スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2016年11月

大化の改新と蹴鞠(12)~玉木正之氏からの返信メール(前編) : スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う[承前]

玉木氏のド下手な文章
 大化の改新のきっかけは蹴鞠ではない。スティックを使った別の球技だ……とつねづね訴えるスポーツライターの玉木正之氏。その根拠が知りたくて、当ブログから玉木氏に質問のメールを出した。
tamaki_masayuki1
 翌日、玉木氏本人から返信のメールをいただいたのだが、その内容がまったく答えになっていない上に、ツッコミどころ満載だったので、面白がっていろいろ揚げ足をとっていったら、1回では済まなくなって、エントリーを前後半に分けることになった。
 実際、大化期の打鞠を、平安期の蹴鞠と同じものとして、京都の蹴鞠保存会の人々が平安期の衣裳とルールで毎年11月第2日曜日に談山神社(鎌足と大兄が改新クーデターを談合したとされる場所)で蹴鞠を行っているのは、大きな誤解を呼ぶ催しとして少々残念でなりません。

 それが、今日まで伝わる蹴鞠ではなく、〈サッカー+ホッケー〉に近いものであるとわかると、日本サッカー界のW杯挑戦も、イタリア・サッカーがサッカーのことをローマ帝国時代に伝わった球戯の名前(カルチョ)で呼んでいるのと同様、プラスになるような気がしますが……(笑)。
 上記の引用、2段落目は文意がよく分からなかった。失礼ながら恐ろしく下手糞な文章である。日本サッカーの「決定力不足」の克服になるということか? と、思っていたが、いろいろ玉木氏の著作や文章を読んでみてようやく理解できた。

 要するに、玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカーのルーツと考えているのである。チーム(団体)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。玉木氏によれば、飛鳥時代、中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったのは、このスティックを使った団体球技の方ある。

 一方、蹴鞠は平安時代になって日本に遅れて入ってきたものである。この蹴鞠は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である(と玉木氏は思っている)。日本人がサッカーよりも野球を好むのもそのためである。玉木氏にとって蹴鞠はサッカーのルーツ(前史)には当たらない。
正倉院宝物より
【打毱(正倉院御物)】★

 だから、中大兄と鎌足が出会った球技が蹴鞠ではなくスティック球技だと分かり、人々の意識の間にも浸透すれば、現代のサッカー日本代表(特に男子)がワールドカップに挑戦する時にもプラスになるという話なのだ。

 玉木氏の文化本質主義的体質がよく表れた文章である。しかし、実に馬鹿げた考えである。読者の「読解力」にも問題があるのだろう。だが、玉木氏は説明不足のまま一人合点で話を進める癖ががあり、読み手が文章をよく理解できないことがままあるのである。

虚構こそ真の「歴史」と語る玉木正之氏
 また、「打鞠」は足でも鞠を蹴ったわけで、「而候皮鞋随毬脱落」〔皮鞋の毬の随〈まま〉脱け落つるを候〈まも〉りて≒毬(マリ)と一緒に靴が脱げていった〕の記述は、まったく不思議ではないでしょう。
 謎が謎を呼ぶ。「打毱」(書記の表記はこちらが正しい)はスティック球技で、例えば足で蹴ってもいいなどといったルールが詳しく伝わっているのだろうか? そのルールの条文が伝わっていたら、大化の改新のきっかけは蹴鞠なのか蹴鞠でないのかなどという問題はそもそも発生しない。ちなみに後代の日本の伝統的スティック球技「毬杖(ぎっちょう)」の球は、木の無垢材を削り出したものである。足で蹴ったら骨折する……。
 少々不十分な証拠で申し訳ないのですが、「蹴鞠」(平安期に流行した)の歴史を考えると、「打鞠」が「蹴鞠」とは掛け離れたボールゲームであることは明らかで、『平家物語』の「毬打(ぎちゃう)」の記述を見ますと、大化期の〈ホッケー+サッカー〉のような球戯は、サムライや法師や庶民の間に連綿と伝わり、蹴鞠は貴族に限られて発展した、と思われます。

