スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

大化の改新の2人、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いは「蹴鞠」だという…。
違う!「あれは蹴鞠ではない」と、スポーツライター玉木正之氏は主張している。
玉木氏は、そのことが現代日本のサッカーや野球にも影響を与えているのだと唱える。
それは一体どういうことなのか? そもそも玉木氏の主張は正しいのだろうか?

ブラック職場としてのサッカー天皇杯「元日決勝」
 サッカー天皇杯恒例の「元日決勝」にまつわる弊害が、いよいよ深刻なものになっている。
  • 藤江直人「オフはたったの6日間? サッカー界に〈働き方改革〉が必要な理由」(2020/02/06)
 あらためて、日本サッカーは「元日決勝」から決別しなければならない。

 [理由その1]まずは「過密日程」の問題。これは、今までさんざん論じられてきたし、もっと詳しい人がいるので、ここでは繰り返さない。

 [理由その2]マスメディアが日本人一般へのサッカーをPRにするに当たって、「元日決勝」ではかえって不利になるという問題。

 サッカー天皇杯は、NHKと共同通信という大手マスメディアが後援についている。しかし、毎年1月1日は、マスメディアは元日の特別編性となっているので、テレビのスポーツニュースなど報道に大きく時間が割かれることはない。

 正月のスポーツイベントとしては、サッカー天皇杯「元日決勝」の話題性は、どうしたって翌日・翌々日(1月2日,3日)開催の箱根駅伝のそれには勝てない。しかも、テレビの視聴率は高くない。貴重なサッカーの地上波中継なのにもったいない。

 すなわち、天皇杯決勝がどんなに素晴らしい、面白い試合だとしても、それがマスメディアによって、人々に拡散されることはない。その分、日本人は(国内)サッカーの素晴らしさ、面白さに気が付く可能性は下がる。

 日本サッカーの国内シーン、なかんずくJリーグの人気がもうひとつ盛り上がらないのは、天皇杯「元日決勝」のせいである。

捏造された歴史としてのサッカー天皇杯「元日決勝」
 [理由その3]そもそも、存続派が日本サッカーの「伝統」だと主張する天皇杯「元日決勝」など「捏造された歴史」に過ぎない。

 日本サッカーのカップ戦(全国選手権)は、大正時代の1921年から始まっている。しかし、それに「天皇杯」の冠がかかるのは、第二次世界大戦後の1951年度(昭和26)になってからに過ぎない。

天皇杯カップ
【サッカー天皇杯の優勝カップ】

 「元日決勝」は、戦後四半世紀も経った1968年度(昭和43)=1969年1月1日から。100年以上ある近代日本サッカーも歴史の中で、「元日決勝」の慣例などたかだが50年程度の時間に過ぎない。*

 もっと決定的なこと。明治神宮への初詣の参拝客を集客に取り込もうとして始まったと言われる、サッカー天皇杯の「元日決勝」。しかし、「元日決勝」で国立競技場を満員にできるようになったのは、1991年度=1992年1月1日からである。

 実質的に、サッカー天皇杯「元日決勝」の伝統などたかだか30年にも足りないのだ。

自国のサッカー史を知らない日本のサッカー選手たち
 ところが、日本のサッカー選手たちは、自国のサッカーの歴史をろくに知らない。サッカー天皇杯「元日決勝」が「捏造された歴史」だとは知らない、いたいけなサッカー選手たちが「元日に天皇杯決勝の試合がしたい」などというタワゴトを宣(のたま)う。


 例えば、日本のサッカー選手たちのほとんどは、自分たちのサッカーの直接のルーツが、東京高等師範学校(筑波大学の前身)の中村覚之助にあることを知らない(はずである)。

中村覚之助(胸像)
【中村覚之助】

 そんな、いたいけなサッカー選手たちが「元日に天皇杯決勝の試合がしたい」などというタワゴトを宣っているのである。

プロ野球から考えるサッカー天皇杯決勝「天覧試合」
 四の五の言わずに、サッカー天皇杯は「元日決勝」から卒業するべきである。

 通常、Jリーグ(J1)は12月第1週に終了するから、「元日決勝」から卒業したサッカー天皇杯決勝は、その次、12月第2週の土曜日夜にキックオフする。それをNHKが総合テレビで放送すればいい。

