スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

2016年10月

日本のスポーツ文化、その中心と周辺?
 玉木正之氏の作品「彼らの楕円球」(新潮文庫『彼らの奇蹟』所収)の鍵を握る人物が元ラガーマン「Q」である。それにしても、なぜ彼は東北・山形県出身という設定なのか? ヒントになりそうなのが「彼らの楕円球」冒頭で引用された往年の名評論家、故・虫明亜呂無のエピグラフである。
 スポーツは遊びである。遊びであるから贅沢〔ぜいたく〕である。それは歌舞音曲や、おいしい料理や、男女の交情と同じように人生の飾りであり、一期〔いちご〕の夢なのである。こうした精神は、もともと京阪神を中心にした上方生活に根づいて長い伝統の試練にかけられ、開花し実を結んでいった。――虫明亜呂無(『時さえ忘れて』ちくま文庫「咲くやこの花」より)〔新潮文庫『彼らの奇蹟』345頁〕
時さえ忘れて (ちくま文庫)
虫明 亜呂無
筑摩書房
1996-06

 この引用文によって玉木氏は「スポーツは遊びだ」という自身の思想を裏付けている。虫明亜呂無は、玉木氏が「我が師と尊敬」する存在(『彼らの奇蹟』476~477頁)。美的で陶酔的(なおかつ小癪)な文体のスポーツライティングの走りであり、加えて勝敗(を争うこと)を軽んじるスポーツ観の走りでもある。玉木氏も大きな影響を受けている。

 とにかくスポーツのような文物を享受できるのは、日本では「西」の豊かな文化であって野蛮な「東」ではない。「西」はスポーツを「遊べる」が、「東」はスポーツを遊べない。「東」山形出身の「Q」は、ついにラグビーを遊べなかった。「西」上方=京阪神なかんずく京都の同志社大学のラグビー部だから、なかんずく京都人の平尾誠二だからラグビーを「遊べる」。それを「西」京都人のスポーツライター玉木正之氏が広く伝えるのである。

 実に嫌味な思想である。これを差別と言い切るのは勇気がいるが、どことなく差別的な臭いが漂う。鳴くよウグイス平安京の昔そのままの「西」から見た「東」観、あるいは「東北」観である。玉木氏のスポーツ思想のダシにされた東北・山形の人にとってはあまり面白くはないだろう。

東北-つくられた異境 (中公新書)
河西英通
中央公論新社
2013-11-08

あらためて、なぜ山形県なのか?
 ところで「彼らの楕円球」の舞台になっているのは、1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場で行われた全国社会人ラグビー大会決勝神戸製鋼vs三洋電機の試合である(年度は1990年度)。

 この試合、後半インジャリータイム(ロスタイム)、神戸製鋼の大逆転トライ&ゴールで三洋電機に勝利するという劇的なものであった。文句なしに日本ラグビー史に残る名勝負であり、神戸製鋼ラグビー部および平尾誠二選手の全盛期にあっても最高の試合だった。玉木氏にとっては、その意味でも意義深い試合だった。
19910108神鋼三洋
日本ラグビー名勝負神戸製鋼vs三洋電機―1991年1月8日社会人大会決勝 (<VHS>) [単行本]
文藝春秋
1998-11

 秩父宮のメインスタンドで玉木氏と「Q」は偶然出会い、試合を観戦しつつ会話しながら「彼らの楕円球」の物語は進んでいく。「Q」はわざわざ上京して観戦に来たのだった。

 「西」に対してスポーツ文化の果つる「東」でも関東(首都圏)ではないのは、ラグビーから遠く離れて……という「Q」の生活には東北の方が都合がいいからである。あらためて、なぜ東北でも山形なのか。作中「今日中に山形にもどりますので」(同書371頁)という「Q」の台詞にヒントがある。

 たしか、この試合は平日に行われていたと記憶する。山形新幹線はまだ開通していなかったが、東京駅から東北新幹線、福島駅で在来線特急乗り換えで山形駅まで4時間前後だったはず(もう少し早かったかもしれない)。割と気軽に上京して日帰りできる程よく遠い東北のひなびた田舎……。この条件にちょうどいいのが山形県である。