 さらに「ぎっちょう」は、鎌倉武士の間で、ポロのように馬に乗って毬を打つ団体球戯に発展し(メソポタミアに生まれ、中国へ伝わり、日本に渡った球戯の原型?)、その「ぎっちょう」を江戸時代に八代将軍吉宗が一時期復活し、「ぎっちょう」は「棒で玉を打って運ぶ」庶民や子供の遊びとして発展し、明治時代まで残ったこと……、その「棒」を持つ手が左手であることが多かったことから、「左ぎっちょ」という言葉が生まれたこと……などが、小生の読んだ本(資料)に書かれていたと記憶しています。

 それら日本で流行した集団球戯の全てのルーツが、大化期以前に大陸から伝わった集団球戯の「打鞠」(くゆるまり)にあるとは言うことができても、「打毬」=「蹴鞠」というのは、かなり無理があるように思うのですが、如何でしょう?
 『平家物語』などの話などは、この際どうでもよろしい。「如何でしょう?」などと言われても、当ブログが欲しいのは不十分ではなく十分な証拠である。
 尚、蘇我時代からの日本の天皇の歴史を書き起こした橋本治氏の『双調平家物語』には、大化のクーデター前の「打毬」(うちまり)のシーンが、毬を「杖」で打ったり、足(靴)で蹴ったりして「門」まで運び入れる球戯として描かれています。小説家の書いた小説ではありますが、この描写が史実に近いのではないかと、小生は思っています。

 前エントリーから数えて3度目のエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! で、ある。『双調平家物語』は、あくまで橋本治氏の「小説」だ。「歴史」ではない。玉木氏の言い草は、まるで司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を持ち出して史実の坂本龍馬はこれこれでしたと言っているようなものではないか!?

 玉木正之氏は「事実」を軽んじる傾向が強い。ノンフィクション(事実)よりもフィクション(虚構)の方が物事の真実に迫れるだとか、この世に事実は存在しない、あるのは眼に映った虚構だけだ……などとうそぶく(『彼らの奇蹟』)。しかし、ここで問題にしているのは「歴史」とは、そんな暇人のふける思想の問題ではないはずだ。

 「蹴鞠」(けまり)は、当時、まだ存在しなかったのですから……(そのことについては百科事典等にも書かれていて、明らかです)。

 「打鞠」は「蹴鞠」ではないにしても、大化期に日本に伝わっていた集団球戯から、平安期の個人技中心の「蹴鞠」が生まれ出る(発展に影響を与える)のに、まったく無関係か、というと、そうとも思われません。しかし、スポーツの発生学的には、クリケットからベースボールが生まれた、という「嘘」に近いように思われます。

以上      玉木拝
 玉木氏の言う「百科事典」とは、どこの百科事典だろう? 当ブログ、あらかたの百科事典の「蹴鞠」「打毬」「毬杖」の項目に目を通した。あの分厚い吉川弘文館『国史大辞典』と小学館『日本歴史大事典』にも目を通した。いずれも、大化の改新のきっかけが蹴鞠か蹴鞠でないのかと断言しているものはなかった。

 以上、玉木正之氏の言う回答は、まったく当方を満足させるものではなかったが、特に何の反応もしなかった。

 「尚、資料はまとめて、大学の小生の研究室に移して保管してあるはずですので、いつか機会があればきちんと見直してみたいと思います」ともあったので、後でもっと詳しい回答が来るかもしれないと期待しながら、いつの間にか忘却していたのである。

 ところがこの後、玉木正之氏は奇妙なことを仕掛けてきたのであった。

(つづく)


