玉木正之,R・ホワイティング,中沢新一の鼎談から
 大化の改新のきっかけになった古代日本の球技スポーツは「蹴鞠」(けまり)ではない。「打毬」(だきゅう)とも「毬杖」(ぎっちょう)ともいわれるスティックでボールを打つ球技である。だから、日本ではサッカーやラグビーよりも野球の人気が出たのだ……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論。この話の確かな出典は、玉木氏本人がすっかり忘却してしまったこともあり、とうとう分からなかった(それではスポーツライターとして、大学・大学院でスポーツ文化を教える教授として困るのだが)。

 しかし、「日本人は
集団の戦い(チームプレー)よりも1対1の戦いを好む。だから、日本ではチーム同士の戦いであるサッカーやラグビーよりも、投手vs打者の1対1の戦いが重視される野球の人気が出たのだ」という、玉木正之氏のもうひとつの重要な持論については出どころがハッキリしている。

 それは玉木正之氏、ロバート・ホワイティング氏(在日アメリカ人ジャーナリスト)、中沢新一氏(宗教学者・人類学者)による、講談社の月刊誌『現代』1988年10月号掲載の座談会「SMかオカルトか侃侃諤諤〈ベースボール人類学〉」である。内容は日本の野球文化論もしくは野球を通じた日本文化論ともいうべき趣。
 中沢 ……野球というのは……だから日本人の感性に合っているのかも知れない。

 玉木 ホワイティングさんには『菊とバット』という名著がありまして、今度は明治時代まできかのぼって“日本人と野球”を考察したパート・ツー〔『和をもって日本となす』〕を脱稿されたばかりなんです。
菊とバット〔完全版〕
ロバート ホワイティング
早川書房
2005-01

和をもって日本となす〈上〉 (角川文庫)
ロバート ホワイティング
角川書店
1992-02

 中沢 ほう。日本人はなぜこんなに野球が好きになったとお考えですか?

 ホワイティング 一つには、宮本武蔵と佐々木小次郎というような〔1対1の〕対決の図式があることだと思います。第二点は日本人にとって初めての団体スポーツだった。その前は剣道とか……。

 玉木 一対一の個人競技ですよね。

 ホワイティング 本来は非常に集団主義に向いている国なのにね。それに、理屈ということでは、日本では野球の楽しみの半分は筋を読むことになっている。ボクシングなら試合が終わったら、すべてが終わるのに、野球は次の日の朝、新聞を読んでまた楽しむんです。

 中沢 なるほど。集団と個人ということでいえば、日本は世界的に見ても内乱〔内戦〕というか、シビル・ウォー〔‘civil war’=内戦〕が早く終わった国なんです。十六世紀にだいたい終わっちゃったから集団戦法というのが発達しきらなかった。集団戦という新しい戦争の思想が成熟しなかったわげです。そうしたときに、戦いということでは武蔵と小次郎という一種のフィクションが作り上げられた。

 玉木 それはおもしろい。戦いということを考えたときに、イビツだという気がしますね。たとえば川上哲治という男〔注:ずいぶん悪意のある表現だ〕がいるでしょう。彼はさかんに武蔵を語るわけです。武蔵ほど勝手な個人主義者はいないですよ。それなら川上さんも個人主義に徹するかというと、なぜか“チームの和”を強調する。おかしいのは、武蔵も晩年になって精神的なことをいってるんですね。心と心の対話だとか。そういう虚像を作るのは日本人は非常にうまい(笑)。

 中沢 集団と個人的なヒーローのバランスを、実際の戦いやスポーツの中でどう作るかということは大きなテーマだった。結局は、あまり個人が浮き立つようなヒー口ーはまずいわけですよ。
「現代」(講談社)1988年10月号2
【『現代』1988年10月号より。クリックすると拡大します】
日本の特異な歴史と日本の特異なスポーツ文化
 日本人は集団の戦い(チームプレー)よりも1対1の戦いを好む。なぜなら……。

