スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

大化の改新の2人、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いは「蹴鞠」だという…。
違う!「あれは蹴鞠ではない」と、スポーツライター玉木正之氏は主張している。
玉木氏は、そのことが現代日本のサッカーや野球にも影響を与えているのだと唱える。
それは一体どういうことなのか? そもそも玉木氏の主張は正しいのだろうか?

野球の記録で話したい : 「私見る人」「あなたやる人」

世界と戦うニッポン?
 当ブログは文字通り「スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う」ものだから、玉木氏の首をかしげたくなるような言説についてあれやこれや論(あげつら)っている。

 だからといって、何もかもおかしいとは思っていない。鋭い意見もある。

 ずっと不思議の思ってきたのである。日本のスポーツメディアでは、以下のような言い回しが多用され、一般の人々も当たり前のように使われている。

 世界と戦う,世界に通用する,世界との差,世界で活躍する,世界を目指す,世界が注目……etc.
世界と戦うニッポン
 だが、ここで言う「世界」とは……。考えれば考えるほど不思議で、深い問題をはらんでいる。

 例えば、世界レベルとか、世界クラスとか、世界のトップとか、世界の舞台とか、世界規模の大会とか、語義を厳密に定めて使うべきではないだろうか。まるで日本は世界の一部ではないと言っているようた。強い違和感を感じる。

 三浦知良だって昔のCMのセリフで「日本だって世界の一部だ」と訴えていた。

 特に「世界と戦う」なんて、まるで日本国の国土が地球上に存在しないかのようである。そうか、日本はジオン公国なのか。日本が世界と戦って勝てないのは坊やだからさ。
坊やだからさ

玉木正之氏のオブジェクション
 こうした「素朴な疑問」を他人に投げかけると、そんなものは言葉尻の問題だ、些末事だ、どうでもいいことだ……などと、多くは感情的な反応を伴って返ってくる。そうだろうか?

 否、そんなことはない、反発する人たちの「世界」観こそおかしいのだ……と、異を唱えていたのがスポーツライター玉木正之氏なのである。
玉木正之「日本のサッカーの弱点は…?」 掲載日2010‐07‐07

《人間の常識を超え 学識を超えて起これり 日本 世界と闘ふ》

 これは第二次大戦後に東京大学総長となる政治学者の南原繁が、1941年の真珠湾奇襲攻撃の報を聞いたときに詠んだ(少々字余りの)短歌である。

 ……最後の「日本世界と闘う」というフレーズに注目してほしい。この瞬間から日本は太平洋戦争に突入したのだが、それ以前の1931年満州事変以来、日本は(主に)中国と(アジアで)長く戦火を交えていた。

 それでも真珠湾によって米英との闘いの火蓋を切った瞬間「世界と闘う」という言葉が、かなり高い学識経験者の口から飛び出したのである。おそらく多くの人々も同様の感想を抱いたのだろう。だから、こんな言葉が飛び出てきたに違いない。

 この日本人の「世界観」は今日も変わらない。とりわけ〔サッカーの〕ワールドカップとなると〔野球のWBC=ワールドベースボールクラシックでも〕、日本のメディアは「世界と闘う」というフレーズを頻繁に使う。まるで日本は「世界の一員」ではなく「世界の外部」に存在しているかのようだ。

 たしかに今日の日本のサッカーは「世界の一員」とは思えない「世界基準」から外れた特徴がある、と多くのメディアは指摘する。

 パスまわしは巧いが、得点力がない。決定力不足。ミッドフィルダーは育つが、フォワードが育たない。ドリブラーが育たない。組織プレイは巧いが、個々の選手の突破力がない。それが日本人の特徴……日本社会の特徴……それが「世界」とは異なる日本文化……。

 しかし、そ〔の〕指摘は正しいだろうか? ひょっとして、そんな認識こそ(勝てない戦争に突き進んだかつての日本と同様)日本サッカーの〔野球の侍ジャパンも?〕最大の弱点ではないか?

