スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2017年04月

FIFAランキング40位台の日本サッカーってそこまで酷いか? : スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

「1989年のサッカー日本代表」とは何か?
 ××××年の○○○○……という命名は、柳澤健氏の『1976年のアントニオ猪木』や『1964年のジャイアント馬場』『1984年のUWF』といった、一連のプロレス&格闘技ノンフィクションの題名を思い出させる。


 実は、柳澤氏は後藤健生氏の『サッカーの世紀』ほかの「世紀シリーズ」とでも呼ぶべきサッカー本の担当編集者でもあった。
サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07



 21世紀に入ってかなり年月が経った。そろそろ、後藤氏による『サッカーの21世紀』(仮題)も読みたいところだ。『サッカーの世紀』(1995年)の最終章に「電脳世界とサッカーの未来~二十一世紀に、サッカーはどうなる?」という評論があり、そこでの「予言」がどこまで当たっているか外れているかを、検証してほしいのである。

 1989年だけでなく、1936年,1968年,1993年,1997年,2002年,2006年,2010年,2014年……のサッカー日本代表でも、「××××年のサッカー日本代表」とでもいうべき、面白いノンフィクションが書けそうだ。この内、36年「ベルリンの奇跡」の日本代表、93年「ドーハの悲劇」の日本代表など、いくつかは作品になっている。
ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
竹之内響介
東京新聞出版局
2015-11-23



 1996年のサッカー五輪代表だと『28年目のハーフタイム』があるが、著者,金子達仁の毀誉褒貶ぶりからすると……なんとも微妙な作品だ。同じく金子達仁による2006W杯のジーコ日本代表を描いたの『敗因と』というのもあった。どちらも主たるテーマはチームの内部崩壊。そして、どちらも中田英寿が絡んでいる
28年目のハーフタイム
金子 達仁
文藝春秋
1997-09

敗因と
金子 達仁
光文社
2006-12-15

 さて、表題の「1989年のサッカー日本代表」とは何か? 監督は1968年メキシコ五輪銅メダリストの元日本代表・横山謙三(兼三)氏である。
「横山謙三」 ウィキペディア日本語版 2017年4月25日閲覧
1988年からは日本代表の監督に就任。当時の世界最先端である3‐5‐2システムを採用し、ウイングバック(両サイドのMF)を攻撃の基点とする戦術を採ったが、ワールドカップイタリア大会アジア予選は1次予選敗退という結果となった。前回大会を下回る結果にサッカーファンの不満が高まり、ファンによる解任署名運動やスタジアムにおける解任を要求する横断幕の掲示が行われたが、その地位に留まり続けた。その後、総監督としてU‐23代表を率い1992年3月のバルセロナ五輪アジア最終予選に挑むが惨敗を喫し、遂に辞任する結果となった。
 横山日本代表は日本サッカー冬の時代(1971年ごろ~1992年)最後の苦い思い出である。やはり日本は勝てなかった。しかし、積年の鬱憤をつのらせたサポーターたちによってついに監督更迭要求闘争が起こった。これは本邦サッカー史上初めてのこと。爾来、日本のサッカーファン,サポーターは「物言う」「行動的な」スポーツファンになった。

48か国ならば昔の日本でもW杯本大会に行けたか?
 2022年大会からサッカーワールドカップ本大会の出場枠が32か国から48か国に増える。横山日本代表の当時は、ちょうど半分の24か国だった。48か国だったら、昔の弱かった日本代表でもアジア予選突破して本大会出られますかねえ? と、メキシコ五輪の昔から観ているサッカーファンに聞いたことがある。

 「いや、無理だろうな……」という答えが返ってきた。

 それでは、この当時のサッカー日本代表を世界ランキングで表したら何位くらいになるだろうか? 方法論的にはデタラメだろうが、2017年4月のFIFAランキングと、1989年の日本代表の戦績を参考に類推してみた。
 この年の日本代表は、イタリアW杯アジア予選を戦っている。初戦、FIFAランキングで149位の香港にアウェーでで引き分け(0対0)。つづく第2戦、175位(!)のインドネシアのアウェーで引き分け(0対0)。ホームの香港戦でも引き分け(0対0)、今(2017年4月)この相手にこんな試合をしたら、大問題になるだろう。

 同時期、ラグビー日本代表の方は東京・秩父宮ラグビー場で世界クラスの強豪「スコットランド」に勝利しており、大変な話題になっていた。その分、日本サッカーの不甲斐なさが際立つこととなった。

 そして、115位の北朝鮮にはホームできわどい逆転勝ち(2対1)、アウェー平壌で完敗(2対0)。あえなく1次予選で敗退した。

 香港,インドネシアに引き分けたのは評価に大きく影響するだろう。インドネシアにはホームで大勝しているから(5対0,しかしアウェーでスコアレスドロー)、さすがにそこよりは順位は上だろう。が、北朝鮮より上ということはない。