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玉木正之氏から返信が来た
 大化の改新(645年)の2人、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのきっかけになった古代日本の球技は「蹴鞠」ではない。「打毬」とも「毬杖」ともいうホッケー風のスティックを使った球技だとつねづね主張するスポーツライターの玉木正之氏。
tamaki_masayuki1
 彼がこのような主張をするのは含みがある。玉木氏は「日本人はサッカーが苦手な民族である」と信じており、人々にもそう啓蒙したい、信じ込ませたいからである。だから、中大兄と鎌足が出会ったのも蹴鞠の会では困るのである。

 それにしても、玉木正之氏はなぜそうした主張をするのか。まず一義的には誰のどんな研究・考証が、あれはスティック球技だ(蹴鞠ではない)と断定しているのか? 玉木氏の公式サイトに質問のメールを出してみたのである。

 すると翌日、2010年9月24日に玉木氏本人のアドレスから返信をいただいた。真摯な対応は本当にありがたいと思う。しかし、どうにも奇妙なのである。当ブログが答えてほしいことは何も語らず、持説を延々と繰り返すだけの回答。しかもツッコミどころ満載の内容なのだ。

玉木氏の回答のツッコミどころ
 以下はその玉木氏の返信の内容である。要所ごとにツッコミと解説を入れる。
[件名]gazinsai様        from玉木正之

 ホームページ経由のメール拝読。

 日本書紀皇極紀にある『打鞠』〔書紀の正しい表記は「打毱」〕についてのお問い合わせですが、残念ながら、原稿執筆当時の資料を片付けてしまって〔!〕、正確に引用文献をお示しすることができません〔!〕ので記憶を掘り起こします。御容赦下さい。
 エーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! 覚えていないのかよ!? しかも、資料を片付けてしまったとは!? それで回答するのも図太いというかなんというか。客員とはいえ、大学・大学院でものを教える立場としても、ジャーナリズムとしても、こういう姿勢はよくないのではないだろうか?
 それは2001年に書いた『スポーツと日本人』(のちに『スポーツ解体新書』として出版)を上梓したとき(同時の同題名でNHK教育テレビで話したとき)に詳しく調べたもので、記憶では、河出書房から出版されていた本が最初のきっかけになったと記憶しています。
NHK日本人とスポーツ

 正しい番組名・テキスト名は『日本人とスポーツ』。当ブログは、NHK教育テレビ(現Eテレ)のテキストを購入し、この番組を全編視聴している。大化の改新におけるスティック球技説の主張も玉木氏の1993年刊の著作『Jリーグからの風』(集英社文庫)には既に記載があるので、2001年前後に初めて調べたわけではないはずである。
Jリーグからの風

 どうも玉木氏は、過去に自分がやった仕事のことを詳細に覚えていないらしい。これは多作な著述家にはよくあることらしく、松本清張もそんな人だったらしい。だからといって、いいわけではないのだが。

