神戸の5つの高等学校を調査し、こう結論づけた。「神戸の一流(high status)〔灘高校〕と三流(low status)高等学校のあいだの社会的断絶は非常に大きい。その隔たりは一九世紀の階級差(日本、欧州いずれにせよ)に劣らないくらい広いのだ。それはただ単に、学問上のギャップではない」(『日本の高校~成功と代償』として邦訳、出版)。
日本の高校―成功と代償
トーマスP. ローレン
サイマル出版会
1988-03

 考えさせる観測であろうと、ロビン・ギルは次のように語る。
 もし仮に大学あるいは高校を出ていないすべての肉体労働者の皮膚を黒く染めること。またその皮膚の色を子供に遺伝させることができたなら、そういった日本人の子孫が、たとえばアメリカの黒人の場合よりも流動性が低いという驚くべき(?)状況が明るみに出るはずだ。

ロビン・ギル『日本人論探検』134頁
 「大学あるいは高校を出ていない」に加えて、現代では「格付けの低い大学を出た」も入るのだろうか。「大学」を卒業しても、非正規雇用で「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり……」という状況である。
 将来、日本の経済成長が後退するとき、政府がどんな教育革命をやってみてもやはり、遠く前に亡くなったはずの不平等の問題は再び現れるだろう、きっと。

同書136頁
 1985年に発したロビン・ギルのこの「予言」は、2017年現在、ほとんど当たっている。ちょっと怖いくらいだ。日本は階級社会なのである。

甲子園の「野郎ども」
 日本は階級社会ではないから、欧米のようなスポーツの熱狂に欠けると言われてきた。しかし、ロビン・ギルの指摘に従えば、日本もまた歴然とした階級社会である。そんな日本社会の「階級性」が、なぜ欧米諸国のようにJリーグやプロ野球に反映しないのかは、いろいろ考えてみる意味はあるかもしれない。

 日本のスポーツの場合、階級性は、一億総中流ではなくなったこの時代になって、高校野球に少しばかり現れるようになってきたのかもしれない(ただし、抽選で組み合わせが決まるから、欧米サッカーのように毎回「階級対立」的な試合があるわけではないが)。
 悲しいかな、文武両道には強い味方がいる。メディアであり、メディアによって作られた社会全般の声だ。実際強豪校と文武両道校の戦いになれば、自校の応援席以外は冷たい。

 三本松vs下関国際の試合に際してツイッター検索で、下関国際高校に関する「つぶやき」を追いかけてみた。試合前に夕刊タブロイド紙『日刊ゲンダイ』のサイトに載った監督の発言のせいもあるのだろう(取材した記者が監督の談話を誇張したという説もあるが真相不明)。ツイッターは、下関国際国際への嫌悪感やら侮蔑の念を表明した反応が多く目立った。

 これには、かえって違和感を感じた(さすがに下関国際高校野球部監督の、過剰な練習を強いる前時代的な指導方針はスポーツとして認められないけれども)。

 英国のミドルクラス(おそらくはその中でもロウアーミドル=lower middle class)の子供は、顔を洗うことと、労働者階級を馬鹿にすることを覚えるという(林信吾の本だったと思う)。一連のツイートは、そんなことをも連想させるのだ。高度成長・経済大国の時代からは日本の国力は後退していて、大衆はだんだん報われなくなっている。その分、誰かを下に見ていたいという心理の現れだろうか。

 マスコミの公立校びいき、進学校びいき。「底辺校」への嫌悪と侮蔑は、日本の階級差別……と言って悪ければ、ある種の日本の階級意識の現れなのである。
 だが一方で、知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。〔英国の〕社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らかにしている〔『ハマータウンの野郎ども』〕。世の中は知的エリートによってだけ動いているのではない。知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。人間はプライドなしには生きられないという観点からすれば、どちらも等価である。


 むしろ、下関国際高校の監督のように、公立校・進学校に注目する風潮とは反対の立場から、本音に近い感情や言い分がマスコミ(『ここもまた知的エリートの業界である)に載ったということの方が珍しいのではないか(こうした学校は、どうやって生徒たちのモチベーションを上げ、維持していくのだろうか)。