 さまざま勘案するに「1989年のサッカー日本代表」は、FIFAに加盟している200か国余りの中、世界ランキングで110位台後半から140位台をウロチョロしていたといえるかもしれない……? たしかに、これでは出場枠がたとえ48か国でも日本はW杯本大会には行けないだろう。

 スポーツライター玉木正之氏は、サッカー日本代表はFIFAランキング40位台をうろついているなどと書いている。(『9回裏2死満塁』巻末解説)。しかし、1989年から30年近くたって日本のサッカーのレベルはその位には上昇している。そして、世界のサッカー国には40位台に届かない国の方が多い。

 日本サッカーに否定的な評価を下して「批評的」であることを顕示したがる人は、こうしたことには触れない。

いまだ手つかずの横山謙三→ハンス・オフトの時代
 もっと興味深いことがある。横山時代の後半はラモス瑠偉や三浦知良も日本代表に参加してくる(それでも最初はなかなか勝てなかった)。横山日本代表の次の代は、オランダ人、日本代表初の外国人監督ハンス・オフトである。

 オフトが日本代表の監督になったとたん、東アジアを制し(1992年ダイナスティカップ)、アジアを制し(1992年アジアカップ)、ワールドカップ本大会出場までもう少しのところまできた(1993年W杯アジア予選「ドーハの悲劇」)。わずか2年余りでこの劇的な変貌ぶりは何であろうか?

 日本はいきなり強くなったのか? それとも、もともとそれなりに強かったのに力を発揮できないでいたのか? だとしたら横山謙三監督はそんなに酷い監督だったのか? あの時、サッカー日本代表の内側ではどんなことが起こっていたのか? サポーターが起こした「横山監督ヤメロ運動」はその後のサッカーカルチャーにどんな影響を与えたのか? アマチュアからプロ(Jリーグ)へ、日本サッカーの産みの苦しみの時期だったのか? ……興味は尽きない。

 不思議なことに、そして管見の限り、「1989年のサッカー日本代表」はスポーツジャーナリズムにとって手つかずの題材である。我と思わんスポーツライター志望者,ノンフィクションライター志望者の人は、各位に取材して、一筆したためてみるのも面白いかもしれない。

 ボヤボヤしていると、宇都宮徹壱氏にこのテーマを持っていかれるかもしれない。

(つづく)


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 日本人は、サッカーが苦手な民族である……。

 ……スポーツライター玉木正之氏は、多くの人々にそう印象づけたいと思っている。そのために、さまざまな(怪しい)理論を持ち出してくる。のみならず、もっともらしい「事実」まで私たちの前に突きつけてくる。

 最近の例としては、2016年,新潮文庫,玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』、編者・玉木氏自身による巻末解説である。

 日本人は野球には秀でているものの、サッカーは苦手な民族かもしれない……。
 とはいえ、1993年のJリーグの誕生とサッカー人気の上昇によって、日本人のあいだに〔野球のような〕団体行動とは異なる〔1人1人が異なるプレイをしつつ、1つのチームとして機能しなければならないサッカーのような〕チームプレイの意識も浸透してきたように思える。が、サッカーの日本代表チームが、まだ世界ランキング〔FIFAランキング〕で40位代〔台〕をうろついている一方、フリースタイル・フットボール(一人でリフティングの妙技を競うスポーツ)では世界王者〔徳田耕太郎選手〕が誕生するなど、サッカーの世界でも、チームプレイよりも個人プレイに秀でた日本人の伝統(蹴鞠の伝統?)が表れているかもしれない。
玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』(新潮文庫)2016年
 ……日本にプロリーグ(Jリーグ)が誕生しようが、少しばかり人気が上がろうが、フリースタイルの世界王者が誕生しようが、日本のサッカーなんてFIFAランキング40位台、所詮その程度。やっぱり日本人はサッカーが苦手な民族なのだと、玉木氏は言いたげである。

 当ブログがFIFAランキングをじっくり読むのはほとんど初めてだから、分析が浅薄かもしれない(と、逃げを打っておいて)。とにかく「サッカーの日本代表チームはFIFAランキングで40位台をうろついている。だから日本のサッカーは……」という玉木正之氏のネガティブな評価がどこまで妥当なのか? 2017年4月のFIFAランキングをもとに考察してみた。
FIFAランキング201704
FIFAランキング公式サイトへ】

 この時点のFIFAランキング・トップ3は上位からブラジル,アルゼンチン,ドイツというおなじみのサッカー超大国、4位チリ,5位コロンビア,いずれも南米のサッカー強国だ。そして、ユーラシア大陸の東端,日本のランキングは44位である。なるほど「サッカーの日本代表チームは、まだFIFAランキングで40位台をうろついている」。

 それでは、「FIFAランキング40位台をうろついている」のは他にどんな国々があるのか?