 ……なぜなら、欧州(西洋)と違って日本では17世紀初めに内戦の時代(戦国時代~安土桃山時代)が終わってしまったからである(大坂夏の陣=1615年で終焉)。それは日本に鉄砲が伝来(1542~43年?)してわずか70年余りであり、鉄砲が重要な武器として用いられた長篠の戦い(1575年)からわずか40年後のことだった。

 鉄砲が戦争の主力武器となると、それまでとは戦争とは戦い方がまったく異なってくる。刀や槍を用いてひとりひとりの人間が切り合う戦い、「やあやあ我こそは……」と名乗りを上げて戦う一騎打ちから、集団の戦い(チームプレー)に変わるのだ。

 ところが、日本人は集団の戦い(チームプレー)をほとんど経験できず、その意識が浸透しないまま200年以上平和が続く江戸時代となった。集団の戦いの意識が希薄だった日本人は、川中島の戦いにおける武田信玄vs上杉謙信、巌流島の決闘における宮本武蔵vs佐々木小次郎のような1対1の対決を好み、英雄譚として語り継いできた。

 明治時代(1868年~)になって、野球、サッカー、ラグビーなど、さまざまなスポーツ競技が一気に伝えられた。そんな中、多くの日本人にとっては、サッカーやラグビーのような集団戦(チームプレー)のスポーツよりも、投手と打者が「やあやあ我こそは……」名乗りを上げて1対1の対決をする野球がもっとも理解しやすかった。

 だから、日本ではサッカーやラグビーではなく、野球が国民的スポーツになったのだ。

 ……これが、玉木正之氏の持論「1対1の勝負説」である。

都合のいい結論のための「おもしろい」日本スポーツ史
 この話は「大化の改新のきっかけとなった古代日本の球技スポーツは蹴鞠ではなかった説」と並んで玉木正之氏のスポーツ思想の根幹をなすもので、玉木氏のスポーツ文化啓蒙書の類には必ず出てくる重要な持論である。

 この玉木氏の持論は、先に引用したように中沢新一氏らとの座談会において、中沢氏の発言に玉木氏がインスパイアされたもの。そして玉木氏がさらにまとめ上げ、日本のスポーツファンに広く啓蒙しているものである。

 玉木説に大きなヒントを与えた中沢新一氏は、着実で実証的な学者というよりは、1980年代にニューアカデミズム(現代思想)の担い手といった印象が強い。中沢氏へ評価は人によって肯定否定の落差が激しい。小谷野敦という文芸評論家なのか何なのかよく分からない人に至っては、『バカのための読書術』という本の中で、中沢氏の本はすべて「いんちき」で読んではいけないとまで酷評している。

 いずれにせよ、中沢氏の発言には学問的な裏付けなど感じない。本当に軽い思いつき発言である。しかし、玉木氏は中沢氏のようなタイプの知的権威に弱いし、何より「それはおもしろい」と飛びついて、盛んにこの説を唱えるようになった。

 しかし、これは確かな事実や根拠に基づく日本のスポーツ史,スポーツ文化の把握ではない。「おもしろい」では困るのである。秋山陽一氏(ラグビー史研究家)が批判しているように、玉木正之氏は「都合のいい結論のために史実が〔を〕歪め」ているのだ。

 おもしろくて都合のいい歴史観,文化観から日本のスポーツの在り方を批判しても、日本のスポーツが好ましい方向に向かうことは決してない。

 今後とも、玉木正之氏の「1対1の勝負説」を探し当てただけ紹介し、徹底的に批判をしていくつもりである。

(つづく)




 この「1対1の勝負説」をインターネットで簡単に読めるものとして、玉木正之氏の公式サイト内の『日本スポーツ界における「室町時代」の終焉』がある。
日本スポーツ界における「室町時代」の終焉
  【『日本スポーツ界における「室町時代」の終焉』より。クリックで拡大】