 それは、サッカーイングランド代表デビット・ベッカムを国民的ヒーローとして応援し、祭り上げておきながら、一方で、労働者階級出身であるベッカムを内心さげすんでいる英国の中産階級以上の人々の感情にも似ている。この辺は日本も同様か。

 ベッカムはベッカムで、ステータス上昇のために自身が話していたロンドン下町訛り(コックニー)の英語を矯正している。夫人のビクトリア・ベッカムは体の方々に入れたタトゥー(入れ墨)を除去しているという噂がある。

 英国は英国なりに、日本は日本なりに階級社会である。日本のスポーツにおける階級意識は、サッカー(Jリーグ)やプロ野球ではなく、高校野球に現れるのである。

(了)


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古代日本の謎の球技と現代日本のスポーツとの関係
 「大化の改新」のきっかけとなった古代日本のクーデター「乙巳=いっし=の変」(645年)。その立役者,中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が面識を持ったのは「蹴鞠(けまり)」の会であったと、これまで信じられてきた。
kokusikaiga
【小泉勝爾『中大兄皇子と中臣鎌足』神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより】

 ところが、事の顛末(てんまつ)を記した『日本書紀』皇極天皇紀には「蹴鞠」ではなく「打毱」と表記されている。この球技の正体が分からない。いくつかの理由から、これは蹴鞠ではなく、杖(スティック)を手に持ってボールを打つホッケー風球技ではないかという説もある(国文学者・西宮一民氏,埼玉県立博物館・井上尚明学芸員ほか)。
正倉院宝物より
【打毱(正倉院宝物)小学館版『日本書紀』より】

 中でもスポーツライター玉木正之氏は、ホッケー風球技説の熱烈な支持者であり、蹴鞠説に否定的な立場をとっている。玉木氏は、そのことがその後の日本のスポーツ文化,日本のスポーツの在り方まで既定しているのだという。

 すなわち、日本でサッカーJリーグの人気がプロ野球に敵(かな)わないのも、日本サッカーが世界の一流国と互角に戦うことができないのも(一流国と互角に戦えるのなら一流国のはずなのだが……)、すべて大化の改新の始まりとなった古代日本の球技が蹴鞠ではなく、ホッケー風の球技だったからだと、玉木氏は言うのである。

小説を歴史的真実の根拠とする「スポーツ学者」玉木正之氏の感覚
 しかし、玉木氏がホッケー風球技説を支持する理由というのが今一つ薄弱である。当ブログ(の中の人間)は、玉木氏のウェブサイトを通じて、その根拠を質問したことがある。

 すると玉木氏は、何と! 橋本治氏が書いた小説『双調平家物語』にそう書いてあるからなのだと回答してきた。

 歴史的真実について話をするのに、その根拠として史料や実証ではなく小説=フィクションを挙げるスポーツライター玉木正之氏の感覚は……ハッキリ言って信じがたい。筑波大学や立教大学,国士舘大学など、いくつもの大学・大学院でスポーツ史やスポーツ文化を教えている大学教授でもある玉木氏の資質が、大いに疑わしくなる。

 それでも『双調平家物語』を読むのはなかなか興味深いものがあった。たしかに『双調平家物語』は、該当の球技を蹴鞠ではなく、ホッケー風球技として描いている。しかし、橋本氏はがそういう設定にしたのは、あくまで創作=小説としてのものだ。歴史の真相を述べようとしたものではない。何より、中大兄と鎌足の出会いも本来の『日本書紀』皇極天皇紀の描写とはまったく違うものとなっている。

 ところで、『双調平家物語』の巻末には、参考文献として歴史学者(日本古代史),遠山美都男氏の『大化の改新~六四五年の宮廷革命』(中公新書)が挙げられている。

 こちらの著作では、問題の球技は、2人の出会いは、どのように語られているのか?