順位 国名 備考
40位 ナイジェリア 1998、2014W杯16強。1996五輪優勝ほか
41位 コンゴ民主 1974W杯出場。1974アフリカ選手権優勝ほか
42位 チュニジア 2006W杯出場。2004アフリカ選手権優勝ほか
43位 韓国 W杯出場アジア最多。2002W杯「4強」ほか
44位 日本 サッカーが苦手な民族を自称する国
45位 ガーナ 2010W杯8強。アフリカ選手権優勝4回ほか
46位 チェコ W杯準優勝2回。FIFAランキング最高2位ほか
47位 ルーマニア 1994W杯8強、1998W杯16強ほか
48位 コートジボワール 2014W杯で日本に逆転勝ちほか
49位 セルビア 東欧のブラジルこと旧ユーゴの構成国ほか

 なんだ、みんないっぱしのサッカー国じゃないか! さらに、これより下の50位から55位まで見ると、オーストラリア,デンマーク,サウジアラビア,モロッコ,アルジェリア,スロベニア、これまたいっぱしのサッカー国である。

 日本人はサッカーが苦手な民族である……と、玉木正之氏は言う。それならば、これらの国々もサッカーが苦手な民族または国民なのだろうか?

 これらの国々に何か共通点があるとすれば、どの国のサッカーも時代によって代表チームの実績に浮き沈みがあることかもしれない。日本の場合も、1968年のメキシコ・オリンピックの銅メダルの少し後、70年代初めから1992年のアジアカップ優勝まで20年あまり低迷していて、俗に「日本サッカー冬の時代」などと言われた。

 しかし、そういう国はランキングのトップ10クラス、10位台~30位台にもありふれている(ランキング40位台より上位には2016年欧州選手権の本大会に出場した国が多い)。むしろ、ブラジル,アルゼンチン,ドイツのようなサッカー超大国こそ例外なのである。

 むろん、この地位で満足していいとは思っていない。日本もいつかは世界の頂点に立ってほしい**し、できればFIFAランキングも常時30位以内をキープできるぐらいにはなってほしい。

 「サッカーは世界のスポーツ」などと、かねてより言われていたはずだ。サッカーは、毎回ワールドカップ本大会に出てきて優勝を狙うようなサッカー超大国だけで成り立っていない。FIFAランキングで30位台、40位台、50位台をうろついている国々こそ、サッカーの「世界性」を支えている。

 そして、日本もサッカーの世界性の一端を担っている。FIFAランキング40位台の日本サッカーって、そこまで酷いだろうかか?

 要するに、玉木正之氏は、一部のサッカー超大国と比べて日本のサッカーはこんなに劣っているという、ありがちな「ためにする議論」をしているだけなのである。



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サッカーネーションになれない日本人?
 日本人は、団体戦(チームプレー)が苦手である。反対に1対1の対決に美学を見出す。これは日本人の歴史や国民性,民族性に裏付けられていることである。

 明治の初め、野球やサッカーなど、さまざまなスポーツ(球技)が日本に伝来した。その中で、日本人が最も好んだ球技は野球だった。なぜならば、野球における投手が球を投げ打者がこれを打たんとする一連のプレーに、日本人は1対1の対決の美学を発見したからである。

 翻って、チームプレー(団体戦)の球技であるサッカーの本質や面白さは、日本人には理解できなかった。

 だから、日本人は野球の国になったのである。だから、日本人はサッカーの国になれないのである。サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも(Jリーグの人気がパッとしないのも?)、すべてはこうした日本人の国民性が深く関わっているのである……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」の実例をさらし上げ、筆誅を加えるシリーズ。今回は、2016年,新潮文庫,玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の巻末解説である。

 この本は、同じく玉木正之編『彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー』(新潮文庫,2015年)の姉妹編という位置付け。『9回裏2死満塁』が野球のアンソロジー、『彼らの奇蹟』がその他のスポーツのアンソロジーである。

何度力説しようが玉木正之説は間違っている
 [ ]のアルファベットと続く朱字は引用者が付けたもの、後に解説する。
 ……なにしろ野球は、文明開化の明治時代初期(6~11年)に欧米からスポーツ全般が伝播〔でんぱ〕したあと、すぐに日本人の心を鷲掴〔わしづか〕みにし、テニス、サッカー、陸上競技などのあらゆるスポーツを押しのけて、あっという問に日本人の人気ナンバーワンとなった球戯〔球技〕である。

 それが伝わって約15年後の明治20年を過ぎた頃には、早くも北海道の旭川〔あさひかわ〕から九州の、長崎、そして沖縄に至るまで、日本全国津々浦々に様々な野球チームが誕生し、多くの人々が白球を追いかけることに熱中していたというから、日本人の野球好きは、ある意味でベースボール発祥の地であるアメリカ以上とも言えそうだ。〔中略〕

