スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

玉木正之はデタラメである。セルジオ越後のサッカー評論はパワハラである。
中田英寿はワールドクラスではない。大谷翔平の二刀流は珍記録にすぎない。
本田圭佑は二代目中田英寿である。天皇杯は元日決勝を卒業するべきである。
今福龍太や細川周平の現代思想系サッカー批評は贔屓の引き倒しでしかない。etc.

 野球ブロガーの広尾晃氏が東洋経済オンラインで「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」なる一文を書いているのだが、ここで広尾晃氏が説く「春のセンバツ高校野球誕生譚」が、少しく怪しい。
「春の甲子園」が誕生した経緯
 夏の高校野球は、1915年〔大正4〕に大阪朝日新聞社が全国中等学校優勝野球大会を創設したのが始まりだ。これが大人気となったため1924年〔大正13〕、ライバルの毎日新聞社が春開催の選抜中等学校野球大会を始めることとなった。

 その背景には、私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満があった。そのために春の大会は、予選ではなく選考委員が選ぶスタイルとなった。「選抜」とはそういう意味である。その基準は……〔以下略〕

広尾晃「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」(2021/03/30)https://toyokeizai.net/articles/-/419878
 ここで広尾晃氏が開陳した話は、多くの野球ファンやスポーツファンにとって、あまり聞いたことがなかったのではないだろうか。何となく疑わしいのは、この「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」という箇所だ。高校野球(中等野球)の歴史、特に黎明期「大正」時代の歴史を追いかけた人間ならば首を傾げる。

 なぜなら、「春のセンバツ」が始まる直前までの第1回(1915年=大正4)から第9回(1923年=大正12)までの「夏の大会」出場校を見ても、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなっ」て「公立校」が「不満」を抱くということは考えにくいからである。

 春・夏の甲子園・高校野球全国大会の歴代出場校は、大会の主宰(主催)者である高野連の公式サイトにまとめられている。これらを見ていくと……。
  • 参照:夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第1回~第5回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/01-05.html
  • 夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第6回~第10回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/06-10.html
 特に優勝、準優勝、四強の学校を見ていくと、公立は全部旧制だが、京都二中、秋田中、和歌山中、市岡中、鳥取中、愛知一中、盛岡中、神戸一中、小倉中、松江中。これらの学校は、今でもそれぞれの府県のトップクラスの難関高校である。

 私学(私立学校)にしても、早稲田実業、慶應普通部、関西学院、甲陽学院、立命館。これまた超難関校である。どちらかといえば、むしろ私学は劣勢なのである。そして、昨今のいわゆる「私立の高校野球強豪校」という印象からは遠い。

 これらはみな公立・私立の別なく、甲子園の本大会に出場すれば「文武両道」とマスコミが褒めそやしそうな学校である。

 第二次大戦前は現在と比べても義務教育以上の学校への進学率が非常に低く、特に明治-大正の頃は「スポーツ」などというものは、そうした高等教育を受けられる境遇に恵まれた者の「特権」あるいは「贅沢品」だったのである。

 「私立の高校野球強豪校」というのは、ずっと後の時代に台頭したものではないのか。

 これらの出場校の名前から見て、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」が「春のセンバツ」を生んだという広尾晃氏の主張は信憑性に乏しい。ましてや、昨今の高校野球の「私学と公立の格差」を語る材料に使うことは適切なものとはいえない。

 何より、この話の情報源が「広尾晃氏の曖昧な記憶」なのが大きな失当である<1>。仮に、広尾晃氏の主張に一片の真実が含まれているとしても、氏は細部を誤伝として受容してしまったのではないだろうか。

 わたくしたちは、広尾晃氏が「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」の全てがデタラメなことを述べている……と言いたいのではない。

 差別とかヘイトとかでもない限り、人は何を主張しても構わないと思うのだけれども、曖昧な記憶(≒間違った事実? 間違った史実?)から自身にとって都合のいい主張をしても真の説得力は得られない。