遠山美都男氏のスタンスと橋本治氏の着想
 結論を先に言うと、遠山美都男氏の『大化改新~六四五年の宮廷革命』は、問題の古代日本の球技が蹴鞠なのか蹴鞠ではないのか……という問題に関して、橋本治氏の『双調平家物語』にさしたる影響を与えていない。
 鎌足は、中大兄の若さと器量に注目する。弱冠十九歳だが、この皇子ならば現状打開の大事をともにできる。だが、皇子の知遇を得る機会がなかなか訪れない。

 ところが幸運にも、鎌足が飛鳥寺の西の広場を通り過ぎようとした時、そこで蹴鞠に興ずる中大兄に出会う。鎌足は脱げとんだ中大兄の靴をひろい、これを献じた。中大兄は、跪いて靴をささげもつ男の目に尋常ならざる決意を感じ取った。

 これをきっかけに両者はたびたび出会い、いつか、お互いの主張や理想を熱っぽく語り合うようになる。おのずと談論は蘇我本宗家の専横の一事にいきついた。〔以下略〕

⇒遠山美都男『大化改新』(中公新書)7~8頁
藤原(中臣)鎌足五円切手
【藤原(中臣)鎌足五円切手】
 遠山氏は、本の冒頭で、実にアッサリと「蹴鞠」と書いている。橋本氏の『双調平家物語』と、その参考文献とした遠山氏の『大化改新』とでは、問題の球技とその描写は、全く違う。『双調平家物語』の設定と描写はあくまで小説のためのものである。

 そもそも、遠山氏も蹴鞠か蹴鞠でないかということにはこだわっていないのである(後述)。

 遠山氏の『大化改新』は、単に大化の改新という歴史的事件にとどまらず、邪馬台国の卑弥呼それ以前の昔にまでさかのぼって、日本列島の権力(王権)の推移の歴史を論じたものである。橋本氏が遠山氏の著作を参考にしたのは、十数巻に及ぶ大河小説である『双調平家物語』の、あくまで作品全体の構成、その着想を得るためである。

 繰り返すが、例の球技を蹴鞠ではなくホッケー風球技と設定したのは、歴史学的な正しさを求めてのことではない。

なぜか軽視される史料『藤氏家伝』の存在
 中大兄と鎌足の出会いの逸話について記した史料には『日本書紀』の他に『藤氏家伝』がある。略称『家伝』。書名にある通り、藤原氏の祖先(鎌足ほか)の伝記である。奈良時代、760年(天平宝字4)に成立。ちなみに『日本書紀』の成立は720年(養老4)である。『書紀』と並んで当時の状況を知るのに非常に重要な史料である。
 中臣鎌足は、中大兄に接近を試みる。ところが、なかなか面識を得る機会が訪れない。『書紀』では「法興寺の槻の樹の下」で行われていた「打毱」の競技の場で、他方『家伝』では「蹴鞠之庭」において、鎌足は偶然にも中大兄に出会うことになる。これをきっかけに二人は意気投合、以後、隔意のない親交が始まり、やがて蘇我本宗家打倒の決意を固めていったとされている。

⇒遠山美都男『大化改新』161頁
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【霞会館蔵「中大兄皇子蹴鞠の図」(部分)筆:原在寛】
 つまり、この『藤氏家伝』の該当部分にも、アッサリ「蹴鞠之庭」と書かれている。ホッケー風競技説を採用している玉木正之氏は『家伝』の記述を無視するのだろうか?
 『書紀』『家伝』……両史料は同一の原史料のをもとに書かれている。

⇒同書11頁
 『書紀』『家伝』の「乙巳の変」〔大化の改新〕の記述は、内容的にはほとんど同じものであり、同一の原史料をもとにそれぞれ文をなしたことが明らかにされている。この原史料には『原大織冠伝』ないしは『入鹿誅滅の物語』という仮称が与えられている(横田健一氏説)。

⇒同書82頁
 『書紀』も『家伝』も、元々は同じテキストなのだそうである。ならば『書紀』にある「打毱」の正体が『家伝』にある「蹴鞠」であってもおかしくない。現代でも、同じ球技のことを「サッカー」「フットボール」「蹴球」、あるいは「野球」「ベースボール」などと、いろいろ表記が分かれていたりするではないか。

途絶えたフットボールの系統
 一方で、日本に現在伝わっている蹴鞠は、2チーム対峙してゴールを狙うものではないスタイルの蹴鞠である。こうした蹴鞠は、9世紀に近い年代の遣唐使などによって日本に伝えられたのはほぼ確実である。したがって、大化の改新(乙巳の変)7世紀の西暦645年の日本に蹴鞠は存在しない。つまり、問題の球技は蹴鞠ではないという説がある。