 しかし、欧米からあらゆるスポーツが一気に流れ込んだ明治の初期に、なぜべースボール(野球)だけが頭抜けて日本人の心を奪ったのだろうか? その理由については様々に考察され、投手と打者の対決が相撲の仕切に似ているため…とか、野球に生じる多くの記録や数字が計数好きの日本人の性格に合致した…などなど、昔からいろいろな「説」が語られた。が、私〔玉木〕は、日本では市民戦争〔‘Civil War’内戦〕が世界史的に見てかなり早い時期に収束したからではないか、と思っている。

 市民戦争――軍人以外の一般市民や農民が武器を取り、国内の同じ民族(国民)同士が闘った戦争――は、19世紀のアメリカでの南北戦争(1861~65年)やスペイン内戦(1936~39年)、さらにアフリカ諸国や中南米諸国の民族紛争に見られるとおり、世界史的には19世紀から20世紀にかけてさかんに闘われた戦争と言える。が、日本ではその闘いが、戦国時代(15~16世紀)の関ヶ原の戦い(1600年)で終結し、以後徳川幕府の支配する平和な時代〔パックス・トクガワーナ〕が270年間にも及び、明治維新と文明開化を迎えた。それは1543年頃に鉄砲が種子島〔たねがしま〕に伝来して以来、わずか半世紀ほどで市民戦争が幕を閉じたことを意味し、多くの日本人が鉄砲を用いた闘いを知らないまま文明開化の時代を迎えたことになる。

 鉄砲が伝来する以前の戦争は、弓矢を用いることはあっても基本的に刀と槍〔やり〕による闘いで、それは個人個人の闘い(個人戦)が中心だった。が、鉄砲が普及すると集団戦が主流となり、チームプレイが発達する。右翼に陣取った鉄砲隊の一斉射撃のあと、左翼の雑兵〔ぞうひょう〕が突入する……とか、右翼と左翼の鉄砲隊で交互に援護射撃を繰り返したあと前進する……といった具合の集団戦(チームプレイ)が中心となる。しかし日本では、そのような鉄砲によるチームプレイの意識が多くの日本人に浸透しないうちに市民戦争が幕を閉じた。

 そのため、源平時代の「やあやあ我こそは○○○○。遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ」と大音声を張りあげて闘う一騎打ちの意識が抜けきらないまま、戦国時代の川中島の闘いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちや・江戸時代の宮本武蔵〔むさし〕と佐々木小次郎の戦い(個人戦)などが、美談として長く語り継がれ、そんなところへ、文明開化で多くのスポーツ競技が一気に伝えられたのだった。

 そこで多くの日本人には、サッカーやラグビーのような役割の異なるプレイヤーが別々の動きをするなかで一つのチームとして機能するようなチームプレイのスポーツよりも、チームのなかから一人一人の代表者(投手と打者)が「やあやあ我こそは」と登場して闘い、個人の選手のあげた成果が集団(チーム)のものとなる、[A]まるで武士の「御恩と奉公」のような主従関係〔封建的な上下関係〕で成り立つ個人プレイの集積が集団の闘いとなるスポーツ〔野球〕のほうが、理解しやすかったに違いない。

 [B]日本人はよく集団で行動する民族と言われる。たしかにスポーツにおける合宿などでも時間割に添った集団行動が多く、スポーツの応援でも応援団がリードする統一された応援となる。が、[C]集団行動(団体行動)とチームプレイは違う。集団行動は誰もが同じ行動をするが、チームブレイは先に書いたように一人一人が異なるプレイをして一つのチームとして機能しなければならない。ということは、[D]野球が好きな日本人は個人プレイと団体行動には秀〔ひい〕でているものの、チームプレイが少々苦手な民族と言えるかもしれない。

 とはいえ、1993年のJリーグの誕生とサッカー人気の上昇によって、日本人のあいだに団体行動とは異なるチームプレイの意識も浸透してきたように思える。[E]が、サッカーの日本代表チームが、まだ世界ランキングで40位代をうろついている一方、フリースタイル・フットボール(一人でリフティングの妙技を競うスポーツ)では世界王者〔徳田耕太郎選手〕が誕生するなど、サッカーの世界でも、チームプレイよりも個人プレイに秀でた日本人の伝統(蹴鞠の伝統?)が表れているかもしれない。

玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』(新潮文庫)2016年,
408~412頁,編者による巻末解説から抜粋
 しかし、何度玉木氏が力説しようが……。

(1)
 明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。

(2)
 投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。

(3)
 そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、サッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。

 ……以上の理由から、「1対1の勝負説」は正しくないのである。

スポーツ日本人論の地下水脈
 [A]は、日本スポーツ界に蔓延している好ましからざる体質(封建的人間関係,過度の精神主義,理不尽な苦痛etc.)も「1対1の勝負説」と同じルーツから出てきているという、玉木正之氏の以前からの主張である。

