野球は日本人の好みに合う……のロジック
 日本では、なぜ野球が国民的スポーツとなったのか? なぜ、世界的に人気のあるサッカーではなく、日本では野球の方が人気が出たのだろうか? この問題は、日本のスポーツ総体を理解するための重要なカギとなる。

 その「回答」として、例えば最近くり返し主張されている以下のような仮説がある。

 日本人は集団の戦い(チームプレー)よりも1対1の戦いを好む。サッカーはチームプレーだが、野球は投手vs打者の1対1の対決が主である。だから、日本ではサッカーではなく、野球が国民的スポーツになったのだ……。

 ……これが玉木正之氏が主張する「1対1の勝負説」である。

 この玉木氏の持論のように、この問題の回答には「野球はサッカーより日本人の好みに合う。日本人・日本文化は××××ではなく、○○○○である。サッカーは××××だが、野球は○○○○である。だから、日本ではサッカーより野球の人気が出たのである」といった論理の展開をだどることが多い。

野球とサッカー、野球とクリケット
 この種の仮説にはひとつ大きな欠陥がある。みな野球とサッカーを比べたがるのだが、野球とクリケットを比べていないことである。

 クリケットは、現在の日本人にはなじみが薄いが、国際的にはサッカー,バスケットボールと並んで世界3大球技と呼べるスポーツである。野球やサッカー,ラグビーなどと同じく、ともに明治時代初期に西洋から日本に紹介されている。しかし、日本では定着しなかった。そのクリケットの存在を忘却して、玉木氏をはじめとする論者たちは日本における野球の普及をサッカーとばかり比べているのである。

 またクリケットは、一時期、野球の直接の祖先ではないかとして知られていた球技である。現在ではその説は否定的な意見が多いようだが、いずれにせよ野球とクリケットは親戚関係にあり、どちらもバット・アンド・ボール・ゲームに分類される球技スポーツ(サッカーやラグビーなどのフットボール系球技に対して、このように呼ばれる)である。
野球
クリケット
【野球(上)とクリケット】

 バット・アンド・ボール・ゲームということは、クリケットも野球も投手vs打者の(1対1の)対決が基本ということである。したがって、玉木正之氏の「1対1の勝負説」に基づいて、だから日本ではサッカーではなく野球が国民的スポーツになったのだという理屈だけでは不十分である。

 「どちらも投手vs打者の1対1の対決が重要な要素であるが、それでもクリケットより野球の方が日本人の好みに合う。日本人・日本文化は××××ではなく、○○○○である。クリケットは××××だが、野球は○○○○である。だから、日本ではクリケットより野球の人気が出たのである」とも言ってくれないことには説得力がない。

明治の野球で『巨人の星』は成立しない
 日本で他のスポーツに先駆けて野球が普及し始めた明治初期(1877年当時)の野球ルールは現在と大きく異なっており、打者は投手に自分の打ちやすいストライクゾーンに球を投げさせることができた。投手が打者を抑え込むだめの技量力量を発揮する余地がルール上厳しく制限されていた(たとえば投げ方は下手投げに限定される)。打者はフォアボール(四球)ではなくナインボール(九球)で一塁出塁であった……等々。

 これらの事実から、当時の野球は投手vs打者の1対1の対決がゲームの基本とは見なし難い。むしろ投手が打者にできるだけ打たせることがゲームの基本であった。したがって、玉木正之氏の持論「1対1の勝負説」に依拠して「だから野球がサッカーより日本で人気が出た」という説明は間違いである……という話は、すでに書いた。

 ひるがえってクリケットは昔からルールの基本はほとんど変わっていない。玉木説に従えば、野球よりクリケットの方が人気が出ていなければおかしい。クリケットこそ投手vs打者の1対1の対決のはずだからである。

 玉木正之氏は、日本人は武田信玄vs上杉謙信、あるいは宮本武蔵vs佐々木小次郎など1対1の対決の物語を愛し、野球における投手vs打者の対決にそれを見出してきた……と主張している。実際、日本で創られた野球を題材にした物語には「投手vs打者の対決」を軸としている例が多い。

 例えば、梶原一騎原作・川崎のぼる作画の劇画『巨人の星』の主人公の投手・星飛雄馬は、花形満,左門豊作といったライバルの打者たちと1対1の対決をする(もっとも『巨人の星』の世界観に横溢する過剰なまでのスポ根や精神主義、エディプスコンプレックスは玉木正之氏の好むところではないが)。

 このストーリーはクリケットに翻案可能だ。舞台を日本からインドに、スポーツを野球からクリケットに変えた日本・インド合作のアニメ『スーラジ ザ・ライジングスター』(Suraj: The Rising Star)である。
スーラジ:ザ・ライジングスター
【『スーラジ』より。ヴィクラム(花形満:左)とスーラジ(星飛雄馬)】



 一方、明治初期の時代設定では『巨人の星』の世界観が成立しない。なぜなら、当時の野球ルールでは、投手が「打者にできるだけ打たせるように考えた末のルール」(鈴木美嶺)だから、星飛雄馬と花形満のライバル物語など成り立たないからである。

 玉木正之氏の「1対1の対決説」は、あちこちで破綻している。

(つづく)