 福島県、郡山市・福島市あたりは東北新幹線直通で東京から近い印象がある。宮城県も東北新幹線で東京とつながり、政令指定都市・仙台があるのでひなびていない。

 東京から遠いので青森県は外れる。秋田県も同様。ただし、秋田はラグビー王国でもあり、「西」の京都・同志社のラグビーに挫折した「東」の東北のラグビー選手の出身地の設定としては、東北6県のどこよりも相応しい。ところが、当時、黄金時代の同志社大学ラグビー部のレギュラーには、平尾選手の同級生、秋田工業高校出身の土田雅人選手がいて、秋田では何かと具合が悪いのである。

 岩手県……。ここには釜石市というラグビーの町があって、この街を本拠とするかつての新日鉄釜石ラグビー部は「北の鉄人」と呼ばれ、日本最強を誇った。

 このチームの地域密着度と愛され方は、昨今の広島カープも及ばない。平尾選手は英国・欧州のスポーツクラブに擬して神戸製鋼ラグビー部を「スティーラーズ」と呼び、クラブハウス、芝生のピッチ、地域社会との連帯などを実践していった(玉木氏のように日本の企業スポーツを毛嫌いする人ももっぱら「スティーラーズ」と呼んだ)。だが、舶来物のような「スティーラーズ」はどうしてても土俗的な「北の鉄人」に勝てない。ここにはうかつに手が出せない。

 こうしてみると、玉木氏の『日本のスポーツ文化「西/東」論』は意外に恣意的で、ご都合主義的なものに思える。

 かくして、かつて平尾2世と言われながら同志社ラグビーで挫折することになるラガーマン「Q」の出身地は、ラグビー空白県(不毛の地)だった山形とされたのである。

(つづく)
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山形県出身の元ラガーマン「Q」は実在するのか?
 玉木正之氏の作品「彼らの楕円球」(新潮文庫『彼らの奇蹟』所収)の鍵を握る人物が元ラガーマン「Q」である。

 山形県出身。平尾誠二より2歳年下。地元・山形県のP高校1年の時に花園(全国高校ラグビー全国大会)に出場。超高校級の逸材、平尾2世と騒がれた。2年の時に東京の名門ラグビー名門校・X工業高校に転校。ここでプレーに磨きをかけ、平尾がいた同志社大学に進学する。しかし、黄金時代の同志社大学ラグビー部、キラ星のような選手たちの中に埋もれて伸び悩み、選手を引退。郷里・山形に帰ってしまった……。

 ……というのが、「Q」のプロフィールであるが、ここに嘘(虚構)がある。

 山形県は、長い間ラグビー空白県「不毛の地」であり、1987年度まで県予選を行って花園に代表校を送り込んだことがなかった。その後もずっと弱小県である。平尾の2歳下ということは「Q」は1964年生まれということになり、高校1年で地元の高校から花園に出場したのは1980年ということになる。ラグビーブームの最中であるが、この時代、山形県でほとんどラグビーは行われていない。

 つまり、「Q」の経歴はありえないのである。そもそも彼は実在するのだろうか? ひょっとてモデルになる選手ならいたのか? 当時を知る熱心な同志社ラグビーのファンならば「それはあいつのことやで」と教えてくれるかもしれない。いずれにしても、「Q」がラグビーがまったく盛んではない山形で生まれ育ったというのは虚構(嘘)である。

 ラグビー選手を引退後「Q」は郷里で家業を継いだことになっている。山形で将棋の駒の卸売販売をしているという設定だが、将棋の駒は山形ではなく天童市である。細かいことだが。

 それにしても、なぜ山形なのか? 否、その前になぜ「Q」は伸び悩んだのか? 彼は同志社のラグビー(さらには神戸製鋼のラグビー、平尾誠二選手のラグビー)に関する考え方・やり方との相性が悪く、なじめなかったのだという。同志社ラグビーのモットーといえば、自主的で自由奔放、楽しく遊ぶようにラグビーをしているというもの。むしろ、彼らはラグビーを「遊んで」いる! そのノリに「Q」はついていけなかったのだ。