 [B][C][D]は、「サッカーとは欧米がはぐくんだ個人主義文化の精華である。反対に、日本人はそれとはまったく対照的で権威や組織に従順な、あまりにも日本的な集団主義の文化である。したがって、そもそも日本人はサッカーに向いてない」という、サッカー日本人論(森田浩之氏の命名)またはサッカー日本文化論の別の謂いである。


 この手のサッカー日本人論は、Jリーグ以前、日本サッカーが不振を極めていた時代(1970年代初め~1991年頃まで)から、日本のサッカージャーナリズムで延々と語られてきたものである。要するに日本サッカーの関係者自身が「日本人はサッカーが苦手な民族である」と信じ込み、唱えてきた(後藤健生,村上龍,金子達仁,湯浅健二,佐山一郎……ああ、多すぎて書ききれない)ので、玉木正之氏が同じ趣旨のことを唱えてもリテラシーがない。だから、玉木氏のことを批判できないという弱みがある。

 [E]は、玉木氏のもうひとつの持論である「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」(こういう異論自体は以前から存在する)から派生した意見である。ただし、玉木氏は、大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった、現代のホッケーに近いスティック(杖,棒)を使った球技だから日本人はサッカーが苦手なのだ……という単純な思考の持ち主ではない。

 玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカー(またはフットボール)の人類史的なルーツと考えている。チーム(団体)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。

 一方、現代の伝わっている「蹴鞠」は、日本には歴史的に遅れて入ってきたものである。蹴鞠は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である(と玉木氏は思っている)。日本人にとって蹴鞠はサッカーのルーツには当たらない(と玉木氏は思っている)。

 スティックを使った団体球技は、やがて歴史の中で日本では廃れ、一方の蹴鞠は主に貴族階級の中で生き残り、日本の伝統として近現代まで伝わった。日本人にとってボールスポーツ(球技)とは個人プレーに面白さを見出したものだからである(この辺は「1対1の勝負説」の論理と一脈通じるところがある)。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人はチームとしての動きが重要なサッカーやラグビー(フットボール)よりも、投手や打者の個人としてのプレーが大切な野球が好きなのである。あるいは日本人は、個人プレーである蹴鞠の系譜に連なる「フリースタイルフットボール」では世界的選手が誕生するが、11人制のフットボール(サッカー)では「世界」に勝てないのである。

 とどのつまり、日本人はサッカーが苦手な民族なのである。

論争のルール違反者,玉木正之
 こうしてみると、「1対1の勝負説」や「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」、そして「日本のスポーツ界はきわめて抑圧的である説」は、玉木正之氏の中でひとつの思想に収斂されているようである。すなわち日本人論・日本文化論(日本人の国民性,民族性,歴史,文化,伝統,精神etc.)である。

 しかし、「1対1の勝負説」が最も基本的な部分(1877~87年頃の野球のルール)から間違えているように、「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」の根拠が曖昧・薄弱だったように、玉木氏の思想は間違っているのである。

 あるいは、いくら日本のスポーツ界の慣習が抑圧的だからといって、間違ったところからそれを批判してもかえっておかしなことになるだけなのである。

 スポーツライター玉木正之氏のかねてよりの持論「1対1の勝負説」と「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」は、サッカージャーナリスト牛木素吉郎氏らから批判を受けている。その批判も、半ば公開に近い形で行われ、その時のコンテンツは玉木正之氏の手元に届けられている。玉木氏は自身に寄せられた批判の内容を知らないはずはないのだ。

 批判に応答せず、持論を繰り返し主張し続けるのは論争のルール違反である。玉木正之氏が何度持論を繰り返そうが、大学・大学院で教鞭をとろうが、それは玉木氏の持論が正しいことにはならない。

 玉木正之氏の主張は、アカデミズムでは慎重に扱われる問題である。

 かつて筑紫哲也氏らに噛みつき、論争を引き起こした玉木正之氏である。玉木氏自身とは反対の立場をとる人たちと、「討論」という言葉で悪ければ、「意見の交換」に、すべてのスポーツファン,サッカーファン,野球ファンが分かる形で応じるべきであろう。

(つづく)


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日本人はサッカーが理解できない?
 日本人は、もともと集団戦または団体戦(チームプレー)が苦手である。反面、1対1の戦いに美学を見出し、これを深く愛してきた。それは日本人の歴史,文化,伝統……すなわち民族性に裏付けられている。

 明治・文明開化の時代となり、日本にはさまざまなスポーツが伝来した。中でも日本人の間で最も人気を獲得したのは野球だった。なぜなら、野球における、投手が球を投げ打者がこれを打とうとするプレーに、日本人は1対1の戦いの美学を見出したからだ。

 翻って、サッカーのような集団戦(チームプレー)の球技の面白さは、日本人には理解できなかった。だから、日本は野球の国になったのである。だから、日本はサッカーの国になれなかったのである。

