野球ブロガーの広尾晃氏が東洋経済オンラインで「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」なる一文を書いているのだが、ここで広尾晃氏が説く「春のセンバツ高校野球誕生譚」が、少しく怪しい。
「春の甲子園」が誕生した経緯
夏の高校野球は、1915年〔大正4〕に大阪朝日新聞社が全国中等学校優勝野球大会を創設したのが始まりだ。これが大人気となったため1924年〔大正13〕、ライバルの毎日新聞社が春開催の選抜中等学校野球大会を始めることとなった。その背景には、私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満があった。そのために春の大会は、予選ではなく選考委員が選ぶスタイルとなった。「選抜」とはそういう意味である。その基準は……〔以下略〕広尾晃「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」(2021/03/30)https://toyokeizai.net/articles/-/419878
ここで広尾晃氏が開陳した話は、多くの野球ファンやスポーツファンにとって、あまり聞いたことがなかったのではないだろうか。何となく疑わしいのは、この「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」という箇所だ。高校野球(中等野球)の歴史、特に黎明期「大正」時代の歴史を追いかけた人間ならば首を傾げる。
なぜなら、「春のセンバツ」が始まる直前までの第1回(1915年=大正4)から第9回(1923年=大正12)までの「夏の大会」出場校を見ても、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなっ」て「公立校」が「不満」を抱くということは考えにくいからである。
春・夏の甲子園・高校野球全国大会の歴代出場校は、大会の主宰(主催)者である高野連の公式サイトにまとめられている。これらを見ていくと……。
- 参照:夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第1回~第5回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/01-05.html
- 夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第6回~第10回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/06-10.html
特に優勝、準優勝、四強の学校を見ていくと、公立は全部旧制だが、京都二中、秋田中、和歌山中、市岡中、鳥取中、愛知一中、盛岡中、神戸一中、小倉中、松江中。これらの学校は、今でもそれぞれの府県のトップクラスの難関高校である。
私学(私立学校)にしても、早稲田実業、慶應普通部、関西学院、甲陽学院、立命館。これまた超難関校である。どちらかといえば、むしろ私学は劣勢なのである。そして、昨今のいわゆる「私立の高校野球強豪校」という印象からは遠い。
これらはみな公立・私立の別なく、甲子園の本大会に出場すれば「文武両道」とマスコミが褒めそやしそうな学校である。
第二次大戦前は現在と比べても義務教育以上の学校への進学率が非常に低く、特に明治-大正の頃は「スポーツ」などというものは、そうした高等教育を受けられる境遇に恵まれた者の「特権」あるいは「贅沢品」だったのである。
「私立の高校野球強豪校」というのは、ずっと後の時代に台頭したものではないのか。
これらの出場校の名前から見て、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」が「春のセンバツ」を生んだという広尾晃氏の主張は信憑性に乏しい。ましてや、昨今の高校野球の「私学と公立の格差」を語る材料に使うことは適切なものとはいえない。
何より、この話の情報源が「広尾晃氏の曖昧な記憶」なのが大きな失当である<1>。仮に、広尾晃氏の主張に一片の真実が含まれているとしても、氏は細部を誤伝として受容してしまったのではないだろうか。
わたくしたちは、広尾晃氏が「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」の全てがデタラメなことを述べている……と言いたいのではない。
差別とかヘイトとかでもない限り、人は何を主張しても構わないと思うのだけれども、曖昧な記憶(≒間違った事実? 間違った史実?)から自身にとって都合のいい主張をしても真の説得力は得られない。
この点、広尾晃氏は、氏が崇拝する玉木正之氏のダメなところを全く受け継いでいて、とても残念なのである。
(了)
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