スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

大化の改新の2人、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いは「蹴鞠」だという…。
違う!「あれは蹴鞠ではない」と、スポーツライター玉木正之氏は主張している。
玉木氏は、そのことが現代日本のサッカーや野球にも影響を与えているのだと唱える。
それは一体どういうことなのか? そもそも玉木氏の主張は正しいのだろうか?

男女日本代表敗退で再び火が付いた自虐的日本サッカー観
 1年前の今頃、2018年6月は……。サッカー日本代表はロシアW杯で惨敗するだろう。そして、またぞろネット世論を含めたサッカー論壇は、自虐的な日本サッカー観(日本人論・日本文化論から見たネガティブな日本サッカー観)で溢(あふ)れかえるだろう……などと、すっかり悲観的になり、喚(わめ)きたてていた。


 ところが、西野ジャパンは下馬評を覆(くつがえ)して1次リーグを突破した。本当に恥ずかしい。

 2018年ロシアW杯では、日本代表が一定の成果を収めたために、奇妙キテレツで自虐的な「サッカー日本人論」の類は、あまり流行(はや)らかなったように思われる(もっとも,NHKのドキュメンタリー番組「ロストフの14秒」での,イビチャ・オシム氏の首を傾げたくなるような発言はあったけれども)。


 しかし……。

 2019年6月になって、日本女子代表「なでしこジャパン」がフランス女子W杯のベスト16で敗退、男子日本代表がコパアメリカ(南米選手権)の1次リーグで敗退(さらに20歳以下の男子日本代表が,U20ワールドカップのベスト16で敗退)……という、各カテゴリーの日本代表が「不完全燃焼」で終わる事態が続き、前年は不発だった「火薬」=自虐的な日本サッカー観が、サッカー論壇で「再着火」している気配がある。

「決定力不足」という「日本人」の病!?
 男女の日本代表とも、共通の課題があるとされていて、例えば「決定力不足」である。


 宇都宮徹壱氏は次のように語る。
 もっとも、決定力不足に関しての森保一監督の認識は……決して森保監督のオリジナルではなく、最後の外国人指揮官である〔「現時点で最後」と書くべきでは?〕ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も、繰り返し述べてきたことだ。


 さらにさかのぼればジーコ監督時代の15年くらい前にも、日本の「決定力不足」は盛んに指摘されていた。今となっては信じられないだろうが、〔2006年〕W杯ドイツ大会に出場していた時にも、試合前に繰り返しシュート練習が行われていたのである(結局、この大会で日本は2ゴールしか記録していない)。このように「決定力不足」は、日本代表にとって根深い歴史的な課題であり、そこだけをクローズアップしてしまうと問題の本質を見失う危険性をはらんでいる。

 宇都宮徹壱氏が「〈決定力不足〉は,日本代表にとって根深い歴史的な課題」と言っているのは、単純に昔からそうだという意味ではなく、文脈上、一朝一夕に変えようがない日本(人)の国民性や文化といった次元で「根深い歴史的な課題」という意味である。これは「サッカー日本人論」である。どうしても宇都宮徹壱氏は、日本人論・日本文化論の「まなざし」で日本サッカーを見てしまう傾向がある。

 だから、あのジーコの名前とエピソードも登場する。ジーコは、その経歴を見る限り、特別優秀なサッカーの監督・コーチとは言えない。けれども、日本人の自虐的な日本サッカー観を大いにくすぐる人なのである。宇都宮徹壱氏や西部謙司氏は、熱烈なジーコ信奉者のそぶりは見せないが、しかし、どうしてもジーコを見限れないという人でもある。



 そんな折も折、ジーコが来日して、昨今の日本サッカーの決定力不足を嘆き、「これを改善しない限り,日本のサッカーは2020年の東京オリンピックでもよい結果を残せないだろう」とか何とか、また宣(のたま)ったのだという。*


 アンタにだけは言われたくはないわ……というサッカーファンもいると同時に、ジーコの発言に過剰反応する幼気(いたいけ)なサッカーファンもいる。


 ジーコ発言にこうした反応を見せることで、自身のサッカー観の賢しらを誇示する。その発言が日本人論がかっている。これこそ「自虐的サッカー観」である。こういう人たちに対しては、やはり、藤島大氏の「ジーコのせいだ」をあらためて援用せざるを得ない。