 このことは、現代の日本スポーツ界にも影響を与えている。日本サッカーが「世界」で勝てないのも、日本人の民族性から来るものだ……。

 ……という、スポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」を批判的に紹介する企画。今回は、玉木氏の公式ウェブサイト「カメラータ・ディ・タマキ」で2007年3月6日に掲載された「日本スポーツ界における『室町時代』の終焉」である。

玉木正之「1対1の勝負説」とその間違い
 何がどう、「『室町時代』の終焉」なのか、ということはリンク先のテクストをじっくりを読んでいただくとして、必要な部分をここで紹介すると……。
この原稿は、雑誌『ノジュール』(JTB出版)が昨年〔2006年〕パイロット版として出した創刊準備第3号に書いたものです。〔略〕

日本スポーツ界における「室町時代」の終焉 掲載日2007‐03‐06

 ……スポーツ界に生起した長い過去の日本の歴史を覆すような事態は、サッカー人気の隆盛である。

 明治初期の文明開化で欧米のスポーツが一気に日本へと流れ込んだとき、図抜けて広範な人気を獲得したのは、ベースボール〔野球〕だった。その理由は様々に考えられる。が、最も興味深いのは「日本では内戦(市民戦争)が早い時期に幕を閉じた」という説である。

 1600年の関ヶ原を最後に、一般市民(農民)が駆りだされて闘う戦争は、ほぼ幕を閉じた。その約半世紀前、種子島に鉄砲が伝来し、闘いの様相は、武士が名乗りをあげて一対一で刀や槍で闘う「個人戦」から、鉄砲隊が一斉に発砲する「集団戦(団体戦)」へと大転換したのだが、多くの一般農民はその闘いをほんのわずかしか体験することなく、徳川280年間もの長い平和な時代へと突入した。

 その「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」の時代に語り継がれたのは、「やあやあ我こそは…」と大音声をあげて名乗りをあげ、一対一で対決した源平の闘いであり、信玄謙信の川中島の一騎打ちであり、武蔵小次郎の対決だった。そんな「伝統」(闘いの美学)が受け継がれているところへ、様々なスポーツが流れ込んできたのだ。

 そのとき、多くの日本人が、集団で闘うサッカーやラグビーのようなスポーツよりも、「やあやあ我こそは…」と投手と打者が一対一で対峙するベースボールに魅力を感じたのは、当然のことといえるだろう。

 そして野球は、ほんのつい最近まで日本で人気ナンバーワンのスポーツとして君臨した。が、1993年にJリーグが誕生して以来、若い世代を中心に、いや、上の世代も巻き込んで、サッカー人気が急上昇した。
 ……と、ここまでは、いつもの玉木正之氏の「1対1の勝負説」である。しかし、……。
  1.  明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。
  2.  投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。
  3.  そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、サッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。
 ……以上の理由から、玉木氏の持論は正しくないのである。

 そして、玉木氏のこの持論は以下のような少々分かりにくい奇妙な文章に続いて終わりとなる。
 それは、組織のなかの個人が「御恩」と「奉公」で組織に貢献するスタイルから、組織全体を「チーム(プロジェクト)」として動かすスタイルへ、日本人の活動様式が歴史的にコペルニクス的一大転換を起こした事態、といえるかもしれない。あるいは、個人が組織としてまとまるための団体行動ではなく、個人が個性を生かす結果生まれるチームプレイというもの存在に、日本人が歴史的に初めて目覚めた事件といえるかもしれない。

 いずれにしろ、本当のチームプレイというものに多くの人々が目覚めてまだ10数年。W杯ドイツ大会の結果よりも、未来に目を向けようではないか。

ジーコ免罪の論理と玉木正之「1対1の勝負説」

戦争に行ってさ、個人の判断でいけ、なんて嫌だよ。そんなの。あっちこっちに勝手に弾打ってさ。そんなんで、どうして死ねるんだよ。
――松尾雄治(元ラグビー日本代表) 
 初めに種明かしをすると、前の節に引用した文章、特に朱字で強調した部分は、2006年サッカーW杯ドイツ大会において惨敗した日本代表監督ジーコ(在任2002~06年,元ブラジル代表)の責任を隠蔽し、人々の目をはぐらかすために書かれたものだ。

 この「ジーコ・ジャパン」について、ジーコは日本代表監督としてチームの方向性、すなわち戦術あるいは組織を示していない(示すことができない?)という批判がついてまわった。そのためワールドカップ本大会での成果を危ぶむ声もあった。実際、W杯アジア予選の際には、よもや敗戦という試合をしてしまい、ジーコを更迭せよとのデモがサポーターから起こされている。

 一方、ジーコを支持・擁護する意見も根強かった。

 そもそもサッカーとは「自由なスポーツ」なのであり、自立した個人(個の力)による自由で自主的な判断によってプレーされなければならない。従来の日本のサッカーは選手を型すなわち組織・戦術に押し込めるものだった。日本人は型が好きだが、それでは世界レベルのサッカーに成長することはできない……。