 この点、広尾晃氏は、氏が崇拝する玉木正之氏のダメなところを全く受け継いでいて、とても残念なのである。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前回のおさらい
  •  玉木正之氏は単なるスポーツライターではなく、筑波大学や立教大学をはじめとする数々の大学で「学者」として「スポーツ学」を講じてきたわけだから、「玉木正之は〈スポーツ学者〉としてどうなのか?」が問われるのは当然である。
  •  玉木正之氏は、スポーツ史の研究において実証的に支持されていない「珍奇な説」を、あたかも定説であるかのように拡散して、読者に不要な誤解を与え続けている。……と、プロの学者にハッキリと批判されている。
  •  玉木正之氏は、「事実」とか「論理」とか「実証」とか「学問的であるとはどういうことが大切か」を軽視したまま、自身のデタラメな「スポーツ学」を展開してきた。
  •  そうした「スポーツ学者」としての玉木正之氏の偏った体質は、フランス現代思想などに傾倒するインテリ癖と、スポーツライターでありながら「ノンフィクション」が下手で書けない玉木正之氏自身の性向に由来するのではないか。
スポーツ学者としての玉木正之氏の正しい評価(2021年03月20日)https://gazinsai.blog.jp/archives/43374806.html


tamaki_masayuki2tamaki_masayuki1
【玉木正之氏】


玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る (スポーツ・システム講座)
玉木 正之
国士舘大学体育スポーツ科学学会
2003-03-20



スポーツ文化の発展は民主主義とは…そんなに関係ない
 そんな「玉木正之スポーツ学」の集大成ともいえる著作が、2020年、春陽堂書店刊『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』である。当エントリーでは、ここで紹介されてある玉木正之氏の「珍奇な学説」のデタラメの数々を検証していく。

 【玉木正之氏のデタラメ学説その1】民主政治が発達した古代ギリシャや近代イギリスがそうだったように、非暴力を旨とする民主主義社会でなければ豊かなスポーツ文化は生まれない。

 いわば「民主制社会スポーツ誕生説」(玉木正之氏の命名)である。

 この説のオリジナルはノルベルト・エリアス(社会学者,哲学者,詩人.英国籍のユダヤ系ドイツ人)が提唱したもので、日本では多木浩二氏(哲学者,芸術学,美術・写真・建築などの批評家)の『スポーツを考える~身体・資本・ナショナリズム』で紹介された。

 しかし、ノルベルト・エリアスや多木浩二氏がどれだけ優れた知識人であろうと、この説はアカデミズムの世界(学界)では必ずしも支持されていないようである。

 『スポーツの世界史』という浩瀚な著作がある。この中で「第1章 イギリス|近代スポーツの母国」を担当したのは石井昌幸氏(いしい まさゆき,早稲田大学スポーツ科学学術院教授,スポーツ史)であるが、ここにはエリアスの「民主制社会スポーツ誕生説」は採用されていない。

 そのことが玉木正之氏は些(いささ)かならず不満なようだ(次のリンク先,2020年4月6日〈月〉掲載分を読まれたい)。
  • 参照:玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2020年4月分より(http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2004.htm)
 また、私たちが簡単に入手できる知識からは、エリアス説とは違った史実がいくつも出てくる。すなわちエリアス説は疑わしい。

 例えば、古代ギリシャの民主政治といっても参政権があるのは成年男子のみで、奴隷制があり、奴隷や女性には参政権がなかった。同様、古代オリンピックにおいては奴隷や女性は参加できなかった。近代イギリスもしかり。成人男性でも労働者階級などには選挙権(普通選挙権)は無かった。女性のスポーツ参加は非常に限られたものであった。男女平等の成人普通選挙権が成立するのは1928年になってからである。

 また、イングランドのサッカー協会(The F.A.)の創設は1863年(文久3)、同じくイングランドのラグビー協会(R.F.U.)の創設は1871年(明治3)。イギリスで近代スポーツが形成される19世紀中期~後期は、同国でより民主的な議会政治の確立を目指した、労働者階級による普通選挙権獲得運動「チャーチスト運動」(1830年代~1850年代)が挫折した少し後である。