 それから、どうせ教えてくれるなら、河出書房という版元の名前ではなく、著者の名前を教えてほしい。その名前から著作なり雑誌記事なりたどって玉木氏が依ったソースにたどり着くことができるかもしれないからだ。この辺は本当にもどかしい。
 その内容は、まず、「蹴鞠」(けまり)というものが日本に渡来したのは、平安初期(早くても奈良後期)であること、そして、大化以前に中国大陸より渡来した「球戯」は、『打鞠』『鞠門』等、いろいろあったようですが、すべて、鞠を足で蹴ったり、棒で叩いたりして、ゴール(門)へ運び入れることを争ったものであったこと、などが、記されていたと記憶しています。
 当ブログが欲しているのは、玉木氏の曖昧な記憶ではなくて、誰のいかなる考証なのか、それはいかなる著作に載っているのかという確かな「証拠」なのだが。ちなみに、こういう文脈で「球戯」と書くのは玉木氏独自の表記・用法。
 (尚、資料はまとめて、大学の小生の研究室に移して保管してあるはずですので、いつか機会があればきちんと見直してみたいと思います)。
 当ブログは、その「保管してあるはず」の資料(史料)について、あるいはそこに何を書いているのかを教えてほしいのだ。
 坂上太郎氏〔正しくは坂上ではなく「坂本太郎」!〕の示された大化期の「打鞠」が「蹴鞠」である「いくつかの根拠」を小生は知りません〔!〕が、ホッケーとサッカーの混合のような団体競技だった「打鞠」(くゆるまり)〔?〕が、集団リフティングのような個人遊技に近い「蹴鞠」に発展する可能性はあるとしても、それが流行したのは平安期で(さらに、前述のように、「蹴鞠」は新たに大陸から日本に伝来したとも書かれていたと記憶しています)、この大化期の「打鞠」(くゆるまり)を、「蹴鞠」(けまり)と呼んでしまうのは、のちの平安期以降に貴族の間で大流行した蹴鞠(そして、現在まで保存されている蹴鞠)がイメージとして存在する多くの日本人には、誤解を誘発しすぎると思います。
 エーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! 読んでいないのかよ!? ……と、いうことで、玉木正之氏が岩波文庫版の『日本書紀』をきちんと読んでいないことが確定。玉木氏は、1995年の文藝春秋「ナンバー」増刊『20代のテクスト「スポーツを読む。」』でスポーツ関連書の書評とブックガイドのページを担当したが、ここで推薦していったのは蹴鞠説を採用している岩波文庫の『日本書紀』だった。

 にもかかわらず、玉木氏は蹴鞠説ではなく、スティック球技説を支持するのである。玉木氏は本に記載されていることを尊重するよりも、自身の思い込みの方が大切なのだろうか? せめて岩波文庫の坂本太郎の考証・解説くらい読んでから回答すればいいのに。

 それから「くゆるまり」とは「けまり」の古語だと思うのだが……。それでスティック球技説を唱えるのもよく分からない。

 そして、日本古代の球技についての玉木氏の講釈が延々と述べられるが、当ブログが知りたいのはそんなことではない。

(つづく)


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大学でも教えられる玉木正之説
 大化の改新(645年)の始まりとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」を決行した中大兄皇子と中臣鎌足。従来、この2人の出会いは「蹴鞠」の会だとされてきた。

 しかし、これには異論があり「打毬」とも「毬杖」とも言われる、スティックを使った球技であるという説がある。

 中でも、この球技は蹴鞠ではない。スティック球技だと繰り返しかつ強硬に主張してきたのが有名なスポーツライター玉木正之氏である。

 玉木氏は、これまでスポーツの歴史、スポーツ文化、スポーツジャーナリズムを包括して論じた著作をいくつも書いており、それらの本ではほぼすべてでこの件に言及し、スティック球技説を唱えている。

 さらに玉木氏は、これまでいくつかもの高等教育機関でスポーツの歴史・文化およびジャーナリズムについて教えている。

 公式ウェブサイト「カメラータ・ディ・タマキ」のプロフィールによると、玉木氏は、2016年11月時点で6つの大学・大学院で客員教授または非常勤講師を務めているという。当然、学生・院生たちにも持論であるスティック球技説を教えている。かつて教鞭をとっていた国士舘大学大学院スポーツシステム研究科での講義をまとめた『玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る』(国士舘大学体育・スポーツ科学学会,2003年)でも、この説を唱えている。

 こうした影響は無視しがたいものがある。玉木正之氏の「啓蒙」によって、歴史の本の記述や、NHK‐Eテレの歴史教育番組の描写が変わってくるかもしれない。玉木氏の持論が天下の公論になってしまうかもしれないのである。

 玉木氏がこのような主張をするには理由がある。彼は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という命題を人々に刷り込みたいからである。