 ……だからジーコは、あえてチームの方向性を選手たちに示さないのだ。型すなわち組織・戦術に従属しない、個の力による「自由なサッカー」を目指しているのだ。

 こんなジーコ批判派vsジーコ支持派の甲論乙駁が、ジーコの在任中、4年間もだらだらと続いた。むしろ、ジーコ支持派の声の方が大きかった。なぜなら……。

 ……なぜなら、日本的な型,組織,戦術etc.への隷属、そこからの解放,自由あるいは自主性,個の追求etc.というテーマは、欧米へのコンプレックスに呪われた日本のスポーツジャーナリズムの心根をくすぐるからである。

 かねがね日本のスポーツ界の旧弊(封建的人間関係,過度の精神主義,理不尽な苦痛etc.)に批判的だった玉木氏は、当然、ジーコ・ジャパンの熱烈な支持派だったその1その2)。

 果たして、ジーコ率いるサッカー日本代表は肝心の2006年ドイツW杯できわめて後味の悪い負け方をした。ふつうの(まともな?)サッカー国なら、敗因として監督ジーコのチーム作りや試合での采配に批判が集中する。ところが日本はそうはならなかった。

 「自由なサッカー」を目指していたジーコは間違っていない。ジーコのやり方こそ「世界基準」なのである。型すなわち組織・戦術に頼らないとサッカーができない、ジーコの求めるレベルに「個の力」が達していない日本人選手たちの力量こそ敗因なのだ……。

 ……という理屈で、ジーコは日本代表監督としての責任を免罪された。

 前の玉木正之氏の引用文にある「組織のなかの個人が『御恩』と『奉公』で組織に貢献するスタイル」、「個人が組織としてまとまるための団体行動」とは組織・戦術に縛られてしまう従来の日本サッカーのこと、一方、「個人が個性を生かす結果生まれるチームプレイ」、「本当のチームプレイ」とはジーコが目指していたとされる「自由なサッカー」のことである。

 そして、「W杯ドイツ大会の結果〔ジーコによる惨敗〕よりも、〔ジーコによって「自由なサッカー」が啓発されたとされる日本サッカーの〕未来に目を向けようではないか」と玉木正之氏は言うのである。こうやって玉木氏は、ジーコの責任、延いてはジーコを日本代表監督に任命した日本サッカー協会会長・川淵三郎氏の責任を隠蔽しようとした。

 「1対1の勝負説」の日本文化は、日本スポーツ界の旧弊と同根であるというのが玉木正之氏の論理であった。さらに「1対1の勝負説」の日本文化は、ジーコの求めるレベルに達していない日本の(日本人の)サッカーの理由とも同根だったのである。

間違いから間違いを正そうとする間違い
 しかし、この手のジーコ支持論は正しくないのである。

 なぜなら、ドイツW杯の少し前、ジーコ本人の言葉による(つまり取材者やインタビュアーによる恣意的な解釈が混じることが少ない)著書『監督ジーコ 日本代表を語る』では、自身に向けられた監督としての批判に対して、「自由なサッカー」を目指しているから云々とは一言も述べていないからである(「時間が足りない」という言い訳はしていた)。
監督ジーコ 日本代表を語る
ジーコ
ベースボールマガジン社
2006-02

 日本選手に責任転嫁するようなジーコの言い草は、ドイツW杯が終わってからだ。

 日本のスポーツ界の在り方は間違っていると言って声高に叫ぶ。だからといって、間違ったところからそれを批判しても、かえって間違いを犯すだけだ……と、折に触れて述べていたのが、スポーツライター藤島大氏**である(藤島氏は玉木氏の言動を遠回しに批判することを何度か書いている)。

 当ブログが何度も述べてきたように、玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違った論理である。そして「1対1の勝負説」は間違ったところから日本スポーツの旧弊を批判しようという論理でもある。藤島大氏の説くところによれば、それも間違っている。

 実害を生むだけだ。要するにジーコは間違いだったのだ……。

 ……こうハッキリとした批判ができないところが日本サッカー界、スポーツ界の弱さである。そういえば、この中にあって「すべてジーコのせいだ」と最も踏み込んだジーコ批判を展開したのが、実は藤島大氏であった(「ジーコのせいだ」『友情と尊敬』Vol.45)。

 ジーコを擁護した玉木正之氏と批判した藤島大氏。この対照は決して偶然ではない。

(つづく)

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日本人の国民性に敬遠されるサッカー?
 日本人は一騎打ち、すなわち1対1の対決を好む。ゆえに投手と打者のプレーに1対1の対決を見出せるスポーツ「野球」を深く愛するようになった。翻って、日本人は集団的な戦い(団体戦,チームプレー)が苦手である。したがって、日本人は本質的にチームプレーのスポーツである「サッカー」が苦手である。

