なぜ、日本でサッカーは振るわないのか? 日本には「蹴鞠」の伝統があるというのに。大化の改新の主役の2人、中大兄皇子と中臣鎌足は蹴鞠の会で出会ったというのに……。

 ……だが、肝心の『日本書紀』には該当の球技は蹴鞠とは書いていない。「打毱」(打鞠)である。この打鞠が、具体的に何を示すのかは判然としない。足を使う蹴鞠であるという説と、スティックを使うホッケーまたはポロに似た球技(「打毬」とも「毬杖」とも)であるという説とがある。

 実際に、確実な記録に見える「蹴鞠」の初出が平安時代であることなどから、中大兄と鎌足の出会いの場となった古代球技は、蹴鞠ではなくスティックを使うものではないかと推測する研究者はいる。ただし、なにしろ史料に乏しい飛鳥時代の昔のことなので、そうであると断定するプロの研究者は少ない。

 この中にあって、スポーツライター玉木正之氏は「蹴鞠でない説」の方を正しいものとして繰り返し力説してきた。もっとも、玉木氏がいかなる根拠、どの研究者のいかなる研究・考証に基づいてこうした持論を展開するのかは明らかではない。

 重要なのは、玉木正之氏は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という持論の持ち主であるということである。ただし、玉木氏が、大化の改新のキッカケが蹴鞠でなかったから日本人はサッカーが苦手なのだ……という単純な考えで「蹴鞠でない説」を唱えているのではない。

 玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカーのルーツと考えている。チーム(団体)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。玉木氏によれば、飛鳥時代、中大兄と鎌足が出会ったのは、このスティックを使った団体球技の方ある。

 一方、蹴鞠は平安時代になって日本に遅れて入ってきたものである。この蹴鞠は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である(と玉木氏は思っている)。玉木氏にとって蹴鞠はサッカーのルーツには当たらない。

 スティックを使った団体球技は、やがて歴史の中で日本では廃れ、一方の蹴鞠は主に貴族階級の中で生き残り、日本の伝統として近現代まで伝わった。日本人にとってボールスポーツ(球技)とは個人プレーに面白さを見出したものだからである。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人は野球が好きなのである。サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも、Jリーグの人気がプロ野球を追い抜けないのも、すべてチームプレーよりも個人プレーを愛する、スポーツにおける日本人の民族性のためである。

 だから、日本人はサッカーが苦手な民族なのである。

 大化の改新のキッカケが蹴鞠だったのか否かということは、些細な問題ではない。これは日本のスポーツ文化全体の把握にかかわる大問題なのである。

 玉木正之氏は知名度の高いスポーツライターであり、スポーツ界への影響力も強い。玉木氏が問題提起したことで顕在化・常識化したスポーツ界の話題も多い。このままスルーし続けていると、玉木氏の持論が「天下の公論」になってしまうかもしれない。それは日本のサッカー、日本人のサッカー観、スポーツ観にも大きな影響を与えてしまう。

 それが妥当なものならば、受け入れるしかない。しかし、玉木氏の持論が間違っていたり、一方的な思い込みに過ぎないのならば、しっかり批判しておくべきである。

(つづく)