 野球の世界でも、かつては同じようなことが言われていた。〔中略〕

 現在、日本のサッカーで〔野球の侍ジャパンでも?〕「常識」と考えられていることも、おそらくこの程度のことだろう。

 得点力が…決定力が…突破力が…日本人は…「世界」と異なる日本文化は…といったところで所詮はサッカーが下手なだけ〔注:それこそ世界レベルで見て日本だけが「下手」なのではない〕。巧い選手がいないだけではないか。運動神経に恵まれ、体力を身につけ、技術レベルの高い選手が何人か出現すれば、日本サッカーの問題点は解決の方向に向かうはずだ。

 屁理屈は要らない。〔サッカーの〕ワールドカップで〔野球のWBC=ワールドベースボールクラシックでも〕「世界の一員」として闘えば、日本サッカーの〔日本野球も〕レベルがわかる。わかれば、そこからまた新たな闘いを始めるだけだ。スポーツとは、そういうものだろう。
 まったくその通りである。久々に玉木正之氏の意見に共感した。感動した。

 だいたい、サッカーでも、野球でも、意味づけの曖昧なまま「世界と戦う日本」などと言っているから、世界の中での日本の位置づけがかえって分からなくなり、めぐり巡って日本は「世界で勝」てなくなってしまう。

 さらに、自身の賢しらを気取るために「世界で勝てないニッポン」を(自虐的に)語って見せる……。サッカーファンでも、野球ファンでも、やってることのいやらしさは一緒である。

玉木正之氏のアイロニー
 しかし、そんな玉木氏もやっぱりおかしな点がある。日本のスポーツメディアおよびスポーツファンの「世界」観を批判した玉木氏自身が、「1対1の勝負説」などという「『世界』と異なる日本文化」あるいは「日本と世界」とを分断する持論を長年にわたって吹聴し続けてきたのである。

 この点は、今後とも批判していかなければならない。是々非々のスタンスである。


【付録】
ヤフコメ


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ニッポン人がサッカーを愛せない理由
 日本人は、野球を愛する一方、サッカーが苦手な民族である。なぜなら、日本人は一騎打ち(1対1の戦い)を好むけれども、集団的な戦闘(団体戦,チームプレー)が苦手だからである。それは、日本人の歴史や国民性に裏付けられている。

 明治時代初期、野球やサッカー,ラグビーなど、さまざまなスポーツが日本に伝来した。しかし、日本人は、チームプレー(集団的な戦闘,団体戦)がゲームの基本となるサッカーやラグビーには興味を抱けなかった。翻って、投手が球を投げ、打者がこれを打とうとプレーする野球に、日本人は自分たちが好む一騎打ち(1対1の戦い)の美学を見出した。

 だから、日本人はサッカーよりも野球を愛するのである。だから、日本のサッカーは「世界」と戦って勝てないのである……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」を紹介し、そのデタラメぶりを暴くシリーズ。

 今回は、2003年,日本放送出版協会(NHK出版)刊『スポーツ解体新書』である。



『スポーツ解体新書』こそ玉木正之氏である

 『スポーツ解体新書』の巻末には、「本書は、『NHK人間講座』で二〇〇一年六月から七月に放送されたテキスト『日本人とスポーツ』に加筆し、まとめたものです」とある。もともとは、NHK教育テレビ(現在のEテレ)の教養番組「NHK人間講座~日本人とスポーツ」のテキストであった。
NHK日本人とスポーツ


 これを改稿して単行本としたものが『スポーツ解体新書』である。さらに2006年には朝日文庫からも刊行されている。あるいは、この本こそ玉木正之氏の主著なのかもしれない。
スポーツ解体新書 (朝日文庫)
玉木 正之
朝日新聞社
2006-11

 当ブログは、NHK教育テレビのテキストを購入し、放送も全編視聴している。案の定、玉木氏は「1対1の勝負説」と、もうひとつの持論である「大化の改新のきっかけは蹴鞠ではなかった説」を臆面もなく説いてきたのである。

NHKで息をするようにデタラメを説いた玉木正之氏
 なぜ野球が最も人気のある競技となったのか? なぜ世界的な人気のあるサッカーではなかったのか? このテーマは、日本のスポーツについて考えるうえで大問題になる。
 ……日本には、〔サッカーやラグビーのような〕団体戦の競技が存在しませんでした。〔中略〕

 ……江戸時代以前の日本人は、どうも「団体戦」で遊ぶゲームが苦手だったようです。

 それは、日本の市民戦争(戦国時代)が、一五四三年に種子島に鉄砲が伝来して以来、約半世紀という短さで終結し〔1600年,関ヶ原の戦い〕、多くの一般人が鉄砲を使った本格的な闘いを経験しなかったから、と考えられます。鉄砲が用いられると団体戦が主流になりますが、それ以前の刀や槍を用いた闘いでは「やあやあ我こそは」と大音声をあげるなかでの個人戦が中心になる、というわけです。じっさい日本では、源平の闘いから川中島での謙信・信玄の一騎打ち、さらに宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘にいたるまで、「闘い」といえば個人戦ばかりが語り継がれています。