 こうした説と『家伝』の記述との矛盾をどう解釈すればいいのか? 例えばの話……。

 ……明治6年(1873)、日本に最初に伝えられたとされる海軍兵学寮の「フットボール」は、実はサッカーなのか、ラグビーなのか(あるいはそのどちらでもないのか)、分からなくなっている。それでサッカージャーナリストの後藤健生氏と、ラグビー史研究家の秋山陽一氏との間でちょっとした論争にもなっている(下記リンク先参照)。
 この辺は、大化の改新と縁のある古代日本の球技が、蹴鞠なのか、蹴鞠ではないホッケー風球技なのかという論争(?)と、似ていなくもない。余談だが「大化の改新」も「明治維新」も国家の一大変革の時代という共通点もある。
1874年「横浜で行われたフットボール」
【『神奈川新聞』のウェブサイトから】

 また、海軍兵学寮の「フットボール」の系統は途絶えている。現在の日本のサッカーは筑波大学(当時の高等師範学校)から、ラグビーは慶應義塾から始まった始まった系統である。

 他にも、明治時代初期に日本に伝えられた英国生まれの球技「クリケット」も、明治の中頃まで行われた後に一度途絶えている。現在日本で行われているクリケットは1970年代後半になってあらためて紹介されたものである。
レクリエーショナルクリケット協会ウェブサイトから
【「レクリエーショナルクリケット協会」のウェブサイトから】

 中大兄皇子が行っていた蹴鞠の系統は一度途絶え、その後、改めて現代日本に伝わるスタイルの蹴鞠が日本に入ってきた。近現代の日本スポーツにあったことが、古代においても起こりえたのではないか。

 むろん、当ブログは蹴鞠説が一方的に正しいという主張をしたいのではない。この問題は邪馬台国論争と同じで、蹴鞠説でも、ホッケー風競技説でも、どちらも決定打がない。当ブログは、蹴鞠でも蹴鞠でなくでもどっちでもいい。

 玉木正之氏については、自説を主張するならばちゃんと論争が成り立つだけのハッキリとした裏付けをもってやってほしい。それができないならば一面的な主張は慎んでほしい。当ブログの願いは、ただただそれだけだ。

玉木正之説のナンセンスが暴き出された
 『日本書紀』は勅撰正史という政治的テキストであるがゆえに一方で謎が多く、脚色や潤色が多い、その記述をすべて額面通りに信用できないといわれている。だから、これまでにも「郡評論争」「法隆寺再建論争」「聖徳太子非実在論争」「大化の改新虚構論争」といった日本古代史のさまざまな論争を起こしてきた。

 さまざまな理由から「打毱」の会での、中大兄と鎌足の出会いのエピソード自体が虚構ではないかとする説もある。この説を採用、『日本書紀』の「話自体が事実を正確に伝えるものではない」、「そこから一定の史実を引き出せるような性質の史料ではない」という立場をとっているのが、実は遠山美都男氏の『大化改新』なのである(167頁)。

 そうなると、大化の改新における古代球技問題の意義付けも変わってきてしまう。それが蹴鞠なのか、蹴鞠ではないホッケー風球技なのか、無意味なものになってしまうからだ。

 想像であるが、橋本治氏は『双調平家物語』を執筆するにあたり、遠山氏『大化改新』の例の逸話は虚構であるという説をよりどころにして、問題の場面の球技を蹴鞠ではなく、ホッケー風球技として描いたのかもしれない。史実とされているものも実は虚構かもしれないとするならば、自由な創作をするのにもためらいがなくなるわけだ。

 いずれにせよ、玉木氏が「大化の改新のキッカケがは蹴鞠ではない説」を主張するのに、作家・橋本治氏の小説『双調平家物語』だと臆面もなく言い出す。その『双調平家物語』が参考文献とした歴史学者・遠山美都男氏の『大化改新~六四五年の宮廷革命』では、問題の場面は虚構だという考えを採っている……。

 ……こうしたところからも、玉木正之説のナンセンスぶりがよく分かるのである。

(つづく)


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