 彼らは心からラグビーを楽しんでいる、そしてラグビーを真剣に遊んでいる(だからこそ、勝つ)。だけど、僕は遊べなかった……と、「Q」は取材者の玉木氏に語っている。

 「遊ぶ」「楽しむ」こそ、玉木正之氏そして平尾誠二選手のスポーツ観の肝である。スポーツとは本質的に(語源的にも)遊ぶもの楽しむもの、理不尽な苦痛や上下関係など陰湿で抑圧的なものを伴う日本的なスポーツ観とは違うもの……。玉木氏はスポーツライターの立場から、平尾選手はアスリートの立場から、こうした主張を繰り返していた。

 玉木氏はスポーツの理想を体現する平尾選手を称揚し、彼の発言の媒体となった。ラグビーを言葉で表現することに熱心だった平尾選手も玉木氏と共鳴した。同じ京都人同士でもあり、そのよしみでも意気投合。2人の出会いは互いに相乗効果を生んだのである。

 そうしたスポーツ観、ラグビー観を引き立たせる「隠し味」として登場するのが、東北は山形県出身の元ラグビー選手「Q」なのである。

(つづく)
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なんでラグビーが玉木正之なのか?
 新潮文庫から傑作スポーツアンソロジーと銘打たれ、玉木正之氏を編者として2015年に刊行された『彼らの奇蹟』。マラソン、バレーボール、サッカー、ゴルフ……さまざまなスポーツが採り上げられているが、ひょっとして一番ガッカリしたのはラグビーファンではなかっただろうか?

 香山蕃、大西鐵之祐、北島忠治、柯子彰、新島清、池口康雄、神吉拓郎、末富鞆音、小林深緑郎、松瀬学、永田洋光、藤島大、大友信彦、中尾亘孝……あ、最後の人はやめといた方がいいか(笑)。向風見也さんはもっと頑張ろう……と、ラグビーフットボールの書き手、語り手なら昔からいくらでもいるというのに、どうして玉木正之氏の「彼らの楕円球」なのか?

 いや、この作品が全くダメだという意味ではない。ただ、平尾誠二選手、神戸製鋼ラグビー部、同志社大学ラグビー部にフィーチャーした玉木氏の作品だけでラグビーの魅力や本質、あるいはスポーツの本質を語るのは、少々危険ではないかと思うのである。

虚構かノンフィクションか?
 「彼らの楕円球」は、1993年、『小説新潮』(新潮社)4月号で「彼らの奇蹟」のタイトルで、もともとは小説して発表された。1995年には玉木氏の著作『平尾誠二 八年の闘い』(ネスコ)の中で〈小説〉として転載される。さらに新潮文庫『彼らの奇蹟』では「彼らの楕円球」と改題され掲載された。原題は文庫本の書名としてスライドしたのである。
平尾誠二ー八年の闘い
 ところがスポーツアンソロジー『彼らの奇蹟』の掲載条件は「ジャンルとしての小説も除外し、ノンフィクション、評論、エッセイ……等々のフィクション以外からのジャンルの中から作品を選」ぶ(『彼らの奇蹟』479~480頁)となっている。そうなると小説である「彼らの楕円球」がなぜ選ばれるのかという疑問が湧く。編者である玉木氏のゴリ押しなのか? それは正しくないようだ。

 《採用するのは躊躇〔ちゅうちょ〕があったが、編集部の強い意向に押し切られるかたちで収録した。さらに、読んでいただければわかるとおり、この作品には虚構(フィクション)が含まれている。どこからどこまでが虚構なのか、その判断は読者にお任せするが、筆者〔玉木〕はすべて真実、ほとんど事実を書いたと確信している。》(同書482~483頁)

 「すべて真実、ほとんど事実を書いた」というのがミソで、この作品は100パーセント「真実」だが、100パーセント「事実」で構成されているわけではない。たしかに物事の真実が描けていれば、その手段は事実でも虚構でも構わない。そしてノンフィクション作品にも(差し障りのない範囲で?)虚構が混じることはあるかもしれない(もっとも、玉木氏の作品は『彼らの奇蹟』の他の収録作品に比べても虚構の比率が高い気がするが)。