 12月第2週は、旧トヨタカップが行われた、サッカーに縁のある季節でもある。

 それとも……。そんな踏ん切りがつかないなら、新しい日程によるサッカー天皇杯決勝の最初の試合を「天覧試合」にすればよい。

 日本国天皇は元日は忙しい。逆を言えば「元日決勝」に拘泥する限り、天皇杯決勝の「天覧試合」は実現しない。

 大相撲は別として、スポーツの天覧試合と言えば、よく喧伝されたのが1959年(昭和34)6月25日のプロ野球「巨人vs阪神」戦である。

 この天覧試合の実現までは、いろいろな動きがあったと聞く。結果、この試合はそれまでの大相撲やアマチュアの東京六大学野球の人気を、プロ野球(NPB)の人気が追い抜いた大きな画期であるとされている。

 また、読売ジャイアンツ(巨人軍)の長嶋茂雄は、この試合で活躍したことが画期となって国民的スーパースターとなった。

天覧試合_長嶋茂雄サヨナラホームラン19590625
【天覧試合における長嶋茂雄のサヨナラホームラン】

 すなわち、サッカー天皇杯も「天覧試合」と藉口することで、旧弊たる「元日決勝」から卒業し、日本サッカーの新しい歴史を創る画期となすのである。

(了)




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毒をもって毒(セルジオ越後)を制す
 日本のサッカーばかりか、日本の他のスポーツ(例えばラグビー)にまで、これを貶める暴言を吐くようになったセルジオ越後にムカついて、そういや、セルジオ越後には経歴詐称疑惑があったな……と、いろいろネット検索をいじくっていたら、rulli-coco氏という人のブログに当たった。

 セルジオ越後の経歴詐称疑惑について、しつこく批判しているわけだが、まさに毒を以て毒を制す……。rulli-coco氏は癖の強い、相当変な面白い人である。

 この人のブログは、挑発的なモノ言いや、場合によってはかなり極端な主張で、これはハッキリ好悪が分かれる。むろん、その言い分に全て共感することはない。しかし、そんなおかしなことばかり言っているわけでもない……とは思う。*

サッカー「辛口批評」というフィクション
 それはともかく、そのrulli-coco氏によるセルジオ越後批判である。氏は、セルジオ越後の経歴詐称問題のみならず、セルジオ越後が日本に定着させた「サッカー強豪国,ことに南米のブラジルやアルゼンチンなどのサッカー評論は,選手や監督,チームを徹底的に批判する」という話も間違いである……と説く。
強豪国は辛口が常識というウソ。評論家によって違い、幅がある
 この男〔セルジオ越後〕は、「海外では失敗した選手を叩いている」と主張し、自分〔セルジオ越後〕が選手を攻撃するのを正当化していますが、これは大嘘です。

 日本人は、海外の新聞を原文で読まないアホが多いので大嘘がまかり通っています。

 海外の新聞を読めば優しい評論家は居り、人それぞれです(当たり前ですよね)。

 アルゼンチンの名将カルロス・ビアンチ監督(クラブ・チームで世界一3回。世界最多記録を持つ名将)などは、ミスを犯した選手にも目線が優しい人物です。

【カルロス・ビアンチ氏(写真中央の人物)】

 W杯2018年、ロシア大会のGL第2戦のクロアチア戦で、大ミスをし、クロアチアのFWに間違ってパスをしてしまい、それで失点したアルゼンチン代表のGKウィルフレード・カバジェーロに対して、日刊紙クラリンのコラムで、ビアンチは、「今は、彼のメンタルを回復させる事が最も重要だ」と述べ、失敗した選手を擁護する評論をしました