 これらは日本人の歴史や文化に裏付けられたものだ。

 日本でサッカーが根付かなかったのも、サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも、すべて、そうした日本人の国民性に由来するのである……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」をさらし上げ、筆誅を加える(「筆誅を下す」は誤用でした)シリーズ。今回は、2003年,国士舘大学体育スポーツ科学学会刊『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』である。

大学のスポーツ文化講座で教えられるトンデモ説
 『スポーツ解体新書』または『日本人とスポーツ』はNHK教育テレビ(Eテレ)の講座番組の内容をまとめた本だが、『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』は2002年に行なわれた国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科での集中講義の内容に加筆して刊行された本である。

 恐ろしい話である。玉木氏は「1対1の勝負説」みたいなガセネタ(ガセネタである)を公共放送の教養番組や大学教育の場で吹聴、もとい啓蒙しているのである。
 ……日本では野球の人気がぐんと高まります。

 明治時代に野球が広まったのには、いろいろな理由が考えられます。ひとつは、日本では市民戦争が早く終わったという考え方です。市民戦争(内戦)は、世界では大体19世紀から20世紀に行われていますが、日本では1600年の関ケ原の戦いで市民戦争が終わって、そこから270年間の徳川の平和な時代に入っています。関ケ原の戦いの前、1549年に種子島に鉄砲が入ってきて、戦い方がガラリと変わります。要するに、個人戦から団体戦に変わるわけです。鉄砲が入ってきて、約半世紀の間に、同じ民族同士が戦う市民戦争があっという間に終わったのです。そして、徳川の平和な時代に語り継がれたのは、川中島の一騎打ちとか、義経の源平の戦いです。

 一騎打ちが美化されて語られているところに、サッカー、ラグビー、野球など、いろいろなスポーツが入ってきました。入ってきました。そのプレイを見てみると、野球が一番わかりやすかったのです。というのは、1対1の戦いだからです。1対1の戦いで勝負をして、1人の活躍がチームのためになるのは、武士の「御恩と奉公」の世界とまったく同じです。他にもいろな理由が考えられますが、それで野球の人気が出た、という考え方が最も適切だと思います。

『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』2003年,44~45頁
 「最も適切」などとは大風呂敷を広げたものである。ただし「最も適切」なのは誰にとって、だろうか? 日本のスポーツそのものにとってではなく、あくまで玉木氏自身にとってではないかと思うのだが。

スポーツライターとして致命的な無知
 しかし、玉木正之氏のこの持論は、何万遍と力説しようが誤りなのである。
  1.  明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。
  2.  投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。
  3.  そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、数え方にもよるがサッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。
 ……以上、主に3点の理由から間違っているのである。

 玉木氏がこれらの史実を知らないのだとしても(まさか!?)、知らないふりをしているのだとしても酷い話だ。スポーツライターとしては致命的な無知ではないだろうか。

玉木正之センセイはアカハラなんかしない
 それにしても……。玉木正之氏が客員教授や非常勤講師をしている大学や大学院、その中には今回のテーマ『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』を出した国士舘大学、さらには立教大学や筑波大学といった有名大学もある。玉木氏の下で学ぶ大学生・大学院生たちは、玉木氏が教えていることに疑問を抱かないのだろうか?

 例えば、明治の昔と現代とでは野球の根幹にかかわるルールがまったく違うなどといったことは、学研の学習マンガ『一発貫太くんの野球のひみつ』や、テレビアニメ『まんがはじめて物語』の日本の野球の始まりの回にも登場する、割と知られた話である。当時の、正岡子規の時代の野球のルールはどんなものだったのか。調べないのだろうか?

【神田順治や鈴木美嶺といった著名な野球人たちが監修している】

 あるいは、大化の改新ときっかけとなった古代日本の球技スポーツ。一般には「蹴鞠」だと思われているが、なぜ玉木氏は「蹴鞠」ではなく、もう一方の説である「スティックでボールを打つ球技」を一方的に確信的に主張するのか。考えないのだろうか?

 誰か玉木氏にこの件で質問(ツッコミ)をする学生はいないのだろうか? いないとしたら残念なことである。センセイの言ったことを鵜呑みにするだけ、権威に疑いを持たず、自分の頭で考えない、調べない大学生・大学院生たち……。日本の将来が心配だ。

 スポーツライター玉木正之氏は、唯々諾々と上に従う、自分の頭で考えないアスリートを量産する日本のスポーツ界の悪弊をかねてより批判していた。だから、こんなツッコミをしたところで単位をくれないとか、そんなことはしないはずだ。

 いわんや、アカハラ(アカデミックハラスメント)なんて、絶対にしないはずだ。アイドルはトイレに行かない、アメリカ大リーグは送りバントをしない……というのは、実は幻想であった。

 しかし、玉木正之センセイはアカハラなんか絶対にしない。当ブログが保証する。

(つづく)

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