歴史書よりも小説の記述の方が歴史的に正しい!?
 大化の改新のきっかけとなった古代スポーツは一般に知られている蹴鞠(けまり)ではない。ホッケーやポロに近いスティックを使った球技である……と、スポーツライター玉木正之氏はかねてより主張してきた。2010年9月、当ブログは「玉木さんがそう唱える理由、根拠は何ですか?」と質問のメールを送ったことがある。

 玉木氏からはすぐに返事をいただいた。だが、その答えには納得できなかった。その上、玉木氏はまるでこちらが「的外れ」な質問をしてきたかのように自身のホームページで勝手に公開してしまった
(ウェブ魚拓はこちら)。

 これには大いに不満であったので、2012年10月、玉木正之氏への反論と再質問をメールで試みた。以下はその続きである。

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▼ 橋本治氏の『双調平家物語』には、大化のクーデター前の「打毬」(うちまり)のシーンが……描かれています。小説家の書いた小説ではありますが、この描写が史実に近いのではないかと、小生〔玉木正之氏〕は思っています。〔玉木氏のメールより。以下同じ〕
 近代以前の古典文学はともかく、真面目な学問の世界では、現代のフィクション作品内の記述を証拠とする**ことはできません。橋本氏が何がしかの根拠をもってそう記してあるのであれば、それを示してほしいのです。

  橋本治『双調平家物語2 飛鳥の巻(承前)』(中公文庫)では、打毬(毬杖)の会における2人の出会いは、脱げた靴を拾ったのではなく、逸れてきたボールを鎌足が中大兄に投げ返した描写になっている。つまり、橋本作品は正史(書紀)の記述からも飛躍した、あくまでフィクションなのである。また同書は、遠山美都男『大化改新~六四五年六月の宮廷革命』(中公新書,1993年)を参考文献に揚げているが、こちらは実にあっさりと打毱〔打鞠〕を蹴鞠とし、脱げた靴を拾った話を紹介している。




 ** 小谷野敦(比較文学者・評論家ほか)『評論家入門』(平凡社新書,2004年)より。「日本に限らず、文化論、文明論、ないし心理学や社会学の啓蒙的な書物には、文学作品を〈イラストレーション〉〔挿話〕として用いるものが少なくない。〔略〕実は、厳密な社会学や心理学の論文で、文学作品を『事例』として提示することは許されない」〔49~50頁〕。玉木氏の仕事は〔時として〕アカデミックな雰囲気を漂わせながら〔というか、妙にインテリ臭い表現をする〕、一方でこうした学問的な厳密さを感じない。


『国史大辞典』には何と書いているのか?
▼ 「蹴鞠」(けまり)は、当時、まだ存在しなかったのですから……(そのことについては百科事典等にも書かれていて、明らかです)。
 ですから、なぜそうだと断言できるのですか? その「百科事典」とは何ですか? 書名を教えてください。

 私も、この度の質問を玉木さんにするに際して、吉川弘文館『国史大辞典』、小学館『日本歴史大事典』の蹴鞠、毬杖、打毬の項目にそれぞれ目を通しました。当方もこのくらいはやっているのです。

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)
国史大辞典編集委員会
吉川弘文館
1999-01-20



 いずれの辞典(事典)でも日本において「毬杖」が「蹴鞠」よりも一方的に古いという確信***は得られませんでした。ちなみに万葉集に「打毬」の初出があるという情報だけでは、もっと古い書紀皇極天皇紀〔ほかに万葉集とほぼ同時期成立の『藤氏家伝』など〕があるのですから十分な説得力を得られませんでした。

 だからこそ玉木さんに質問したというのに、玉木さんはただただ持説を鸚鵡返しに唱えているだけなのです。

 *** どちらの辞典(事典)にも、蹴鞠、毬杖、打毬がいつごろ日本に入ってきたのか、明確にされていなかった。歴史学界ではハッキリした定説はないようだ。〔というか、学界ではあまりこだわっていないようだ〕

(ツッコミ入れる方も大変、玉木正之氏への反論メールはまだ続く)