 あるいは、イギリスでは近代スポーツが確立する少し前まで、人vs人(素手で殴り合うボクシング,棒で叩き合う棒試合など)、動物vs動物(闘犬,闘鶏など)、人vs動物(人が鶏をいたぶる鶏撃ちなど)、流血や殺生を伴う野蛮で暴力的な娯楽を「スポーツ」と呼んでいた(この辺の事情は松井良明著『近代スポーツの誕生』に詳しい)。

 さらに世界中で人気のあるサッカーでは、民主的でない国でもサッカーが盛んな国などいくらでもある。

 特にワールドカップで優勝したことがある国などは、かつては必ずしも民主主義的な国とは言えなかった。少なくとも(右傾化した)全体主義を歴史的に経験した国が結構ある。ドイツ、イタリア、スペイン、アルゼンチン……。自由・平等・友愛のフランスもまた、第二次世界大戦時はヴィシー政権という、ナチス・ドイツに迎合した政権があった。

 これでは「豊かなスポーツ文化は非暴力を旨とする民主主義社会でなければ生まれない」と断言できない。

 つまり玉木正之氏の「学説」は正しくない。

日本人は野球を好む国民性だった…のではない
 【玉木正之氏のデタラメ学説その2】明治初期の日本で野球(ベースボール)の人気がサッカーやラグビー(といったフットボール)よりも出た理由は、日本人が集団での戦い(フットボールのようなチームプレー)よりも1対1の対決(野球のおける投手vs打者の対決)を歴史的・文化的にも好んでいたからである。

 この珍奇な説は、牛木素吉郎氏によって「1対1の勝負説」と名付けられている。「1対1の勝負説」のオリジナルは「ニューアカデミズム」で有名な中沢新一氏(宗教学者,人類学者)である<1>。中沢新一氏の言うところでは、以下のような説明になる。
 世界史的な戦争の歴史では、鉄砲が発明され普及すると刀・剣・槍などを使った1対1の白兵戦から集団的な戦闘に変化する。ヨーロッパでは歴史的にずっと戦争をやってきたから集団戦闘の文化がある。

 しかし、日本では西暦1543年の鉄砲伝来から約半世紀後の1600年の関ヶ原の戦いで戦争の時代が終わってしまい、1868年の明治維新まで250年余り平和な時代が続いたので、日本人には集団戦闘の文化が普及しなかった。戦いと言えば宮本武蔵vs佐々木小次郎の「巌流島の決闘」のような1対1の戦いだという文化が日本人には浸透していた。

 明治に入って、さまざまなスポーツ、特に球技スポーツが日本に輸入されたが、日本人は「野球(ベースボール)における投手vs打者の対決」に自分たちの感覚に合う1対1の戦いの要素を見出した。だから日本では野球が圧倒的な人気スポーツとなった。

 反対に、集団戦闘的な球技スポーツであるフットボール、すなわちサッカーやラグビーは日本人には人気が出なかった。
 玉木正之氏は、この中沢新一説=「1対1の勝負説」が面白いと思って信じ込み(学問的に「正しい」と思ったのではない!)、さまざまな場で吹聴するようになった。だが、この「学説」はやはりおかしい。

 例えば、日本で他の球技スポーツに先んじて野球が普及し始めた頃、明治20年頃(1887年頃)までの野球のルールは現在のそれとは大きく違っていた。投手はボールをベルトの下から抛(ほう)らなければならず、ストライクゾーンは極端に狭く……。投手は打者が打ちやすい球をひたすら投げ続ける、否、抛り続けなければならなかった。

 明治の文人・正岡子規が野球選手だった当時はこのルールでプレーされていた。その野球をプレーする様子はNHKのドラマ「坂の上の雲」でも再現されている。

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部 DVD BOX
菅野美穂
ポニーキャニオン
2010-03-15


 とにかく、このルールでは、打者の方が圧倒的に有利で、投手が自身の技量力量で打者を抑え込むということは非常に難しい。だから野球を「投手vs打者の1対1の対決」と見なすことも難しい。「1対1の勝負説」は間違っているのである。