 (ビアンチは、アルゼンチンでは大尊敬されており、このコラムは敗戦翌日に見出し記事のすぐ下、まるで「クラリン」の社説のように紹介されていました。日刊紙クラリンは、アルゼンチンで最も発行部数の多い一般新聞紙です。試合は0-3の歴史的惨敗でしたが、ビアンチはGKを擁護しました。「彼は、他でピンチを救っていた」、「次の試合も絶対に彼を起用すべきだ」とも述べ、ミスを犯したGKを批判から守っていました])。

【カルロス・ビアンチ氏】

 故に、南米が誰でも(特に評論家が)「失敗した選手を叩きまくっている」などというこの男〔セルジオ越後〕の話は、大嘘ですよ。

 日本のマスコミは、ろくに海外の新聞もコラムも読まないアホが仕事しているので、セルジオ越後の話を「常識」だと信じ、それを「強豪国の常識だ」と紹介しているんです。
そして、それが日本社会にまかり通っているのです。

 (セルジオ越後が一人で環境作りをし、それに成功したという感じです)。

 この男(元3流以下選手)が日本人に対し、偉そうに侮辱や難癖を言いたいので、「叩くのが当たり前」とか、「叩くから強くなる」と主張し、自分の酷いやり方を、自己正当化しているだけに過ぎないのですが、日本人は、それを全く読み取れていません。

 これも日本人が、「ブラジル人詐欺師」〔セルジオ越後〕にだまされている事の1つでしょう。

 強豪国に厳しい評論家が居る事は事実です。

 日本でも有名なオズワルド・アルディレス(アルゼンチン代表。W杯1978優勝メンバー)はこの敗戦翌日、同じ新聞上で「史上最低のアルゼンチン代表チームだ」と猛批判しました(ビアンチよりかなり小さな扱いでしたが)。

 故に、強豪国では、この様に容赦なく批判する元選手も居ますが、(ビアンチの様に)擁護する人も居て、人それぞれです。

 つまり強豪国は、「人それぞれ」が常識で、色々な意見を各評論家が述べ、幅があります。

 この男〔セルジオ越後〕が、「叩くのが常識」と日本人に説明しているのは「大ウソ」という事です。

「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師」
(2019-03-02)
 例えば、こうした間違った「海外サッカー強豪国の常識」を鵜呑みにして出世した人物が、かの花形スポーツライター・金子達仁氏である(『激白』参照)。そして、金子達仁氏の読者たちも、セルジオ越後の影響下にある。

 金子達仁氏は、セルジオ越後の弟子筋の人間に当たる。だから、武藤文雄氏サッカー講釈師さんによる「セルジオ越後の言うことなんか誰も本気にしていない」などというセルジオ越後擁護論は的外れである。

奥寺康彦をベタ褒めするベッケンバウアー
 しかし思うに、ここでもう一押しして欲しかったのである。

 例えば、その海外の新聞(アルゼンチン「クラリン」紙)に出た、カルロス・ビアンチ氏のインタビュー記事のWEB版があったらリンクを貼ってほしかったし、紙媒体だけならば、(差し障りのない範囲で)紙面をスキャンしてアップするなり、テキストを文字起こししてほしかったのである。

 引用元・出典を明らかにして、読者が「追試」し、確認できるようにしてほしかったのである。

 しっかりした「裏付け」があれば、その分だけ説得力を増すからである。

 こういう例はほかにもある。rulli-coco氏は、日本人初のブンデスリーガ選手として長く活躍した奥寺康彦選手の再評価をライフワークにしている。中田英寿が過大評価されている一方で、奥寺康彦が過小評価されているというのは、たしかに本邦サッカー界、サッカー文化の問題である。
  • 「奥寺康彦と中田英寿。」(2019-12-02)
 では、奥寺康彦は何が凄かったのか? くだんのブログでは、サッカー界の皇帝ベッケンバウアーは、奥寺康彦を次のように高く評価したと紹介している。
皇帝フランツ・ベッケンバウアーから認められた、奥寺康彦
 フランツ・ベッケンバウアーは、ドイツのマスコミに向かって、奥寺康彦について話した。