 そんなところへ、〔野球、サッカー、ラグビーなど〕様々なスポーツが西洋から伝わってきたのです。〔中略〕

 野球は、欧米から伝播したあらゆるスポーツのなかで、急速に日本人の問で人気の高まったスポーツでした。というのは、先に説明したように、団体戦に対する理解が欠けていた日本人にとって、個人対個人(投手対打者)という〔野球のような〕闘いの形式が、川中島の一騎打ちや小次郎と武蔵の決闘に似ており、〔サッカーやラグビーのような〕フットボールのような終始チームで闘う球技よりも理解しやすかったためと考えられます。

玉木正之『スポーツ解体新書』(NHK出版)2003年,35~40頁
 しかしながら、くどいと言われようが何だろうが、この説は間違っているのである。
  1.  明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。
  2.  投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。
 ……以上、主に2点の理由から、玉木正之氏の持論は誤りなのである。

玉木説の間違い、第3の理由
 もうひとつの理由。日本ではサッカーより野球の歴史の方が約四半世紀くらい古い。日本で本格的に紹介された時期が違うのである……というと、驚かれる人がいるだろう。

 一般的には、野球は1872年(明治5)、アメリカ人のお雇い教師ホーレス・ウィルソンによって現在の東京大学にあたる学校で生徒たちに伝えられた。一方、サッカーは1873年(明治6)、東京・築地の海軍兵学寮(後の海軍兵学校)に派遣された、イギリス海軍のA・L・ダグラス少佐を中心とする軍事顧問団によって生徒たちに伝えられた……というのが定説である。

 この話だと、野球も、サッカーも、ほとんど同時期に日本に入ってきたが、サッカーは野球に差がつけられた。いかにも、そこには日本人の国民性・民族性みたいなものが関係しているのではないか……という考えに傾倒してしまう。日本のサッカー関係者は引け目を感じてしまう。

 しかし、ウィルソンも、ダグラスも、簡単な一過性の紹介にすぎない。スポーツは、単にボールと道具を持ってきて、現地の人に少しやらせてみました……程度のことで自然に普及するということはない。クリケットのように日本に伝えられながら、明治中期には下火になってしまったスポーツもある。ブラジルですら、最初にサッカーが紹介されたときは、あんな球蹴りのどこが面白いのかという反応があったのだ。

 特にボールを使って多人数で行う、野球やサッカーのようなスポーツの普及には大変な手間暇がかかる。そのスポーツをプレーする場所・道具、技術やルール等の情報を確保したうえで、普及に熱心な個人または組織が普及活動を熱心に続ける必要がある。さらにその競技の「面白さ」が一個人一組織を超えて共有し、拡散されなければならない。

 この条件を満たすというために、(A)そのスポーツの普及活動のセンターとなった施設・組織はどこか? いつ設立されたのか? 中心的人物は誰か? (B)普及の第一歩の証として、日本人同士の対外試合(違うチーム同士による試合)はいつ、どのように行われたのか? という視点で野球とサッカーの歴史をそれぞれ再評価してみると……。

(A)
(B)
  •  野球は、1882年(明治15)、新橋アスレチック倶楽部が日本最初の野球場「保健場」設けた。この年、新橋倶楽部と駒場農学校(東大農学部の前身)との間に日本最初の対外試合が行われた。
  •  サッカーは、1907年(明治40)、東京高等師範学校と青山師範学校(東京学芸大学の前身のひとつ)との間で試合が行われた〔(A)の印のリンク先を参照〕。在留外国人のチームとの対戦ということでは、1904年(明治37)、横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と試合をすでに行っている。
 ……以上の通りで、日本における本格的な紹介ということでは、野球とサッカーでは25年前後の時間差がある。野球の方がサッカーより人気が早く出たのも当然であろう。日本への移入は、サッカーより野球の方が四半世紀ほど早かった。これだけでいいのである。

 歴史といっても、たかだか明治時代の30年前後の経緯の問題である。玉木氏のように、それ以前の「徳川の平和」250有余年の歴史からくる文化的な拘束力をして、日本人が野球を享け入れ、サッカーを疎んじた理由なのだ……などとこじつける必要もない。

「なぜ」を問わずに「いかに」を問うべきではないか
 スポーツジャーナリズムは、「なぜ」日本では最も野球も人気が高い(高かった?)のか。「なぜ」日本では(世界中で人気のある)サッカーの人気が出なかったのか……など、もっぱら「なぜ」を問うて日本のスポーツ史・スポーツ文化を考えてきた。