 つまり玉木正之氏の「学説」は正しくない。

野球はアメリカにおける演劇文化の代替物…ではない
 【玉木正之氏のデタラメ学説その3】野球やアメリカンフットボールなどのアメリカ生まれの球技が、サッカーやラグビーなどイギリス・ヨーロッパ生まれの球技と違って「作戦タイム」を設けてまで試合を中断させるのは、開拓時代に劇場を建てられなかったため演劇や歌劇の代わりにスポーツの中に「ドラマ」を求めたからである。

 この「学説」こそ、プロの学者である鈴村裕輔氏(名城大学教員,法政大学客員研究員,政治学,スポーツ組織論ほか)に、スポーツ史の研究において実証的に支持されていない「珍奇な説」を、あたかも定説であるかのように拡散して、読者に不要な誤解を与え続けている……と批判されたものである(詳細は次のリンク先を読まれたい)。
  • 参照:鈴村裕輔「隔靴掻痒の感を免れ得なかった玉木正之氏の連載〈アートオブベースボール十選〉」2021/03/02(https://note.com/yusuke_suzumura/n/n8986199beeba)
 そもそも、玉木正之氏の「珍奇な説」を最初に唱えたのは、虫明亜呂無氏(作家・評論家ほか)だった(「芝生の上のレモン」@『時さえ忘れて』)。虫明亜呂無氏は、今なおカリスマ扱いされるスポーツライターでもあるのだが、玉木正之氏は虫明亜呂無氏のことを崇拝・盲信しており、虫明亜呂無氏の言うことは「学問」としても絶対的に正しいのだと信じ切っているのである。

時さえ忘れて (ちくま文庫)
虫明 亜呂無
筑摩書房
1996-06T


 しかし、「虫明亜呂無のスポーツに関わる発言はあまりにも文学的すぎて歴史学や社会学の〈学説〉として採り入れることは危うい」ことは、『つくられた桂離宮神話』『法隆寺への精神史』といった著作があり、プロ野球・阪神タイガースのファンとしても有名な井上章一氏(建築史家,風俗史研究者,国際日本文化研究センター所長・教授)が『阪神タイガースの正体』の中で指摘する通りなのである。

阪神タイガースの正体
章一, 井上
太田出版
2001-03T


阪神タイガースの正体 (朝日文庫)
井上章一
朝日新聞出版
2017-02-06


 この玉木正之氏と虫明亜呂無氏が説く「珍奇な説」、いわば「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説、あるいは「野球(またはアメリカンスポーツ)=中断のスポーツ」説は悉(ことごと)く間違っている。

 例えば虫明亜呂無や玉木正之氏は、アメリカ生まれの球技のみに「中断」があると考えているが、英国生まれの球技には、イギリス・英連邦諸国で人気があるクリケット……野球の親戚である「バット・アンド・ボール・ゲーム」が存在していることを忘れている。この球技には「中断」が頻繁にある。

クリケット
【クリケット】

野球
【野球(ベースボール)】

 この一事だけでも、玉木正之&虫明亜呂無説は、たやすく崩壊する。間抜けな事実誤認が多い玉木正之氏はともかく(爆)、イギリスの国技クリケットという「中断」の多いスポーツを忘却した虫明亜呂無氏は、相当な失当をおかしたのではないだろうか。

 つまり玉木正之氏の「学説」は正しくない。

大化の改新のキッカケは「蹴鞠」ではない…は正しくない
 【玉木正之氏のデタラメ学説その4】上古日本史の一大事件「大化の改新」(645年)。この改革を主導した中大兄皇子と中臣鎌足が知己を得たのは「蹴鞠」の会であるとされてきた。しかし、これは間違いであり、正しくはフィールドホッケー風の球技「打毬」である。