 「残念だが、奥寺の良さは、君らには理解できないし、説明しても分からない。私や〔オットー・〕レーハーゲルのような人物にしか分からないよ」とだけ述べた。


「名将、名選手による奥寺康彦への評価。~歴史、第16回[最終回]」
(2019-10-11)
 いや、いい……。カッコイイ。男なら(女でもいいが)こんな凄いセリフを吐ける人間になってみたい。また、こんな凄いセリフで評価される人間になってみたいものだ。

 それはともかく、このベッケンバウアー発言の出典はどこだろうか? それがハッキリしないので、rulli-coco氏のエントリーの主張も、いまひとつ説得力に欠ける。疑い深い人は、該当のコメントは氏の「捏造」ではないかと勘ぐってしまうかもしれない。

ベッケンバウアー発言の元ネタはどこか?
 実は、佐波拓也(さば・たくや)氏の著作『プロフェッショナル・ドリーム~奥寺康彦サッカー・ドキュメント』(1986年)に、くだんのベッケンバウアー発言そっくりのコメントが登場する。そこで、あらためて紹介すると……。
 奥寺〔康彦〕は……ブンデスリーガで「東洋のコンピューター」とまで称されるようになった。

 あの西ドイツ〔当時〕の皇帝フランツ・ベッケンバウアーは、ブレーメン〔当時の奥寺康彦の所属クラブ〕が一躍優勝戦線に登場したとき、マスコミの取材に応じて語ったことがある。

 「残念だが、奥寺の良さは、君らには理解できないし、説明してもわからない。私やレーハーゲル〔ブレーメン監督〕のような人物にしかわからないよ」

 ある日本人――奥寺の可能性を見つけ、見守ってきた三村恪一氏〔みむら・かくいち,1931年生,サッカー指導者〕は、それをうけて言った。

 「私〔三村恪一〕は、おそれおおくてベッケンバウアーが言ったことがどういうことか、わかりません。ただ私なりに、奥寺君を見てきた経験からすると、サッカーの試合中は……〔以下略〕



 ……漢字か平仮名かという細かい用字以外は、rulli-coco氏が引用したコメントとほとんど一緒である。元ネタは佐波拓也氏の本で間違いないはずだ。

マルクスが説く「共産主義」とは,幽霊か? 妖怪か?
 なぜなら、ベッケンバウアーが奥寺康彦をこう評価した発言は、ドイツ語で発せられたものだろうから、外国語を翻訳した場合、単純な文章でも翻訳者によって日本語の文言が微妙に変わって来るものだからだ。

 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの共著『共産党宣言』の、あの有名な冒頭部分も、翻訳者の違いによって異同がある(なお直接の引用は,呉智英の『言葉につける薬』からである)。
マスクスとエンゲルス『共産党宣言』冒頭の一節
 "Ein Gespenst geht um in Europa - das Gespenst des Kommunismus"(ドイツ語の原文)

 「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」(大内兵衛・向坂逸郎訳,岩波文庫)

 「ヨーロッパをひとつの妖怪がゆく。共産主義という妖怪が」(相原成訳,新潮社,マルクス・エンゲルス全集)

 「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている――共産主義という妖怪が」(村田陽一訳,大月書店,マルクス・エンゲルス全集)

 「一つの妖怪がヨーロッパを歩きまわっている――共産主義という妖怪が」(宮川実訳,平凡社,世界教養全集)

 「一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である」(堺利彦・幸徳秋水共訳,青空文庫

 「亡霊はヨーロッパに出没している-共産主義の亡霊」(Google翻訳)


 ことほど左様に違うわけである。

 だから、rulli-coco氏が引用したベッケンバウアー発言が、佐波拓也氏の著作のそれとほとんど同じということは、くだんの発言の元ネタが『プロフェッショナル・ドリーム~奥寺康彦サッカー・ドキュメント』と見て、まあ、間違いないのである。