 ただ、いったいどんな根拠に基づいて玉木氏がスティック球技説を主張するのか、彼の著作からはよく分からない(参考文献にもそれらしい著作がない)。まさか、いかに玉木氏が博覧強記の人とはいえ(これは皮肉や当て付けではなく、実際そうである)、彼自身が『日本書紀』や日本古代史を詳しく研究したわけではあるまい。誰か専門家の何がしかの研究・考証にのっとって主張しているはずだ。

 そんなわけで、ある日、玉木氏の公式サイトにある問い合わせ用のアドレスに質問のメールを出してみることにしたのである。

玉木正之氏への質問状
 メールの日付は2010年9月23日とある。質問の内容は左の通り。読み直してみておかしいところ、第三者には分かりにくいところは、〔 〕による付け足しや*を付けて段落外の解説で補足してある(これ以降も同様)。

[件名]「日本書紀」皇極天皇紀の《打毬》の解釈について

拝啓 玉木正之さま 侍史

 玉木さんの持説に、「『日本書紀』皇極天皇紀にある、大化改新の発端となった中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのきっかけとなった《打毬》〔「毱」が環境依存文字なので「毬」で代用〕とは、蹴鞠(≒サッカー)ではなく、毬杖(ぎっちょう≒ホッケー〔スティック球技〕)である」というものがあります。

 この根拠は何でしょうか?
  1. 玉木さんが、どこかでこの件にまつわる考証を書いている媒体(紙・ネットなど)ありましたら、ぜひとも教えてください。
  2. それがないのであれば、どこかで表明してほしいと思います。ぜひとも教えてください。
 歴史学者の故・坂本太郎氏が校訂・校注した岩波文庫版の『日本書紀』では、いくつかの根拠を示して、これは「蹴鞠」なのだとしています。

 一方、小学館・新編日本古典文学全集版の『日本書紀』で、《打毬》を「毬杖」としていますが、こちらは深い考証なしに断定していたと思います。

 ぜひとも、玉木さんの見解を知りたいのです。

 最後に、「而候皮鞋随毬脱落」(皮鞋の毬の随〈まま〉脱け落つるを候〈まも〉りて)〔書紀の原文と訓み下し〕、靴が毬といっしょに脱げていった……という記述は、「毬杖」〔スティック球技〕ではどういう解釈になるのでしょうか?〔杖でボールを打つ競技でこの描写は不自然ではないかと考えての質問〕

 以上、お手数ですがよろしくお願いします。 敬具
 「深い考証なしで」というのは、スティック球技説をとる西宮一民校注・小学館版では、蹴鞠説をとる坂本太郎校注・岩波文庫版のように『藤氏家伝』の記述(明確に「蹴鞠」と表記してある)を参照していないではないか、という意味だったが、はっきり言って失礼なことを書いてしまったと今は反省している。

 この翌日、何と玉木正之氏本人から直々に返信が来た。

(つづく)


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玉木正之氏の隠しテーマとは?
 大化の改新(645年)のクーデター「乙巳(いっし)の変」を決行した中大兄皇子と中臣鎌足。2人の出会いの場となったのは『日本書紀』によると「打毱」の会である。一般にこの打毱とは「蹴鞠」(けまり)とされてきた。ところが、これには異論がある。
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 打毱とは、スティック(杖または棒)を用いてボールを打つ、現代のホッケーまたはポロに似た「打毬」(だきゅう)または「毬杖」(ぎっちょう)だという説もあるのだ。中でも著名なスポーツライター玉木正之氏は、こちらの説の熱烈な支持者である(余談だが、何だ?リンク先の「鞠まり」って?)。

 玉木氏がスティック球技説を支持することには、隠しテーマがある。玉木氏は「日本人は歴史的・文化的・伝統的にサッカー……むしろ、広くフットボールと呼んだ方がいい……のような球技を享受する素地を持たない(反対に野球のような球技を日本人は愛好する)、サッカーが苦手な民族である」という強烈な思想の持ち主だからである。

 こうした思想に依ることで、日本代表がワールドカップ本大会でなかなか勝てないでいること。Jリーグの人気がなかなかプロ野球を凌駕できないでいること。玉木氏はそれらの理由を人々に対して権威的に論じることができるのだ。

そもそも『日本書紀』には何とあるのか?
 しかし、こんな説明をいつまでもグダグダやっていてもしょうがない。そもそも、この話をもとになった肝心の『日本書紀』皇極天皇紀には何と書いてあるのだろうか? そして、どんな解釈がなされているのだろうか?