 『日本書紀』皇極天皇紀には、中大兄皇子と中臣鎌足は「打毱」の会で知己を得たとある。この「打毱」は、マリ(ボール)と一緒に靴が脱げていったと皇極天皇紀の記述にあることから、従来は「蹴鞠」であると思われてきた。

hara_zaikann
【霞会館蔵「中大兄皇子蹴鞠の図」(部分)筆:原在寛】

 ただし、これには異議があり「打毱」はスティックでボールを打つフィールドホッケー風の「打毬」または「毬杖」と呼ばれる球技ではないかと唱える人もいる。この異論の存在自体は間違いではない。

da_kyu_seiji
【打毱】

 岩波文庫の『日本書紀』(校注:坂本太郎)では「蹴鞠」説を、小学館の『日本書紀』(校注:西宮一民)では「ホッケー風球技」説を採用している。

日本書紀 (4) (ワイド版岩波文庫 (233))
坂本 太郎
岩波書店
2003-10-16


 『日本書紀』をめぐる論争といえば「法隆寺再建・非再建論争」や「郡評論争」が有名だが、このふたつの論争に関しては考古学的な出土物の発見で決着がついている。

 しかし、皇極天皇紀に登場する「打毱」については、そのような意味での決定的証拠がない。また、『日本書紀』には脚色・潤色の類がいくつか見られることから、この中大兄皇子と中臣鎌足の邂逅の逸話自体が虚構ではないかと見なす立場もある。いずれにせよ、学問上の決着はついていない<2>

 玉木正之氏が「珍奇」なのは、学問的に定説がなく未決着なこの問題に関して、「蹴鞠」説が一方的に間違っていて「ホッケー風球技」説の方が一方的に正しいと主張していることである。だが、その思い込みが正しいとする根拠は実に薄弱である(その薄弱さについては次のリンク先を読まれたい.元になる資料を破棄して覚えていない上に橋本治氏の「小説」=フィクション=が正しさの根拠!なのだとの玉木正之氏の御託宣である)。
  • 参照:玉木正之「読者からの質問への回答:玉木正之コラム ノンジャンル編」http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_134.html
 どうして、玉木正之氏が「ホッケー風球技」説に固執するのかといえば、自身のスポーツ史観・スポーツ文化観にとって都合がいいからである。大化の改新のキッカケは「蹴鞠」ではなくホッケー風の球技「打毬」だった。[…だから…]、日本はサッカーの国ではなく野球の国になった、日本のサッカーは「世界」に勝てない……のだというのが玉木正之氏の持論なのである。えッ!? えッ!? えッ!? えッ!?

 なぜ……そうなるのか? […だから…]の部分の複雑怪奇でアクロバティックな玉木正之氏の論理の展開については割愛する。知りたい方はググっていただくか、『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』や『スポーツとは何か』など玉木正之氏の著作に当たってみてください。えッ!? えッ!? えッ!? えッ!? ……の連続である。

スポ-ツとは何か (講談社現代新書)
玉木 正之
講談社
1999-08-20


 玉木正之氏のことを「自分にとって都合のいい結論のために史実を歪曲するスポーツライター」と酷評したのは、秋山陽一氏(ラグビー史研究家)だった。『日本書紀』皇極天皇紀に登場する「打毱」をめぐる玉木正之氏の発言は、まさに「自分にとって都合のいい結論のための史実の歪曲」である。

 定説がない曖昧な歴史的事件の、仮説のひとつにすぎない事柄を一方的な思い込みから「コレが正しい」と決めてかかり、あちらこちらに吹聴する。玉木正之氏の知的態度は全く学問的ではない。

 また、7世紀の「日本人」<3>にスポーツにまつわる確固とした文化や精神、民族性みたいなものが定まっていて、それから千数百年もたった19世紀、20世紀、21世紀の、つまり近現代の日本人のスポーツの在り方を規定している(!)という玉木正之氏の発想は、論理が飛躍した行き過ぎた文化本質主義であり、その知的態度は全く学問的ではない。

 つまり玉木正之氏の「学説」は正しくない。

玉木正之氏は「スポーツ学者」失格である
 『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』をちょっと読んだだけでも、玉木正之氏にはこれだけデタラメな「学説」がある。これは、玉木正之氏を擁護する広尾晃氏が言うように資料の瑕疵どころの問題ではない。