本当に「革命」を起こしたいのであれば…
 ところで、rulli-coco氏の自己紹介におけるキャッチフレーズは「たった1人で,革命を起こす男」である。しかし、本当に「革命」を起こしたいのであれば、少しでもその主張の説得力を高めるべく鋭意するべきではないかと思う。

 「革命」と言えば、前出のマルクスであり、その代表作といえば『資本論』である。

 共産主義・社会主義が間違っていたのかは否かはここでは問題とはしないが、なぜマルクスの『資本論』は、20世紀の世界史をあれだけ引っ掻き回したのか? 『資本論』は観念的な理屈をこねていただけでなく、瑣末だが具体的な事実に異様なまでにこだわり、その分、説得力を高めているからだ……との指摘がある。
具体的なことを
 有名な大論文と言えば、マルクスの『資本論』などは代表的なものであろう。

 これを読んでみてもわかるように、もう全篇が具体的記述で充満している。

 イギリスの陶器製造業の労働者たちが極度に寿命が短いことの詳細な背景とか、合州国〔アメリカ合衆国〕の南北戦争のおかげでイギリスの木綿工業界はどのように機械の改良・大規模化がすすんでいったのかといったことが、実にこまかな具体的記述ですすめられる。

 あれだけの具体的記述で支えられているからこそ、世界をひっくり返すほどの説得力を持つにいたったとさえいえよう。〔以下略〕

本多勝一『日本語の作文技術』第10章より


【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)
本多勝一
朝日新聞出版
2015-12-07


 ましてや、マルクスでもヘーゲルでもない、一介のブロガーである。

 日本のサッカー文化に本当に「革命」を起こしたいであれば、その主張に対する裏付けをもっと徹底させるべきだろう。

(了)




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前回,前々回のおさらい
  • 【前々回】RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月23日)
  • 【前回】続・RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールドインユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月26日)
 いきものがかりの吉岡聖恵が歌った、ラグビーW杯2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)は、世間では無視され、黙殺され、忘れ去られた。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2019-10-01


 なぜか? 「ワールド・イン・ユニオン」とは別に、独自のラグビー関連のタイアップ曲を持ってビジネスをしているNHK、日本テレビ、TBSといった日本ラグビー界をPRしてくれるマスメディア、独自のCMタイアップ曲を持つ、ラグビー日本代表のスポンサー・大正製薬「リポビタンD」に対して、日本ラグビー界が【忖度】したからである。

 タイアップ曲によるビジネスは、欧米の音楽業界には見られない因習であり、日本の音楽業界、テレビ業界が孕(はら)む構造的な、好ましからざる慣習である。

 この風潮が、ラグビー界を含めた日本のスポーツ界、日本のマスメディアによるスポーツ番組、スポーツ中継にも及ぶようになっている。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうことで、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうことを、恐れたからである。

 吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は、「タイアップ曲」という日本的な因習の犠牲になり、存在を隠蔽され、潰された。

ゆず「栄光の架橋」とNHKのステマ
 例えば。2004年アテネ・オリンピックの公式テーマ曲は、ゆず「栄光の架橋」……ではない。

 同大会の体操競技の中継で、NHKの刈谷富士雄アナウンサーが「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と実況した。1936年ベルリン五輪の「前畑ガンバレ」に匹敵する、本邦スポーツ中継史における名セリフ、だと言われている。しかし……。

 この刈谷アナウンサーの実況は、放送法にある「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」という規定に抵触するのではないか? ……と批判されている。

 NHKは、子会社のNHK出版が「栄光の架橋」の原盤権(著作権とは別の音源に関する権利)を持っていて、この曲を流せばNHK出版にカネが下りる。つまり、刈谷アナウンサーの実況は「栄光の架橋」のステマ(ステルスマーケティング)をしたものではないか……との疑惑を指摘されているのだ(速水建朗『タイアップの歌謡史』215~216頁)。