 『書紀』の原文自体は漢文、悪く言えば漢字の羅列であって、もともと何と読んで何と解釈していたかは分からなくなっている。そこで古来より訓詁注釈が行われてきた。

 現在、『日本書紀』について読める主なテキストは、ワイド版岩波文庫と小学館・新編日本古典文学全集がある。該当部分の記述と「打毱」という単語の校注を確認しておく。「打毱」の最中、中大兄の履いていた靴がボールと一緒に脱げる。それを鎌足が拾って、中大兄に丁重に返すという有名な場面である。また、引用元の漢字にはいずれにもルビ(ふりがな)が振られているが、当ブログではカッコルビとした。

 はじめにワイド版岩波文庫の『日本書紀』から。校注は歴史学者の坂本太郎。こちらは蹴鞠説を採る。
日本書紀〈4〉 (岩波文庫)
坂本 太郎
岩波書店
1995-02-16

【ワイド版岩波文庫『日本書紀(四)』より
 《偶(たまたま)中大兄の法興寺(ほうこうじ)の槻(つき)の樹(き)の下(もと)打毱*1(まりく)ゆる侶(ともがら)に預(くはは)りて、皮鞋(みくつ)の毱(まり)の随(まま)(ぬ)け落(お)つるを候(まも)りて、掌中(たなうら)に取(と)り置(お)ちて、前(すす)みて跪(ひざまづ)きて恭(つつし)みて奉(たてまつ)る。中大兄、対(むか)ひて跪きて敬(ゐや)びて執(と)りたまふ。》

 *1 毱は鞠に同じで、まり。打毱は打毬ともいう。打毬に二義があり、一に騎馬で曲杖を持って毬をうつポーロ〔ポロ〕風の遊戯をいい、荊楚歳時記〔中国・六朝時代の年中行事・風俗の記録〕や史記正義〔中国・唐代の『史記』注釈書〕では、蹴鞠(けまり)をいうという。蹴鞠は数人が一団〔チーム〕となり、両団が相対して、鞠を蹴る競技。競馬の打毬は平安朝に行われたが、ここのは蹴鞠のこと。家伝〔『藤氏家伝』。奈良時代中期・天平宝字4年=760年成立。藤原〈中臣〉鎌足らの伝記〕に「儻遇于蹴鞠之庭」とある。クウルの訓、岩崎本〔旧三菱財閥本家所蔵の写本〕の古い傍訓による。蹴の古い活用は、奈良時代の蹴散、クヱハララカスに見られるように、ワ行下二段活用。ここは、その連用形クウルの実例と見るべきもの。
 つづいて小学館版。こちらの校注は上古文学の西宮一民。問題の球技はスティック球技だと解説している。

【小学館・新編日本古典文学全集(4)『日本書紀(3)』より
 《偶(たまさか)に中大兄の法興寺(ほうこうじ)の槻樹(つきのき)の下(もと)打毱*2(ちょうきゅう)の侶(ともがら)に預(くはは)りて、皮鞋(みくつ)の毱(まり)の随(まにま)に脱(ぬ)け落(お)つるを候(うかか)ひ、掌中(たなうら)に取(と)り置(も)て、前(すす)みて跪(ひざまづ)き恭(つつし)みて奉(たてまつ)る。中大兄対(むか)ひて跪き、敬(ゐや)びて執(と)りたまふ。》