 玉木正之氏がこうしたデタラメを並べるのは、日本スポーツ界における「後進性」の悪弊を批判する裏付けにしたいという「イデオロギー」があるからだ。そのイデオロギーのために玉木正之氏は実証や論理を無視し、事実(史実)を歪曲するという体質が固まってしまった。

 このような人物は「スポーツ学者」失格である。

 日本のスポーツ界が、さまざま問題を抱えているからと言って、間違ったところから批判しても、かえって間違ったことが起こるばかりである。実際、日本のスポーツ界はそうした混乱が何度か起こっている。そして、度々その混乱に掉(さお)さしてきたのは、他ならぬ玉木正之氏であった。

 玉木正之氏は、今なおデタラメなスポーツ「学説」を垂れ流している。実に恐ろしい話である。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

同業者から玉木正之氏への批判の数々
 玉木正之氏といえば「スポーツの歴史や文化に詳しいスポーツライター」という世間一般のイメージだが、一方、同業他の評価は打って変わって手厳しい。

 曰く、「このウソツキ野郎め!」(岡邦行氏,ノンフィクションライター)、「ジョークの羅列」(梅田香子氏,スポーツライター)、「都合のいい結論のために史実を歪めていいのだろうか」(秋山陽一氏,ラグビー史研究家)……などなど散々。

 こうした真っ当な批判に対して、玉木正之氏を崇拝してやまない野球ブロガーの広尾晃氏は……。

 >玉木正之さんは学者じゃないから、研究者じゃないから……

 ……と必死で擁護するのであるが、筑波大学や立教大学といった名門大学をはじめ、さまざまな大学で客員教授や非常勤講師を務めたこと、さまざまな公的な団体で「学識経験者」として扱われたことを、公式サイトのプロフィールで大々的に記しているのは当の玉木正之氏自身なのである。
 ……その他、鎌倉市芸術文化振興財団(鎌倉芸術館)理事(2000~08年)、日本財団公益事業委員会委員(1998~2001年)、大阪府生涯スポーツ振興会議委員(2000年)、京都龍谷大学客員教授(2000~2001)、国士舘大学体育学部大学院非常勤講師(2001~2007年)等も務めた。現在は、横浜桐蔭大学客員教授(2009年より)、静岡文化芸術大学客員教授(2010年より)、石巻専修大学客員教授(2013年より)、立教大学大学院非常勤講師(2009年より)、立教大学非常勤講師(2010年より)、筑波大学非常勤講師(2012年より)を務める。

玉木正之(たまき まさゆき)略歴(http://www.tamakimasayuki.com/personal.htm)より


玉木正之 スポーツ・ジャーナリズムを語る (スポーツ・システム講座)
玉木 正之
国士舘大学体育スポーツ科学学会
2003-03-20


 それならば「スポーツライターとしてはともかく,スポーツ学者として玉木正之氏はどうなのか?」と問題視されるのは当然である。

読者に不要な誤解を与える玉木正之デタラメ「スポーツ学」
 ……では、本当は「スポーツ学者」としての玉木正之氏はどう評価されているのか?

 玉木正之氏は、スポーツ史の研究において実証的に支持されていない「珍奇な説」を、あたかも定説であるかのように拡散して、読者に不要な誤解を与え続けている。……と、れっきとしたプロの学者でハッキリ批判したのは、鈴村裕輔氏(名城大学教員,法政大学客員研究員,政治学,スポーツ組織論ほか)であった(詳細は次のリンク先を読まれたい)。
  • 参照:鈴村裕輔「隔靴掻痒の感を免れ得なかった玉木正之氏の連載〈アートオブベースボール十選〉」2021/03/02(https://note.com/yusuke_suzumura/n/n8986199beeba)
 ことほど左様、玉木正之氏は「事実」であるとか「実証」であるとか、「学者」として「学問的であるとはどういうことか」が分からないまま、自身のデタラメな「スポーツ学」を展開してきた。その原因は、どうも玉木正之氏の体質にあるのではないかと思う。