 2006年のドイツW杯の期間中、にジーコ監督が日本人の選手たちにシュート練習をさせていたことは、むしろ、ジーコの監督能力を疑わせるエピソードである。本来、いわゆる「日本サッカーの決定力不足」とは別問題なのに、いっしょくたにしてしまっている宇都宮徹壱氏などを見ていると、やはりジーコ・ジャパンとは日本のサッカー評論、サッカー観のリトマス試験紙なのだと感じてしまう。

「脳科学」的に「日本人」監督の采配能力は著しく劣っている!?
 もうひとつの共通の課題は監督の采配、より具体的には「監督の消極的な交代策」である。男女のサッカー日本代表(森保一氏,高倉麻子氏)とも、例えば、選手の交代が遅い、1試合の交代枠(3人)を余らせてしまう、選手を交代させても試合の流れを積極的に変えるものではない……等々の理由で、勝てる試合を失い、日本代表は早々と敗退したというものである。

 この件について、何か面白いネタがネット上にあるかもしれないと思って検索をしていたら、とても興味深いツイートが釣れた。「日本人」の監督は脳科学的(!)に、そして統計的(!)に能力が劣っていることが明らか(!)なのだという。


 しかし、ここでいう「脳科学」とは、誰の、どういう研究・学説なのだろうか? どうせ中野信子みたいな俗流なんじゃないのか……とか、「日本人」と他の人類を分ける(自然科学的な?)定義ってあるのだろうか……とか、その「日本人の脳」をどうやって分析したのか……とか、いろいろツッコミたくなるところではある。

 こうした「脳科学」による日本サッカーの「分析」には、デジャブ(既視感)がある。日本代表が「惨敗」した2014年ブラジルW杯の3か月後、テレビ東京系のサッカー番組「FOOT×BRAIN」が(疑似科学だと批判されている)脳科学者・中野信子を出演させてしまったことがある。
FOOT×BRAIN「目からウロコ!脳科学から見るサッカー上達法!」
2014年9月27日

中野信子_サッカー_フットブレイン1

中野信子_サッカー_フットブレイン2

中野信子_サッカー_フットブレイン3


 くだんのツイートは、中野信子をゲストに迎えた時の「FOOT×BRAIN」を思い出させる。一方、中野信子のような「脳科学者」にはいろいろと疑義が提出されている。

 「日本人がサッカーで弱いのは科学的にも証明されている」という話。要は、日本サッカーが「世界」で負けると頻出する疑似科学的日本人論の一種である。

いよいよ「なでしこジャパン」言説まで日本人論化するのか?
 またまた、話はサッカー日本代表が「惨敗」した2014年のブラジルW杯になる。

 小説家で、サッカー関連の著作もある星野智幸氏が「日本のサッカーのうち,男子日本代表は〈日本的〉であるがゆえに愚劣だが(ただし本田圭佑のような〈日本人離れ〉したキャラクターを除く),女子日本代表〈なでしこジャパン〉は誇るべきものである」といった意味合いの、自虐的日本サッカー観に満ちたエッセイを書いていた(星野智幸「ガーラの祭典」@『エンタクシー』42号掲載,下記リンク先参照)。

 つまり、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」は、自虐的な日本サッカー観やサッカー日本人論の「枠の外」に置かれてきた。しかし、2019年フランス女子W杯の意外に早い敗退を受けて、またその評価を受けて、いよいよ日本女子サッカー&なでしこジャパン言説も、いよいよそうした風潮に呑み込まれてしまったかのような反応が散見される。

 現時点(2019年6月)の時点では、それはハッキリとは見極めがつかない。「要経過観察」といったところか。そのように「発症」してしまったと確信できたら、あらためて論考したい。

 いずれにせよ、こういう思考や精神は、日本サッカーの批評にも創造にもつながらない。

(了)



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英国にも野球文化があった!?
 2019年6月29日・30日に開催予定、野球のMLBアメリカ大リーグ英国ロンドン公式戦の前人気は上々と聞く。結構なことである。そして、これは大リーグ当局による、野球の世界(特にヨーロッパ=欧州)への普及・進出を図る第一歩ということになるという。