 *2 「打毱」は「和名抄」〔『和名類聚抄』。平安時代中期・承平4年=934年ごろ成立の漢和辞書〕にマリウチの訓がある。蹴鞠〈けまり〉とは異なり、打杖で毱を打って勝負を争う。今日のポロまたはホッケー風の競技。本条もこれであろう。
 解釈が分かれている。素人ではどちらが正しいか判断がつきかねるが、それぞれ一理ある考証だと思う。元々は同じテキストで、文意は同じでも「打毱」については決定的に違うことがお分かりいただけるだろう。

 坂本が依った底本では「打毱」は「まりくゆる」と読み、西宮が依った底本では「ちょうきゅう」と読む。同じ『日本書紀』の底本・写本の違いや、参考にした古典籍などによって解釈が違ってくるようである。

平安以前の蹴鞠を復元する試み
 興味深いのは、岩波文庫版・坂本太郎の校注では蹴鞠を両チームに分かれた対戦形式の競技だったとしていることである。周知のように現在の日本に伝わっている蹴鞠は対戦形式の球技ではなく、これは平安時代になって変容したという考えがある。この違いは坂本の蹴鞠の認識が『荊楚歳時記』や『史記正義』といった中国の古典籍にしたがっているためだと考えられる。

 一方、埼玉県立博物館の井上尚明学芸員のように、日本の蹴鞠の史料には、ゴールを想定させるものはなく、すべて唐代に出現したゴールを持たない蹴鞠の系統であり、日本にはゴールを奪うゲームとしての蹴鞠はなかった。中大兄と鎌足の出会いも現在のポロに近い球技かもしれないと交渉する説もある(特別展「KEMARI-蹴鞠-The Ancient Football Game of Japan」展示図録,2002年)

 飛鳥時代、蹴鞠は日本に既に伝来していた。それは2チーム対戦形式だった……という考えにしたがって、奈良県には、平安以前の中大兄や鎌足が行ったかもしれない対戦形式の蹴鞠の「復元」(推定復元)を試みる民間グループがいくつか存在する。

 明日香村伝承芸能保存会の「飛鳥蹴鞠」は飛鳥時代に中国から伝わった蹴鞠を20年かけて復元し、7世紀半ばの勇壮な蹴鞠がよみがえらせたとしている(奈良県明日香村のウェブサイトから)。また、NPO奈良21世紀フォーラムは、スポーツジャーナリスト・賀川浩(!)らによる競技考証、考古学者・猪熊兼勝(京都橘大学教授)による時代風俗考証などを参考に「万葉けまり」を実践している。

 2005年正月、NHKが放送した古代史ドラマ「大化改新」で採用された蹴鞠は「万葉けまり」の方である。
NHKドラマ‗大化改新
(つづく)


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 つまり、サッカー界の腐敗は新しいものではない。ただ、近年、スポーツビジネスが膨張し、動く金が桁(けた)外れになっただけだ。――田崎健太『電通とFIFA』



セレソンは金で腐る
 アンドリュー・ジェニングスの『FIFA 腐敗の全内幕』に、サッカーブラジル代表で試合に出場する選手はスポンサーであるナイキの指示で選ばれていたという凄い話が出てくる。
FIFA 腐敗の全内幕
アンドリュー ジェニングス
文藝春秋
2015-10-30

 1996年、ブラジルサッカー連盟の会長リカルド・テイシェイラはナイキにブラジルサッカーの支配権を引き渡した。ナイキは、テイシェイラに1億6000万ドルを支払う代わりに、ブラジル代表の選手を選ぶ権利と、誰がどこでいつプレーするかを指示する権利を買った。試合数は50回……。