 例えば。2010年サッカーW杯南アフリカ大会の公式テーマ曲は、Superflyの「タマシイレボリューション」……ではない。

 日本人のあるお笑いタレントが、この曲をBGMにして、同大会でアルゼンチン代表監督をつとめたディエゴ・マラドーナの物まね振りマネをしていたが、国際的には通用しない。外国人には、マラドーナの真似をするのに、なぜこの曲でなければならないのか意味不明である。

 例えば。2012年ロンドン・オリンピックの公式テーマ曲は、いきものがかりの「風が吹いている」……ではない。

 いきものがかりのボーカルの吉岡聖恵は、2019年のラグビーW杯日本大会の正真正銘の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」を歌いながら、他のテレビ局・他のスポンサー会社のタイアップ曲ビジネスに隠蔽されて、世間的には黙殺された。しかし、この時は公共放送たるNHKの強力なバックアップを受けていた。

 皮肉と言えば、皮肉である。

椎名林檎のブラジルW杯NHKタイアップ曲「NIPPON」は何が駄目か?
 例えば。2014年サッカーW杯ブラジル大会の公式テーマ曲は、椎名林檎の「NIPPON」……ではない。

 この楽曲は、好悪の別がハッキリと分かれたが、何が駄目なのか? 当ブログには、よく分かる。当シリーズでは、楽曲それ自体への評価はしないつもりだったが、この作品に関しては例外とする。「NIPPON」は、何が駄目なのか?

 ウィキペディア日本語版の記述をそのまま信じれば、椎名林檎の「NIPPON」は、NHKから「日本代表を応援する歌を作ってほしい」と依頼されたという。しかし、英米などとは違い、ナショナリズムがデリケートな問題になっている日本で、これでは歪な楽曲しか生まれない(RADWIMPSの「hinomaru」なども同様である)。

 むしろ、NHKは「国籍や民族にかかわらず,世界中のどこのサッカーチームであっても,ファンやサポーターが応援に使える曲を作ってほしい」と依頼するべきであった。

 事実、JリーグのFC東京のサポーターは「You'll Never Walk Alone」(俗称:ユルネバ,元はリバプールFCのサポーターソング)、モンテディオ山形は「Blue Is The Colour」(俗称:ブルイズ,元はチェルシーFCのサポーターソング)と、英国のサポーターソングを使っている。

 ……というか、日本製のサッカー関連の楽曲が余りにも貧困なので、そうせざるを得ない。*

 この辺が、「六甲おろし」(阪神タイガース)や「東京音頭」(東京ヤクルト スワローズ)といった応援歌が定着している、土俗の臭いが(いい意味で)ぷんぷんするNPB=日本プロ野球に対して、Jリーグ(日本サッカー)の劣っている点である。

六甲おろし~阪神タイガースの歌
立川清登
ビクターエンタテインメント
1992-07-22


 椎名林檎が本当に優れたシンガーソングライターならば、NHKの依頼など鵜呑みにせずに、こうした「情況」に風穴をブチ開ける楽曲を創るべきであった。

 それとも、Jポップのアーティストの創作力なんて、所詮こんな程度のモノなのですかね?

W杯も五輪も日本ではテレビ局のイベント!?
 ……等々、こうした事例には枚挙に暇がない。これらは、あくまでNHK(他の民放でも同様)が自局のスポーツ中継を利用した原盤権ビジネスのために、勝手に制定した私的な「タイアップ曲」であって、大会それ自体の「公式テーマ曲」ではない。

 つまり、1964年東京オリンピックにおける三波春夫(ほか競作)の「東京五輪音頭」や、1972年札幌冬季オリンピックにおけるトワ・エ・モア(ほか競作)の「虹と雪のバラード」といった、公的なテーマ曲とは性格の異なる楽曲である(椎名林檎の「NIPPON」以外は,楽曲そのものへの評価ではない)。

東京五輪音頭~世界の国からこんにちは(舞踊ガイド付)
三波春夫
テイチクエンタテインメント
2019-10-10


虹と雪のバラード (MEG-CD)
トワ・エ・モワ
株式会社EMIミュージック・ジャパン
2012-10-31


 あまつさえ、NHKなどは、テレビやラジオの番組で。こうした大会の公的なテーマ曲と私的なタイアップ曲を混同して、「W杯や五輪のテーマ曲」として紹介する詐術を行っている。許し難い。