 はたして、野球の「ヨーロッパ進出」は成功するのだろうか? 当ブログは、日本人論・日本文化論に基づいた「日本人サッカー不向き論」の類には頑強に抵抗してきた。だから、野球それ自体が英国人・ヨーロッパ人の文化・気質に合わないので、これに失敗するだろうという立場はとらない。

 かつて、イングランドサッカーのダービーカウンティFCの本拠地の名前が意外にも「ベースボールグラウンド」だった。何でまた? 昔、英国にも「野球」のセミプロリーグがあり、それなりに人気があった時代があった名残りである。この英国野球リーグの話は、軍司貞則氏の『もうひとつの野球~ヨーロッパ球界地図』(1980)に登場する。

もうひとつの野球―ヨーロッパ球界地図 (1980年)
軍司 貞則
ベースボール・マガジン社
1980-07


 しかし、1929年の世界大恐慌でダメになったという。歴史的に、野球が北米・中南米カリブ海・東アジア以外にも普及する芽はあったのだ。だから、野球が欧州に普及する原理的な可能性は否定しない。それに関して「道具」や「指導者」については問題ないだろう。が、一番の難題は「マウンド」や「ダイヤモンド」が常設された、常に野球に使える「野球場」の確保だろう。

 しかし、別のある理由から、その蓋然性は楽観視できない……と、考える。

WBCとアメリカ大リーグの一国主義
 MLBのロンドン公式戦は、翌2020年にも開催されるとのことである。それは、エキシビションとしては成功するのだろう。しかし、それキッカケで野球が英国やヨーロッパに本格的に普及するかというと、正直なところ、よく分からない。

 どういうことか。英国(英連邦諸国を含む)やヨーロッパでは、サッカーやラグビー、クリケットなど、クラブチームのみならず、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界選手権(ワールドカップ=W杯)が権威づけられ、これらの国々のスポーツ文化において重要な意味を持ってきた。

 翻って、野球は(サッカーやラグビー,クリケット,アイスホッケーなどのように)複数の国にプロリーグがありながら、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界大会がオーソライズされていない、世界的にも特異な、ほぼ唯一の「チーム単位で行う球技スポーツ」である。

 一応、野球には「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)なる、ナショナルチーム同士の対戦による世界大会があることにはあるが、権威づけられた大会では全くない。第1回開催が21世紀に入ってから(2006年)と、歴史的に遅く始まったためもある。しかし、それ以上に、WBCの事実上の「主催者」であるところの「アメリカ大リーグ」に、WBCを権威的な大会にしようという姿勢が見られないからである。

 否。そもそも、WBCなどというものは、所詮、エキシビションにすぎない「ワールドカップごっこ」である。日本(笑)とか、キューバ(笑)とか、ドミニカ共和国(笑)とか、あの辺の連中は躍起になってWBCに勝ちに行くが、アメリカ大リーグの目線から、そんな有様を見ていると滑稽でたまらない……。

 ……MLBアメリカ大リーグが、アメリカ合衆国の野球が「世界一」なのは自明のこと。MLBの選手権試合を「ワールドシリーズ」と名乗るのは(だかだか国内リーグにもかかわらず)、むしろ当然ことだ。アメリカ大リーグは全く充足している。これ以上の高い次元を求める必要など感じていない。今さらアメリカ合衆国は、代表チームでWBCの優勝をガムシャラに狙うつもりなどない……。

 ……みたいな話を、日本の野球論壇では「大リーグ通」と目される書き手が、さも訳知り顔に紹介することが、よくある。


 WBCのオーソライズを阻む要素は、まだまだある。この大会は、春季、アメリカ大リーグの公式戦シーズン前に開催される(サッカーW杯のように,本来ならばMLBのシーズン終了後に開催するべきなのだが)。だから、大リーグ各球団としては、有力な選手がWBCにシャカリキになって怪我をしたり、消耗したりしては困る。本音を言えば、WBCみたいな「三流の大会」になど出場してほしくない。
 また、野球には、サッカーのように、クラブチームがナショナルチームに選手を提供する場合のルールが確立されていない(はずである)。同じ日本人でも、サッカーの久保建英選手は日本代表としてFIFAワールドカップに出場できる。しかし、野球の大谷翔平選手や田中将大選手は日本代表としてワールド・ベースボール・クラシックに、事実上、出場できない(はずである)。