 サッカー界に落ちる資金は潤沢になった。しかし、サッカーは歪んでしまった。

アマチュアリズムは金に困る
 清貧ならばいいのかというとそうでもない。岩波書店の総合月刊誌『世界』1973年3月号に掲載されたコラムで、岡野俊一郎氏(当時、日本蹴球協会理事)が、お金を出してくれた大企業(丸の内御三家?)の選手を日本代表に選ばないわけにはいかない……と書いている。
世界1973年3月号_1
 当時からサッカーファンの間では、なぜあの選手が日本代表に選ばれる、なぜこの選手が選ばれない、選手選考が不公平なのではないか……という批判や不満があった。対して岡野氏は『サッカーマガジン』のような専門誌では「そんなことはない。日本代表の選手は公平に選考している」と弁明してきた。

 サッカー専門誌ではない雑誌『世界』で、岡野氏は思わず本当のことを書いてしまった。たまさかそのコラムを読んだサッカーファンは「やっぱりそうだったのか。噂は本当だったのだ」と嘆息したのである。

 ただし、この辺は誤解のないように。リンク先の影印をきちんと読んで全体の文脈で判断してほしい。

 当時、日本蹴球協会に渡される政府からの補助金は年間わずか300万円しかなかった。霞を食って生きることはできない。サッカーをするには金が要る。そのための収入源は、海外の名門クラブ(サントス、アーセナル、ベンフィカなど)を来日させ、日本代表と試合をし、興行収入を得ることであった。

 しかし、当時はアマチュアリズムの概念が生きていた時代だから、海外のプロのクラブとアマチュアの日本代表が試合をしていいのかと折にふれて質される。税務署からはこれは興行ではないのか、税金をかけるぞとまで脅される……。

 その逃げの方便として、入場料収入はファンからの「浄財」であるということ、強化のための「寄付金」をいただいた企業からは所属選手を日本代表に必ず選考するということ、だったのかもしれない。当時の日本サッカー界は低迷期にあり、とにかく金がなかった。

 日本代表を編成するために純粋に技術的な立場から選手選考を行わなければならない。そのためには協会に財源が要る。金が要るから、お願いして金を出してもらった大企業所属の選手を日本代表に選ばないわけにはいかない。

 だが、それでは純粋に技術的な立場からの選手選考とはいえない。話が矛盾している。矛盾しているのだが、その矛盾からは、当時の難しい財政下にあっての岡野俊一郎氏の苦渋を感じて少しばかり同情してしまう。

日本代表も金で腐る?
 金に困っていた日本サッカー界は、Jリーグ以後、劇的に変わった。日本サッカー協会は自社ビルを持つまでになり、サッカー日本代表は巨大なスポーツビジネスになった。

 しかし、2016年11月時点、日本代表はW杯ロシア大会アジア最終予選で苦戦している。予選失格まで心配する人までいる。

 原因にとして一説に選手の世代交代が遅れているという意見がある。あるいはコンディション調整の難しい「海外組」のバックアップとして「国内組」の日本代表を編成してみては、という意見もある。だが、そうしたことが試みられることはないかもしれない。

 日本代表のW杯アジア最終予選、その試合のテレビ地上波中継(テレビ朝日系)のビデオを見直してみる。クラッシュ・ロワイヤルというビデオゲームが番組提供スポンサーになっている。番組の間に挟まれるCMには、ACミラン(イタリア)所属の本田圭佑選手が出演している。
本田圭佑_クラッシュ・ロワイヤル



 クラッシュ・ロワイヤルの提供クレジットが映し出される時も、背景には本田選手のプレーの様子が映されている。こういうのも意識してやっているのだろう。

 サッカー日本代表(日本サッカー協会)の有力な収入源であるテレビの放映権料、例えばW杯アジア最終予選のそれはテレビ朝日から入ってくる。日本サッカー協会に放映権料を支払うテレビ朝日は、クラッシュ・ロワイヤルを含むスポンサー企業から広告料を得て収入としている……。

 ……さて、サッカー日本代表の選手選考は、純粋に技術的な立場から行われているのだろうか? 本当に公平性が担保されているのだろうか?

(了)

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