 玉木氏は「非虚構(ノンフィクション)よりも虚構(フィクション)のほうに、『スポーツの真実』や『スポーツの多様性』に迫った作品が圧倒的に多いのも確か」(同書470頁)などと断言してしまう人である(本当か?)。

 また玉木氏は、いわゆるスポーツノンフィクションが書けない。むしろ、そうした作品をスポーツの本質に迫っていない「人間ドラマ」だと呼んで蔑んでいる。仮に玉木氏がスポーツノンフィクションを書いても、取材した事実で攻めるべきところをそれができず、自分の主張や思想を前面に立ててしまう癖があるため、素材は良くともつまらない作品になってしまう傾向がある。

 とにかく「彼らの楕円球」は、ほとんどの事実にいくばくかの虚構を交えて、ラグビーフットボールの真実、あるいはスポーツの真実を伝えたのだ……と、玉木氏は言いたげである。また事実と虚構の境目の曖昧さを示して読者をもてあそび、玉木氏ひとりが面白がっているようにも見える。

 それはそれで嫌味な話だ。ならば、逆にこの作品の虚実皮膜に分け入ることで、玉木氏のスポーツ観、さらには平尾誠二選手のラグビー観などに迫ることができるかもしれない。

(つづく)
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ミスターラグビーの訃報
 当ブログのメインテーマは『玉木正之氏と「大化の改新と蹴鞠」問題』なのだが、ときどきは違う話題も取り上げてみたいと思い、玉木氏と神戸製鋼ラグビー部のネタをあたためていたところへ、平尾誠二氏(元ラグビー日本代表)の訃報が飛び込んできた。
平尾誠二ー八年の闘い
平尾誠二 八年の闘い―神戸製鋼ラグビー部の奇蹟 [単行本]
玉木 正之
ネスコ
1995-10

 謹んでお悔やみ申し上げます。

 故人にはたいへん失礼なのだが、このたびのマスメディアの扱いの大きさには驚いている。2015年ラグビーW杯での日本代表の活躍の影響か? それとも、かつてのラグビーブームの印象がそれほど強烈だったのか? はたまたテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」の思い出なのか?

ラグビー>サッカー時代、その頂点の試合
 平尾氏の急逝を受けて、NHKはBS1で急遽『伝説の名勝負「不屈の闘志激突!’85ラグビー日本選手権 新日鉄釜石×同志社」』を再放送した(もちろん録画した)。同番組は、2012年正月に放送されたもの。釜石OBの松尾雄治氏と同志社OBの平尾誠二氏が1984年度ラグビー日本選手権「釜石vs同志社」の試合映像をフルタイム見ながら、試合の舞台裏などを語りつくすという内容だった。

 平尾氏、松尾氏ともに弁の立つ人だったこともあり、侃々諤々で面白い番組だった。評判も良かったらしく、だから、この番組はDVDになって発売されている。

 1970年代初頭から1990年代初頭まで、日本のスポーツ界はラグビーブームだった。サッカーが不振にあえぐ中、ラグビーの人気は高かった。こうして思い返してみると、この時の「新日鉄釜石vs同志社大学」は、そんな時代の頂点に位置する試合だったような気がする。

 サッカーファンは激しく嫉妬した。

日本代表でもラグビー>サッカー
 1989年5月28日、サッカー日本代表はジャカルタでインドネシア代表とイタリアW杯予選の試合を行っている。スコアは0対0。今こんな試合をしたら大問題になるだろう。W杯予選もあっさり敗退した。サッカーはまだアジアを勝ち抜くことができなかった。

 ただし、この試合、当時の日本ではサッカーファンを除いてほとんど無視された。

 同日、翻って日本中の注目を集めた日本代表はラグビーだった。宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)監督率いるジャパン(ラグビー日本代表)が、東京・秩父宮ラグビー場でスコットランド(正規のフル代表ではなかったらしいが)を28対24で破った(余談だがスパイクを脱げてしまったジャパンのフルバックの写真が出てくる。だからと言って中大兄皇子が興じていたのはフットボールだとは言わないが)。ラグビーの世界トップ8の一角に初めて勝利したのである。NHKも夜7時のニュースで特報した。国民レベルでラグビーの話題で湧きかえった。