 度し難い米国野球界の一国主義であるが、そこにこそ、英国・ヨーロッパで今後とも野球が普及が難しいであろう「遠因」がある。それは何か……。

サッカーW杯における「資源の再配分」機能
 ……サッカーやラグビー、クリケットなど、「チーム単位で行う球技スポーツ」において、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合やワールドカップは、形を変えた一種の「資源の再配分」(?)とでも言うべき機能を持っている。

 スポーツ界における大切な資源は、才能ある選手である。日本サッカーのJリーグならば、柴崎岳選手でも、大迫勇也選手でも、乾貴士選手も、ヨーロッパ各国のサッカーリーグに移籍して、何の見返りもなかったら、日本のサッカー界にとっては、単なる取られ損になってしまう(各々のJクラブが欧州のクラブから移籍金が取れる・取れないという懸案は不勉強だし,ここではしない)。

 ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合やワールドカップは、欧州サッカー界がかき集めた「資源」を、提供してくれた国や地域(のサッカー協会)に対して、不完全な形ではあるが、見返りとして、一時的に返還(再配分)する機能がある。

 欧州サッカーが「UEFAチャンピオンズリーグ」を頂点としたクラブシーンのみであったら、サッカーは、NFLやMLB、NBAといった北米のプロスポーツの亜流でしかなかった。やはり、何のかんの言っても、FIFAワールドカップは、サッカーの世界性を支えている。

 反面、野球のアメリカ大リーグは、自分たちだけが肥え太るだけで、選手(資源)を提供してくれた国(日本や中南米カリブ海諸国など)に対する見返りがない。WBCという野球の世界大会は、そうした機能を有していない。「野球はアメリカ合衆国の国民的娯楽」というけれども、現状では米国民のためだけの「国民的娯楽」でしかない。

 英国(英連邦諸国を含む)やヨーロッパでは、サッカーやラグビー、クリケットなど、クラブチームのみならず、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界選手権が権威づけられ、これらの国々のスポーツ文化において重要な意味を持っている。

 したがって、その国際試合や世界大会(WBC)を、軽視し、邪険に扱う、アメリカ合衆国のスポーツ=野球、アメリカ大リーグだけで「世界一」を決定する野球を、これから英国・ヨーロッパに再紹介して、普及するとは考えにくいのである。

間違いだらけの野球の国際試合
 米国在住のスポーツライター・四竈衛(しかま・まもる)氏は、アメリカ大リーグには、世界的な野球の普及に関して、門戸の開放、選手の才能の伸びゆく可能性を消さない姿勢、損得だけでは計れない将来的な海外への投資など、さまざまな「懐の深さ」があると説いている。


 しかし、こと英国・ヨーロッパに野球という球技スポーツを普及させたいなら、あるいは本当に野球という球技スポーツを「世界的」したいなら、以上に述べたような理由で、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界大会をオーソライズしなければならない。そうでなければ、アメリカ大リーグは「門戸を開放」したとも「懐の深さ」を見せたとも言えない。

 そもそも、サッカーW杯のような世界大会ができるのはサッカーだけである。アメリカ大リーグは、サッカー式ではなくて、国際普及度に地域差がある野球という球技スポーツの実情に合った、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界大会の在り方を、英国(英連邦諸国含む)から学び、模索するべきだった。