 ただし、これでは思い付きや飛躍した議論が多くなる。特に「日本人の特異な国民性や文化」といった文化本質主義的な議論の介入を招きやすい。玉木正之氏の「1対1の勝負説」など、その代表例である。そして、日本人は文化や国民性といった根本的な次元でサッカーというスポーツへの適性を欠いているのではないか……。と、日本のサッカー関係者は劣等感を抱き続けることになる。

 しかし、前述のようにこうした議論はウソとデタラメが多い。

 当ブログが提案したのは、日本で野球は「いかに」普及してきたか、「いかに」サッカーが普及してきたか。「いかに」どのようにそのスポーツが普及・発展してきたかというをたどっていく視点である。思い付きよりも「実証」を重んじようという立場である。そうすることで日本のサッカーファンは、つまらぬ苦悩から解放される。

 しかし、スポーツライター玉木正之氏は、かねがねノンフィクション(事実)よりもフィクション(虚構)の方が事の本質に迫れるなどと公言している人、実証を軽んじる人である。だから「いかに」ではなく「なぜ」なのだし、だから玉木氏が語る日本野球黎明史には「平岡煕」の名前が出てこない。

 そうすることで、玉木氏は自身にとって都合のいい日本のスポーツ史,スポーツ文化を吹聴していられるのである。

(つづく)


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玉木正之著『スポーツとは何か』のいかがわしさ
 スポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」……日本人はチームプレー(集団的な戦闘)よりも一騎打ち(1対1の対決)を好む。サッカーはチームプレーだが、野球は投手vs打者の一騎打ちである。だから、日本人はサッカーより野球を愛するようになったのだ……の具体例を紹介し、さらに問題点を指摘するシリーズ。

 今回は第2弾。1999年刊,講談社現代新書『スポーツとは何か』である。

 この本は、文字通りスポーツとはスポーツ文化とは何か、何であるべきかを、新書というコンパクトなサイズで、かつ詳細に論じたものである。さらに「25年にわたってスポーツライターを続けてきた筆者〔玉木正之氏〕にとって、総決算ともいうべき一冊」(12頁)であり、何よりも「スポーツ後進国・日本への直言!」(帯の惹句)である。

 しかし、『スポーツとは何か』は、いかにも玉木氏らしく、主観的で恣意的、思い付き、論理の飛躍に基づいた断定が多く、ツッコミどころ満載の1冊でもある。あくまで玉木正之という人物のフィルターを通した、「かくある」ではなく「かくあるべき」スポーツ論なのであって、この本をもってスポーツとスポーツ文化を分かったつもりになるのは、かなり危うい。多くの読者(スポーツファン)ミスリードをもたらす。

 例えば、玉木氏はこの本でも「ラグビーを楽しむ」と公言していた元ラグビー日本代表・平尾誠二選手(故人)を称揚している。だが、平尾氏が1995年ラグビー南アフリカW杯の大惨敗(ブルームフォンティーンの惨劇)に深くかかわっていたことには、玉木氏は黙して語らない。

ラグビー史研究家による「玉木正之史観」批判
 こう思っているのは当ブログだけではない。秋山陽一氏というラグビー史研究家がいる。
秋山陽一
【秋山陽一氏プロフィール(クリックすると拡大します)】

 秋山氏は、自身のウェブサイト「日本フットボール考古学会」(活動を休止してしまったが現在でもこういった形で閲覧することができる)で、玉木正之氏の『スポーツとは何か』を次のように痛罵していた。
The severe heat of late summer〔コラムのタイトル〕
 話は変わるが、講談社現代新書の新刊に〔ママ〕「スポーツとは何か」はひどい本だ。ナンバーの書評で誉めているが中身を読んで論評しているのか疑ってしまう。本の宣伝文句は、「スポーツ後進国・日本への直言!」となっているが、こんな内容が25年にわたつて〔ママ〕スポーツライターを続けてきた筆者〔玉木正之氏〕の総決算なら、その25年は無駄なものだったと断言しよう。
 都合のいい結論のために史実が歪め〔られ〕ていいというのだろうか。蒸し暑い9月が一層不快になる。
1999年9月15日 常任幹事 A‐QUI〔秋山氏のハンドルネーム〕
6
【クリックすると拡大します】