 この時の「宿沢ジャパン」の主将が平尾誠二選手だった。人気はおろか、日本代表の実績までサッカーはラグビーに差をつけられたのかと感じた。

 サッカーファンは激しく嫉妬した。

期待される日本代表≠サッカー!?
 オリンピック野球の日本代表はアマチュアで編成されていたし、サッカー日本代表はアジアでモタモタしていたから、当時のスポーツ界で期待される日本代表といえば、もっぱら「ラグビー日本代表 宿沢ジャパン平尾組」であった。このジャパンは、第2回ラグビーW杯アジア予選を突破して、1991年に英国・アイルランドで開催された本大会で出場している。
総集編 91ラグビーワールドカップ [VHS]
 結果は世界トップ8のスコットランド、アイルランドには善戦しながら、最後は完敗。1次リーグで敗退した。簡単に言えば「世界の壁」に跳ね返されたのである。試合後の宿沢監督と平尾主将の表情が印象的だった。2人とも、悔しそうというよりは、したたかに打ちのめされて疲労困憊といった表情でインタビューを受けていたのだった。

 むしろ、そんな表情で取材されるということがうらやましいと思った。サッカー日本代表は「世界と戦う」ことすらできなかったのだから。

 サッカーファンは激しく嫉妬した。

ラグビーブームを終わらせたのも平尾誠二氏?
 死屍に鞭打つことは普通はしないからメディアはあまり触れないが、平尾誠二氏はラグビーブームの象徴であると同時に、ラグビーブームを終わらせてしまった人でもある。

 1995年、第3回ラグビーW杯南アフリカ大会。ジャパンはウェールズとアイルランドに大敗した後、ニュージーランド代表オールブラックスに17対145(!)という前代未聞の大惨敗を喫する。これで日本のラグビー人気の凋落は決定的になった。

 この惨敗の「戦犯」として指名されたのが平尾氏だった。当時のジャパンは、小薮修監督は監督としての資質が疑問視され、戦術的な完成度は低く、選手のモラルはまったく低下しており……という状態だった。この状況を立て直すべく「事実上の監督」として、平尾選手は大会2か月前に日本代表に電撃復帰したのだった。

 ところが、平尾選手はチーム内の風紀紊乱を正そうとはしなかった。それどころか、南アW杯では練習も中途半端に他の若い選手たちと一緒にカジノやゴルフで遊興三昧。それがためにオールブラックス戦の歴史的な大惨敗を招来したと辛辣な批判を浴びている。
ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12

 4年後の1999年、今度は平尾氏は日本代表監督として、第4回ラグビーW杯ウェールズ大会に臨んだ。しかし、惨敗。日本ラグビーは雪辱できなかった。この時の平尾監督のチーム作りの方針や采配も、ジャーナリズムから批判されている。
ラグビー百年問題―W杯の惨劇を検証する
 日本ラグビーは迷走していた。一方、日本サッカー1998年W杯フランス大会で本大会出場を果たし、2002年日韓ワールドカップをひかえ、ファンは優越感に浸っていた。

やっぱりラグビー>サッカーなのか???
ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06

 永田洋光氏の『ラグビー従軍戦記』(双葉社,2000年)を読んでいたら、問題の日本vsニュージーランド戦の大惨敗の直後、平尾誠二氏はこんなコメントを残していた。
 《今日は誰が出てもいっしょ。僕が出たって、スコアはこんなもんでしょ。この相手に勝とうと思ったら、4年や10年ではなく、それこそ40年はかかると思う。アイルランドやウェールズにしたって、僕がいくらアイルランドに勝てるかもしれないと息巻いたって、彼らはニュージーランドから100点もとられない。やっぱり実力が違いますよ。これはもう、日本ラグビーの体質そのものを変えないと太刀打ちできないね》(永田洋光『ラグビー従軍戦記』78頁)
 この「予言」は外れた。ジャパンが汚名を返上するのに40年かからなかった。あの大惨敗からちょうど半分の20年後、2015ラグビーW杯イングランド大会で、オールブラックスと同格で世界クラスの強豪・南アフリカ代表スプリングボクスに勝ってしまったからである。サッカーでいったら、1次リーグながらW杯本大会でブラジルかドイツに勝ってしまったようなものだ。