 例えば、ラグビーである。それを参考に思いつきの愚案を連ねてみるが……。
  •  ラグビーがそうだったように、初めから無理して(WBCのような)世界大会を開催する必要はない。例えば、かつてNPB選抜とMLB選抜による、いわゆる「日米野球」があったのだから、これを発展的に解消して、正規の日本代表vsアメリカ合衆国代表による国際試合(ラグビーやクリケットで言うテストマッチ)に格上げして、まずは経験を蓄積する。
  •  MLBの公式戦シーズン終了後に、国際試合月間みたいな日程を作る。
  •  米国国民はナショナルチーム(代表チーム)による国際試合に関心が薄いというならば、野球の米国代表は、ラグビーの英国&アイルランド合同代表チーム「ライオンズ」のように、海外遠征専門でもよい。定期的に東アジア諸国や中南米カリブ海諸国(さらには欧州のイタリアとオランダ?)に遠征する。
  •  そうした国際試合におけるビジネスモデルは適宜考える。しかし、即効性がなくても、MLBが中南米カリブ海諸国に野球アカデミーを作ったことと同じく、これは「損得だけでは計れない将来的な海外への投資」と心得る(かつ,これは「資源の再配分」である)。
  •  北米・東アジア・中南米カリブ海(プラス欧州への足掛かりとしてのイタリアとオランダ?)による12か国くらいの、強さと人気・伝統を兼ね備えた野球「主要国」と、それ以外の野球「発展途上国」に分けて、国際試合や国際大会を行う。
  •  「発展途上国」の国際試合や国際大会には、「主要国」はフル代表ではなく、格下の(例えば若手や二番手選手の)代表チームを編成・派遣して、「発展途上国」との力量のバランスをとり、国際的な普及を図る。
  •  その上で、機が熟したら、そしてどうしてもやりたいならば、ワールド・ベースボール・クラシックのようなナショナルチーム(代表チーム)による世界大会を開催する。
 ……と、思い返してみるに、アメリカ大リーグ当局は、こうしたプロセスを経ることなくWBCや、MLB公式戦ロンドン開催を始めてしまったわけである。

 傍目で見ていて、優れたアイデアを繰り出してくる大リーグ当局にしては、いかにも拙速であり、賢明さを感じない。MLBの欧州進出は、エキシビションとしての成功以上になるとは、考えにくい。

 アメリカ大リーグは、世界展開に関して、インドのクリケット選手とマイナー契約を結ぶことより、もっと重要な、やるべきことがあったはずだ。

(了)



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 2019年6月29日・30日に開催予定、野球のMLBアメリカ大リーグ英国ロンドン公式戦の前人気は上々と聞く。


 同様のロンドン公式戦は、翌2020年にも開催されるという。そして、これは大リーグ当局による、野球の海外への普及・進出を図る第一歩ということになるとも聞く。


 英国・ヨーロッパの人たちも、初めは、素朴に投げた・打った・走った・捕ったの「ワーワーベースボール」を楽しむだけでもいいだろう。しかし、例えば……。
  1. ダイレクトの打球がそのままファウルゾーンに落ちたら「ファウル」。
  2. グラウンダーの打球が一塁ベースまたは三塁ベースより〈前〉でファウルゾーンに転がっていったら「ファウル」。
  3. グラウンダーの打球が一塁ベースまたは三塁ベースから〈後〉でファウルゾーンに転がっていったら、これは「フェア」でヒット。
 ……平均的日本人男性ならば、野球に関して、以上の事柄の違いを皮膚感覚的に弁(わきま)えている(はずである)。

 だが、平均的ヨーロッパ人は、以上の違いをなかなか呑(の)み込めないようである。特に[2.]と[3.]の何がどう違うのか、いざ教えてくれと言われたら、平均的日本人男性でも意外と説明に窮(きゅう)する。

 野球がマイナーな欧州スペインで、スペイン人の野球選手(男性)が自分のガールフレンドに、くだんのファイルとフェアの違いの説明を試みる。が、そのガールフレンドはなかなか理解できず、イライラして遂には怒り出す……。

 ……という話が、大辻民樹(おおつじ・たみき)氏(放送作家,元高校球児,3年半にわたり欧州スペインの野球リーグでプレー経験あり)の著書『僕は助っ人エース~底抜けスペイン野球に体当たり』(1992年)の中に登場する。


 野球を、本当の意味で国際的に普及をさせるためには、英国・ヨーロッパの人たちが、前掲のファウルとフェアの違いのような、彼(か)の球技の機微(きび)にもっと通じるようにならなければならない。

 英国・ヨーロッパの人たちの野球観が、いつまでも「ワーワーベースボール」のままだったら、MLBのロンドン開催(ヨーロッパ進出)も、エキシビションとしての成功以上ではなかった……という評価になるのではないか。

(この項,了)



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