ご都合主義的歴史観としての「1対1の勝負説」
 秋山陽一氏の言う、玉木正之氏が都合のいい結論を語るのためのご都合主義的スポーツ歴史観の最たるものが「1対1の勝負説」である、といえる。
【「団体戦」が理解できなかった日本人】
 明治時代、文明開化によってあらゆるスポーツが欧米各国から一気に流入したなかで、日本では、サッカーでもラグビーでもなく、テニスでも陸上競技でもなく、べースボール〔野球〕が短期問のうちに圧倒的な人気を得た。それはアメリカ帝国主義の文化政策の結果などではなく、おそらく、日本という島国では、大きな内戦(市民戦争)が1600年の関ケ原の戦いを最後に、早期に終結した、という事情があったからだ。つまり、鉄砲の伝来後わずか半世紀のうちに「徳川の平和」を迎えたため、日本人は「団体戦」〔集団戦闘,チームプレー〕に対する認識が薄く、いつまでも「やあやあ、我こそは」と大音声をあげて闘う、源平合戦や川中島の闘いのような個人戦や一騎打ちを理想と考えつづけた。そんなところヘサッカーやラグビーが伝わっても、「団体戦」を理解することができなかった。それに対して、投手と打者が一対一で闘う野球は「やあやあ、我こそは」の世界であり、個人の活躍が集団に貢献するというのも「御恩と奉公」として理解しやすかったにちがいない。もちろん、これは〈「アメリカ人気質にみごとに一致した」野球が、メキシコ人気質にも日本人気質にも、ぴったり一致するなどということがあるだろうか〉〔アメリカのスポーツ社会学者アレン・グットマン〕という問いかけに対する、ひとつの(面白い)仮説である。が、どんな国々のどんな民族が、どのスポーツを好きになるか(強くなるか)ということには、「強国」の影響だけではないさまざまな事情(歴史的背景)があるはずなのだ。
玉木正之『スポーツとは何か』(講談社現代新書)1999年,168頁
 アレン・グットマンの問いかけに関する「ひとつの(面白い)仮説である」などと書いているのは、玉木氏の自画自賛である。

 だが、しかし、とにかく、しつこく繰り返すが……。

  1. 明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。
  2. 投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はしていないため……。

 ……以上、主に2点の理由から、玉木正之氏の持論は間違っているのである。

平岡煕もチャールズ・ミラーも存在しない玉木正之史観
 サッカーか、ラグビーか、クリケットか、はたまた野球か……、何がその国の国民的スポーツを決めるのか? ニュージーランドのラグビーにせよ、インドのクリケットにせよ、19世紀、その国に縁の深い列強国の影響で決まったという印象が強い。

 しかし、当時の日本は、欧米列強に対して独立は保っていたから、こうした例に当てはまらない。半ば例外的に野球が人気スポーツになった日本には、だから、独特の「歴史的背景」があるはずだとして、玉木氏が吹聴しているのが「1対1の勝負説」である。しかし、それが無効であることは当ブログでは何度も何度も説いてきた。

 実はブラジルでサッカーを普及させたのはポルトガルではない。英国に留学したサンパウロ在住の英国人(というか英国系ブラジル人というべきか?)のチャールズ・ミラーが、帰国時にボール2個とともに「サッカー」を持ち帰り、普及させたのだ。(以下参照)
 ブラジルというと、サンバとか、カポエイラとか、ジンガとか、いかにも固有の文化がサッカーというスポーツを呼び寄せたような印象があるが、そうではなかった。チャールズ・ミラーという、熱心なサッカーの「伝道者」がいて、初めてブラジルはサッカー王国になったのである。

 ちょうど、日本にもチャールズ・ミラーに相当する熱心な野球の「伝道者」がいた。平岡煕である。この人については、以前にも取り上げたことがあるので細かくは繰り返さないが、平岡がいなかったら、日本ではサッカーの人気が出ていたかもしれない。

 玉木正之氏の持論と、当ブログの持論とどっちが正しいか? 少なくとも当ブログが知る限り、玉木氏が平岡煕に言及しているのを読んだ記憶がない。「1対1の勝負説」(といったガセネタ)や「大化の改新のきっかけは蹴鞠ではなかった説」(といった与太話)は熱心に説くが、日本野球興隆の最大の功労者である平岡煕について玉木氏が触れることはない。

 国民性や文化がその国のスポーツの在り方を決定する……という考えにどっぷり浸かった玉木正之氏のようなスポーツライターにとって、平岡煕のような存在は都合が悪いのだろうか。

 これもまた、都合のいい結論のための史実の歪曲なのかもしれない。

(つづく)

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