 さらにジャパンは、2016年リオデジャネイロ五輪の7人制ラグビーで因縁の相手ニュージーランドを破っている。

 一方のサッカー。2014年ブラジルW杯では、選手が「優勝」を公言しながら惨敗。2015年アジア杯ベスト8止まり。2016年リオデジャネイロ五輪1次リーグ敗退……。

 この辺でまた「世界大会で応援しがいのある日本代表」の座が交代したような気もする。

 サッカーファンは激しく嫉妬している。

(了)

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 なぜ、日本でサッカーは振るわないのか? 日本には「蹴鞠」の伝統があるというのに。大化の改新の主役の2人、中大兄皇子と中臣鎌足は蹴鞠の会で出会ったというのに……。

 ……だが、肝心の『日本書紀』には該当の球技は蹴鞠とは書いていない。「打毱」(打鞠)である。この打鞠が、具体的に何を示すのかは判然としない。足を使う蹴鞠であるという説と、スティックを使うホッケーまたはポロに似た球技(「打毬」とも「毬杖」とも)であるという説とがある。

 実際に、確実な記録に見える「蹴鞠」の初出が平安時代であることなどから、中大兄と鎌足の出会いの場となった古代球技は、蹴鞠ではなくスティックを使うものではないかと推測する研究者はいる。ただし、なにしろ史料に乏しい飛鳥時代の昔のことなので、そうであると断定するプロの研究者は少ない。

 この中にあって、スポーツライター玉木正之氏は「蹴鞠でない説」の方を正しいものとして繰り返し力説してきた。もっとも、玉木氏がいかなる根拠、どの研究者のいかなる研究・考証に基づいてこうした持論を展開するのかは明らかではない。

 重要なのは、玉木正之氏は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という持論の持ち主であるということである。ただし、玉木氏が、大化の改新のキッカケが蹴鞠でなかったから日本人はサッカーが苦手なのだ……という単純な考えで「蹴鞠でない説」を唱えているのではない。

 玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカーのルーツと考えている。チーム(団体)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。玉木氏によれば、飛鳥時代、中大兄と鎌足が出会ったのは、このスティックを使った団体球技の方ある。

 一方、蹴鞠は平安時代になって日本に遅れて入ってきたものである。この蹴鞠は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である(と玉木氏は思っている)。玉木氏にとって蹴鞠はサッカーのルーツには当たらない。

 スティックを使った団体球技は、やがて歴史の中で日本では廃れ、一方の蹴鞠は主に貴族階級の中で生き残り、日本の伝統として近現代まで伝わった。日本人にとってボールスポーツ(球技)とは個人プレーに面白さを見出したものだからである。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人は野球が好きなのである。サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも、Jリーグの人気がプロ野球を追い抜けないのも、すべてチームプレーよりも個人プレーを愛する、スポーツにおける日本人の民族性のためである。

 だから、日本人はサッカーが苦手な民族なのである。

 大化の改新のキッカケが蹴鞠だったのか否かということは、些細な問題ではない。これは日本のスポーツ文化全体の把握にかかわる大問題なのである。

 玉木正之氏は知名度の高いスポーツライターであり、スポーツ界への影響力も強い。玉木氏が問題提起したことで顕在化・常識化したスポーツ界の話題も多い。このままスルーし続けていると、玉木氏の持論が「天下の公論」になってしまうかもしれない。それは日本のサッカー、日本人のサッカー観、スポーツ観にも大きな影響を与えてしまう。

 それが妥当なものならば、受け入れるしかない。しかし、玉木氏の持論が間違っていたり、一方的な思い込みに過ぎないのならば、しっかり批判しておくべきである。

(つづく)
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