スポーツライター玉木正之氏のインテリ癖
 私は日本で初めて「スポーツライター」を名乗った……と玉木正之氏は豪語するのであるが、その割には文学・思想・芸術方面、特にフランス現代思想へのインテリ志向(癖)が強い。実は玉木正之氏は「スポーツライター」であることに大変な屈託があり、本当はスポーツなどではなく、高尚だと思われているフランス現代思想系の「批評家」(評論家ではない)になりたかったのではないか……と邪推させるところがある。

 例えば、1988年の『プロ野球の友』は玉木正之氏が「スポーツライター」として一番面白かった時の著作である。この中には既に玉木正之氏のインテリ癖が姿を見せている。

プロ野球の友 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1988-03T


 山口昌男氏(文化人類学者)の「今日のトリックスター論」を援用しつつ「昭和40年代の川上巨人軍の9連覇は,昭和30年代に3連覇した西鉄ライオンズの〈実存主義〉を凌駕した〈構造主義〉の勝利である.では昭和60年(1985年)の阪神タイガースの日本一は? いやぁ、あれは〈ポスト構造主義〉ですからもうハチャメチャで……」などと書いてみたり(同書「ポスト構造主義」より)。

 1987年、日本プロ野球期待の大型新人であった清原和博のことを、渡部直己(セクハラ文芸評論家)が評した「記号内容〔シニフィエ〕なき記号表現〔シニフィアン〕」<1>などという、分かったような分からないような文言を引用しては得意がってみたり(同書「ザ・開幕戦 '87」より)。

フランス現代思想癖とノンフィクション下手
 そんな玉木正之氏のフランス現代思想癖が最もよく表れているのは、前衛的女流華道家・草野進(くさの しん)こと蓮實重彦氏(フランス文学者,東京大学総長)の「プロ野球批評」への熱烈な傾倒と一般の読者・スポーツファンへの熱烈な啓蒙だろう。

 『プロ野球の友』と同じ1988年に出た草野進編著『プロ野球批評宣言』の文庫版あとがきの「解説」を、それこそ玉木正之氏は絶賛的に書いている(この「解説」は玉木正之氏の公式サイトで2004年に公開されている)。


  • 参照:玉木正之「草野進のプロ野球批評は何故に〈革命的〉なのか?」1988年(http://www.tamakimasayuki.com/sport_bn_6.htm)
 しかし、蓮實重彦氏やセクハラ渡部直己といった、この種のフランス現代思想やそれに触発された文芸批評に乗じたスポーツ「批評」というのは、あくまで狭い内輪の世界の「お作法」でしかない。スポーツ評論ではなく、いわばスポーツの文芸批評であり、あるいはスポーツ(野球)を種にしたフランス現代思想の展開にすぎない。

 藤島大氏(スポーツライター)や山村修氏(「狐の書評」で知られる書評家)のように、それが分かっている人は分かっているのだが、玉木正之氏のようなインテリ癖の強い人にはそんな真っ当なことは分からない。しかも、フランス現代思想というものは、いたずらに晦渋なだけで、世の中の実際の在り様に真摯に対応していない「絵空事」であると、しばしば批判されてきた代物なのである。

 もうひとつ、玉木正之氏は「スポーツライター」を名乗っていながら、ノンフィクション(ルポルタージュ)に優れた作品がない。あるいはノンフィクションといった表現手段で「スポーツライター」の仕事ができない(詳細は次のリンク先を読まれたい)。
  • 参照:草野進やら虫明亜呂無やら…玉木正之氏における「測り知れざる知」への熱狂症候群(2020年10月17日)https://gazinsai.blog.jp/archives/42017146.html
 とにかく玉木正之氏は、現場で取材した「事実」でスポーツの在り方を問うという手段(ノンフィクション)が下手である。

 フランス現代思想癖とノンフィクション下手。

 このふたつの特徴が、玉木正之氏をして、インテリ志向が強くアカデミズムに対する羨望や屈託はあるが「事実」や「実証」を軽視するという意味でけして「学問的」ではない、学問上において実証的に支持されていない「珍奇な説」をあたかも定説であるかのように拡散して読者に不要な誤解を与え続けている……という「スポーツ学者」としての評価につながるのである。

つづく




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