 かくして日本人は、ワールドカップであれ、オリンピックであれ、テレビ局の私的な「タイアップ曲」をいうフィルターを付けさせられて、あたかもそのテレビ局のスポーツイベントであるかのように、これを見るハメになる。

 日本人は「世界」とは違ったものを見せられている。

 このことは、日本におけるスポーツの文化的価値を著しく下げている。

紅白で「ワールド・イン・ユニオン」が歌われなかった愚かなニッポン
 2019年12月31日、大晦日(おおみそか)恒例の歌番組「NHK紅白歌合戦」(紅白)で、吉岡聖恵が属するいきものがかりは、「ワールド・イン・ユニオン」ではなく、前述の「風が吹いている」を歌った……というか歌わされた。ゆずもまた前述の「栄光の架橋」を歌った。

 ともに2020年東京オリンピックの前景気を煽るためである。

 Little Glee Monster(リトグリ)は、NHKのラグビー関連番組タイアップ曲「ECHO」を歌った。また、松任谷由実は、ラグビーを題材にした「ノーサイド」を歌った。

ノーサイド
UNIVERSAL MUSIC LLC
2018-09-24


 同年、日本で開催されたラグビーW杯の感動を振り返り、その余韻に浸るためである。曲が流れている間、番組では、ラグビーW杯2019日本大会の試合の映像をふんだんに使っていた。

 他方、他のラグビー関連のタイアップ曲の歌い手、例えば「馬と鹿」(TBS系テレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」主題歌)の米津玄師や、「兵、走る」(ラグビー日本代表スポンサー「リポビタンD」CMソング)のB'zは、「紅白」に出演しなかった。

 「紅白」には、いかにもNHK的な権威主義や、番組独特の野暮ったさがあり、こだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手たちには、出演することに抵抗のある歌番組である。出演するにしても、さんざんな勿体を付けて出演する(何のかんのいっても「紅白」は視聴率は高いからPRの効果は高い.だから音源は売れる)。**

 松任谷由実は、以前はそんなこだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手だった。以前はそんなこだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手では必ずしもなかった桑田佳祐のサザンオールスターズは、今やそんな人たちになってしまった。

 そして、ネットという巷間には、そんな米津やB'zを盾にとってNHKや「紅白」を揶揄しては得意げな人がいるらしい。さらには米津「馬と鹿」の作風をもってB'z「兵、走る」の作風まで揶揄しては、得意げな人もいるらしい。だが……。

 ……全部間違っている。

 吉岡聖恵が「NHK紅白歌合戦」で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことが出来なかったこと。これが一番の問題である。間違いである。

 わたくしたちの祖国ニッポンは、そのことを知らない人の方が多い。間違っている。

 日本人は本当に馬鹿な民族である……などと書くと、釜本邦茂の日本代表得点記録は捏造(そうなのかもしれない)だと常々主張している某ブロガー氏と一緒になってしまう。

 しかし、日本人の多くがいたいけな情況なのは事実だからしょうがない。

 日本は「世界」に向けて恥をさらしているッ……と書くと、誤字脱字事実誤認悪口雑言罵詈讒謗の常習犯であるインチキ野球ブロガー・広尾晃氏のようになってしまう。

 しかし、「世界」に対して日本が恥ずかしい情況なのは事実だからしょうがない。

RWC2019…その玉に瑕
 ラグビーW杯2019日本大会は、本当に素晴らしい大会だった。そのことは誰も疑いようはない。

 台風19号の被害で3試合が中止になったこと。これは天災であるし、いたしかたない。

 しかし、ラグビーW杯2019日本大会の本来の公式テーマ曲である、吉岡聖恵が歌った「ワールド・イン・ユニオン」が、ここまで蔑(ないがし)ろにされたこと。

 この恥ずかしい事実は、大会唯一の汚点となっている。

(了)




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